女子高生がうざい
女子高生がうざい。特に花川弥生がうざい。
花川に会ったのは夜中のことだった。俺はその日、会社の飲み会で帰るのが遅くなって、大した量は飲んでいなかったのだがほろ酔いの楽しい気分で駅から自宅までの道を歩いていた。すると道端で女子高生が蹲って泣いてやがった。街灯のぼんやりした灯りを頼りに自転車をがちゃがちゃやっている。どうやらチェーンが外れたらしい。「どうしよ」、「帰れない」とか掠れた声が聞こえてくる。
いい気分だった俺は珍しく親切心を出してしまった。「だいじょうぶかぁ?」と酔っ払い特有の間延びした声で呼びかける。街灯に照らされた女子高生がキッ、と鋭い目で俺を睨みつけたが泣いているからその白い顔は随分と力なく感じる。まあ知らんおっさんに急に声をかけられた若い女の反応しては妥当なところだろう。俺は女の反応を思いきり無視してチャリの傍に屈みこんでスマホのライトでチェーンを照らしてやる。ああ、ダメだなこりゃ。ギアが歪んでやがる。単にチェーンが外れたんじゃなくて、転んだらしい。部品交換なしじゃ直せないだろう。
「おまえ、怪我してないか?」
「してないけど、なにおまえ」
「これ直んねーから、電話で誰かに迎えにきてもらえ」
「……スマホ、電池切れてる」
「貸してやっから」
俺がスマホを差し出すと、女子高生はチャリを触って真っ黒になった手で一旦スマホを受け取りかけて、「……電話番号覚えてない」と言って手を引っ込めた。
ったく。最近のガキは。手帳だとかに番号バックアップしとけよ。
重ねて言うが、俺は別にいいやつじゃない。今日はたまたま酔っぱらっていていい気分だったのだ。そんな日を誰かが泣いているのを見て、それを素知らぬ顔をして見過ごして帰って、しこりみたいなものを抱えたまま終わりにしたくなかった。
ただそれだけのことだった。
俺はタクシー会社に電話して場所を言い、一台寄越してくれるように頼んだ。最近では酔っぱらいの運転代行なんかをやってるタクシー会社が随分遅くまで車を走らせている。割増料金だがまあそれくらいは大目にみてやろう。
俺は名刺の裏に俺の住所と電話番号を書いて、財布から抜いた三千円と一緒に女子高生の黒い手に押し付けた。
「チャリ預かっといてやるから、あとで取りに来い」
どこに住んでるのか知らんが、所詮チャリの行動範囲だ。
三千円もあれば足りるだろう。
「……おっさん、何、きもいんだけど」
「ああ、おっさんはきもい酔っ払いだがいまはきもい酔っ払いのおっさんしか助けてくれんからだまって受け取っとけ」
近くの自販機で緑茶のペットボトルを二本買って、片方を女子高生に放り投げる。
女子高生が受け取る。
「……紅茶がよかった」
女子高生がむくれながら言った。
タクシーを待つ間に、俺と女子高生はヤンキー座りで横に並んで少し話をした。女子高生はどっかのバンドのライブに行った帰りだったらしい。友達と盛り上がって随分予定の時間をオーバーしたそうだ。ああ、俺にも似たような覚えがあるなと思う。友達と遅くまでバカやって。俺の場合は映画だったが。閉演ぎりぎりの時間に滑り込んだら、終電の方がなくて友達とげらげら笑いながら四駅分を歩いて帰った。いまにしてみればいい思い出だがな。
「おっさんはどうしてこんな時間に歩いてんの? ……あ、見た目通りか」
酔っていて顔の赤い俺を見て女子高生が笑う。
「ご明察。おっさんはこんな時間まで飲んでいい気分になってんだ。酔っ払いだから車使うと捕まっちゃうの」
そのうちタクシーのヘッドライトが見えてきた。
「おっさん、名前は?」
「それに書いてるっつーの」
俺は名刺を指して、女子高生が名刺をひっくり返した。(住所の書いてる面を向けていた)
「斎藤弘之」
女子高生が男のフルネームを呼び慣れていない声でやけに嬉しそうに言う。
タクシーが止まり、ドアが開く。
「私はね、花川弥生」
「てめーの名前なんか知るかよ」
さっさといけ。俺はしっしっ、と手を振って女子高生を追い払った。
「覚えててね!」
花川がタクシーに乗り込んで、夜の街に消えていった。
で、それから俺は仏心を出して預かったチャリを修理に出してやった。花川から連絡があって、取りに行く、じゃあ土日が都合がいい場所は近所のうんたら公園でわかるか?、わかるだいじょうぶじゃあ次の土曜日で、という短いやり取りがあって、土曜日にやってきた花川にチャリを返してやる。
昼に見る花川は女子高生だけあって、若い。薄茶色に染めた髪を頬の線を隠すくらいにまとめている。ああ、こいつ丸顔がコンプレックスなんだなとなんとなく思う。目がぱっちりとしていてつけまつげが乗っている。化粧がちょっと濃い。なに気合い入れてんだこいつ。
「キレーになってる」
花川がチャリを眺めて笑む。
「おう、直しといてやったから感謝しろ。じゃあな」
そのままおさらばしようと歩き出したら花川がチャリを押しながらついてきて「おっさん、ご飯食べにいこーよ」と言ってきた。
「行きません」
「なんで?」
おっさんの休日は貴重なのだ。
寝たい。ねむい。
「おまえタカる気だろ」
「違う違う、自分で出す。なんならお礼に奢るよ」
こいつキレーにしてもらったし。花川がチャリのハンドルをぽんと叩く。
ピンクに塗った爪が目に入る。
「なおさらいかねーわ」
「なんでよ?」
「おっさんは女子高生に奢られたくない生き物なの。絵面が惨めだから」
「そんなもんなの? どっちがー、とかいう時代じゃなくない?」
「そんなもんなの」
だっせープライド。ぼやきながら花川が落ちていた小石を蹴った。
「つーかおまえどこまで着いてくる気だ?」
「え、おっさんの家まで?」
「なんで?」
「なんでってお礼まだしてないし」
「別にいーよ。ただの気まぐれだから。あのときは酔ってたの。おっさんは本来もっと冷たい人間なの」
「でもあたし、助かったし」
「よかったな。じゃあな」
「ねえ、おっさん知ってる?」
「なにを」
「酔ってる方が、本性でるんだよ?」
「あっそ」
俺は安アパートの階段を上がって、ドアを開けて中に入り、すぐに閉めた。カギとチェーンをかける。
「ウソぉ!? ほんとに閉めやがったよ、このおっさん。なんで? JKだよ? JKがお礼するって言ってるんだよ?」
「デカい声出すな。捕まるわボケ」
「ぶっちゃけちゃうけどあたしに捕まってよ? 付き合ってよ」
「ヤだよ」
「なんで?」
「めんどくさいから。あと俺は別におまえのことが好きじゃないから」
それから俺は女子高生という生き物が死ぬほど嫌いだから。
根拠のない自信にあふれていてキラキラしていて自分が無敵なつもりいやがる。
若さって能力を煌めかせて問答無用の劣等感を押し付けられる。
就活とか日々の仕事とかで俺が失ったものを全部持ってる。あーやだやだ。
「じゃあなんで助けてくれたんだよ!」
「おまえが困ってたからだよ」
「……」
花川はしばらく黙ったあとで「おっさん」と小さな声で言った。
「なに?」
「どうしても開けない感じ?」
「うん、どうしても開けない感じ」
「そっか」
また黙る。
「おっさん」
「なんだよ」
「また来るね?」
「くんな」
と、俺は言ったが花川は「あはは」と高い声で笑って階段を駆け下りていった。