イヴァンとの談話 1
「落ち着いたか?」
出されたお茶を飲みながらイヴァンはミリアムに声をかけた。
「お気遣い痛み入りますわ」
「そうか」
「……」
「……」
会話が続かない。重苦しい沈黙にどれほどの時間が過ぎただろうか。室内にはミリアムとイヴァン、それに年若い侍女。会話がない為、侍女の給仕の音だけがカチャカチャと響く。
「その、兄上はお元気だろうか?」
「はい。ですが、最近はお仕事が多いご様子で、毎日遅くまで翡翠宮の執務室にいらっしゃるようです」
恐らく自分の分の仕事が回ったからであろうことは容易に想像がついたのか、イヴァンは「そうか」と言ったきり俯いてしまう。
沈黙が室内を重く包み込む。
「…姉君のことも本当にすまなかった。ずっと謝罪しなければと思っていたんだ」
イヴァンはそう言うとミリアムに頭を下げる。
「お顔を上げてくださいませ。イヴァン殿下」
「しかし…」
「王族が、そんなに簡単に頭を下げてはいけません」
イヴァンが顔を上げるとヘーゼルの瞳が毅然と見ていた。
「殿下が姉になさった事は、とても赦せるものではありませんし、赦すつもりもございません」
その言葉に肩を落とし、項垂れるが「…ですが」と続く言葉に再び顔を上げる。
「殿下はエミリオ様の弟君。婚姻後にはわたくし達は義理の姉弟になるのです。ですから、赦すことは出来なくても、良好な関係ではいたいと思っております」
「そうか…ありがとう…」
俯いたイヴァンの頬を一筋の雫が伝った。
する事もないのでしばらく二人で話をする。話題はもっぱらエミリオについてだ。
「兄上など!目立たないくせに武芸にも秀で、学問にも精通しているんだ!目立たないが」
「褒めていらっしゃるのか貶していらっしゃるのか分かりかねますわね…」
「それでいてあの精悍な顔付き!黒い髪に碧い瞳!長身でおまけに性格まで良いなんて!爽やかか!」
(結局、お兄様が大好きと言うことなのかしら…)
ミリアムは貶している様な口調で延々と兄を褒め称えるイヴァンを生温かい目で見守る。
「…王位に就くのは兄上が相応しいとずっと思っていたんだ。だから、あの日私は伯父上にこれ以上派閥で議会を遅らせる様な事はやめるように言いに行こうとしたんだ」
イヴァンの言葉にミリアムは目を丸くした。イヴァンは王位継承争いに負けそうになって焦った結果事件を起こしたのではなかったのか?
「イヴァン殿下は、王位に就く気はなかったと…?」
イヴァンはゆっくりと首肯する。
「もともと、私も母上も王位は望んでいなかった。側妃である母上と王妃陛下の関係も良好だ。と言うより、そもそも父上と王妃陛下の婚姻の後押しをしたのは他でもない母上なんだ」
「まあ、そうなのですか!?」
「ああ…」
――――――――
アーヴィリエバレイ王国現国王サーシャと王妃オルネラは王族としては珍しい恋愛結婚であった。
そもそもサーシャには婚約者がいた。サンタンジェロ公爵家の長女ベネディクタ、現在の側妃である。
しかし、物心つく前から決まっていた婚約なので当の本人達には恋愛感情はもちろんなく、男勝りなベネディクタの性格も手伝って、婚約者同士と言うより気の合う男友達の様な間柄であった。
王族としての視察で、とある伯爵領を訪れた時に滞在先の伯爵邸にてサーシャはオルネラに出会う。黒い絹のような髪に潤んだ菫色の瞳、庇護欲をそそる小柄な体躯のオルネラにサーシャはひと目で惚れ込んでしまう。
オルネラもまた栗毛に碧い瞳の精悍なサーシャに惹かれていた。だが、王子と伯爵令嬢とでは身分が違いすぎる上に、サーシャにはベネディクタという婚約者がいるため、どんなにサーシャが口説いてきても頑なに固辞した。
そんな二人の背中を押したのが、他でもないベネディクタであった。
ベネディクタはサーシャを「そんなに好き焦がれるのであれば貫き通せ。何があっても、誰に反対されようとも守り抜け」と焚き付け、オルネラには「私はもうサーシャを男兄弟とか、男友達とか、そんな風にしか見られないし、向こうもそう。あいつを男として愛せるのはネラ、あんただけよ」と説得した。
そして、身分違いだ何だと煩い部外者には「そんなに言うなら私が側妃となって、後ろ盾でもなんでもなってやる。文句あるか?」と黙らせた。
そうして、サーシャの猛攻についにオルネラが陥落し、婚姻するに至ったのだ。
――――――――
「それにな、今では母上と王妃陛下で父上を取り合うと言うよりは、母上と父上で王妃陛下を取り合っている」
「はい?」
イヴァンの謎の発言にミリアムは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
「何と言うか、母上は可愛らしいものに目がないんだ…。王妃陛下は、成人した子どもがいるとはとても思えない容姿をされているだろう?」
「ああ…」
婚約が成立した際の顔合わせを思い出す。エミリオの母、王妃オルネラはまるで20歳そこそこで時が止まったのではと錯覚するような可憐な容姿をしていた。鈴が転がるような声でおっとりと話す王妃を愛おしくて堪らないという目で見つめる国王がとても印象的だった。
「私も兄上も幼少の頃はそれはそれは可愛がられたものだ。ちなみに君が兄上と婚姻を結び王宮入りすることを首を長くして待っているぞ。君と王妃陛下を両隣に侍らせてお茶をするのが楽しみらしい」
「わたくしもでございますか?何かの間違いでは?」
「君は自分で思っているよりも遥かに可愛らしいと思うぞ。ただ君の家族とは方向性が違うだけだ。ユニコーンと仔猫とかそんな感じの違いだ」
微妙な例えにミリアムは「スン」と半目になったが何とか持ち直し、先程イヴァンの言っていた『あの日』の話の続きを促した。




