ジルとアレッシア 後編
「無事でいられるのは僕が塔の屋上部分に結界を張っているからさ」
「結界?」
封印された悪しき竜から漏れ出ている瘴気を防ぐ事が出来る結界は双子の片割れであった聖なる竜のものだけだった。それ故に、かつてベアトリーチェたちは聖なる竜の血を受け継ぎ、封印と結界を引き継ぐこととなったのだ。
「何年も前に、自暴自棄になった僕は、全てを棄てて消えてしまおうと思ったんだ。それこそ瘴気に飲み込まれてしまおうとして、この地を訪れた」
――――――
一族に稀に生まれるという“白銀の髪に金色の瞳”の子供。
父親である伯爵はその子供に一族の復興を夢見た。
曾祖父の時代に王族と救国の魔女を相手取って起こした事件のお陰で、建国前より続くフェリーネ家は完全に落ちぶれていたからだ。
“白銀の髪に金色の瞳”の子供はジルベルトと名付けられ、聖なる竜を救国神と位置付けた、父親を教祖とする【真・救国神教】の生き神として育てられた。
毎日毎日、自分に傅く大人たちの中で生活した。物心ついた頃には既に母親はいなかった。
10歳前後までは本当に自分は神の生まれ変わりなのだと信じて疑わなかった。
しかし、いくら落ちぶれても伯爵家。ある程度の年齢になると回数は少ないものの貴族として招かれる茶会などにも参加しなければならない。
そうした席に出るたびに拭えない違和感。
初めて接する同世代の貴族子息達と会話するたびに生まれる、『もしかすると、自分の置かれている状況は普通ではないのでは?』と言う疑念。
他家の子息達が寄宿学校に入る年齢になる頃には、疑念は確信に変わる。
領民を顧みず、領地の経営を放棄し、ありもしない『救国神』を創り出して人々の人生を狂わせていく父親。それを止める事ができない自分。
激しい嫌悪感や焦燥感に駆られる毎日に、少年時代のジルの心は限界を迎えた。
覚えたての空間転移術を使い、魔境に足を踏み入れた。瘴気に侵されて何もかも棄て去ろうと思ったのだ。
しかし、思いとは裏腹に何も起こらない。
魔境とは瘴気に覆われていて、なんの対策もなしでは生き延びれないのではなかったのか?
疑問に思いつつその日は帰った。
そして、次の機会で理由を理解した。空間転移にたまたま巻き込まれた一羽の鳥が、魔境に入った途端に苦しみ、変異したのだ。
瘴気がないのではない。瘴気が自分にあまり影響を与えないだけだ。
とは言え、長い時間いるとやはり倦怠感や息苦しさが出てくる。試しに結界を張ってみると、思いの外快適だった。それ以来、逃げ出したい時、一人になりたい時は魔境に来る様になった。
―――――――
「聖なる竜が人間の娘と結ばれて生まれた子供がフェリーネ家の祖先にあたる。皮肉にも父上の言っていた“聖なる竜の血を色濃く受け継ぐ”って言うのは真実だったんだ」
ジルは繋いだ手に少しだけ力をこめると、もう片方の手で自分の目を覆った。泣いているようにも見えた。
「冗談じゃない。僕はそんなものいらなかった。偽りの生き神でもない、聖なる竜の末裔でもない、ただのジルベルトでいたかったんだ…」
「ジル…」
アレッシアは繋いだ手にもう片方の手を添えて、両手でジルの手を包み込んだ。
ジルも視線をアレッシアに向けると、顔を覆っていた手をそれに添えた。
「そんな時、君に出会ったんだ。二人の王子殿下の為の園遊会…僕はひと目で君に夢中になった。僕と同じで、自分を抑えて小さな孤独を抱える女の子」
アレッシアは潤んだ金色の瞳から目が離せないでいた。どんな宝石よりも、頭上に広がる満天の星々よりも美しいと思った。
「君の話も聞かせて」
「わたくしの…?」
「そう。何でもいいよ。君の事が知りたいんだ」
アレッシアは何かを考えるように目を伏せ、そして決意したかのように前を向き、口を開いた。
「わたくしは自分の容姿があまり好きではありません」
「そんなに美しいのに?」
彼女の告白にジルは少し驚いた。誰もが振り返り、羨み、憧憬の念を抱く程の容姿を彼女自身は好きではないとは。
「皆様にはよく褒めていただきますが、内面が伴わない表面的な美しさにあまり価値は感じません」
「知ってはいたけど、なかなかストイックだね」
「妹が、ミリアムが産まれた日の事をよく覚えています。わたくしは3歳だったので、他の事はもう朧気にしか思い出せませんが、その事だけはよく覚えているのです」
「うん」
「お母様の腕に抱かれた小さなミリアム、目もまだ開いていなくて、その小さな手に触れた時、そっと握り返してくれたんです。とても弱い力だったけど、温かくて、わたくしが守らなくてはと思いました」
――――――――
幼少期のミリアムはとても活発な性格で、いつもレオナルドとアレッシアの後ろを付いて回っていた。
素直で明るいミリアムを家族はとても愛していたし、アレッシアも可愛くて堪らなかった。
レオナルドとアレッシアがお茶会に招かれる年齢になり、まだ幼いミリアムだけが留守番になる時など、とても大変だった。
そんな時は、帰宅後にお茶会であった出来事などを話して聞かせた。
幼いミリアムは自分も早く行ってみたいとまだ見ぬお茶会の席に想像を膨らませていた。
そして、二人の王子のための園遊会で初めてその夢が叶うことになったのだ。
自分宛の招待状を嬉しそうに何度も見せてくる妹に、レオナルドもアレッシアも目を細めた。
それまでの日々はとても楽しかった。ミリアムの園遊会用のドレス選びに、髪飾りや小物を考えたり、当日の髪型を一緒に考えたりと、充実した日々を送った。
そして、園遊会当日、ミリアムの笑顔は時間を追うごとに失われていった。
カパローニ侯爵家の3兄妹の元には何人もの貴族令息、令嬢が挨拶に訪れたが、皆一様にレオナルドとアレッシアの容姿に気を取られて、ミリアムの紹介を聞いていない。ミリアムが挨拶をしていても上の空。
そして皆こう言うのだ『末の妹君は今日は来られなかったのですか?』と。
ミリアムの目の前で。
――――――――
「それは、なかなかに酷い話だね」
その光景を想像してみると、ミリアムに同情の念を禁じ得ない。年端もいかぬ子供にはさぞかし辛い出来事だったであろう。かく言う自分も、あの園遊会に妹も来ていたとは気付かなかったクチだ。
「その時だけではありません。その後に兄妹で招かれたお茶会の席でも、何度もそういった事が起こりました。だんだんとミリアムは部屋で一人過ごす事が多くなり、植物図鑑をずっと眺めたり、ぼんやり刺繍をしたりして過ごす様になりました」
俯いて膝を抱えたアレッシアの肩をジルはそっと抱き寄せた。
「デビュタントを迎えて、夜会に出るようになる頃には、ミリアムはいつも家族の陰に隠れるようになりました。常に地味なドレスを選び、極力目立たないようにしているように見えました。周囲の状況もあまり変わりません。やはりミリアムの目の前で聞くのです。『今日も末の妹君はいらっしゃれなかったのですね』と」
アレッシアは顔を上げるとジルに視線を向ける。
その紫水晶の瞳は涙で潤んでいた。
「わたくしは、わたくしの大切なミリアムにそんな想いをさせている、わたくしの容姿が嫌いなのです。それに」
「それに?」
「中身が伴わないと分かれば途端に揶揄されるのです。所詮見た目だけだと、両親の教育がなっていないのではないかと。無責任に完璧さを求めてくるのです。だから、わたくしはいつでも完璧な侯爵家の令嬢でいなくてはならないのですわ」
「君は、家族を心から愛しているんだね」
再び俯き、声を殺して泣いているその震える肩をジルは強く抱き締める。
額にそっと口づけを落とすと、弾かれたように顔を上げたアレッシアに、今度は唇に触れるだけの口づけをして、夜が明ける前に彼女の自室に戻ってきた。
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