彼女は察しが悪いようです
さて、昨日の回想はこのくらいにして、現在の状況を語ろう。
鷺沢麗奈のエロ小説を拾ったのは昨日のこと。
そして今日、僕はこの厄介な落とし物を、人目につかない場所でなんとか本人に返そうと一人画策していた。
……いや、正しくはもうすでに一部実行に移そうとしている段階だ。
はっきり言って面倒くさいし、出来ることならアレを見つけたその場でスルーしたかったというのが本音だ。
考えてもみてほしい。同じクラスとはいえ、ぼっちかつクラス内ヒエラルキー最底辺の僕が、クラスどころか学校内でも指折りの有名人である鷺沢さんに接触するのは非常に難易度が高い行為なのだ。
そのうえ、周囲から奇異の視線や、余計な注目を集めかねないというリスクもある。
僕はぼっちだが、そのことが全く苦にならないどころかむしろ気楽で快適とさえ思っており、実際にクラス内では存在感を消して完全な空気となっているため、至極安寧な日々を過ごせている。
しかし、学園のアイドル的存在である彼女に近づいたとなれば話は別だ。
『あのクソ根暗ぼっちまでもが鷺沢さんのことを狙っている』などど、ありもしない疑惑をかけられるのは必至だろう。
――では、何故そんな危険を冒してまで、彼女のもとへ例のエロ小説を届けようとしているのか。
それはひとえに、彼女が抱える秘密の暴露を阻止し、学内の平穏を守るためだ。
……あと、彼女があのエロ小説を落としたのも、元はといえば僕と教室でぶつかったせいであり、その責任の一端を自分が担っているといっても過言ではない。
あのままスルーした結果、別の第三者に見つかって彼女の秘密が暴露されたとなれば、流石に僕の良心が痛むというか、なんとも寝覚めが悪い。
なんせ、あの小説に挟まれているしおりを見れば、一発で誰の所有物かわかってしまうのだ。
ともかく、そんな理由から僕は鷺沢さんに例の小説を届けることにしたのだが、そのための前準備として、どうにか人目を盗んで彼女に声をかけようとしてした。
そのために朝から一日中、人気のない場所で鷺沢さんが一人になる時をうかがっていたのだが、その機会は意外なほどすぐに訪れる――――
…………………………
3限の移動教室に向かう際、自教室に忘れ物を取りに戻ろうとしていた鷺沢さんと偶然廊下ですれ違った。
移動先の視聴覚室へと続く廊下は3階で、周囲に学年の教室がないので基本的に人がいない。しかも休み時間が終わる2,3分前だったため、僕以外のクラスメイトはもう全員視聴覚室に到着していたようで、当然彼らからの視線もない。
残念ながら今は例の小説が手元にないので、すぐこの場で渡すことは不可能だ。しかし、その前段階として彼女をどこか人の少ない場所に呼び出すために、今約束を取り付けることならできる。
(これはチャンスだ。行くなら今しかない。)
そう確信した僕は、意を決して彼女を呼び止めた。
「――鷺沢さん!」
「……! はい。私に何かご用でしょうか?」
名前を呼ばれ、こちらを振り返った彼女はいささか怪訝な顔をしており、その声には明らかな警戒の色が感じられた。
無理もない。クラスメイトとはいっても、普段話したこともないうえ、彼女からすれば存在を認知しているかどうかすら怪しい男子にいきなり声をかけられたのだから。
「あの、突然で悪いんだけど、後で渡したいものがあってさ……放課後時間ある?」
「……はあ。まあ……一応は」
「何というか……急でホントごめん。……で、場所なんだけど、屋上の入り口の扉があるでしょ? 4階の階段をさらに上ったとこ。放課後……それもできればすぐに、そこに来てほしいと言いますか……。いや、本当に手短な用事だから」
「…………。」
…………おい。いま露骨に『うわーめんどくさ。マジ最悪』みたいな顔しやがったなこの女!
その様子じゃどうせ僕がラブレターでも渡そうとしてるんじゃないか、とか邪推してんだろ? 違うからな!!
草食どころか、絶食系ぼっちとまで呼ばれたこの奥村真一を舐めるなよ?
「……ハァ。わかりました。……放課後に4階上の屋上前に行けばよろしいんですね?」
「……ああ、助かる。モノを渡すだけだし、すぐに終わるから」
「そうですか。では私はこれで」
淡々とそう告げると、鷺沢さんは踵を返して足早にその場を去った。
……あの様子だと、相変わらず“面倒な男に絡まれた“としか思っていないだろうなあ。ため息までつかれたし。
……にしても彼女、あまりに察しが悪すぎません?
僕が落とし物を渡そうとしてるってことに気付こうよ? 昨日ぶつかられた相手に『渡したいものがある』って言われた時点でさあ。
それとも何? 実は当の本人が、例のエロ小説を落としたことにさえ気づいてないとかそういうパターン?
(……クソッ。こんなことならはっきりと『昨日の帰り、本の落し物したでしょ? それを後で渡したいんだけど』みたいに言えばよかった。完全なる失態だ。)
――こうして、誰もいない廊下で一人頭を抱えながら、彼女の察しの悪さを甘く見ていた自分をひどく悔やむ僕なのであった。
次回で大きく話が動きます