第1節:聖母マリアの生きた今
まったくもって訝しげな心境を隠さない私の顔面を見て、先輩は辺りをキョロキョロと見回した。
そして、「ちょっと来て」と言って手招きして、もう閉店した駅前のショッピングビルの影に誘導される。
ななななんだろう。
粛正を受けるのか、それともイケナイことに誘っているのか。
後者ならウェルカムなんだけど、前者はやばい。
私が色々想像してあわあわしているうちに街のネオンも届かないような人気のない場所に連れ込まれる。
ごくりと息を飲んで阿部先輩を見上げた。
「俺、はとこなんだよね。その少女Aと」
「はい?」
はとこ?再従姉妹と書く、あのはとこ?
「そうなんだよ、親同士が従兄弟でさ。まあ住んでる場所も離れてるし、2回くらいしか会ったことないんだけど」
「そ、そんなことが」
いや遠いな。
まあ私自身自分のはとこと会ったことないし、それだけでも結構つながりある方なのかな?
「だから今回のことは親戚中大騒ぎなんだ。まあ、はとこだから俺んちは特に何かあったなんてことはないんだけどね。政府から、絶対に公言しないようにと家に通達が来たくらいかな」
さっそく通達破っちゃってますよ先輩。
遠くから車のクラクションや酔っ払いたちのざわめきが聞こえてくる。
「そんな重要機密をどうして少女Aをテーマに卒論書いてるだけの私に?」
「いやさ、遠いとはいえ会ったこともある女の子があんなことになって、ちょっと心配してたんだ。最近特に世の中の動きが激しくなってきたっていうか」
「ああ……。Aちゃん萌えキャラ化とか、モデルにした小説がドラマ化決定とか?」
先輩は重々しく肯く。
「ああ。それに、子ども会に入らないまでもあの子を疑ったりだとか、特定しようとしている動きも多くあるから、心配なんだ」
「日本は無宗教の国ですもんね、何かの宗教を信仰しているとちょっと変な目で見られたりとかは往々にしてありますよね。あとは注目を浴びる人に対しての称賛も嫉妬も極端だし」
「そうなんだよ!だから北山さんの大学の卒論発表ってかなり大規模だよね?卒論の着地点を、あの子に有利なようにしてくれないかなって思ったんだ」
なるほどなるほど。
確かにうちの大学は1学年8000人はいるマンモス校だ。卒論発表会が大規模なのを売りにしていて、それなりに名門校なこともあり、学生だけじゃなく関係各所からも出席者がある。
ふむ、確かに影響力はそこそこあるかも?
万が一私の論文の内容が新聞やらニュースやらで取り上げられたら、それこそ世論が一気にAちゃんの味方にになる、なんてこともあるかもしれない。
でも2回会っただけのイケメンはとこにこんなに思われて、Aちゃん幸せ者だなあ。
ま、流石に私の論文が取り上げられることなんてないだろうけど。
「分かりました。先輩、少女Aちゃんを擁護するような着地点で卒論書きます。でも、条件があるんです」
「条件?」
◯◯◯
第3節:少女Aへのインタビュー
筆者が政府を介し少女A本人にインタビューを申し入れたところ、少女Aの意向により承諾された。
本人に直接会ってのインタビューは許可されなかったため、手紙にていくつか質問項目を設定し、最後には自由記述欄を設けて回答を得た。手紙は2度やり取りをし、2度目の手紙で1度目の回答について掘り下げる形を取った。
なお、第1回目の手紙は10月初旬、第2回目は中旬に郵送したものである。
インタビュー結果を次に見ていくが、上述のように2回に分けて質問と回答というやり取りを行ったため、実際にその質問をした時系列ではなく、質問項目ごとにまとめる構成をとる。
①少女A自身の宗教観について
処女懐胎をする以前、少女Aは日本でも多くの人が答えるのと同じように自身は無宗教であったと認識している。クリスマスに家族でケーキを食べる、友人とプレゼント交換をするなど、キリスト教との関わりはごく一般的な日本人と大差はなかった。
現代の聖母マリアと呼ばれる彼女だが、イエスキリストの母親とされる歴史上の人物であるマリアとの相違点がある。
マタイによる福音書、ルカによる福音書ではどちらもマリアはイエスキリストを出産する前に聖霊や天使ガブリエルといった超自然的な存在からの妊娠を先に告知される行為、いわゆる受胎告知を受けていた。
しかし、少女Aは前述の通り母親と病院に検査に行くという、自発的な行動により妊娠を自覚するに至っている。
受胎告知の有無はイエスキリストの母マリアとの大きな違いである。
なお、少女Aは一連の騒動のなかで自身の両手両足の甲にスティグマが現れたことから、現在では家族と共にクリスチャンに改宗した。宗派はプロテスタントであるという。
②胎児について
現代の聖母マリア事件で最も議論されていることといえば、少女Aの宿す胎児が神の子であるか否か、である。
少女Aの処女懐胎は現代の先進的な医療が確立されてから初めての出来事であり、人智を遥かに超えたこの現象は世界中から神の奇跡と言われる。しかし奇跡と崇める声がある一方、まだ人類が解明できていない他の妊娠方法によって、あくまで科学的に処女懐胎を成し遂げたのではないかと主張するものも同数程度いる。
少女A個人の意見としてはプロテスタントに改宗したこともあり、胎児はイエスキリストの再来かは判断しかねるが、確実に神の意思の宿った、世界になんらかの波紋を呼び起こす子どもであると確信している。
現時点で胎児は一般的なスピードで成長を続けていて、公表はできないが今では性別も判明した。少女Aは1人の母親として誕生を楽しみにしている。
◯◯◯
友達数人でハロウィンパーティーといいつつただの飲み会をした日の翌日。
「うわっぶっさいく……」
コール大会なんてやめときゃよかった。
酒で浮腫んだ顔。昼過ぎに起きてから、リンパが千切れるんじゃないかというほど面談前にグリッグリにマッサージをしてみる。
でも二重顎は治らないし、いつもより腫れぼったくなった目蓋も変化なし。
こんな顔面で青鳥先生にお会いするのは恥ずかしい。
「北山さん、どうしました?」
向かい合って座っても鼻先を背けまくる私を、先生は不審者でも見るような目で訝しむ。
「な、なんでもないですよ!ところですごくないですかあ?少女Aの独占インタビュー!」
「ああ、メールでざっと最新版の原稿を読みました。驚きましたよ。偶然知り合いが親戚だったなんて、非常に貴重なインタビューですね」
「ぬっふふう」
「でも所々必要な情報に抜けがあったり修正すべき部分があったので、今から言うこと全部メモして来週までに直してください」
「うふん……」
意気消沈する私を無視して、先生は何かを求めるように右手を差し出した。
「それで、少女Aとのやり取りの手紙の原本は持って来ました?」
「あっはいここに」
鞄をごそごそまさぐってAちゃんから届いた2通の手紙と、自分が送った手紙のコピーを手渡す。
中身を確認したいから持って来いとの話だったのだ。
絶対アドバイスのためじゃなくて個人的に気になるからだと思うんだよね。先生ってば可愛いんだから。
先生はAちゃんの手紙に目を通すと苦笑い。
「……ずいぶん、若々しいというか、思ったより普通ですね」
「そうなんですよ!!処女懐胎とかいうからもっと手紙からも威厳とか感じるのかなって思ってたら、全然普通でした!」
そもそもAちゃんからの返答が入った便箋は、最近女子小中学生に人気のキャラがプリントされたファンシーな一品。
平たくいっちゃえば子どもっぽいデザインのやつ。
そして、現代の聖母マリア直筆の手紙は誤字脱字だらけだった。しかも丸っこくてちっさい読みにくい文字。
ああ〜、私も中学の時こんな文字書いて、なんなら書けるように練習までして、友達と授業中にルーズリーフ折って作った手紙回してたなあ。
眠い、だるい、せんせーウザい、とかね。
「ら抜き言葉なんかも顕著ですね」
先生、信じられないみたいな顔してますけど、話し言葉なんかだと私も含め多くの若者が普通に使っちゃってます。
手紙でやっちゃうのは特に幼い感じもするけど、そういやAちゃんも中2の女の子なんだよねえ。
神々しさとか、そういうのを一切感じないこれらの手紙。
世間で仰々しく報道されているからこそ、現代に再臨した聖母マリアは、天使みたいに後光が射してるような少女かと、私の中でも勝手にイメージしてた。
でもこのダンゴムシが丸まったみたいなころころした文字からは、きっと好きな男の子がいて、アイドルとか漫画とかハマってるものがあって、友達とプリクラとか撮って喜んでるような、ごく普通の女の子像が浮かび上がってくる。
「今日はこの辺で終わりにしましょう」
「はーい、ありがとうございました」
すっかり浮腫みのことも忘れていた私は、満面の笑みを作って先生に礼をする。
「あ、そうだ北山さん」
荷物をまとめてゼミ室を出て行こうとした時、背後から先生に呼び止められた。
お?この後時間ある?とかならウェルカムですよ?
「そうじゃなくて、今日から少女Aをモデルにした例のドラマが始まるみたいですから、それに対する口コミなんかをチェックしておいてください。重要な指標になると思いますよ」
「はあい……」
◯◯◯
第4節:少女Aに対する日本国内の反応
(中略)
10月下旬から東日テレビ系列で、少女Aを主人公のモデルにしたドラマの放送が始まると、実際の少女Aへの世間の関心は一気に高まった。
図表4ー3:現代の聖母マリアへの関心度調査
出所:デジタル版毎夕新聞の行った意識調査より筆者作成
ドラマの放送により特に目立ったのは、少女Aと彼女を特別視することに反発するネット上の意見である。




