はじめに
2万字程度の短編です。
キリスト教など宗教の描写がありますので、お気をつけください。
学籍番号:650326
社会学部 社会学科 比較文化コース
北山 七星
タイトル:「現代の聖母マリア」に対する社会動向の分析と考察
目次
はじめに
第1節:現代の聖母マリア、少女Aについて
第2節:先行研究のサーベイと本稿の問題設定
(1)先行研究のサーベイ
(2)本稿の問題設定
第3節:少女Aの登場から現在に至るまでの社会動向分析
(1)分析対象の選定理由
(2)キリスト教会
(3)SNSの反応
(4)その他社会の反応
第4節:現代の聖母マリアに対する社会動向の考察
(1)未定
(2)考察
第5節:謝辞
むすび
はじめに
2019年3月に発覚した「現代の聖母マリア事件」は、千葉県在住の当時中学2年生の14歳少女(以下少女A)が、性交渉の経験なしに妊娠をした事実が医学的に認められた事件である。これは、少女Aの当時の年齢や処女懐胎の事実から、現代の聖母マリア事件と呼ばれるようになった。
これは6月のローマ法王来日や、7月の過激派白人至上主義団体遊園地爆破テロ事件といった数々の出来事の要因となった。世界規模で激しく巻き起こったこの事件とこれをめぐる論争は社会にどのような影響を及ぼしたのか、社会学、特に宗教学の視点からこの事件を捉え、解明したい。
◯◯◯
「これだけ?」
「これだけ……、です」
居心地が悪くて、首をすくめる。
シンプルな青のストライプシャツとバーガンディのパンツを合わせた大人ダンディなおじさま。
もとい、社会学部の青鳥教授は深く溜息をついた。
外は異常気象と称されるほどの焦熱地獄。このゼミ室内はエアコンがごうごう唸りをあげる八寒地獄。
「北山さん、今何月?」
「9月末、ですね」
「そしてあなたは」
「4年生、春から社会人」
「そこまで分かっているなら、どうして目次とはじめにまでしか書けていないの?」
怪訝な視線で睨まれて、自分の左手に隠れる。
「スミマセン」
この夏休みに卒論という単語を思い出さなかったわけじゃない。
女友達と花火を見ながら彼氏なんてと叫んだ熱帯夜も、お盆で行ったおじいちゃんの家で昼寝をしていた時も、親友とトレビの泉の前で写真を撮った時も。いつだって頭の片隅の重箱の隅くらいには、卒論の2文字があったのだ。
一応、『現代の聖母マリア』に関係するテレビ番組なんかは録画してたし。
全部未視聴マークついてるけど。
「あのねえ、せっかく留年せずにここまできて、就活も頑張ったんだから卒業したいでしょ?」
腕を組んで、眉根を寄せている先生もエレガントで素敵だ。私のせいで額の皺が増えていくと思うと超絶興奮する。不倫したい。
「北山さん、聞いてます?そもそもこのテーマ設定では甘いですよ。論文というものは文系理系関わらず、なんらかの事象を解明するものなんです。
最後の方に付け足しみたいに解明したいって言葉だけありますけど、意味がわかりませんよ。リサーチクエスチョンとサブリサーチクエスチョンは設定してありますか」
「うっ……決めてません」
「決めましょう。あと、第5節の謝辞ってインタビューの回答者や協力者がいた時に書くものですけど、その予定があるってことですね?」
「その、少女A本人にインタビューしようかと」
「はあ?国家特別要人に指定されてる彼女に!?」
「うう」
「とにかく、提出まで時間がないんだから調査と分析と、そもそもの卒論の建て付けを考えて。演繹法と帰納法、どっちの論文がいいかは教えましたよね?」
「はい、覚えてます」
こってり絞られ、ゼミの同期12人いる中で私ひとりだけが週1で進捗を報告するよう義務付けられた。
『でもこれってある意味特別扱いだよね!?胸キュンしちゃう!』
なんてSNSでつぶやいて、『ポジティブで草』とかいうコメントを見て元気を出す。
私の所属する社会学部は学内で一番卒論の提出日が早く、12月の26日だ。
毎年、真面目に書いていなかった先輩たちはクリスマスケーキを齧り、シャンパンを目の前に置いて馬にんじんしながら卒論執筆をするらしい。
あれ?もしかしてその状況になれば妻子持ちの青鳥先生をあわよくば独り占めできるんじゃね?
いや待て。
そこで青鳥先生が私という若い女子大生の瑞々しい肢体に欲望を抑えきれなくなって、聖夜を性夜にしたのがなんやかんやで奥様にバレて新年には離婚調停。
慰謝料要求は不倫相手にもできるから、私はキラキラOLになる前から借金まみれ。…………ふむ。
「真面目に書くかあ」
秋の始まりを告げる羊雲が茜色に染まっているのを見上げて、私は力無く決意した。
◯◯◯
第1節: 現代の聖母マリア、少女Aについて
(1)聖母マリア事件の流れ
2019年3月3日、千葉県在住の中学2年生であった少女Aは月経が来ないことを認識し、母親に相談した。母親は少女Aを産婦人科に診せたところ、診断結果は妊娠4週目と出た。母親は少女Aに性交渉の有無を尋ねたが、少女Aは否定した。また、同じ病院にて少女Aが性交渉の経験がなかったこと、いわゆる処女であるとも証明された。
母親は少女Aを他の5つもの病院に見せたが全て同じ結果であり、この時の医師との会話が外に漏れ、3月中旬頃には少女Aの処女懐胎は世間に知られるところとなったのである。
体外受精や父親の性的虐待の説も出たが、いずれも医学的に否定されている。また、性的虐待の記事を発表した週刊誌、スポーツ日光に父親が名誉毀損で裁判を起こした。
2019年5月時点で起きた少女Aの処女懐胎を取り巻く事象は以下の通りである。
•3月21日、少女Aを神と崇める新興宗教、日本マリア教会が発足される。
•3月30日、ヴァチカン市国のローマ教皇は『マリアは過去も現在も1人のみ』と少女Aの処女懐胎をローマ•カトリックとは分離させる声明を発表。
•3月31日、ロシア正教会のモスクワ総主教は『生神女(正教会における神を生みし女、マリアの意)第一の聖人である。聖人は現代にも現れる』と発言し、ローマ•カトリックへの反発の姿勢を見せた。
•4月1日、ローマ教皇の両手両足の甲にそれぞれ幅1センチほどの傷が突如として発現し、血液が流れた。
これはキリスト教においてスティグマ(聖痕)といわれ、イエスキリストが磔刑に処される際につけられた傷とされる。また、同時刻、日本時間4月2日に少女Aにも同じ位置にスティグマが見られた。これにより、ローマ•カトリック教会は発言を撤回し、少女Aの宿す胎児こそイエスキリストの再来と発表した。
•4月4日、一連の流れに対して日本政府は事態の社会的影響を重く受け止めると発表、千葉県教育委員会と連携し、少女Aの心身の健康維持のため、彼女を国の特別要人と認定した。
これにより、少女Aに関する情報統制や身辺の警護が開始され、少女Aは家族と共に日本国内のどこかへと引っ越した。
•4月8日、少女Aの存在と彼女を神聖視する世論の流れに対し不快感を表した若者たちによる活動家団体、子どもたちの平等を守る会連盟(通称:子ども会)が発足。
•4月20日、少女Aは胎児を出産する意を示した。
少女Aについて、学校での成績や人格、家庭レベルに関して大変一般的なものだった。そのため、現在も少女Aの素性は隠されており、これは出産予定日とされる11月を過ぎても続行される。
◯◯◯
とりあえず未視聴マークを外すためにテレビ画面と睨めっこしたり、サークルの飲み会に行ったりしているうちにバイトの日がやってきた。
私がやっているのは居酒屋ホールのバイトだけれど、ちょっとお高めで企業のお偉いさんだとか接待に使われる店なので、激混みすることも廊下やトイレがゲロ塗れになることもない。
夏休みの旅行やら卒論やらでしばらく入っていないので、久々のイケメン先輩との対面である。
普段入れないノーズシャドウしてきちゃった。
「あれっ、北山さん辞めたのかと思ってたよ」
悪戯っぽく笑うと白い歯がこぼれる。
ああなんて爽やか、なんてかっこいい。
「阿部先輩こそ、名前覚えていてくれたんですね!」
「俺をなんだと思ってんだよ!」
コツン、と手刀でおでこを叩かれた。
あっ、どうしようこれはマジで惚れてしまいそう。
阿部先輩は大学こそ違うけど、2年の秋から入った私に懇切丁寧に優しく仕事を教えてくれた人で、今は大学院の2年生だ。
このアイドル感で理系男子、というのも推しポイント。
先輩は夏休みどうでしたかあ?なんて聞いて楽しく雑談したかったのに、悲しいかな今日は水曜日のノー残業デー。
平日では金曜の次に混む曜日なので、大混雑しないとはいえ、私と先輩だけでホールをまわすのは非常に忙しく、客足が落ち着いてきた23時にはヘトヘトになっていた。
クローズ作業をする店長を残して、先輩と最寄りまで歩いて行く。
秋の夜は過ごしやすい。そのせいか、飲み会帰りのサラリーマンが何人か駅前で寝てるけども。
こうやって2人で歩いてるとカップルみたいでドキドキしてしまう。
「先輩は夏休みどうでしたかあ?」
「んー、学生最後だし友達と台湾行ったりしたな。あとはネットの動画サイト入り浸ってたかも」
苦笑しながら話す先輩。おや、もしかして彼女いないです?
「あー、でもあとは卒研のためにほぼ毎日研究室通ってたなあ。実験実験でさ」
「卒研!テーマなんですか?私も卒論で今ヒーヒー言ってて……」
確か先輩はバイオ系が専攻だったよね。
「平たく言うと、土を使わずに植物を育てられる土の開発をしてる。って感じかな」
「えーっ、上手くいったらめちゃ社会の役に立つじゃないですか!羨ましいです!」
「あはは、ありがとう。そういう北山さんは?」
「現代の聖母マリアをめぐる一連の騒動について、社会学から切り込む的な……でも早速卒論に意義を見出せなくて暗礁に乗り上げてます」
何気なく口にした説明だったけれど、先輩は目を見開き、想像の数倍驚愕を表情に刻んだ。
「あの、少女Aについて、書くんだ」
な、なんだ?この反応は。
実は日本マリア教会の信徒?それとも子ども会の人?どっちにしろ過激派にこの話題はデリケート過ぎるぞ。
私が踏み抜いたかもしれない地雷の心配をしていると、先輩は真剣な眼差しで顔を覗き込んでくる。
「それってどんな着地点で書くつもり?」
「えと、社会学とか宗教学の観点から、流れをまとめてこういう動きだったねーって考察して、みたいな。少女Aちゃんの処女懐胎を認めたところで、胎児を神とするか否かの議論もあるじゃないですか。
それがどう終結するのかもまとめようかと」
「なるほど、じゃあ北山さんは彼女に対して別に特別な感情を持ってるわけじゃないんだね」
「ええ……。せっかくなんで他の人が取り上げなさそうな話題にしたかっただけです。ゼミも宗教系だし、現在進行形の話なら先行研究のサーベイもあんまりしなくていいかなあ、的な」
ものすごく安直な理由で選んだテーマである。