二話
眩しい朝日が窓から入り込んでくる。次いで聞こえてくるのはカモメの鳴き声。
僕は静かに目を覚ました。
そして、ふと違和感を覚える。でも、すぐに頭は活動を始め、納得する。
ここはアーダの家で、イタリアなのだ。
だから見慣れた天井と朝の薄暗さは何処にもなく、溢れんばかりの眩しさが部屋の中にあるのだ。
僕は一人頷き、ベッドを出た。時計を確認すると、まだ朝の五時だった。アーダを起こさないよう僕はそっと一階に降りて顔を洗い、服を着替えた。
部屋に戻るとベッドが汚いことに気付き、軽く消臭菌のスプレーを掛け、ベッドメイキングをする。
そういえば、日本にはこれが出来ない人が多いらしい。やはり、布団だからか。
そんなちょっとした本に書いてあった豆知識を思い出しながら、僕は一冊の本を取り出した。
僕はお気に入りの本を何冊か持ってきていた。
僕が今手に取ったのはカズオ・イシグロが書いた「日のなごり」。
六時になるまではこれを読んでいようと、僕は椅子に座る。
と、ふとそこで、昨日出会った不思議な男の子とを思い出す。
「フロイヤード」。
随分とイギリスっぽい名前である。
そして僕自身、何故あんな名前を名乗ってしまったのだろう。
「crazy」…、気狂い、だなんて。
まるで中学生のようだ。実は後になって少しだけ恥ずかしくなってきたのだ。
…まぁ、どうせここにいるのは半年だけだ。それに、もう二度と会うことはないだろう。
僕は本に集中することにした。
それでも、あの人のことを忘れることが出来ないのだった。
「ローク。朝ごはん、出来たわよー。」
僕はその声にはっと目を覚ました。どうやら本を読もうとして結局寝てしまっていたらしい。
慌てて「はい、アーダ。すぐ行きます」と返事をし、立ち上がる。
本はいつのまにか机の上に移動していた。恐らく、僕が寝ぼけている間に無意識のうちに移動させていたのだろう。
急いで一階に降りて、アーダの待つリビングへ向かう。
食べた朝ごはんは今まで食べた何よりも美味しかった。
食後にイギリスから持ってきた茶葉で紅茶を淹れると、アーダは喜んで飲んでくれた。
二人でゆっくりと紅茶を飲んでいるときのことだった。
「そういえば、このあとどうするの?」
「え?」
アーダは突然尋ねてきた。
つまり、どこかに行くの?と言う意味だろうか。
「えっと、近くにオススメの場所とかあります?あったらいこうと思っているのですが。図書館とか、公園とか…。」
「うーん、そうねぇ…。公園なら、ピノッキオ公園とウルバーノ・デッリルノ公園とかかしら?図書館は…近くにあったかしら…。サレルノ環状線にのって下れば、市立図書館があったわね…。あと、少し遠くに北の方にもう一つあるわね。」
「前者の市立図書館って、自転車では行けませんか?」
「うーん。そこまで遠いわけではないから、行けるかもしれないわね。」
「じゃあ、今日はウルバーノ・デッリルノ公園に行って、その後行けたら図書館にいってみます。」
「それがいいわ。私は今日は仕事があるから、もう出なくちゃいけないけど、好きにしていてね。」
「わかりました。」
そう言うと、アーダは仕事に行った。僕もカップを洗い終わったら直ぐにでも出掛けることにしよう。
そう思い紅茶を一気のみし、少し噎せたのはアーダには内緒だ。
僕は借りた自転車に乗って公園へ向かっていた。もちろん、近くにあったパン屋さんでサンドウィッチを買うのを忘れない。
ウルバーノ・デッリルノ公園は随分ともの寂しい雰囲気の公園だった。これが曇りの日だったらもっと暗い気分になるだろう。
近くに高速道路とどちらかというと英国っぽい建物があり、あまりイタリアっぽくない公園だった。
でも、植えてある気は確かに南のもだし、すぐ近くにある横長の「Nessuna voce(立入禁止)」という看板をつけられた建物もまたオレンジ色と、やはり異国情緒のある公園だった。
小さな子供よりは年を食った人が沢山居て、のんびりとしている感じだ。僕も近くにあったベンチに座って、本を読み始めた。
1時間後、僕は本を読み終わった。やはり、何度呼んでも面白い。
でも、まだ9時半だ。お昼を取るには早すぎる。
何をしようか、と考えていると、ふと目の前を何かが通りすぎた気がした。ちらりとその何かが過ぎた方に視線をやると、そこは裏路地だった。
また裏路地か。
僕は何か縁でもあるんじゃないかと少しうんざりした気持ちになりつつも、好奇心を刺激されてついついそちらへいってしまう。
ああ…、昨日これで後悔したばかりなのに…。
僕はするりと猫のようにその裏路地へ入っていった。
少し先に進めば、薄暗く埃っぽい道が広がっていた。
誰もいない。
引き返しそうになったけれど、道が沢山ありすぎて、先程までいた道がどこか分からなくなってしまった。
なんて間抜けなんだ…。
僕は流石に焦りながらも、取り合えず一番近くの道に入った。
兎に角なにかの道にはいれば、表の方に行けるはずだ。
そう信じてやまなかった。
だから、おかしいと思わなかったのだ。
あまり建物などないこの公園の路地裏にこんなにも道があることに。
その道が先程見た縦長の建物に続いていることに。
気付かなかったのだ。
進み続けた道の先にドアを見つけたその瞬間まで。
僕は真っ青になった。
もしもこういうのをイギリスで見つけたら、大抵は本当にヤバイやつだ。そのドアを開けたら最後、もう表世界へは戻れない。
ここがイタリアだからイギリスの常識が通用するかはわからないが、確実に逃げた方がいい。
僕は急いでそこから離れようとした。
その時だった。
ドアが開き、パシッと腕を捕まれたのだ。