一話
「うっわ、すご…。ここがイタリア…。」
目の前には、美しい空、美しい海、そして美しい建物が建ち並んでいた。
何もかもが明るさを纏っていて、どうしようもなく美しい。
飛んでいるカモメすら、輝いて見えた。
僕は今高校生で、イタリアに留学に来ていた。
イギリスで生まれ、イングランドから出たことは無かった。
僕の母はイタリア人で、いつもイタリア語で話していたので、僕も英語とイタリア語の両方が話せる。
だから今回の留学先はイタリアにしたのだ。
「ローク?どうしたの?そんなに身を乗り出したら危ないわよ。」
イタリアでそう話しかけてくる彼女は、アーダ・ミエーラ。僕のホームステイ先のホストマザーであり、母の友達である。留学する半年間、ここで泊めて貰えることになったのだ。
「あ、すみません。あまりにも綺麗で。」
僕が今いるのは南イタリアのサレルノにあるアーダの家だ。
彼女はアート方面での仕事をしているらしく、芸術的な家具が多い。
息子がいるらしいが、今はアメリカでカメラマンをしているらしく、家には帰ってこない。
「ああ、ここら辺は本当に綺麗よね。でも、治安が良いわけではないから、夜とかはあまり外に出ちゃ駄目よ。貴方は綺麗な顔をしているから、すぐに連れ去られて商品にされちゃうわ。」
「大丈夫ですよ。昔から格闘技をやっているし、銃の扱いも一通り習っているので、結構強いんです。」
「でも、心配だわ。」
確かに僕は昔から体が小さく、西洋の人にしては珍しく童顔なので、かなり弱々しく見られるが、そこら辺にいる普通の人と銃撃戦をして99%負けない程度の実力は持っている。
「心配してくれてありがとうございます。気を付けますね。」
でも、心配されるのはやはり純粋に嬉しいものだ。
僕は素直にそう言った。
その言葉にアーダはにっこりと笑って、ええ。と返した。
少しほっこりとしたところで、荷物の整理を再開する。
実は荷物はあまり持ってきていなく、必要なものはこちらで買う予定なのだ。
でも、一人でやるのはやはり大変なので、アーダにも手伝ってもらっていた。
5分ほど経って、アーダはトランクの中のものを見てふと僕に話しかけてきた。
「…あら?これ、ピアノの楽譜?あなた、ピアノが弾けるの?」
「ああ、はい。小さい頃から習っているんです。」
「そうなの。うちの息子もピアノを習っていたの。だから、居間の部屋にピアノが置いてあるわ。好きに使って。」
それは嬉しい。ピアノのある家はあまりないので、暫く弾けないかと思っていたのだが。
「ありがとうございます。」
僕たちはまた黙々と整理を始めた。丁度30分たって、僕たちは整理を終えた。12時を回っていたので、少しお腹が空いている。
「お昼ご飯は近くのお店に行きましょう。」
「わかりました。」
イタリアの料理は美味しいと良く聞くので、本当に楽しみだ。
行った店はテラスのある店だったので、折角だからとテラスに出ることにした。
僕は中に野菜を挟めたグレープを、アーダはパスタを頼んでいた。
食べたものはあり得ないほど美味しかった。よくイギリスの料理が美味しくないと言われている意味がわかった。こんなに美味しいものが沢山あるのなら、あの国のものも淡泊に感じるだろう。
食後の紅茶を楽しんでいたら、アーダがふと、こう言った。
「お手洗いに行ってくるから、おとなしく待ってて。」
「はい。」
僕は言われた通り大人しく待っている。…つもりだった。
「止めろ!」
突然、男の大きな声が聞こえてきたのだ。僕は思わず、そちらを振り返った。
金髪の男が三人いる。
どうやら、言い争いをしているらしい。
しかも、その言い争いをしている場所が表の道の方ではなく、ちょうど僕の席からしか見えない位置にある裏の方の道だった。
皆も声は聞こえているはずだが、イタリアでは日常茶飯なのか、だれも気にしない。
でも、僕はついついチラチラとそちらを見てしまう。
そしたら、一人の男が突然殴られたのだ。
僕は流石にぎょっとした。見ない振りをしようとしたが、やはり好奇心に負けてしまい、またそちらを見てしまう。
さっきの殴られた男がやられっぱなしでいられるかよ、と言いながら殴った男に殴りかかりに行った。
でも、もう一人の男にまた殴られてしまい、倒れこむ。
すると、二人はその男をやり放題だと言わんばかりに殴る蹴るをし始めたのだ。
僕は二人がかりとは卑怯じゃないか、と思ったが、大人しくしてろと言われた以上、問題は起こせない。
と、何も見なかった振りをしようと決め、目を逸らそうとしたその瞬間。バチりと、殴られ続けていた男と目があったのだ。
「あ…。」
「…っ。」
僕は顔を歪めた。何故なら、その目のあった男の顔は腫れ上がり、見るも無惨な姿になっていたからだ。
僕はおもわず、カフェを出て、まだ蹴り続けている男二人に声をかけた。
「お、おい!もう、その辺で止めとけよ!二人でなんて卑怯じゃないか!」
「…あ?なんだ、このガキ。」
「おいお坊っちゃん、首突っ込んでくんなよ。今なら見逃してやるよ。行け。」
「でも、その人、もう顔腫れて…っ。」
僕がそう言えば、ダンッと首をつかんで路地裏の壁に叩き付けられる。
「ぐっ、」
「おい、二度も言わせんなよ。それともそのお綺麗な顔をこいつとおんなじにしてぇのか?ああ?」
僕は思わずカチンとなって、
「出来るもんならやってみろよ!」と言ってしまったのだ。
そこからはもう酷かった。
僕も二人も容赦なく、というか殺すつもりで殴った。
先に倒れたのは二人だった。
「…っ、くそっ、一体何処にそんな力…っ。」
「ふん…、喧嘩売る相手はちゃんと選べよ。」
そう言えば、屈辱に満ちた表情で二人は去っていった。
僕はずっと倒れたまんまのその人に声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
「…これが大丈夫に見えるのか?」
なんだよそれ、と思った。せっかく…いや、別に頼まれてやった訳じゃない。俺が勝手にやったのだ。ここでせっかく助けてやったのに、なんて思ったら恩着せがましいにもほどがある。
「…いえ。迷惑だったようですね。では、僕はこれで。」
そういって、僕はカフェに戻ろうとした。実はまだお金を払っていないのだ。しかも、結構時間がたっているので、アーダがもう戻ってきているだろう。
まさかホームステイ一日目にしてこんなことをするとは思わなかったが、まぁ、こういうものなのだろう。イタリアだし。
「待て。」
「…なんです?あ、救急車呼びましょうか?」
「違う!絶対に呼ぶなよ!そうじゃなくて、その…名前は?」
「知らない人に個人情報教えちゃダメだって親に言われたんですけど。」
「…偽名でもいい。俺は、フロイヤードだ。お前は?」
「…じゃあ、クレイジーとでも呼んでください。」
「クレイジー?なんだそれは。」
「英語ですよ。それでは。」
僕は怒られるのが恐くて急いでカフェに戻った。
すると、想像通り、アーダは物凄い殺気を出して紅茶を飲んでいた。
「あら、お帰り。私、待っていてと行ったはずなんだけど。おかしいわね?なんでそんな傷だらけになっているのかしら?不思議ね。ねぇ、そう思うでしょう、ローク?」
「…、はい。」
「…まぁ、いいわ。ただね、忘れないでほしいの。私はあなたのお母さんと貴方をこのイタリアで守ると約束したの。だから、あなたが傷つくことはすなわち、私の信頼も傷つくと言うことなの。わかったわね?」
「はい。すみませんでした。」
ぼくは素直に謝った。今回のことは、全面的に僕が悪い。
アーダはふぅ、と小さく溜め息をついて、もう良いわ、と言った。そしてにっこりと笑った。
「じゃあ、次は何処に行きましょうか?持ってきたお洋服はそんなに多くなかったわよね?今から買いにいく?それなら、案内するけど。」
「あっ、じゃあ、お願いしてもいいですか。」
「OK!任せて!最高の服を仕立ててあげるわ!」
アーダは先程の気まずい雰囲気など何処かに捨ててしまったかのようにいつもの様子に戻った。
こういうところがイタリア人なんだよなぁ…と思う。陽気で、優しくて、一緒に居て楽しい。
これぞイタリア人!っていう感じの人。
それがアーダだった。
僕たちはその後、いくつかの洋服屋を回って、家に帰ったのは夕方の6時を過ぎていた。
イギリスではもうこの時間は暗いのに、イタリアではまだまだ明るい。でも、やはり昼とは違う明るさで、どこか哀愁漂う感じだ。
僕は夕御飯が出来るまで与えられた部屋でぼんやりと外を眺めていた。
美味しいご飯、広い家。
優しく陽気な人柄になかなか沈まない太陽。
…まるで、楽園だ。
オーストラリアのミコマスケイ島は最後の楽園と言われている。
しかし、最後の楽園は、本当はここなんじゃないか。
そう、考えてしまった。
でも…。
僕は後に、このときのことを思い出して、皮肉混じりに笑うのだ。
「いいや、ここは最後の楽園なんかじゃない。ここは、最後の地獄だったのさ。」
そう、言いながら。