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聖アイネスの紋章  作者: マリー・ラム
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第8話 エーデリアの記憶(前篇)

 山賊を退け先へ進むと、比較的緩やかな開けた場所に辿り着いた。


 重苦しい空気が僕たちを包む。道中、崖の下を覗き込みながら進んできたが、とうとうセライラの姿を見つけることは出来なかった。


 僕達は無言のままこれからのことを各々考える。口火を切ったのはライヴィスさんだった。


 「このまま進もう。川沿いを下っていけば必ずグローデンの中心部に行ける。それはセライラもわかっているだろう」


 その言葉に僕は敏感に反応してしまう。思わず彼の胸倉を掴んで叫んでいた。


 「セライラを置いていくんですか? 彼女を見殺しに!?」


 そんな僕の言葉を、シルフィさんがゆっくりと制する。


 「セライラは大丈夫だよ」


 そう呟く。どこか力無く。


 「大丈夫だから」


 まるで、そう自分に言い聞かせるように。




 山道を下っていくと、鷹の紋章に青と白の十字、グローデンの旗が見えた。関所だ。


 喋ることを禁じられているのか、はたまた寡黙なのか、グローデン兵は一言も口を開くことなく手続きを進める。


 荷物の中身を確かめるだけで解放されたが、それでいいのだろうか。


 「ザルだな」


 ライヴィスさんが毒づく。


 僕もそう思う。


 関所を越えて少し進むとすぐに宿場があった。山を越えて来た旅人がすぐに休めるようにとの配慮からこの場所に宿場町が設けられているらしい。山を越えてくる者は多くないが、この町で過ごす旅人や商人は多い。


 グローデン兵の詰所もあり、山賊や熊などが山から降りてきたときに対応するそうだ。


 宿を取り、早めの夕食を食べる。


 僕はセライラの事が気にかかり食が進まない。漫然とパンとスープを口に運ぶが、味なんてものは感じられない。


 「少し疲れた。僕は先に部屋に戻るよ」


 シルフィさんは特に覇気が無い。憔悴している姿を見たのは初めてだ。


 「あいつもまだ、過去に縛られてんだな……」


 ライヴィスさんが苦々しく呟く。食後の紅茶を飲み終えると、ふうっと一息ついた。


 僕とライヴィスさんの間に会話は生まれない。僕は今、彼と何を話したらいいのか分からない。


 今すぐにセライラを探しに行きたいけれど、崖下を流れていた川がどこに繋がっているのか、この町の地理も分からない以上探す当てもない。


 セライラの無事を祈る気持ちと、何もできない無力感が僕の心を苛立たせる。紅茶の入ったカップをつい乱暴に置いてしまい、宿屋の従業員から抗議の眼差しを向けられた。


 「マルセロ、少し歩こう」


 居心地の悪くなった僕は紅茶を一気に飲み干し、無言でその言葉に従った。




 夕日が傾き、うっすらと夜が広がる。


 宿場町の露店では夕食を求める人たちが並び始めている。活気のある明るい空気とは真逆の、陰鬱とした様子で歩く僕を見ると、道行く人は露骨に顔を顰めた。


 露店から漂ういい匂いも、今の僕にとって苛立ちを増幅させる不愉快なものに成り下がっている。


 道行く人たちを避けながら僕達はゆっくりと郊外へ足を運ぶ。


 町外れの草原で腰を下ろす。夕日がまだ空を茜色に照らし、それを背に、僕たちが越えてきた山がその存在感を誇示していた。


 「アメリア……セライラの姉貴だな。シルフィと共にエーデリアに所属していたことは知っているか?」


 「少しだけセライラから聞いています。自慢のお姉さんだったと。でも、シルフィさんについてはあまり分かりません」


 そうか、とライヴィスさんは空を見上げる。ほんのりと明るさの残る空に一番星が輝き始めていた。


 「シルフィにアメリア、それにお前の親父さんもいたな……あの戦争ん時のエーデリアは歴代で最強の精鋭部隊だった」


 父さんを含めていた時が最も強かった、それを他人の口から聞くと誇らしいようで少し気恥ずかしく思う。


 そんな僕の様子を察したのか、ライヴィスさんは僕に視線を移す。


 「強かったよ、お前の親父さんは」


 今まで見たことのない優しい目だった。


 僕は我慢できずに、空を見上げる。星の輝きが増え、もうすぐ完全に夜を迎えるだろう。


 「それで……シルフィさんが過去に縛られているというのは?」


 静かな時間に耐えられず、僕はライヴィスさんへ問いかける。


 感傷に浸る間もないな、と彼は笑う。その笑いを最後に、彼の口調は真剣なものへと変化した。


 「エーデリア部隊はあの戦争を最期に編成されなくなった。歴代最強の精鋭を半分以上失ったからだ」


 彼の話に僕は黙って耳を傾ける。


 ライヴィスさんのことはよく分かっていない。だが、彼が先の戦争では最前線、特に激戦区にいたことだけは感じ取れた。シルフィさんが時々纏う空気と同じものを感じた、ただそれだけの根拠だけれど、だがそれは僕の中では確信だった。


 「エーデリアが壊滅した戦闘は学校で習ったのか?」


 「はい。詳しい戦術や部隊展開については授業で取り扱っていませんが、大陸中央戦線でリデアの奇襲に遭遇したと教わっています」


 なるほど、とそこで彼は一息いれる。


 腰に下げた水筒で喉を潤す。何気なく視線を街の方へ向けると、露天へ立ち寄る人が先ほどよりも増えているように感じた。


 「だがおかしいと思わないか? ただの奇襲で壊滅なんて。当時の上位三位に入る精鋭部隊だぞ? それも激戦区の一つで奇襲されるなんて間抜けもいいとこだ」


 僕は考える。どういうことか理解できない。


 「少し本筋に戻ろうか。中央戦線で敵の奇襲を受けたエーデリア部隊はそこで壊滅した。戦死したのはエーデリア部隊の約半数。その中にな」


 「アメリアさんも?」


 「アメリアはその戦場で致命傷を負ったが、なんとかあいつの希望通り生家までは送り届けてやることができた。そしてアメリアは……シルフィの目の前で死んだよ。あいつにとってアメリアは初恋の相手だったそうだ。……守れたはずだと今でも悔いている」


 言葉を失う。


 大切な人を失う悲しみは心の重要な所へずっと残るものだと母さんから聞いていた。その悲しみは筆舌に尽くしがたいのだ、と。


 「アメリアを失い、今度はよりにもよってアメリアの妹だ。安否は分からないが相当堪えてるだろうな。嫌でも昔の事が頭に浮かんだ筈だ」


 しばらく僕達は空を見上げる。陽は完全に落ち、月が星を照らしている。


 「ライヴィスさん。なぜそんなに詳しいんですか?」


 ライヴィスさんはゆっくりと空から僕へ視線を移す。


 「あなたはアイネスの人間では無いのに何故?」


 ライヴィスさんの表情が変わる。この表情は何だ?


 「居たんだよ、その戦場に」


 ああそうか、この目は。


 --黒翼の七騎士としてな--


 この目は悲しみだ。

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