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聖アイネスの紋章  作者: マリー・ラム
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第6話 進路変更

 夜明けとともに行動を開始する。うっすらと靄のかかる大通りには人もまばらだ。

 宿場街を抜けると、小麦畑が広がる道となる。

 風になびいて小麦の若葉がカサカサと音を立てる。小気味のいい音と景色に思わず頬が弛む。

 しばらく小麦畑を進んでいくと

 「シルフィ殿、お待ちしておりました」

 木の影から、フードですっぽりと顔を覆った男に呼び止められた。

 「やあ、すまないね。無理言って」

 「いえ、黒翼絡みであれば我々は協力を惜しみませんので」

 こちらに、とフードの男に先導され、畑の先のぽつんと建てられた小屋へと向かう。所々崩れかけており、長い期間使われた形跡のないボロ小屋だ。

 その小屋の扉をフードの男がノックすると、中からフードの男の仲間が一頭の馬を引きつれて出てきた。栗毛の聡明な顔つきをした馬だ。可愛い。

 小屋の裏には幌で覆われた小さな荷車が置かれており、これもフードの男たちがシルフィ教官に頼まれて用意したものだそうだ。

 「仰せの通り、行商人に紛れられるようにしております。これで旅もしやすいかと」

 「本当に感謝するよ。なにせ急だったものだからこっちで用意できなくてね」

 それから二、三会話した後、彼はシルフィ教官に手紙を渡して去っていった。

 「シルフィ教官、あの人は?」

 「昔はリデアの間者だった奴さ。今は引退しているけどね」

 いろんな奴がいるさ。そう言うと、シルフィ教官はさっさと馬を引いて歩きはじめてしまった。あまり納得のいく答えではなかったのか、セライラは少し眉間にしわを寄せ、しばらく腕を組んでいた。

 「ああ、そうだ。マルセロとセライラ、今後僕の事は教官と呼ばないように。一応旅の商人という設定でいくからよろしく」

 

 馬に荷車を引かせる用意をしつつ、再度僕たちは旅の道順を確認する。

 上手くいけばリデアの軍勢が態勢を整える前にベントリーへ入ることができるだろう。

 途中途中の宿場町では市場に顔を出して仕入れの真似事をしつつ情報収集を行う。あまり目立たないように気をつける必要はあるけれど、僕とセライラは基本は自由に市場を楽しめばいいそうだ。

 まあ、僕たちが器用に情報収集なぞできるわけがないし、法律的には成人として認められる十五歳は迎えているが、黙っていれば僕たちはまだまだ子供扱いされる外見だと思う。

 ライヴィスさんは主に情報収集を担当してくれるので、必然的にシルフィさんはエセ商人役。紅茶ばかりが荷車に増えていきそうだ。

 各々の大まかな役割も決まった頃、折良く馬と荷車の取り付けも完了した。これから先は自分の足で歩かなくていい分、体力的にだいぶ楽になる。

 兵学校の訓練で騎士の先導で駆けまわる訓練があったが、あの時は地獄だった。ひたすら走らされ、胃が昼飯を受け付けず、午後は誰もが屍のようになっていた。あんな思いは二度と御免だ。

 


 全員で荷台に乗って横着をしつつ、シルフィさんは渡された手紙を読んでいる。

 セライラはどうにも気になるようで、文字を透かして見ようと必死だ。

 馬の手綱を握るライヴィスさんの腰には見慣れない剣がぶら下がっている。昨日のうちに買ってきたのだろうか。

 そんな事を考えていると、僕の視線に気付いていたのか、ライヴィスさんが僕に話しかけてきた。

 「マルセロ、お前が座ってるところに剣が置いてあるだろ」

 「剣ですか? あ、ありました」

 「俺のお下がりでいいなら使え。今お前が下げてる剣よりは遥かにマシだろう。俺はこいつが新しい相棒だからな」

 そう笑いながらライヴィスさんは腰の剣を軽く叩く。やはり少し反りのある面白い形だ。

 僕が座っている場所の近くに置かれていた剣を握ってみると、かなり使い込まれているのが良く分かる。

 僕が今使っている物は騎士学校で支給された剣だ。街の鍛冶師に大量発注した安価なもので、しっかり手入れをしておかないとすぐにナマクラだ。

 ライヴィスさんがくれた剣は、そんな物よりも確かに硬く、そして軽い。ありがたく使わせてもらうことにしよう。

 「ライヴィス、ちょっといいかい?」

 シルフィさんが後ろから声をかける。

 「マルセロ、少し手綱を頼む」

 僕に馬の手綱を引き継ぐと、二人で手紙を読み始めた。シルフィさんの纏う雰囲気はあまりよろしくない。それを感じとっているのか、どうにかして手紙を読もうとしていたセライラも大人しくなった。

 「まあ、やることは同じだ。今はベントリーへ向かうことが先決だ」

 そんなことを分かっているのかいないのか、ライヴィスさんは淡々と言葉を紡ぐ。

 そんなライヴィスさんの様子に、シルフィさんは苦笑いを浮かべて答えていた。

 


 休憩のために街道を外れて馬を止める。

 小さい荷車とはいえ、人間が乗ればかなり重かっただろう。荷物から解放されたことに喜んだのか、馬はのびのびと伏せている。

 「なあ、シルフィ。そんなに神経質になることか?」

 「僕は安全策を取るべきだろうと思うけどね。マルセロ達もいるわけだし」

 そんな会話が漏れ聞こえる。不安だ。

 「マルセロ、ちょっといい?」

 セライラに声をかけられる。向こうの会話に入れる雰囲気ではないし、声をかけてもらえたのは正直ありがたい。

 「丁度辺りに人影は無いし、少し剣の訓練なんてどうかしら」

 そう彼女は提案してきた。もちろん、と二つ返事で答えた。

 ……結果を言うと惨敗だった。

 実戦経験があることで少しは強くなったと思っていたけれど、彼女の剣に、僕は隙を見出すことができず攻め手を欠いた。

 「貴方も筋は良いと思うわ」

 そう言われたが、その言葉は僕の心に多少のダメージを残した。

 「その通り、筋は良いな」

 会話が終わったようで、いつの間にか二人が僕達の立ち合いを見ていた。

 「筋は良い。マルセロ、やはりお前はクレストさんの子だ。それからセライラ。お前はアメリアによく似ている。生き写しだ。が、技術は遠く及んでいないな」

 「そうだね。教官の僕よりも的確に二人のポテンシャルを見抜いていたってのが悔しいね、ライヴィス」

 二人してうんうん頷きながら話が進んでいる。

 僕の父とライヴィスさんたちはどんな関係だったんだろう。

 ふと気になったが、聞くのは今度にしよう。今はその時ではない、不思議とそんな気がした。

 あ、そうだと思い出したようにシルフィさんが口を開く。

 「進路を変える。ちょっと問題が起きたようだからね」


 フードの男たちの手紙によると、リデアの息のかかった傭兵達がメルクリン街道の先で野営をしているということが判明したそうだ。

 このまま進んでいけば、まず間違いなく敵の傭兵との戦闘は避けられない。

 ライヴィスさんとシルフィさんだけであればこのまま進むが、僕とセライラがいる以上危険な戦闘はすべきでない、とシルフィさんは判断したらしい。

 「私達も十分戦えます!」

 というセライラの訴えはたった一言、シルフィさんの言葉で潰された。

 「僕から一本とれなきゃだめさ」

 横断するルートは傭兵が展開している。ならば一度北へ向かうしかない。手紙によると、傭兵が確認されていないのが北経由のルートだ。

 しかし、その場合にも危険はあるものだ。

 「山越えと山賊……ですか?」

 「そう、けっこう険しいからね。山賊は寄せ集めの無法者だから別に問題ないさ。ただ山道がなあ……崖あるし」

 「ま、シルフィ大先生の判断だ。山道を行かねばならぬ宿命なんだと諦めろ」

 二人の中で山賊は眼中にない。むしろ山道を行くことが問題のようだ。

 「あの……山賊意外に何か警戒すべき事がありますか?」

 セライラが恐る恐る尋ねる。

 ライヴィスさんとシルフィさんは少し考え、そして二人同時に告げる。

 「「吐くなよ」」

 その時の二人の顔はまるで悪魔のようだったと、後にセライラは語っていた。


 

 「無理です! 無理です! 死にます! 死にます! お姉さま! ああっ!」

 「あー、うるせえ。余裕はあるんだ、騒ぐな」

 進路を変え何日か進んだ僕たちは、イスナリア公国の北にある国グローデンの山岳地帯に足を踏み入れていた。

 最初はそれなりに広い道だったのだが、一刻ほど進むと荷馬車がギリギリですれ違うことができるかどうかという狭さとなっていった。

 山を切り開いて道を作ったのは良いが、その後の管理も路面の舗装もされていない道である。どれだけゆっくり進もうとも荷車はガタガタと地面の状況に合わせて跳ねまわる。

 セライラがずっと叫んでいる。僕は気分が悪くなったので、幌から顔を出している。少し呼吸を整えて目を開けると、荷車の車輪が崖の際をなぞっていた。

 落ちたら無事では済まないだろう高さに目が眩む。

 普通に進めば落ちることは無いとライヴィスさんが笑いながら言うが、あなたやシルフィ教官のようなタフな心臓と三半規管は持ち合わせていないのだ。

 「不安なら女神様に祈っておくと良い。ライヴィスがへましませんようにってね」

 快調に馬は進む。セライラは青い顔でひたすら叫んでいる。

 僕は祈る。何事もありませんようにとただひたすらに祈る。

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