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聖アイネスの紋章  作者: マリー・ラム
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第5話 宿場町にて

 僕とセライラは家に帰され、旅の準備を整える。ライヴィスさんとシルフィ教官の旅へ同行を命じられた以上、僕たちに拒否権は無い。

 家に帰ると、母さんが不思議そうな顔で僕を出迎えてくれた。

 「おや、どうしたの? 今日は兵学校の卒業式だったんじゃないの?」

 「そのことなんだけど、ちょっと……」

 母さんに事の顛末を話すと、大慌てで旅の準備を始めてくれた。準備ができるまで、母さんが淹れてくれた紅茶とスコーンで一服する。ほんのりと甘い味に、身体の力が自然と抜けていく。

 自分が思っていた以上に身体が強張っていたようだ。

 家の中をぐるりと見渡す。兵学校の間は帰宅が許されないので、家に帰って来たのは約一年振りだ。革の匂いが工房の方からうっすらと漂ってくる。たった一年とはいえ懐かしい匂いだ。

 僕が兵学校に入っている間、母さんは一人でこの靴屋を守ってきた。

 父さんの残したこの店を。

 僕が父さんのようになるために兵学校へ行きたいと伝えた時、母さんは何も言わずに送り出してくれた。

 僕が靴屋になる道を選んでいたら母さんは大変な思いをしなかったんじゃないか。そう思うと罪悪感がこみ上げてくる。

 「よしっ……と。マルセロ、できたよ」

 旅支度を整えるのはお手の物なのか、あっという間に荷物を作ってくれた。父さんが使っていた荷袋に入れてくれている。

 「何しに行くのか、なんであなたが選ばれたのか、色々気になることはあるけれど……選ばれた以上はしっかりとお勤めを果たしてくるんだよ」

 「ありがとう。じゃあ、行ってきます」

 「無事に帰ってきなさい。母さんはいつでも待ってるからね」

 そう言うと、母さんは僕の手を優しく握り、そして笑顔で僕の背中を押してくれた。

 家を出て少し歩いて振り返る。まだ母さんは僕を見つめてくれていた。それは僕の姿が見えなくなるまでずっと続いていたが、その事を僕は知らない。


 月が夜空に輝き街灯の消えた街を照らす。

 辺りが静寂に包まれた夜中、僕たちは聖アイネスの隣国であるイスナリア公国の宿場町エムランディアに到着した。母さんと靴の行商に来て以来だ。

 これからの計画では、僕たちはイスナリア公国を横断、エイナー街道へと続くメルクリン街道へ出て、最短距離でベントリーへと向かうそうだ。兵学校の授業で大陸の地理は学んだけれど、正直ほとんど覚えていない。僕は実際に歩かないと地理が覚えられないのだ。……兵士としては三流だな。

「さて、朝飯は宿でとる。今日はもう寝よう」

 宿の予約は既に手配していたようで、宿屋の従業員が各々を部屋へと案内していく。

 部屋に通され、鍵を受け取ると僕はベットへと倒れこむ。

 森の中のあの出来事から三日が経ったが、僕を取り巻く環境が怒涛の勢いで移り変わっている。現実感のない事この上ない。

 これから先一体どうなっていくのか、僕には全く見当もつかない。とりあえず、今の僕にできることは寝ることくらいのものだ。漠然とした不安の中、僕はゆっくりと意識を手放した。


 「今日は一日ここに滞在して明日出発する。いい機会だし他国の街というものを見て回ると良い」

 シルフィ教官は朝食を食べ終わると早々に市場の方へと歩いて行ってしまった。

 あの人は紅茶の葉でも探しに行くのだろう。紅茶中毒と言っていいほどの人だ。飲まなければ死んでしまうんじゃなかろうかと思っている。

 ライヴィスさんも朝食の後、いつの間にかいなくなっていた。

 「マルセロ、あなたは何かする?」

 「いや、特に思いつかないかな」

 「そう、じゃあ私と一緒に散歩でもしましょう」

 セライラからの誘いに乗る。断る理由も予定もないのだから当然だ。

 シルフィさんが向かった方向とは逆の、屋台の立ち並ぶ通りへと歩きはじめた。

 「エムランディアに来るのも久しぶりだなあ。変わってないや」

 「あら? 貴方はここに来たことがあるの?」

 「うん、母さんの仕事に付き添って来たことがあるんだ」

 「貴方のお母さまは何をしていらしたの?」

 「靴屋だよ。元々は父さんの家系でやってたんだけど、父さんが兵士になってからは母さんがね」

 他愛ない会話が続く。といっても、会話の殆どは僕の父さんのことだ。セライラにとって何か興味を引くことでもあるのだろうか。

 

 ある程度歩いたところで少し休憩を兼ねてオープンテラスのあるパン屋に入る。

 アイスティーとベーグルを頼み席に着く。道ゆく人々はどこかのんびりとしている。店内を見渡せば、本を読む人、寝ている人が数人。

 だからこそ、となりで険しい顔をして座っているセライラが余計に異質に感じる。父さんの話をしてからこの調子だ。

 「セライラ?」

 この空気は耐え難い。

 「貴方のお父さまのこと、私は知っている」

 「……えっ?」

 「お姉さまがね、よく話をしてくれていたの。エーデリアには平民の出身とは思えないほど素敵な人柄の、とても強い靴屋のおじ様がいるって。その人の話では私と同い年の息子が、自慢の息子がいるって。そう楽しそうに話をしていたそうよ。」

 「そっか、なんだか気恥かしいなあ」

 「貴方のお父さまは正に騎士の鑑であったと、私のお姉さまがいつも話してくれたわ。そんな方が自慢だと言う息子、どんな人かと思っていたけど、話に聴いていたまんまで良かったわ。改めて旅の仲間としてよろしくね」

 「こちらこそよろしく。しかし、エーデリア部隊の関係者がもう一度仲間として旅に出るなんて凄い偶然もあったもんだなあ」

 本当にね、とセライラは表情を崩す。彼女の手もとのカップから漂うほのかなオレンジの香りが鼻に心地いい。

 少しの間お茶を楽しむ。

 時間がゆっくり流れたところで、突然セライラが現実に戻ったように。

 「……本当に偶然かしら?」

 その呟きを、僕はベーグルと一緒に飲みこんだ。


 - - - - -

 

 騎士、教官という立場を忘れて、思いっきり買い物をしてしまったが、目当ての茶葉と本を手に入れることができて、僕は非常に機嫌がいい。

 大陸戦争で生き延び、兵学校の教官として広く顔が知れ渡ってしまった今、聖アイネスでは一般人に混ざって優雅に買い物などできないのだ。こういう時を存分に活かさなければ勿体ない。もしもアイネスで市場にふらふら立ち寄ろうものなら、周りの人々全員から歓声を浴びてしまって買い物どころではないからなあ。

 聖アイネスの英雄などと祭り上げられてしまった僕の運の尽きだろう。……英雄なんて器ではないんだけどな。

 市場を離れが、まだ夕餉には時間がある。

 ライヴィスでも探して合流でもしようか。朝食を早々に食べ終わってから、一人でどこかに行ってしまった問題児の回収だ。

 どこに行ったかはだいたい見当がついている。賑やかな通りを背に、町外れへと足を向けた。

 建物もまばらに点在するそんな町外れで、とある家から鉄を打つ音が響いている。

 その建物の小窓から中を窺う。

 居た。ライヴィスだ。

 「まったく、お前は十年も便りを寄越さずに……くたばっちまったのかと思っておったわい」

 「何度かくたばりかけたけどな。ところで、頼んでたもんを取りに来たんだが」

 「ふん、他に言うことは無いのか……。引退したもんに無理やり仕事押し付けよって。できておるわい、お前の連れにも見せてやる。窓から見んと入ってこんか優男め」

 おっと、ばれていた。気配を消すのが下手になってしまっただろうか。言葉通り中に入る。

 「シルフィ、よくここに来てると分かったな」

 「きみがこの国で行くところといえば露天かここだろうに」

 違いねえ、と彼が笑うと同時に、部屋の奥から再び鉄を打つ音が響く。

 ほんの数回、何かを確かめるような音の後、細長い物を抱えた鍛冶師の老体が姿を見せた。

 「ヒコエモンさん、それは?」

 「ふん、この馬鹿者が十年前に押しつけていった仕事じゃわい」

 ヒコエモンさんは静かに得物を引き抜く。剣だろうか。いや、諸刃ではない。見たことのない剣だ。

 「銘は阿修羅。数多の血を吸い、阿鼻叫喚の中に生まれ、ただ一心に斬ることのみを追求した刀じゃ」

 「カタナ?」

 「わしが生まれた国の剣じゃ。船が難破して、こんな辺鄙な大陸に流れ着いて早四十年、もはや故郷へ戻ることも叶うまいよ。ここに根付いて鍛冶師として生きてきたが、最後の最後で最高の一振りを打てたわい。これがわしの遺作じゃ」

 美しい。ただその一言に尽きる。

 しかし危険な美しさだ。人を斬ることに取り憑かれてしまいそうな、そんな危うさに心が揺れる。ライヴィスも思わず言葉を失っているようだ。

 「最高だぜ、じいさん。この対価はどれくらいだ?」

 「金は要らん。その代わり、お前の本懐を遂げろ。それでいいわい」

 ライヴィスがその剣を受け取り、腰に下げる。剣は人を選ぶと言うが、正にそうなのだろう。僕にはこの剣がライヴィスを持ち主と認めたように感じていた。


 気がつくと、日もほとんど沈んでしまっていた。

 僕たちは少し早足で宿へと戻る。

 「ライヴィス、僕に隠していることは無いかい?」

 「ある。だがまだ確信を持てていない。時が来たら話す」

 それならいい、と一応納得しておこう。

 大通りまで戻るとマルセロ達が宿の前で僕達を待っていた。

 「遅くなってすまないね。さあ、食事にしよう」

 宿の中へと四人で入る。

 朝には出発だ。明日に備えて今日は早く寝ることにしよう。

次回は12日以降になると思います。

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