第4話 旅立ち
自慢ではないけれど、私は大抵一度説明を受ければそれについては復唱できるくらいに物事を記憶することが得意だ。歴史の授業も、戦闘陣形も完璧に頭に叩き込んである。
それなのに、いくら説明されてもすんなりと頭に入ってこないことが一つ。
たった今この状況がそうだ。
「もう一度言う。マルセロとセライラは俺達と一緒にベントリーへ向かう。そこで黒翼の生き残りを討つ。簡単だろ?」
「いや、なぜ私とマルセロも連れていかれるんですか? 教皇を暗殺しようとし、戦争を再び起こそうとする輩が居るのはわかりました。……疑問なのは何故私達なのかということです。私達は戦力として確実に不十分だと思うのですが?」
シルフィ教官の部屋の中で、私の声だけが一際大きく響いているような気がする。今この状況においてあまり余裕を感じられていないのだろう。それを自覚してはいるけれども、どうにも上手く落ち付くことができない。
「そうですよ、特に僕は……」
「いや、俺はこれ以上ないほどに最高の人選だと思う。そうだろ? シルフィよ」
ライヴィスさんは羊皮紙を片付けているシルフィ教官に話を振る。
シルフィ教官の眼がほんの少し開いている。教官ではなく、騎士としての眼だ。
「ライヴィス、きみの選択なら間違いは無いんだろう。騎士として異存は無いよ。だが何故彼らを選んだのか、その理由を教えてくれないか。一教官の立場としてはあまり賛成ができてなくてね」
ライヴィスさんは少し考える。
そしてただ一言呟いた。
――エーデリア――
エーデリア。この国を守る女神アイネスの傍らに寄りそう一角獣の名だ。
そして、この国の騎士にとっては特別な意味を持つ。
――エーデリア特別遊撃隊――
一角獣の名を冠し、大陸戦争を最後に解散された聖アイネスの最精鋭騎士部隊。
エーデリア特別遊撃隊に名を連ねることはこの国の騎士にとって最上の名誉なこととされていたが、部隊員の情報は秘匿され、その部隊について詳細を知るのは教皇以下極めて少数であった。
身内である私でさえ、マルセロのお父さまを含めて数人の部隊員しか知らない。
その大陸戦争の終結を目前に、エーデリア特別遊撃隊は解散となってしまったが、最期の部隊員の中に私のお姉さまもいた。それ故、私にとってお姉さまは目標であり自慢なのだ。
そしておそらくマルセロも私と同じだ。
私のお姉様もマルセロのお父さまも共に戦争で猛々しく闘い、そして騎士としての誇りの中で散ったのだ。
シルフィ教官はライヴィスさんを見据える。
しばらくその言葉を反芻していたのだろうか、少しばかりの沈黙の後
「過去への贖罪かい?」
「……それが無いとは言えない。だが、下手に選ぶよりもこいつらの方が可能性を持っているし、何より俺はやりやすい」
「そうか、じゃあ僕も納得だ」
ライヴィスさんとシルフィ先生の間だけで結論が出たようだ。私達はまだ置いてけぼりのままに。
「ま、待って下さい! それが何故私達を連れていくことにつながるんですか!?」
「何故って、お前らはエーデリア部隊の関係者じゃないか」
喉の奥が詰まる感覚を受けた。この人は一体何なんだ。何故……何故私のお姉さまとマルセロのお父様がそこに所属していたことを知っているのだ。
「まあ、俺もシルフィもそこにいたからな」
今度こそ私は呼吸を忘れた。
呆然とする私とマルセロを置いてどんどん話が進んだ結果、気付けば私達は荷造りするために家へと帰されていた。
椅子に座ると、そのまま一気に力が抜けてしまったようで立ち上がる気力が湧いてこない。
私がそんな状態であることを察してか、家政婦のナディアさんが必要な物を袋に包んでくれている。椅子の背もたれに身体を預けつつ、その様子を眺めながらお姉さまのことを思い出す。
戦地から戻るたびに私と遊んでくれていた。どんな過酷な戦場だったかもわからない。それでも私の記憶にはいつも笑顔のお姉さましかいないのだ。
「そういえばアメリア様もよく急な遠征に向かっていましたねえ。お懐かしゅうございます」
「ナディアさん……何も聞かないんですね」
卒業式直前に大陸を横断する旅に出ていくのだ。こんな新米がだ。自分でも分かっていないのだ。
なのにナディアさんは何事もなかったかのように荷造りを終わらせていく。それが不思議でならない。
「アメリア様も同じでしたからね。アメリア様はとても優秀な騎士でしたし、騎士学校を卒業すると同時にエーデリアにスカウトされたんですよ」
「そうなの? 初耳ね」
「セライラ様にとってアメリア様は特別意識なさる存在でしょう? 変に肩に力が入らないようにとご主人様からのお申しつけで今まで語ることはありませんでした」
「そう……お姉さまはやっぱりすごい人だったのね」
私とは大違いだ。目標とする壁が高すぎる気がして軽くめまいがした。
「やはり何か人の縁というものは不思議なものですね。エーデリア部隊の関係者が再び集まるとは思いませんでしたわ」
「ねえ、ナディアさんは戦争のことよく覚えてるわよね? 知っていたら教えてほしいことがあるの。ライヴィス・クロノスという人について」
ナディアさんはこちらを振り返る。荷造りも丁度終わったらしい。時計を確認し頷く。出発の時間まで私の質問に付き合ってくれるようだ。
彼のことは、セライラ様が一人前の騎士となった時にお話しする予定でしたが……と前置きをして。
「私が彼と初めて会ったのは、アメリア様がお亡くなりになったその日です。もうお医者様も手の施しようが無い程の深い怪我を負った彼女を、アメリア様の最期の望みを叶えるためにここまで担いで来てくれたお方です。死ぬ時はこの家で、その願いのためにシルフィ様とライヴィス様、それにもう一人の綺麗な女性が追手を振り切りながら。命がけでアメリア様のために戦ってくださった、エーデリア部隊の騎士でした。アメリア様が息を引き取った後、ライヴィス様は仇を討つためにお仲間と二人でリデアの一部隊を急襲し、そして壊滅させたと聞いております。シルフィ様が言うには、彼は『大陸一の剣士』だと。それほど強いお方だそうです。大陸戦争最後の戦闘を発案し実行し戦争を終わらせた、戦争の最前線にいた騎士達の中では伝説的な扱いを受けていることからも窺えますね。……このことは教皇以下一部の者しか知りませんが、戦争の功労から聖女神一等勲章を授与されるはずだったのです。しかし式典当日に彼はこの国を去りました。自分にそんな名誉ある勲章を受ける資格は無い、と書置きを残されていたそうです。詳しいことは分かりませんが、シルフィ様が彼に言った『贖罪』、そのあたりに関係があるもかもしれませんね。底が見えないほどの闇を抱えているような、そんなお方ではありますが、私はあのお方が悪い人とは思えません。あれほど仲間思いで強い騎士はそこそこ長い人生の中でシルフィ様とアメリア様、そしてライヴィス様だけです」
普段は大人しいナディアさんが思わず饒舌になるほどの人なのだろう。ライヴィス・クロノスという男は。
お姉さまの最期を看取った仲間だった、エーデリア部隊の一員だった。
なんで、どうしてと突っ込むのは控えた方がいいのかもしれない。ナディアさんの話からすると、それはまだ私が触れていい過去ではないのだ。
「……それにしても詳しいんですね、ナディアさん」
「ええ、シルフィ様とよくお茶をしていましたから。その時にいろいろ聞いておりました」
ああ、シルフィ教官はナディアさんの入れる紅茶が好きでよくうちに来ていたな。饒舌なシルフィ先生というのも想像しにくいものだ、と思わず笑ってしまった。
「さて、そろそろお時間のようですね。セライラ様、御武運を」
「ありがとう、ナディアさん。……行ってきます」
荷物を持って家を出る。もうすぐ日が落ちる。今から出発すれば、夜中には隣の国の宿場町に着くだろう。
何ができるか、どれだけできるか分からない。
けれどやるしかない。それが私の選んだ騎士という道なのだから。
「あ、セライラ様! これをお渡しするのを忘れておりました」
振り向くと、ナディアさんが布に包まれた細い物を差し出してきた。
「アメリア様の愛用していたバスタードソードです。セライラ様に、とアメリア様の遺言で」
「お姉さまが……」
鞘から引き抜く。刃こぼれの無い見事に手入れの行きとどいた剣だ。
既にほとんど傾いた夕日を受けて輝き、そして徐々に月を映していった。
お姉さまがここに居るのだ。情けない姿は見せられない。私は前を向いた。
「行ってきます!」
恐れと弱音を裁ち斬って、私は旅を歩み始めた。
続きも早めに更新したいと思います。