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聖アイネスの紋章  作者: マリー・ラム
33/33

第33話 聖アイネスの紋章

年の瀬が近くなりました。

大掃除をしなければならないと思いつつ、何もしない今日この頃。

 リデア軍は東へと撤退してゆく。

 ベントリーの中央広場にある鐘楼からその様子を眺めていたが、改めて、生き残れたことを女神に感謝しなければいけないと思った。

そもそも彼我の戦力差は圧倒的で、それでいて、さらにリデアには余力があったのだ。

まったく、笑えない話だ。

 物思いにふける僕の背後には、いつのまにかセライラが立っていた。


 「マルセロ、私達はしばらくベントリーで戦後処理よ。ベントリー軍の体制が整い次第アイネスヘ帰還するわ」


 僕の返事を聞くことなく、セライラは僕の隣へ立つ。

 鐘楼の石壁に背を任せ、大きく深呼吸をしている。今この場で生きていることを実感しているのだろう。僕と同じように。

 もうすぐ陽が落ちる。

滞在している間はできることをしよう。僕にできることは微々たるものだろうけど。

東の方向を見つめる。リデアの大軍は、既にその姿を遠くにしていた。

 

 滞在中の時間はあっという間に過ぎる。

 ベントリー兵士の国葬、街の復興、哨戒活動、物資の搬送護衛など、忙しくて息つく暇もない程だ。

ライヴィスさんとシルフィさんはベントリー軍の立て直しに掛かりっきりで、それ以外の雑務を僕とセライラが担っていた。



 「もう痛みも無く動けるわ。だから私も手伝う、って言っても聞いてくれそうにないわね」


 「お願いですからランスリッドさんは寝ていてください。普通の人間なら死んでても不思議ではなかったんですから」


ランスリッドさんは現在、ベントリー軍の医務所でベッドに寝かされている。

僕たちと別れた後、ランスリッドさんはベントリーの中心部で、たった一人で愚者の芸猟団の進撃を食い止めていた。

本調子であれば苦戦する程の相手では無かったのだろうが、彼女はエルネリアのギルドでかなりの負傷を負っていたのに。

槍を振るう度に傷口が開き、リデア軍と傭兵たちが撤退を始め、僕たちが彼女の所へ辿り着いた頃には、尋常ではない出血量で意識が朦朧としていた。

そんな彼女を医者の所へ運び込んだが、僕もセライラも、ベントリーの医者までもがあまりの状態に慌てふためいてしまった。

三日間も昏睡状態だったが、目が醒めた直後から動こうとしたので僕たちは全力で彼女を抑えている。

そんな慌ただしい日々が終わりを迎えたのはベントリーでの戦闘が終わってからおよそ二週間が過ぎた頃だった。



 アイネスへの帰還の日を迎え、僕たちはベントリーを後にする。

特に特別なことは何もない。ベントリーの勇将たちとその腹心たちに簡単な挨拶をして終わりだ。


 「すまない。本来なら国を守ってくれた勇士をこのように送り出してはならないのだが」


 「気にすんな。こっちも表に出せねえ軍事介入だ。それに、そんな事してる暇があったら早く軍と城壁を直しておくんだな」


 「心得ている。敵の新兵器も鹵獲できたことだ、対リデアの先鋒として更に強固な部隊に仕上げておくことを約束しよう」


 「ああ。ジジイにも伝えてくれ。次にここへ来るまでに引退しとけってな」


 西への道を進む。

 帰路を行く僕たちを阻む物は何もなく、ベントリーへ辿りつくまでの日々がまるで嘘のように、あっという間にアイネスの国境目前へと辿り着いた。

それでも出発から通算して半年以上の時間が過ぎていた。久々に見る聖アイネスの城壁に、少し目頭が熱くなってしまう。

 剣を振るい、命の奪い合いをしていた日々が遠い過去のように感じるほど、大陸の西側の世界は平和に充ち溢れている。

本当に現実なのか、果たして夢なのか、自分はどちら側に生きているのか分からなくなりそうだ。

 城門を守護する兵士の大あくびが目に入る。まったく、呑気なものだ。


 「門番の仕事は重要な任務だ。あくびしている最中に敵の侵入を許したりしないでくれよ?」


 シルフィさんが呆れ顔で声を掛けると、門番は眠気が一気に吹き飛んだようで、青くなったり赤くなったりしている。

 慌てふためきながら直立不動の姿勢を取る門番に対し、結構結構、と笑いながら城門を通り抜けるシルフィさんの表情はどこか悪戯めいていた。

 

 アイネスに戻った僕たちが真っ先に向かったのは教皇閣下の執務室だった。

 「よく無事に戻った。ベントリーでの戦いは、既にダブラー殿からの早馬で知らせを受けておる」

 教皇閣下の前に跪く。戦場とは違う緊張で胃がせり上がる。


 「疲れもあろうが、先ずは事の仔細を話してもらわねばならぬ。それによって今後、我らが国としての方針を考えねばならん故な」


 少しの沈黙の後、シルフィさんが今回の一件について報告を始めた。


 教皇は、僕たちの旅路での出来事を聞き終えると目を閉じて何かを考え始めた。

 シルフィさんとセライラは跪いたままの姿勢で教皇の言葉を待つ。

僕もそれに倣って跪いてはいるが、重苦しい空気が耐えられない。ライヴィスさんは壁にもたれかかって……おそらく寝ている。

 この人は自由すぎる。


 「明後日には建国記念式典がある。そこで皆に話さねばならんだろうな」


 重大な発表が増えてしまったのう、と呟く教皇の顔は、思いのほか険しさの無いものだった。



 建国式典の日を迎え、僕たちはアイネス軍騎士礼服に身を包んでいた。

 僕のような新兵が着ることができる代物ではない。当然ながら顔が強張る。


 「緊張しすぎだよ、もっと肩の力を抜いて」


 「そうよマルセロ、たかが服じゃない」


 「元々騎士の家系の二人と、靴屋の倅の僕を一緒に考えないでほしいんだけど……」


 この礼服が苦手なのは僕だけではない。礼服を着崩そうとしていたライヴィスさんは、ランスリッドさんによってその目的を阻まれている。


 「なんで俺もこんな服を着なきゃならんのだ!」


 「場を弁えてください! どうしても脱ぐと言うのなら私がこの身を賭して阻止します!」


 大陸最高位の戦力による、大変低レベルな争いは式典が始まるまで続いていた。

 厳かな式典は進み、そして、教皇は静かに語り始める。


「女神の加護により、我々は、今この場に生を持ち、そしてこれからも生きてゆく。だが、それを脅かす者が再びこの世を跋扈しようとしている。諸君らも記憶に新しいであろう、先の大陸全土を巻き込んだ悪夢のような戦乱……その忌まわしき歴史が繰り返されようとしている」


 少しだけ場がざわめくが、教皇が一瞥すると、再び水を打ったような静けさを取り戻した。


 「黒翼の七騎士……その生き残りであるヴァン・ドレイクがリデア軍の実権を握り、既に行動を始めておる。ベントリーでの戦闘は既に皆も知るところであろう。リデア軍の脅威は看過できるものではない。戦争は始まっている……いや、まだ先の戦争は終わっていないのだ。女神の民を守るため、そなたらには一層の働きを期待する」


 力強く頷く貴族もいれば、薄く歪な笑みを浮かべる神官の顔も見える。現実の脅威として再び現れた【戦争】という存在に対し、各々思うところがあるのだろう。

 様々な反応を意に介することなく、教皇は話を続ける。

 閣下の視線は僕たちを捉え、そしてゆっくりと、力強い言葉を紡いでゆく。

 その言葉を、僕は生涯忘れないだろう。


 「最後に、リデアの脅威に対抗するため、先の大戦以降編成していなかったエーデリア特別遊撃隊の再編成をここに宣言しよう。

  【シルフィ・エルス】

  【ライヴィス・クロノス】

  【ランスリッド・ディラルド・ハーン】

  【セライラ・ドーシュ】

  【マルセロ・ブルク】

女神の剣であり盾であった、美しく気高き一角獣の如き働きを期待する」



 夜になり、アイネスの街は建国を祝う祭りが、城の中ではパーティーが開催されていた。

 エーデリア特別遊撃隊の再編成という一大事に目聡く反応したの貴族や高位の騎士たちであった。教皇の直属部隊であるので、爵位も持たない、ただの靴屋の跡取り息子の僕の元へも次々に挨拶に訪れてきていた。

 押し寄せる貴族たちの波が落ち着いたところで、僕は中庭へと避難した。どうにも僕は、貴族という生き物の井戸端会議は好きになれそうにないようだ。


 「一応私達はパーティーの主役なのよ? 中庭に逃げるのは感心しないわ」


 「君みたいに慣れてくてね。……セライラはどうしてここに?」


 下心が隠せない人の相手は疲れるのよ、と苦笑いを浮かべ、彼女は僕の隣へ座る。


 「大出世ね。私たちみたいな新兵がアイネスの精鋭部隊なんて」


 「うん……信じられないよ」


 白を基調とした、エーデリア特別遊撃隊の制服の左胸にはペガサスを抱く女神を象った紋章が取りつけられている。聖アイネスの紋章だ。

 僕はそれを指でなぞり、夜空を見上げる。

 城内の華やかな声が遠くの世界のように感じた。


 「マルセロ、これからもよろしくね」


 セライラの真っすぐな笑顔に……その笑顔の奥で話している二人の影を見つける。

 セライラも僕の視線に気付き、僕たちはその二人の会話に耳を立てた。


 「隊長、もう二度と……二度と黙って私の前から姿を消さないでください」


 「……エーデリアに首輪を繋がれたからな、ここで働くさ」


 「そうではありません! エーデリアなんて私にはどうでもいいのです! 隊長がいなければ私は!」


 「お、落ち着『私は!』」


 月明かりが二人と僕たちを照らす。


 ――あなたを愛しているのです――


 

 時代は繰り返される。

 僕たちはもしかしたら激動の時代に生まれたのだろう。歴史の波は大きな渦を巻き、全てを呑み込もうとしてゆく。

 それでも僕たちはその波に背を向けることはできない。

 だからせめて、今この瞬間の安寧を、僕たちはただ安穏と……。

 月の光が優しく輝く。純白の光が聖アイネスの紋章に差し込んだ。

今回で一つの区切りとなります。

拙い文章でしたが、ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。

言葉では書き表せない、言いようのない喜びを感じています。



近いうちに、この作品の続編となるものを投稿していくつもりです。

その時はまた宜しくお願いします。

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