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聖アイネスの紋章  作者: マリー・ラム
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第32話 終結

 もはや戦場の趨勢は決していた。

 最前線の優勢など、もはや意味など無い。

 大陸最大、最強と言われるリデア軍の本陣に、小細工抜きで正面から切り込み、たった十数名で最奥まで辿りつくという狂気を見せつけられているのだ。

 もはやこんな【戦争ごっこ】に付き合う必要もない。

 

 「ヴァン・ドレイク様! 奴らが目前ッ、どうかご助力をっ……!」


 全くつまらない、ガキの遊びにも満たないものだ。

 声の主に目を見やる。口の端や鼻から己の醜態を晒している。

 リデアの一個大隊を率いる将軍とは思えぬほどのその姿に、心底嫌悪感を覚える。

 もはやこの男に未来は無いのだ。断末魔ともいえる哀願に、視線で答える。

 ――ここで死ね――と。


 「これ以上、お前に貸してやった兵を無駄に使われるのは気に食わん。俺の配下の兵は即刻戦闘を中止、リデアへ帰還せよ」

 

 ― ― ― ― ―

 黒翼の七騎士の一角、双剣のヴァン・ドレイク。【狂人】と呼ばれたライヴィス・クロノスと対比される男である。

 冷静な戦況判断と計算された戦略・指揮により、数多くの戦場に於いて勝利を描いてきた英雄。

 狂戦士の部類に入るライヴィスやランスリッド嬢とは異なり、常に【冷静】、それがリデア軍が抱く彼への評価であった。

 先の大戦より、リデア軍の将軍の地位でその英雄を見てきた。概ね他に変わらぬ評価である。

 だが、その認識は大きな間違いであった。

 私に向ける視線から全てを悟った。もう遅いのだ。

 その男の本質は【冷静】ではない、【冷酷】なのだ。

 弱者を人と見ていないのだ。それ故に冷静な指揮へと繋がっているのだ。

 この戦場からの撤退を決断をすれば、私は双剣の錆にされ、このまま戦闘を継続すれば、狂人の血肉となる。

 もはや生き延びるという道は存在し得ないのだ。

 これまでリデアの栄光のために生きてきた、その結果がこれなのか。

 己の心の奥底に封じ込めてきた生存欲求が、半鐘のように心臓の鼓動となって耳に届く。

 何か、生き延びる策を見つけなければという焦りに包まれてゆく。


 「ねえよ、そんなもん」


 「……っ!」


 背後から残酷な現実が声を掛ける。

 帰り血にまみれた呼吸音が、一歩、また一歩と迫りくる。

 もはや振り返ることすらできぬほど、私の本能は生を諦めてゆく。


 「こ……殺すのか? この私を……!」


 「ああ、死ね」


 あと9歩進まれたら殺される……5歩……2歩!


 ――死にだぐッ……――


 己の断末魔の叫びを聞きながら、視界は首の無い己の身体を宙に見る。その瞬間には、もはや思考など生まれることもなく。


 ― ― ― ― ―

 将軍の戦死は、瞬く間にリデア兵へと伝えられた。

 指揮官を失い、混乱極まる戦場を立て直せるほどの勇将は、幸か不幸かこの戦場に存在しなかった。

 軍楽隊の撤退を告げる笛の音が鳴り響くと、前線で戦闘中であったリデア兵が続々と撤退戦に舵を切ってゆく。

 なるほど、よく訓練されていると、敵ながら称賛に値する気持ちが湧き上がる。

 至高の剣士と共に敵中突破するような大将の下では決して育てられぬと、老兵の心の中には珍しく反省の念が浮かぶのであった。

 

 「まったく、本当に出鱈目な戦い方をする」


 心の底から悪寒を感じるような声が耳に届いた。

 

 「お前さえ居なければもっと簡単なんだけどな」


 「お前が描いた絵にしては綻びが多かったな……ヴァン」


 ヴァン・ドレイク……その顔は、正に悪夢を体現したかのような笑いに満ちていた。


 「この程度が俺の計画の全てだと思われるのは心外だな。心配するな、まだ序の口さ」


 「めんどくせえ、今ここでケリをつけよう」


 

 ライヴィスの刀が銀色の線を描く。目にも留まらぬ速さの抜刀ではあったが、そこに戦果は生まれない。

 二本の剣がライヴィスの刀を完全に受け止めていた。

 

 「焦るなよライヴィス、まだ始まったばかりだ」


 「始まったばかりだ? ろくでもねえ事ばかり考えてんじゃねえよ」

 

 剣を打ち合っていた二人は大きく距離を取る。

 いつの間にか、ヴァン・ドレイクの背後には六人の兵士が一列に並んでいた。皆が一様に目深にフードを被り、その顔を窺い見ることはできない。


 「ライヴィス、俺はここに宣言する。黒翼の七騎士は再び結成された」


 「……過去の遺物まで持ち出すのか。気に食わねえ、ここで殺す」


 「盛るなよ。お前とここでやり合うつもりはないし、今ここで俺を殺した所で無意味さ。もう既に計画は動き出している」


 薄気味悪い笑いを浮かべながら、ヴァン・ドレイクは我々に背を向け、戦場を去り始めた。


 「ヴァン……お前の目的は何だ」


 刀を鞘に納めつつ、ライヴィスが問い掛ける。

 後に老兵ハルク・ダブラーは、この日、ヴァン・ドレイクの発した言葉を終生忘れることは無かったと語った。

 それはまるで、御伽噺のような喜劇のような悲劇のような歌劇のような声色で、



 ――楽園へ行くためさ――


 ヴァン・ドレイクとその仲間たちは戦場を去ってゆく。

 その声を、その足を、動き出した歯車を止めることは、その場に居た誰にもできなかった。


 ベントリーからはリデア兵が完全に撤退し、街からは勝鬨が上がる。

 その歓声を聞きながらも、剣士と老兵はこの戦闘に勝利を感じることができなかった。

非常にのんびりとしたペースで書いております。

できるだけ早く書くつもりでおりますが、次も気長にお待ち頂けると幸いです。

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