第3話 二日後
1、2話を少し手直ししています。
森での出来事から二日が過ぎた。
兵学校の中庭には、卒業を控えた兵士、騎士たちが集められていた。
集められた新米にも満たない兵士たちにも一昨日の出来事は伝わり、仲間の死を悼む者、実際に死を間近にした恐怖に顔が強張る者など、反応は様々なようだ。
当然だろう、卒業試験で死人が出るなど前代未聞なのだから。
その上で卒業式典が行われる直前の召集だ。おそらく、いや、確実に一昨日の夜のことで集められたのだろう。
一昨日、僕は本当の殺し合いに巻き込まれ、本当に人を殺し、仲間を殺された。
嫌な感情が背筋を伝う。人の内臓を切り裂き、背骨を叩き折る感触を思い出し、剣を握った右手が震える。相手から向けられた殺意を思い出し、心臓の拍動と呼吸が速くなってしまう。
誰にも触れてほしくない時に限って不愉快は訪れるものだ。
「おやおやおやおや。どうしたんだマルセロ。顔色が悪いが? なんなら無理をせずに医務室で横になっていたほうがいいんじゃないか?」
ニタニタとした嫌らしい声をかけられる。
バルザック・オーステッド。僕の知る限り最低の貴族だ。
家柄を鼻にかけ、貴族以外は平気で見下すような奴だ。ビクトルの爪の垢を煎じて飲ませたい。
「……なんだよバルザック」
「いやいや、きみの心配をしてるだけさ。仲間を見殺しにして自分ひとりだけ尻尾巻いて逃げ帰って、シルフィ殿に泣きついたと聞いたものでね。もう嫌だと、聞き分けのない子供のように泣いてないか心配に、ね」
あの時の僕は恐怖に包まれ、シルフィ教官の部屋に辿り着いた時には心の底から安堵した。
……そしてその恐怖が頭から離れない。悔しいが、今の僕にはバルザックに言い返せるだけの言葉が無いのだ。
「こんな臆病で弱い、ただの平民風情が騎士になりたいだのと、身の程をわきまえたらどうだい? ……お前の父親もどうせ何か卑怯な手段で騎士になったんだろうさ」
「やめろ……僕の父さんを知らない癖に貶めるな!」
「きみを見ればわかるさ。凡人の血は凡人しか生まないからな」
頭に血が上った。
僕は思わずバルザックに掴みかかろうとした。とにかくこいつを殴り飛ばさなければならない、そう思った。
パシッと乾いた音が響く。
僕が殴った音ではない。僕よりも早くあいつの頬を叩く者がいた。
「身の程をわきまえるのは貴方では? バルザック・オーステッド」
「……セライラ・ドーシュか」
聖アイネスの女性騎士の名門、ドーシュ家。その家の女性は皆、少しウェーブのかかった金髪と深緑の瞳をもつ。聖アイネスの神話時代からその名を記録されているほどのドーシュ家の末娘、セライラ・ドーシュがそこにいた。
「弱者を守ることがそんなに高尚な行いかい? ドーシュ家の御令嬢様?」
「……それが我がドーシュ家の役目であり誇りよ」
「そうかいそうかい……その誇りできみの姉上も無駄死にしたんだから本望だったんだろうさ。無駄死にした身内を持つ同士傷の舐め合いでもして……」
バルザックが言い終わる前にセライラが動いた。
今度は素手ではない。左の腰に下げていた剣を一気に引き抜いていた。
「お姉さまを侮辱するなっ!」
地面に血が落ちる。
刃はバルザックの頬を裂き、剣を振るわれたバルザックは明らかに恐怖で顔が引き攣っている。
大惨事に至る前に、銀色に光る細長い何かがセライラの一太刀を止めていた。
「校内及び同門の仲間に剣を向けることは禁止しているはずだよ、セライラ」
シルフィ先生が若干の怒気を孕んだ声で喋る。
その手にはレイピアが握られている。
「相変わらずの腕前だなシルフィ。開いてるのかどうかわからん細い目でよく正確に刃のど真ん中を突けるもんだ」
一応教官だからね、と笑う。その方向には一昨日の男の人が立っていた。
「さて、セライラ。きみのやったことは許されることではない、わかるね?」
「……どのような処罰でもお受けします」
そう言うと、セライラは剣についた血を拭い鞘に納める。
「おいシルフィ、このオーステッド家のバカ息子はどうする?」
一方で、一昨日の男は片手でバルザックを締め上げていた。
「おい貴様! 一体誰に手を出しているのか分かっているのか! オーステッド家の三男、バルザック・オーステッドだぞ!」
バルザックは足をばたつかせて抵抗しているが、その行為には何の意味もないようだ。
その様子を見たシルフィ教官は、こめかみに手を当てて眉をひそめる。
「……ライヴィス、きみはここでは部外者だ。生徒に手を出すのはやめてくれないか」
わかったと短く答えると、バルザックを思いっきり地面に叩きつけて解放した。この人は全然分かってない。
地面に叩きつけられたバルザックはそのままカエルのような無様な姿で気絶したようだ。
その姿は滑稽で、僕の怒りの留飲を下げてくれた。
「とりあえずきみ達には後で罰則を与える。特にセライラ、きみは相当な罰を受けてもらうことになるだろう。……覚悟しておくように」
そう言ってシルフィ先生は気絶したバルザックを医務室へと運んで行った。
僕の隣に立つ少女を見ると、その目にうっすらと涙を浮かべていた。
「あの、セライラさん……その、ごめん」
「セライラでいいわ。それに貴方が謝る必要は無い。私はお姉さまを侮辱されたから斬ろうとした。ただそれだけよ」
「その通りだ。オーステッド家の人間はみんな斬ってもいいような屑だから気にするな」
一昨日の男が悪い笑みを浮かべながら僕たちの会話に割り込んできた。
「……失礼ですが、貴方はどなたですか?」
セライラは胡乱な眼を向け男に尋ねる。そういえばシルフィ教官は彼を置いて行ったんだった。
「名を聞く前に名乗るのが常識だろう?」
「……失礼しました。私はセライラ・ドーシュ、ドーシュ家の末娘です」
「セライラ・ドーシュか。アメリアの妹だな」
「っ!? お姉さまを知っているのですか!?」
「そんなことはどうでもいい、お前は?」
セライラの質問を完全に無視し、今度は僕の方に顔を向ける。
「マルセロ・ブルクです。一昨日森の中であなたに命を救われました。本当にありがとうございます」
僕が名乗ると、彼は一瞬驚いたような顔を見せた。
そして即座に何もなかったように
「俺はライヴィス・クロノス。そうだな……今は傭兵ってところか」
傭兵がなぜここにいるのだろうか。貴族の中には私設の自警団として傭兵を雇っている家もあるらしいけれど、このライヴィスという男からはそんな雰囲気を感じない。
傭兵というより、どこかの騎士のように思えてならない。
「ライヴィス、一応ここには厳格な規則があるんだ。部外者が生徒と話さないでくれよ。ほら、ついでに僕たちの同行者の候補になりそうな者の資料持ってきたよ。僕の部屋で候補者を早く選ぼう。日が暮れてしまう」
シルフィ教官が羊皮紙の束を抱えて戻ってきた。一度教官室に置かれていたのを見たことがある。あれは聖アイネスの兵士たちの詳細な情報が書き込まれているものだ。そんなものを持ち出して一体何の話があるというのか。
「ああ、シルフィ。ご苦労さん。だが今連れていくやつを決めちまった」
ニヤリと笑い、僕とセライラの首根っこを捕まえて
「あの時を思い出すメンツだ。これ以上ない適任だと思うぞ」
シルフィ先生は羊皮紙の束を落として呆気にとられている。驚いているのか、シルフィ教官の細い目が開いている。
一体何のことなのか理解できていない僕とセライラは、ただお互いの顔を見合わせては首を横に振るだけだった。
明日にはまた更新をする予定です。