第22話 火種
雨の音は好きでございます。
僕たちがみんなに追いついた時には全てが終わっていた。
建物の最上階、ギルド統括官の執務室は重苦しい空気で満たされている。
「ライヴィス、どうして何も言わないんだ」
シルフィさんの声に余裕は無い。
「何故あいつをこの場で討てなかった! 答えろライヴィス!」
シルフィさんが感情を表に出すことは殆ど見たことが無い。たった今、怒りという感情をむき出しにしている姿を見て、僕もセライラも足が竦む。
誰も言葉を発しない。発することができない。さっきまであちらこちらで響いていた、怒号と金属のぶつかり合う嫌な甲高い音は既に消え去り、取り戻された静寂の中で響くのは、風に揺れる木々のざわつきだけだ。
執務室の中は何もかもが綺麗なままで、ここで戦闘が起こった様子は感じられない。
ライヴィスさんとシルフィさんが怪我をした様子はないが、視界の端に映り込んだ影を見やると、壁にもたれかかって痛みに耐えているランスリッドさんがいた。全身に応急処置を施してはいるものの、身体中が血で赤く彩られていた。
彼女をこれ程までに手負いにする人間がいることに、僕は純粋に恐怖を覚えた。
もしも僕が先の戦争に参加していたならば、生き残ることなどできなかったはずだ。
あの戦争の最前線を生きのびてきた人間が目の前に三人もいる。あらためて、僕は何故ここに居るのだろうかと考えてしまう。
「何も言い訳ができねえ」
静寂はライヴィスさんによって破られた。
「あいつの息の根を止められなかったことは事実だからな」
苦虫を噛み潰した表情を浮かべながら、ライヴィスさんが言葉を吐き出す。
「釈明の余地がねえ。俺のミスだ」
三人で話が進んでゆく。僕とセライラは置いてけぼりだ。
ライヴィスさんの言葉を聞き、シルフィさんは一度舌打ちをして空を仰いだ。
その場の雰囲気に呑まれてしまい、僕もセライラもただ視線を泳がせる事しかできなかった。
そんな僕たちに気付いたのか、少し落ち着いたシルフィさんが僕たちに話しかける。
「黒翼の七騎士、それはキミ達に教えた通りだ。だが表面だけしか伝えていない。黒翼の七騎士がどれほどの実力なのかは、この二人を見ていたらわかるだろう?」
僕は無言で頷く。ライヴィスさんは外を眺めたまま、何も言わない。
「七騎士のうち、生き残りは五人、そのうちの二人は言わずもがな。他に生き残っているのが、『曲芸師、リサ・バーキン』、『魔弓、ロロネスト・ガゼル』、そして……」
「『悪夢、ヴァン・ドレイク』」
無言を貫いていたランスリッドさんが呟く。
ヴァン・ドレイクという、その名を。
――黒翼の七騎士――
大陸に住む人間ならば誰もが知っている最強の部隊。各々が一個大隊を相手にしても勝利を勝ち取ることができると言われているほどの化け物たちだ。
そんな化け物集団の副長として、ヴァン・ドレイクはその身を戦場に躍らせた。
立身出世の欲を持たぬ隊長のことだ、順当にいけば、いずれリデアの軍全体を率いるのは副長であるこの男だろうと誰もが口を同じくした。
だがその男には、異常ともいえる野心と凶暴性があることを誰も知らなかった。
シルフィさんはそこまで話すと、ライヴィスさんに視線を向けた。その視線を受け、ライヴィスさんが話をを引き継ぐ。
「そもそも、黒翼の七騎士に身を置いていた者は皆が望まれた出自ではない。実際、俺もヴァンも孤児だった。そんな子供たちを不憫に思ってくれたのが、先のリデア皇帝ヘルマン閣下だ。皇帝は俺たちに教育と武術を与えてくれた。俺たちが黒翼の七騎士を結成したのは、そんなヘルマン皇帝に恩返しをするためだった」
うっすらと笑みを浮かべながら語るライヴィスさんの姿は、どこか悲しそうに見えた。
その様子に気付いていたのか、いつの間にかランスリッドさんが彼の傍へと移動していた。
「最初はヴァンも皇帝のためにその命を捧げていたのは確かだ。だが、いつしかあいつは変わってしまったんだ……」
シルフィさんは静かに聴き入る。事情を知っているからこそ、彼は言葉を自分の胸の奥に秘めているのだろう。
「ヘルマン皇帝には三人の皇子がいた。二人は優秀だったんだが、その中で何故か第二皇子だけはボンクラでな、皇帝もそいつだけには重要な立場を与えなかった。自分だけ蔑ろにされていたから腐っていたんだろうな。奴はヴァンに近づいた。……そのボンクラに唆されたんだろう、次第にヴァンは富と名声を求めていくようになった。」
外はいつの間にか夕日が傾き、星と月が顔を出し始めていた。
「いつしかヴァンは単独行動が増えていった。それからはすぐだったな。黒翼の七騎士は内部的に崩壊した。統率がとれなくなったんだ。ヴァンが裏で動いていたことに気付かなかった俺のミスだ」
「あの時の私達は必死でした。ヴァンの動きに気付くことができなかったのは隊長の責任ではありません!」
今にも泣きそうな表情でランスリッドさんが否定する。彼女は心底ライヴィスさんを信頼しているのだろう。
「俺は止められなかった。気付いた時には遅かったんだ。ヴァンは、あの野郎は……あろうことかヘルマン皇帝を暗殺した!」
苦しそうにライヴィスさんが叫ぶ。その表情を僕は知っている。あの顔は、あの表情は、親を亡くした子供の顔だ。
昂った感情が落ちつくまでに少しの時間を要した。
「ボンクラ皇子に唆され、閣下を暗殺し、そしてリデアの軍幹部に就任した。立場さえ得てしまえばもう用済みだったんだろう、あいつはボンクラもその手で殺した」
「私達がその事実を知ったのは、丁度アイネスの国境線を突破してすぐだった。私達はその事実を知ってすぐアイネスに寝返ったわ。ヴァンを殺して、ヘルマン皇帝の仇を討つために」
「その後はきみ達に教えた史実通り。アイネスはリデアを打ち破り、今の世界には仮初めの平和が得られたというわけだね」
僕もセライラも言葉が出なかった。語られた内容に衝撃を受けたわけではない、それを語る三人の顔に余裕が無かったからだ。
「リデア本土決戦の時、俺はヴァンを斬り捨てた。ずっと死んだと思っていた。アイネスの教皇を暗殺する計画が練られていると知った時、その絵を描いているのがヴァンだと分かった時には俄かに信じられなかった。……あいつはここで俺を待っていた。あいつに斬りかかったが、仕留めるには至らなかった」
ライヴィスさんは拳を握る。ここで奴を討てなかったのが相当悔しかったのだろう。
ライヴィスさんが僕たちに一枚の紙切れを渡してきた。
「あいつからのメッセージだ」
――憎しみの種は既に撒かれた――
この時、僕たちの誰もが理解した。
もう一度、あの戦争が起きることを。
のんびりお待ちください(土下座