第2話 急報
窓にはちらちらと松明の明かりが揺れている。
既に日付が変わって一刻、城の中はひんやりとした静寂に包まれている。
ときたま衛兵の鎧がカチャリと音を立てるが、それ以外にはフクロウの鳴き声か風の音が部屋を通りぬけていくだけだった。
少し耳を澄ましてみよう。そう思い窓へと近づくと、城門の方から何か大きな声がする。はて、一体何があったというのか。
しばらくすると、石畳を慌ただしく進む足音が僕の部屋に近づいてきた。そして何者かが激しく扉を叩く。
「シルフィ教官! 男が! 仲間が! 僕は……っ!」
扉の向こうの声は卒業試験を受けているはずのマルセロ・ブルクという生徒だろう。
大きく呼吸を乱して叫んでいる。おそらく試験中に何か問題が起き、南の森からこの城まで駆けてきたのだろう。
「そう大声を出さなくても聴こえているよ。少し落ち着くんだ。いいね? マルセロ」
さて、緊急事態だ。とりあえず騎士学校の教員達と教皇には知らせなければいけないか。
扉を開けて部屋の外に出ると、過呼吸を起こして床に倒れ痙攣しているマルセロと、その様子に焦っている衛兵がいた。
無理もない。全力で走り続けたのだろう。呼吸が整うはずもない。
マルセロの装備をすべて外し、僕のベットに寝かせるよう指示を出すと、衛兵は迅速に従ってくれた。
他の衛兵が呼んでいたのか、マルセロを僕のベットへ寝かせると同時に医者が駆け込んできた。
あとは専門家に任せておけばいい。
僕は行動に移る。さて、問題はどんなものか。
兵学校の教官たちはすぐに招集された。
森へ調査に行く者と、大広間でその報告を待ちつつ対応策を練る者に分かれ、それぞれが即座に行動に移っていた。
彼らは優秀な騎士だ。現状の把握と対応は彼らがやってくれるだろう。
ならば、と僕は教皇のもとへと急いだ。
汚れのない赤い絨毯の敷かれた廊下を進み、城の最奥、女神と一角獣の描かれた朱色の大きな扉を開け進む。
その部屋の奥では金色の祭壇が常に荘厳な雰囲気を醸し出している。
僕はその祭壇に座るこの城の主から視線を逸らすことなく眼下へと至り跪く。
「教皇、緊急事態ですのでノックをしなかったことをお許しください」
「シルフィか。話は既に聞いておるよ。……丁度いい、そなたの考えが聞きたいと思っておったところだ」
はて、僕よりも先に教皇に報告を上げた者が?
疑問に思ったと同時に、暗がりに人の気配を感じた。
「久しぶりの再会、酒でも飲みながらと思ってたんだけどな」
暗がりからの声、聴き覚えのある声だ。
一歩、また一歩とキャンドルの明かりのもとへ足音が向かってくる。
その男は
「……ライヴィス!」
「十三年ぶりだな、シルフィ」
十三年前、戦争が終わると同時に僕の前から姿を消した戦友がそこにいた。
教皇の部屋は重苦しい空気が充満しつつあった。
ライヴィスからもたらされる情報によって、不穏な動きが大陸内にあると知る。
「……ってのが俺の知ってる全てです。戦争を再び起こそうとしている奴を斬り捨てるのはすぐだが、さすがに教皇を狙われたとあれば戻らざるを得なかったんでな」
「まさかあの【黒翼の七騎士】の生き残りがのう……」
黒翼の七騎士――その名を聴くだけで僕の手には自然と力が入る。
大陸の東の端にある、大陸一の国土と兵力を誇る軍事国家リデア。かつての戦争を引き起こした当事国だ。
その国において……いや、大陸全土において比類する者無しと言われた、たった七人の騎士だけで編成された部隊。
あの戦争で僕も何度か剣を交えたが、一度も剣が届いたことは無かった。
「しかしライヴィス、なぜ今更あいつらが?」
「そこまではわからん。だが、ここ数年リデアの政治の中枢では再び軍部が勢いを増している。その裏にあいつらがいるのは間違いなさそうだ」
「まだ大陸の覇権なんてものを望むのか。それでいったい何人が死んだと思ってるんだ!」
「俺に怒るなよ」
馬鹿げている、そう思った。
それが顔に出ていたのか、
「あいつらなら戦える理由と場所さえあればそれでいいんだよ」
そう言うと、ライヴィスは教皇へと向き直る。
「とりあえず、リデア国内の軍隊は完全に立ち直ってはいない、それは確かだ。まだ戦力と経済力を求めている、つまり……」
「戦力の【傭兵国家】、経済力の【北部経済新興国連合】が狙われている。そういうことであるか? ライヴィスよ」
教皇は苦々しい顔をしている。エルネリアが落ちれば大陸中央への橋頭保に、アーヴが落ちれば大陸東部の財政はすべてリデアが握ることとなる。そうなれば大陸を二分した戦争が再び起きる可能性が非常に高くなる。大陸東部が優勢な形でだ。
「ライヴィス、きみはどうするつもりなんだい?」
彼の考えは単純だった。
「無論、潰す。あいつらの思うようにさせてたまるか」
大広間から怒号と嗚咽が響くのが聴こえる。おそらく森から全員を回収してきたのだろう。……相当悲惨な状態のようだ。
教皇を狙った暗殺者の遺体も回収され、今は装備や身体特徴などを見分されているだろう。
あと数日で兵士となれたばずの若者たちの遺体を前に教官たちは何を考えているのか、痛いほどによくわかる。思わず奥歯を噛む、割れそうなほどに。
「ライヴィス、そなたがこれを私に伝えた意味……かの黒翼の亡霊たちを止める手立てがあるということか?」
教皇の言葉にライヴィスは冷静に答える。
「手立てなんてものは無い、俺は軍略家じゃないからな。結局俺は剣を振るしかない男だ。俺に出来るのは最前線でリデアを押し返すだけだ」
「……きみも大概脳筋だな」
「褒めるなよシルフィ。まあ、そこまで考え無しじゃねぇ。二国を落とすためにリデアが進軍するなら、必ずエイナー街道を通らなきゃいけねえ。山越えも南方の迂回も現実的じゃないからな。エイナー街道を通るなら籠城するのにうってつけの街があるだろうが」
「ベントリーか」
【城塞都市ベントリー】
かつてリデア領土だった都市が戦争後独立し、城塞を築いてリデアに反抗する最前線の街となってそこにある。
「あの国に入って敵の主力を討つ。それが手っ取り早いだろうよ」
たしかにベントリーはエルネリア、アーヴ、リデアをつなぐエイナー街道の交差路にあたる街だ。
だが、あの街は先の戦争において何度も戦闘が行われ、終戦間際にはどさくさに紛れて貿易利権を狙う国からも侵略されそうになった。
そのため、他国からの軍支援を頑なに拒むほど他国を信頼していない。
そんな国へどうやって兵を送るのか。
僕のその疑問に、ライヴィスはさも当然というように
「軍隊なんて送れる訳が無いだろうが。俺とお前で行くんだよ」
……はい?
そしてライヴィスは要求する。
「教皇、シルフィと何人かの兵士借りますよ」
次話更新も数日以内にできればと思っています。