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聖アイネスの紋章  作者: マリー・ラム
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第19話 鮮血の令嬢(後篇)

朝晩は冷え込みますね。

インフルエンザで学級閉鎖になっているところもあるとか。

体調には気をつけなければなりませんなあ。

 狂気が私を包み込む。

 目の前に立つ者全てを破壊したいという衝動に駆られ、私の意思は段々と殺意に支配されてゆく。

 「あなたに救いを!」

 身体を躍動させる。傷口から鮮血が迸るが、まるで痛みなど感じない。傷口だけがどこかへ消えてしまったかのように、私の動きは何者にも制限されることは無い。

 一撃、二撃、三撃と、私は狂気を掲げて振り回す。

 初めは互角に打ち合っていた妹も、いつしか防戦一方となってゆく。次第に彼女の目からは余裕が消え、憎しみに染まっていたその目にはほんのりと恐怖が浮かび始めた。

 その表情の変化が、私の悦びをどんどん昇華してゆく。

 息つく暇など与えない。ただひたすらに眼前の敵を、妹の血を追い求め続けるだけだ。

 「くっ! 調子に乗るなっ!」

 彼女の細槍が私の脇腹を掠め、新しくできた傷から血が流れてゆく。

 続けざまにナイフが飛んできたが身を軽く反らせて避ける。急所からは外れたものの、ナイフは腕と足を掠めていった。

 急所に飛ばしたはずのナイフを避けられたことに驚いたのか、彼女は私との間合いを大きく取った。

 「なんで避けるのよ!」

 「そう何本も刺さりたくないもの。それにしても見事ね」

 彼女の驚く顔は心底心地良い。快感と言ってもいいかもしれない。

 徐々に表情に浮かんでゆく畏怖、怒り、焦りの表情。これらが私の性感帯を刺激し、思わず絶頂を迎えそうになるほどだ。

 「本当に、見事な曲芸よ。槍の柄でナイフを弾き飛ばして飛び道具にするなんて。殺気を感じなかったのも納得よ。殺気を感じて動く私にとっては嫌な相手ね」

 薄暗い部屋の至る所にナイフが置かれていた。よく見れば気付くものであるが、妹に気を取られて気付かなかったあたり、私は前よりも遥かに弱くなったのだろう。

 しかし、あの攻撃はなかなかに効いた。槍とナイフでゴルフをしているようなものだが、動く相手に当ててくるのだから素晴らしい。素直に褒めてあげましょう。

 

 「だったら避けられないようにするだけよ!」

 彼女は一気に彼我の距離を詰め、横薙ぎに槍を振るう。

 ――遅すぎる――

 修羅場を経験してきたにしては、彼女の一撃は遅すぎるのだ。かつての戦争のときであれば、このレベルなら何人も相手にしてきた。

 彼女が槍を振り抜いたと同時に、数本のナイフが飛来する。急所だけ守り、避けられないものは放っておいた。私の肩に何本目かのナイフが刺さるが、死なない攻撃であれば、そんな事どうでもいい。

 私の口から溜息が漏れる。

 「もういい、飽きたわ」

 私の言葉にルナリアは激昂する。

 奇声を発しながら、一心不乱に槍を振るう。がむしゃらに、それでいて確実に致命傷を与えようとする攻撃が迫る。

 彼女の槍によって打ち出されるナイフが私の身体を掠めてゆく。

 私にはそれが彼女の断末魔のように見えた。見ていられない。こんなものだったのか。


 ――私が愛した妹はこの程度の小物だったのか――


 彼女の攻撃に合わせて槍を振る。

 たった二回、それだけで彼女の手から武器が離れる。私は彼女の細槍を窓際へと払い飛ばした。

 「……ちくしょうっ!」

 自身の手から武器が離れたことに驚き、己の手を見て、彼女は痛みと敗北を知覚する。

 「上手く力が入らないでしょう?」

 蹲る彼女を見下しながら問いかける。

 彼女の両手からは、薬指だけが失われていた。

 床に転がった薬指を一本踏み潰す。ルナリアに見せつけるように、徹底的に。

 「流石ね、お姉さまは。武器も奪われ、ナイフも身近に無い。今の私は何もできないのだから殺せばいいじゃない」

 もはや抗うことも叶わぬと理解したのか、彼女は自身の首をさらけ出す。

 彼女の首に槍の刃先をそっとあてがう。このまま一押しすれば確実に彼女の命を絶つことができる。

 だから、私は槍の向きを反対に持ち替え、一気に振り抜いた。

 「残念、貴女は死ねないわ」

 潰れたカエルのような声を出して、彼女は床に叩きつけられる。

 槍を床に刺し、私はルナリアに跨った。

 「私はもう黒翼の七騎士ではないの。どこにも属さぬ流れ者」

 素手で彼女を殴りつける。その度に彼女の口からは苦悶に満ちた声が奏でられる

 「もし所属があるとすれば……聖アイネスかしら。こんな私でも【不殺】の教義には惹かれる何かがあるもの」

 頭を守る彼女の腕を叩き折る。激痛で彼女は床をのたうちまわる。

 「アイネスの教義に賛同するからこそ、貴女の武装解除を優先した。賛同するからこそ、貴女には運が無い。だって……」


 ――死ななきゃ何やってもいいんでしょう?――


 彼女の身体めがけて、何度も何度も拳を叩きつける。骨の折れる感触が伝わり、彼女の呼吸が細くなる。

 無理やり起き上がらせ、倒れることができないように私は息の続く限り彼女を殴り続けた。

 仕上げに顔を蹴飛ばすと、受け身も取れずに仰向けに倒れる。もはや目に光は無い。

 人間というものは、天国のような状況で呆気なく死に、地獄のような状況ではなかなか死ねないものだ。

 彼女を見やる。か細い息を頼りに生きる『妹』が転がっている。

 ふと外を眺めると、この建物の様子を窺う敵兵が見えた。おチビちゃん(クーパー)の部下ではない。纏う雰囲気からしてリデアの手の者だろう。それは丁度いい。

 私は妹の髪を掴み、窓際まで引きずる。既に抵抗は無い。

 腕にかかる重さに、妹もこんなに大きくなったのね、と少し感傷的になってしまう。

 窓から外を確認する。この程度ならおそらく大丈夫だろう。

 「せー……のっ!」


 私はルナリアを力任せに放り投げた。

 ガラス窓を突き破り、彼女の身が空に踊る。ほんの一瞬の後、彼女の体は地面と再会する。受け身は取れなかったのだろう、不自然な体勢のままルナリアは動かない。

 こちらの様子を窺っていた敵兵が慌てて駆け寄ると、妹を抱えて脇目も振らずに引き返してゆく。

 敵兵たちの姿が見えなくなったところで、私は窓の外から目を逸らした。

 手の甲に水滴が当たる。

 私は泣いていた。何故だか涙が止まらなかった。

 本当に弱くなった、誰にも届かない言葉が虚空に消える。私は壁に寄りかかり、床に残された妹の細槍を抱きしめた。

仕事の都合によりけりですが、次も早めに更新したいと思います。

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