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聖アイネスの紋章  作者: マリー・ラム
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第11話 帰還

本当は昨日更新する予定だったのです。

 グローデンの街中へ向かう。私と彼女の間には会話が生まれず無言の時間が続く。意識を取り戻してから時間は経っているが、私の身体の痛みは全く引いてくれない。

 前を歩く女性を見る。黒色のドレスを身に纏い、優雅に歩く姿にはどこか気品が漂っており思わず目を奪われる。 

 ほんのりと褐色の入った肌に黒色の艶やかな髪。すらりと伸びた肢体に整った顔。その女性の姿を一見しただけではどこかの貴族の令嬢と思うかもしれない。

 だが、彼女は違う。

 ランスリッド・ディラルド・ハーン。元黒翼の七騎士の1人であり、先の戦争末期にはリデアを裏切って聖アイネス側に立ち戦ったそうだ。

 私の命の恩人とはいえ信用はできない。なんせリデアの、しかも黒翼の七騎士だった人間を信用など出来るものか。

 その背中を睨みつける。嫌な感情が湧き上がるのを感じる。聖アイネスの騎士として好ましくない感情だ。自分自身の感情を抑えられないことに、私は自分の未熟さを改めて感じてしまう。

 不意に剣に手が触れる。背後からならば、と一瞬考えたが首を横に振ってその思いを消し去る。騎士としての尊厳に背く行為をしてしまえば、私は二度とお姉さまに顔向けできない。

 「私を殺したい?」

 不意に前方を歩く彼女が問いかける。その質問の意味を理解するまでにそう時間はかからない。

 「……当然です。いくらあなたかリデアを裏切り、アイネスの騎士として終戦を迎えたとはいえ、あなたは私たちの仲間を何人殺したのですか? その罪は赦されるべきではない。……私はそう思います」

 彼女の表情は見えない。しかし、彼女の背中からその感情が伝わる。

「……谷を抜け、街に出たら私を仲間に引き渡しなさい。罪を裁かれる覚悟はあるわ」

 その言葉には偽りを感じない。本当に死ぬ気だ。

 それなのにあなたはどうして……。

 どうしてそんなに素敵に笑っていられるのか。


 私たちを囲む崖は次第に高さを失ってゆく。

 うっすらと空に夜が広がりはじめた頃、遠目に街の灯が浮かんできた。

 実際にその存在をこの目に映すと同時に、私は今自分が確かに生きている事を実感した。光り続ける街灯に、思わず自分の命を重ねてしまう。生きていることにこれほど感動する日が来るとは思わなかった。死にかけるのは二度と御免だけど、いい経験だったかもしれない。今は曖昧だけれどそう思う。

 ランスリッドと一緒に行動することで気が張り詰めていたのだが、生の実感に思わず肩の力が抜ける。

 「もうすぐ着くわ。貴女のお仲間もいるはずよ」

 彼女は相変わらずにこやかに私に話しかける。だがその実は、確固たる覚悟を持った声だった。

 力強く、それでいて私を労わるような優しい足取りで彼女は進む。

 自らの過去を、自らの死で清算するために。


 街が近付くにつれ、彼女とは対照的に私の足は歩を遅めていく。

 私は本当に彼女を引き渡してもいいのだろうか。纏まらない思考が頭を埋めてゆき、答えが出ないことに苛立ち過ぎて軽く吐き気すら覚える。

 彼女は仲間を何人も殺した罪人だ。しかし彼女は私の命の恩人でもある。

 反リデアの立場であれば、彼女は間違いなく殺すべきだ。

 しかし、それは人としてどうなのか。お姉さまならどうするだろうか。

 それを決めるために、私は口を開く。

 「あなたから見た姉は……あなたにとっての姉はどんな存在でしたか?」

 彼女は覚悟という歩みを止めない。

 だが、彼女の纏う空気は悲しみを含むものへと変化していく。

 「そうね……アイネスを背負うワルキューレ、そんなものは民衆向けに作られた飾り物の印象ね。本当のアメリアは、どこにでもいる、本当にどこにでもいるただの女の子だったわ」

 残酷なことを聞くのね、と彼女は笑う。

 街は少しづつ近付き、やがて衛兵の守る関所を前にする。

 眠たそうな衛兵は、欠伸を噛み殺しながら私たちの手形など特に見ることなく街の中へ通す。

 「警備がザルね。これじゃあ簡単に攻め落とせてしまうわ」

 彼女の軽口は洒落にならない。おそらく彼女なら実際に攻め落とすことは可能だろう。黒翼の紋を戴いたほどの人なのだから。


 街の宿場街へ着々と進む。

 夜も更けてきてはいるが、煌々と灯る街灯の明かりは今も旅人を引きつける。

 「もう、一人で大丈夫です。あなたはここから立ち去ってください」

 彼女には死んでほしくない、ふとそう思った。

 彼女は足を止め、こちらを振り向く。

 その顔は、髪の毛に半分以上隠され表情を伺うことはできない。

 「……私はあなたに死んでほしくないです」

 お姉さまのことを、ただの女の子と言い切るあなたには。

 彼女は何か言おうと口を開く。だがその言葉は空へと出て行くことはなかった。


 ――ランスリッド!――


 言葉の先には、シルフィさんが立っていた。

 私はとっさに彼女の前に立ち叫ぶ。

 「違う! 人違いだ!」

 聖アイネスの人間に見られてはいけないという焦りから、私は礼節も欠いてしまっていた。

 だがシルフィさんにはその声は届いていない。

 切れ長の細い目が見開かれている。

 その顔は、驚きや怒りや喜び、計り知れないほどの感情が詰め込まれている。

 「驚いたわ。あなたのお仲間がシルフィだったなんて」

 「ランスリッド! 今までどこにいたんだ!」

 シルフィさんが一歩詰め寄ると、ランスリッドさんも一歩下がる。

 「来ないで。私には戻る理由が無いの」

 「理由があればもう一度エーデリアに戻ってくれるのかい?」

 エーデリアに戻る?

 その言葉の意味がいまいち飲み込めていない中、視界の端にマルセロの姿が見えた。そちらに視線をやると、私を見て今にも泣きそうな顔で私に笑いかけてくれていた。心配を掛けてしまった罪悪感と、私のために涙を浮かべてくれたことへの喜びが込み上げてくる。

 「とにかく、セライラ無事でよかった」

 シルフィさんはランスリッドさんから視線を外すことなく私に話しかける。

 「きみがセライラを助けてくれたのか?」

 「偶然ね」

 「偶然かもしれないけれどね、ランスリッド。きみが助けたのはアメリアの妹だということは紛れもない事実だ。女神さまが引き合わせてくれたに違いないとは思わないか?」

 シルフィさんの言葉に彼女は苦笑いを浮かべる。

 「しばらく見ないうちにロマンチストにでもなったのかしら? 残念だけれど、そんな言葉で私は口説き落とせないわね」

 「最近は運命ってやつを信じたくなる出会いがあったからね」

 「そう。それは素敵ね」

 そう言うとランスリッドさんは今来た道を戻るために振り返る。

 「待って!」

 私は彼女を呼び止める。彼女は私を一度振り返ったが、柔らかな、どこか諦めたような笑顔を見せると、また進み始めてしまった。

 その道の先にある人影に気付かずに。


 月明かりは運命を照らす。

 行く先の人影を視界に捉えた彼女は息を呑んだ。

 彼女は全ての動きを止め、そして彼女はか細く声を上げる。

 「隊長……?」


 月明かりが照らす。

 ライヴィス・クロノス、その人を。

次回も1週間以内に更新します。

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