第1話 月夜の森の中で
僕たちは森の中を歩く。月明かりが途切れ途切れに差し込む中で、五本の松明が僕たちを煌々と照らす。
「こんなのが最終試験でいいのかねー?」
「まあ、楽に終わるんだから別にいいじゃないか」
列の後ろからはそのような呑気な会話が聴こえてくる。
確かにその通り、簡単すぎるのだ。
森の中を、決められたルートで歩くだけの試験であり、既に僕たちの前に何組かが試験を終えて帰還している。その者たちの話では、動物一匹すら物音を立てないほど退屈な時間だったそうだ。
ここにいる者は兵士になるための学校に通い、厳しい訓練を受けてきたはずである。その目的の全てはこの国や家族達を守るためだ。
だが、最終試験の実地試験とは名ばかりで、夜の森の哨戒任務という名の散歩をしているだけなのだ。
僕にはそれがどうにも納得できない。
ほんの十数年前、多くの国を巻き込んだ戦争があった。大陸の中心部及び東部を主戦場とし、滅亡した国や、未だに立ち直れていない国が多く残っている。
それほどの戦争でありながら、この国は、僕たちの生きる聖アイネスは殆どと言っていいほど被害が少なかった。
もちろん千人単位で兵士の死傷者は出たが、そんな事を感じさせないほどこの国は平和の空気を醸し出している。
領内で大規模な戦闘が起きなかったこと、戦争の終盤に参戦したこと、そしてなによりも憎しみとは愚かな感情であると謳う【女神教】を信仰する国家だったからだろう。戦争に対する悲しみや危機感は長く持たなかった。
僕の父親は戦争で猛々しく闘い、そして死んだ。その話を聴いて育った僕は、この国の、そんな空気がどうも苦手だった。
「ボーっとしてんなよ? マルセロよう」
いきなり脇腹を小突かれ、我に返って前を見る。僕たちの班の隊長、ビクトル・ロッソがにやっと笑いかけていた。
「ごめんよビクトル、気を付ける」
「お前は、お前の親父さんだけ目指してりゃいんだ。気にすんな」
後ろの安気な会話に僕が嫌な気持ちを抱いていたのを察したようで、それとなく励ましてくれたのだろう。
貴族出身者からなる騎士候補生のなかでロッソほど平民と分け隔てなく接するやつはいない。いい奴だ、と素直に思う。
「俺が騎士になったらマルセロ、お前を特別に騎士に推薦してやるからさ」
貴族特有の根拠のない自信以外は。
散歩も終盤に差し掛かった頃、空気が変わった。近くに狼でもいるのだろうか、少し張り詰めた感覚に囚われる。それまで楽だ楽だと適当に歩いていた後ろの三人も大人しい。
「止まれ……っ!」
ビクトルが囁き、松明を消した。後続の僕たちもそれに続く。
茂みに隠れて目を細める。視線の先の茂みが不自然に揺れている。
暗さに目が慣れていく。
不審な影は三つ、僕たちに背を向けて街の方向へと歩いている。帯剣しているのか、左の脇腹に少しの膨らみが見てとれた。
「どうする? 教官たちに伝えに行くか?」
ビクトルに尋ねる。
正直そうしたい。相手の戦闘力が見えない以上リスクを冒すのは得策ではないし、ビクトルもそれは重々承知しているはずだ。そう思っていたのだが、
「……俺たちだけでやろう」
「待てよビクトル、相手が何者か分からないんだぞ!」
「相手は三人、俺たちは五人だ。厳しい訓練を耐えたんだ……いけるさ」
ビクトルの目を見る。その目には焦りと、それを飲みこんで大きくなりつつある欲望が見えた。
「ここであいつらを捕らえれば大金星だ。相当の褒美と名声が得られるはずだ」
そうか、それもそうだ、と後ろの三人が流されてゆく。
危険すぎる。しかしもう彼らは止まらない。剣を抜き、そして一気に不審な影をとり囲む。
「動くなっ! 大人しくすれば危害は加えない!」
四人が飛び出してしまった以上、僕だけが隠れているというわけにもいかない。
嫌な予感が背筋を這い、次第に首筋に纏わりつき、不愉快な空気によって肺が揺れる。
間違いなく悪手であると思いながら、僕も剣を抜いて相手と対峙した。
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五対三、数の上では勝っていた。
数の上では、というだけだ。
「無駄に命を散らすことが勇敢ではないだろうに」
相手の中の一人がため息交じりに呟く。
僕たちが彼らを取り囲んだのと同時に彼らは剣を抜き、一瞬のうちに三人が殺された。
……本当に一瞬だった。剣を抜いた彼らは、僕の仲間の首を一太刀で切り飛ばしたのだ。
「隊長ならばもっと状況を見るべきだったな。いい経験になったろう。……まあ、その経験が活きることはないだろうが」
男の視線の先には、木の根元にもたれかかり、虚ろな目で浅い呼吸を繰り返すビクトルの姿があった。
右腕と左足を失い、生きていることが奇跡のような出血量であった。
「お前たち程度の気配に気付けない我々ではないさ。この国の兵士の熟練度を見ようと思い、わざと君たちに姿を見せたが……騎士候補生がこの程度ならば我々の計画の障害は無いに等しい」
男はこちらを振り向く。そして僕をまっすぐ見据え、
「抵抗しなければ一瞬で首を落としてやろう。だが、もしも闘うというのなら苦しみを味わうかもしれない。さあ、どうするかい?」
三人から剣を向けられる。
僕は確実に死ぬだろう。どうやっても彼らには勝てない。
だが僕は勇敢な兵士になるために生きてきたのだ。死ぬと分かっていても退くことはできない。
剣を構え直しリーダー格の男に向ける。せめて一太刀。
「……可能性を秘めた若者の芽を摘むのは悲しいものだ。だが、死んでもらおう」
正面に立つ男が僕に向け剣を振るう。
無我夢中だった。
僕の右側からきた横薙ぎの一閃を受け止め、その反動を利用して左側に転がる。それを見て、左側にいた男は転がる僕に向け剣を突き出した。
死にたくないという一心で、僕は地面に剣を刺し、転がる勢いを無理に抑え込む。
もう一回転していれば、左側の男の剣は僕の喉を貫いていたかもしれない。
だが、その剣は何もない地面に突き刺さる。
避けられると思っていなかったのだろう。男は慌てて剣を地面から引き抜こうとするが、木の根に刺さってしまったのか、剣は抜ける気配が無い。
「うわああああああああああああああああああああああ!」
一気に起き上がる。その勢いを利用しがむしゃらに横薙ぎの剣を振ると、左側にいた男の胴体の深いところを斬り進み、背骨に当たったのか、剣の半分はそこで折れたが構わず振り抜いた。
「窮鼠猫を噛む……か」
彼らの一人を倒してしまった。
生き延びてしまった。
折れた剣を構える。
人を斬る感覚、骨を砕く感覚、人の命を刈りとった感覚が僕の脳を、腕を、呼吸を麻痺させる。
「人を斬ったことのない若者にやられるとは思ってもみなかった。我々には油断と慢心があったのかもしれないな」
完全な殺意、今まで感じたことのない雰囲気に吐きそうになる。
運だけで一人を殺し、生き延びた。
そしてそれは二度と通じないことを理解している。
「もうまぐれは通用しない。さあ、死んでもらおう」
リーダー格の男が剣を構え、僕めがけて駆け出す。
身体がうまく動かない。
男はあと数歩のうちに必殺の間合いに入るだろう。
ああ僕は死ぬのだ。確信だ。せめて死ぬなら、最期まで勇気を掲げて逝こう。僕は振るうことのできない、折れた剣を構え直した。
「させねえよ」
ドガッという鈍い音が響く。
目を開いていたはずなのに状況が見えない。
僕を貫くはずだった剣は僕の背後の木に刺さり、僕を殺そうとした男は謎の影に蹴り飛ばされていた。
「血の匂いがしたから来てみりゃ……派手に殺されてやがる」
「アイネスの正騎士……ではないか。一体何者だ」
予備の剣を抜き、敵は現れた男と対峙する。
「ま、アイネス側に肩入れしているからお前らの敵ではあるんだがな。お前らの教皇暗殺計画を邪魔しに来た。お前に勝ち目は無いから帰れ」
何を、と敵のリーダーが言うと同じくして、残っていたもう一人が膝から崩れ落ちた。既に死んでいる。
「こういうことだが……どうだ?」
「くっ! 舐めるな!」
敵が飛びかかる。
「阿呆が……」
たった一合、勝負は一瞬。
敵の右腕が宙を舞い、苦悶の叫びが闇に響いた。
思考が追いつかない。
僕たちをあっさりと殺した男たちが、目の前の得体の知れない男に手も足も出ずに排除された。
腕を斬り落とされた男は既に逃走し、森には再び静寂が訪れる。
血と臓物の匂いに包まれながら、ゆっくりと周囲を見渡す。
僕を助けてくれた男は瀕死のビクトルの腕と足を紐で縛り止血する。
その様子をぼんやりと眺める。まるで夢のような気持ちだ。もしかするとこれは夢なのかもしれない。いや間違いない、これは夢なんだ。僕は現実に戻るために目を閉じた。
「起きろ馬鹿」
僕の頬に鋭い痛みが走る。強制的に現実に引き戻され、改めてその場に漂う酷い匂いに吐き気がこみ上げてしまう。
「お前……急いで城に戻れ。この事を伝えろ、シルフィ・エルスにだ」
僕はふらふらと城へ歩き出す。
「走れ馬鹿!」
怒鳴られケツを蹴り上げられ、鈍い痛みが僕を襲う。その痛みから逃れるように、僕は全力で城へと駆け出した。
自分でも小説を書いてみたいと思い、ここで初めて投稿しました。
途中までは過去に別サイトのブログにて公開していた物の書き直しとなります。
拙い文章ですがよろしくお願いします。
仕事の都合で不定期の更新になると思いますが、完結まで頑張ります。