六
授業を終え、寮へ戻ろとしていたマリーフェザーは、声をかけられて足を止めた。
「マ、マリーフェザーさん…いや、様か。えっと、ちょっといいですか」
ドゥオリクの同室者である少年が困ったように短髪を片手でかきながら立っていた。
「どうしましたの?」
貴族に対して気後れしているのか、ドゥオリクとは違って、彼はマリーフェザーとあまり喋りたがらない。だから、呼び止められたことが心底不思議だった。
なにか用でもあるのだろうかと小首をかしげると、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。
「えっと…頼れる貴族って思ったら、マリーフェザー様がパッと思い浮かんで……ドゥオリクに言うと断られそうだし…迷惑かけるなって……でも、どうしたらいいかわかんなくてさ」
「フィーでいいですわよ。それで、なにを思い悩んでいらっしゃるの? お力になれることでしたら、喜んで」
「いやいやいやいや、オレはマリーフェザー様でっ! ドゥオリクに怒られるっ……て、ほんとか!? やった、アイツも喜ぶ」
幼さ残る精悍な顔に喜色を浮かべた彼は、マリーフェザーの手を取ると走り出した。
「オレについてきてください」
一応、マリーフェザーの立場をわかているのか、人気のないところを選んで進んでくれているようだ。
マリーフェザーは足がもつれないようにするので精一杯で、周囲にまで気を配ることはできなかった。身体能力に優れているだけあって、足が速い。
くるくる回る視界がようやく止まったのは、空き部屋に着いたときだった。
「ちょっとあんた、なにやってんのよーっ!」
荒くなった息を整えるように左手で胸を抑えたマリーフェザーは、怒り狂う少女の声を耳に入れて、目を見開いた。
「ここでは、お貴族サマの決まりごとがあるって何回言えばっ。この脳筋ヤローっ。だからアタシらが、馬鹿にされるんでしょ!」
「ちょっ、なに、怒ってんだよ。せっかく連れてきてやったっていうのにっ」
「連れてきてくれたのはありがたいわよ。けどね、そのやり方が問題だっていうの! ああ、もうっ。黄金階級だし、アノ噂の人だし……ほんと、どうしてくれんの。つか、さっさと手を離せっ」
「え…? う、うわっ、わりぃ」
少年は今気づいたようにパッと手を離すと、顔を赤くした。
そして、なにやら感動したように、つないでいた方の手を握ったり離したりして、じっと見つめた。
「ふわふわで、ちっさくて…オレの知ってる子のとは全然ちが……うぐっ」
「イヤラシイ目で見るな、この変態がっ」
どかっと少年の腹を容赦なく蹴り飛ばした少女は、こほんと空咳をすると、マリーフェザーに向き直った。
「あの……なんかすみません。アイツが暴走しちゃったみたいで……って、あ、アタシから声かけちゃダメなんだっけ。うわっ、なんか、ややこしくてめんどくさっ」
「いいえ、気にしないでちょうだい。私とあなたは、同じ学園で学ぶ者。公式の場でなければ、一生徒として在るべきだと思うのですわ」
口元に柔らかな笑みをたたえると、少女がぽかんとしたように口を開けた。
そして、顔をしかめて、豊かな赤茶の髪をがしりと掻いた。
「んーー。変な人……あ、見た目もアレだけど、中身も特殊だった。でも、まぁ、アタシにはありがたいかも。礼儀作法とか苦手だし。ええと、アタシは、フェリエット・ヴァン・ヴァザード。フェリエットって呼んで」
ヴァザードといえば、近頃業績を伸ばしている商家だ。
主に、商売相手は、中流階級の貴族から平民で、公爵家とは関わりないためマリーフェザーも詳しくはない。けれど、ギルドと組んで珍しい品を優先的に手に入れているらしく、上流階級の貴族からも声がかかるようになったらしい。
「私は……」
「知ってる。有名人だし。……珍しい仮面。呪いが込められてそう」
「……ええ、そうね……ある意味そうかもしれないわ」
価値を調べているのだろうか、目を眇め、じぃっと見つめてくるその奥に、嫌悪はない。
(普通に接してくれるのが……こんなに嬉しいなんて)
少し口は悪いが、そこに悪意はない。
きっと、家族に愛されて育ったからこそ、まっすぐな心根を持っているのかもしれない。
(ちょっと、眩しいかしら)
幼い頃より王妃になるべく育てられたマリーフェザーの傍にいたのは、父でも母でもない。
各分野に優れた教師たちと、乳母…そして、年の離れた兄だけだった。
両親に代わって、兄や乳母が愛情を注いでくれたから、それを不服には思っていない。
けれど、仮面をつけるようになって彼らとも壁ができてしまった……。
(私の価値は、なんなのかしらね)
家族ではなく、未来の王妃として大切にしてくれていたのなら、悲しい。
今の自分も、自分なのだ。
この姿も愛して欲しいと思うのは、おこがましいのだろうか。
「あなたは、この仮面が怖くないの?」
「怖い? んーー。ちょっと不気味だけど、平気かな。っていうか、それ売ったらいくらに……」
「はいはい、待った、待った! いいか、ここにいるのは、未来の王妃なんだからなっ、ちょっとはわきまえろよ」
強烈な一撃を食らって床に沈んでいた少年は、腹を抑えながらマリーフェザーの前に立った。
「ふんっ、なにさ、偉そうに。婚約者でもないのに手を握って走るバカに言われたくないわ。あんた、王子サマに殺されるわよ」
「はぁ!? なんだよ、それ」
「そのまんま。ってか、本題忘れてた」
フェリエットは、近くの椅子をマリーフェザーに勧めると、向かいに自分も腰掛けた。
「ええっと、マリーフェザー先輩」
「フィーでいいですわ」
「あ、それはちょっと……嫉妬深いヤツラが…まぁ、それは置いといて。まさかこんな大物が来るとは思わなかったから、アタシもどうしようって感じなんだけど、まぁ、貴族サマに知り合いなんていなかったから、カイザに頼んじゃったのよね。……ほんと、しくじった。ここんところの状況考えればわかったのに。カイザの貴族サマの知り合いといえば、マリーフェザー先輩だけよねぇ。あ、もうひとりいたか」
「あなたなら、伝手があるでしょうに」
「んーー」
フェリエットは、むーっと眉を寄せた。
喜怒哀楽がはっきりしていて、コロコロ変わる表情は見飽きない。
(ティアさんとはまた違った愛らしさですわね)
ティアは、妖精のような可憐さだが、フェリエットは子犬みたいな可愛らしさだ。背は、マリーフェザーより少し低いが、輝くような明るさのせいが、小さく見えない。
頭の上で大きく結んだ髪が、尻尾のように揺れている様は、微笑ましい。
「マリーフェザー先輩って、一学年の時に、お茶会を開いたことあります?」
「ああ……もう、その季節なのね。私は残念ながら、用事があって家に戻っていたの」
「そう、ですか。じゃあ、あんまり知らないか」
「もしかして、女主人に選ばれたのかしら?」
フェリエットは、不服そうに唇を尖らせながら頷いた。
本来なら、女主人に選ばれることは、大変、名誉なことだ。
行儀作法のおさらいとして、無作為に選ばれた八人の女生徒が、その実力を発揮する場である。もちろん、女主人との手腕はもちろん、招待された側もマナーができていなければ減点対象だ。
そこで女主人が最良を取ることができれば、招待された人たちも加点される。
つまり、年度の成績にも関わってくるのだ。
「アタシは行儀作法とか、適当だったし……まぁ、それはどうでもいいんだけど、問題は、女主人の中に、灰色階級の子が含まれたってこと」
「え…っ」
それはあり得ないことだった。
灰色階級も行儀作法を習うことはあるが、女主人に選ばれることはない。
なぜならば、貴族に嫁ぐことはないことを想定しているからだ。
そのため、教わるのは、侍女としての立ち居振る舞いであって、令嬢としての作法は知らないはず。
「アタシも自分のことで手一杯だし、だから、その子のこと助けてほしくて、カイザに頼んだんだ。だれか貴族サマ紹介してって。無駄にカイザって顔が広いし」
「無駄って言うな!」
少年が突っ込むが、フェリエットは鼻で笑った。
仲のいい様子に、くすりと笑みが溢れる。
打てば響くようなやり取りがどこか心地いい。
(他の階級は、こんなに楽しい方ばかりなのかしら)
黄金階級であるマリーフェザーは、食堂以外で、赤銅階級や灰色階級の生徒を目にすることがない。彼らは常に、居心地悪そうに小さくなっていたから、こんなに生き生きとした話し方をするとは思わなかったのだ。
上辺だけの上品な会話ではなく、率直に意見を言い合えるなんて、なんて素晴らしいのだろうか。
(彼らの在り方に、学ぶところは多くあるのに、なぜ学園はよしとしないのかしら)
階級を作るのならば、貴族だけの学び舎にすればよかったのだ。
「……私でよければお手伝いするけれど、」
そこでちょっと困ったように小首を傾げた。
「私でいいのかしら? 私がそばにいると、人が集まらないのではない?」
お茶会には、招待客の数も加点対象となる。
多ければ多いほど、お茶会は注目度が高いとされるのだ。
「失敗するよりはいいかと」
フェリエットはにやりと笑った。
どこまでも正直な子である。




