sideドゥオリク
「うちの子は天才だ!」
王立フェゼリア学園に入学が決まったとき、だれよりも喜んでくれたのは父だった。
貧しい農村部では、満足に勉強できる環境はなかったが、週に一度、教会が有志で勉強を教えてくれていた。
もちろん、その日食べるものにも欠く有様の村民の子どもたちが、一日とはいえ、勉強で潰せる時間はない。そんな時間があったら、畑を耕したり、森へ山菜を採りに行っただろう。
けれど、神の使いである彼らは、それを許してくれなかった。
「今のあなたたちには、必要のない知識でしょう。けれど、大きくなったときに、これは役立つ知識なのです」
口を酸っぱくして言われたが、参加率はよくなかった。
将来のことよりも、今が大事だったからだ。
それを憂えてか、勉強会に参加したら、昼食が振る舞われるようになった。
そしたら、参加率がぐんと伸びた。
おいしいご飯目当てに、小さな教会には子どもたちが押しかけて、ぎゅうぎゅう詰めになった。
「なんで無償でこんなことするの? なんの得にもならないだろ」
ドゥオリクが怪しみながらそう問いかけると、神の使いである彼は、朗らかに笑った。
「そうですね。私も最初はそう思ったんですよ」
秘密を明かすように続けた。
「でも、さる公爵家の姫君が、国王陛下に掛け合ってくださったようですよ。教育は、すべての者に受ける権利がある、と」
「え……」
「面白い姫君ですよね。まだ九歳だというのに、とても聡明な方です。王太子殿下とのご婚約も正式に決まったようですし、下々にも目をかけてくださる将来の王妃様がいらっしゃれば、この国は安泰ですね。これもすべて、アンバジャール神のお導きでしょう」
「公爵家の姫君……」
「妖精姫と呼ばれるほどの可憐な姫君ですよ。秘されているので、公の場には姿を現さないそうですが、噂では、まるで寓話から飛び出したかのような浮世離れした容姿をお持ちとか」
優しく、聡明で、見目麗しい姫君。
ドゥオリクの胸は甘く高鳴った。
王都から遠く離れた辺境の地では、決して見ることも、声を交わすことも許されない存在。
けれど、無性に会ってみたいと思ってしまった。
学ぶことの楽しさを教えてくれた彼女に。
学べる場を与えてくれた彼女に。
どうしたら会えるのだろうかと模索するドゥオリクに、神の使いは、一筋の光を示してくれた。
14歳から17歳まで、王侯貴族は、王立フェゼリア学園で勉学に励むのだという。
そして、平民であっても、才能があれば、通うこともできるのだという。
「君なら、選ばれるだろうね。私達の教えを難なく理解し、すでに必要とすべき科目をすべて習得してしまった君ならば」
そして、その言葉どおり、ドゥオリクはすべての科目で最良を叩き出し、首席として入学を許可された。
「なぁ、その野暮ったい髪型、どうにかなんないの?」
同室者の少年は、ドゥオリクと同じく平民の出だった。
運動神経の良さを買われたらしい。
二年間、灰色階級で勉強したあと、騎士科に移動し、将来は騎士団に配属されることが決まっている。
かくいうドゥオリクも、卒業後には官僚の道に進むことが決定していた。
ドゥオリク自身は、官僚になりたいわけでもなかったが、宮中で仕事ができるということに魅力を感じた。
妖精姫の気配を感じながら仕事ができることほど喜ばしいことはない。
きっと、家族も、出世するドゥオリクを快く送り出してくれるはずだ。
いや、父のことだから、号泣して……村長を巻き込んで悦びをあらわにしてくれるはず。
「自分の顔が嫌いなんだから、しょうがないだろ。それに、こうしておいたほうが便利だ、いろいろと、な」
太い眉が凛々しい父ではなく、村一番の美人と評判の母に似たドゥオリクは、自分の顔が好きではなかった。
同年代の少年と比べると線が細く、怒っていても、そうは見えない顔立ち。
馬鹿にしてきた奴らは言い負かしたが、それよりもめんどくさいのは、熱く見つめてくる野郎どもの視線だ。
なにが悲しくて、男から言い寄られなければならないのだろうか。
それに、この小さな宮廷においては、立場を弱くしていたほうがいい。そのほうが、見えてくる闇があるからだ。
だれが裏切り、だれが甘い汁を吸い、だれが操っているのか……。
将来、彼らもそれなりの地位となるからこそ、その情報は必要だ。
「うわっ、黒い笑みだ…こわっ」
すべては彼女のために。
彼女の理想の環境を整えるために、下調べは怠らない。
けれど、彼の耳に届くのは、妖精姫を貶める噂話ばかりであった。
制止する周囲の言葉に耳を貸さず、王太子を無理やり連れ出したせいで、悪漢に襲われたという。王太子を置いて、一人で逃げ出そうとしたところに、悪漢の一人がナイフで彼女の顔を傷つけたらしい。
そのときの怪我が元で、仮面で顔を隠し、ますます人前にでなくなったという妖精姫。
不気味な仮面のせいで、魔女と厭われているらしい。
(馬鹿らしい)
最初に噂を聞いたとき、一笑に付した。
だが、人は変わるものだ。
崇高な存在であり続けるのは難しい。
なにより、彼女は、悪意にさらされ続けているのだ。なんの守りもなく。頼りになるはずの王太子は、お気に入りの妖精姫が醜くなったことで、見向きもしなくなったという。
孤独に過ごす彼女を思うと胸が痛んだ。
いっそう、王太子の婚約者としての立場でなくなれば、彼女も過ごしやすくなるというのに。
けれど、王太子は、なにを考えているのか、彼女をずっと婚約者として縛り付けたままだった。
三大公爵家の令嬢と婚約は、王家と三大公爵家の結びつきを強くするものだ。
現在、マリーフェザーのほかに、王太子の年齢に合う令嬢はいないから、そうやすやすと白紙に戻せないのだろう。
マリーフェザーを王太子妃として、側妃をほかの貴族の娘から選び、側妃を表舞台に立たせることで、血の繋がりをもたせたままにすることはできる。
だが、それでは、マリーフェザーは、一生日陰の暮らしを強いられることとなる。
それは、ドゥオリクからすると、許しがたいことだった。
(なにもできないのが歯がゆいな)
一年の差は大きい。
もし、同学年だったら、彼女のそばにいることができたのに……。
そんなある日、ドゥオリクの前に変な女が現れた。
「あ、いたいた、ドゥオリクだ! ちょっと、変な方向にゲームが進んでたから、心配してたのよね。やっぱ、あの修正が正解だったのか」
白金の髪をなびかせながら、ぶつぶつと意味不明なことを呟いていた女は、ぱっと大きな紫色の双眸に喜色を宿した。
「ねぇ、もう大丈夫よ。わたし、ほかの女とは違うの。あなたがされたこと、全部知っているわ。でも、気持ち悪くなんてない。あなたは、どんな姿であろうと、清らかだもの。ちっとも汚れていないわ」
「……」
なんだ、この頭が弱い女は、というのが感想だった。
どうやら、同学年らしい女は、悦に入ったように頬を染めた。
「そうそう。このタイミング。年増のばばあにすべてを奪われたドゥオリクは、それから女性が信じられなくなるのよね。でも、わたしと出会って、真っ直ぐな言葉と、無垢さに心を惹かれるのよ、これって重要な場面よね」
ぞっとした。
この女の中では、考えたくもないが、自分が傷物にされている設定らしい。
ドゥオリクは、その見た目から、年上の女性からたいそうもてた。しかも、中には、好色な貴族の夫人もいて、父と母に高値で買うと豪語した者もいたそうだ。愛玩具としてそばに置くつもりだったらしい。
もし、妖精姫が学ばせる機会を作ってくれなかったら、そういう未来もあったかもしれない。
天候の悪化により、すべての農作物が腐った年があった。貧しい農村地帯では、作物がだめになってしまえば、領主に納めるものがなにもない。けれど、それを領主は許しはしない。なくてもかき集めなければならないのだ。
そこで、神の使いが、近くの街に出稼ぎに行かないかと提案してくれた。
勉強をしてきた子どもたちは、簡単な読み書きができるようになっていた。読み書きができるというのは重宝されるようで、書物を書き写したり、代筆したりして、みんなで力を合わせて必要なお金を集めることができたのだ。
きっと、それがなかったら、家族のために体を売っていたかもしれない。
そうなっていたら、女が言う道をたどっていたかもしれない。
けれどそれは仮定のことだ。
あり得ない想像。
「いつか、わたしに心を開いて、素顔を見せてくれるのを待っているわ」
きゃっと恥ずかしげに顔を覆った女は、ドゥオリクの返事も待たずに去っていった。
「災難だったな」
見事なまでに無視をされていた同室者の少年は、哀れみを込めて、ドゥオリクの肩に手を置いた。
火の粉が飛んでこなくてよかったとその顔は語っていた。
そんな変な女が王太子をはじめ、有力貴族の子息を手玉に取っているという噂を聞いたのは、それから間もなくのことだった。
(あんな女のどこかいいんだ)
趣味が悪いとしか思えない。
そんな冷めた感情で日常生活を送っていたとき、ようやく妖精姫と出会えた。
いつものごとく理不尽な因縁をつけられ、殴りつけられたその日。
だれもが嘲笑って素通りしていく中で、彼女だけがすっと手を差し伸べてくれた。
(だれだ、彼女を魔女とか気持ち悪い言ったヤツ)
たとえ仮面をしていても、彼女の美しさは損なわれていなかった。
小さな顔に、色づいた唇が、白い肌の中で目立っていた。
優麗な身のこなしは、ハッと目を奪われる何かがあったし、なにより、彼女のまとう凛とした空気は好ましかった。
そして、なにより、その綺麗な心根は色あせてなかった。
弱者に優しく、けれど、ただ甘やかすのではなく、しっかりと立たせてくれる。
自分の足で歩けるように、道を示してくれるのだ。
それがどんなにすごいことなのか、彼女はわかっているのだろうか。
もらったハンカチをそっと鼻に押し当てた。
ああ、彼女の匂いだ。
甘やかな、けれど、まとわりつくような甘さではなく、どこか清廉としたものを感じる。
好きだな、と素直に思う。
恋い焦がれていた妖精姫がそのままでいてくれた嬉しさで、どうにかなってしまいそうだった。
と、そのとき。
「あーあ、変なのを引っ掛けちゃって」
軽い口調なのに、どこか研ぎ澄ませたナイフのような鋭さを感じた。
「あんた……」
王太子の側近の一人であり、宰相の息子であるアーヴァント・ウェルシィだった。
隠れて見ていたのだろう。すっと影から姿を表したのは、どこか軽薄さが漂う美しい少年だった。
「アレと関わっちゃダメだよ。命が惜しければね」
とんっと胸を人差し指で突いた彼は、冷めた笑みを浮かべた。
「ふんっ、脅しなんて怖くないね。あいにくと俺は、俺だけの妖精姫に尽くすと決めてるから」
「後悔、するよ?」
「好きにすれば? 大切な存在に孤独を強いるバカ男より、尽くす俺のほうがよっぽどいい男だね」
吐き捨てたドゥオリクは、足取りも軽く教室へ向かった。
「これは手強そう」
そう呟くアーヴァントに気づかずに。




