三
「お前なんかが、ティア嬢の目に留まるものか。さっさと、この学園を去れ」
「たかだか首席というだけで、大きな顔をして……。見た目は平凡、品性の欠片はなし。頭脳しか取り柄のないお前なんて、ティア嬢の優しさに触れる価値もない」
「……ッ」
侮蔑を含んだ声のあとに、複数の笑い声が重なる。
あれは……と、マリーフェザーは足を止めた。
一学年下のドゥオリク・ハリーストンだ。真っ黒な髪は、顔を隠すかのように長く、いつも背を丸めて、どこかおどおどしている少年。
平民というだけでも反感を買っているのに、貴族を抑え、首席をとった彼は、貴族の敵でもあった。
「そのまま這いつくばっているほうがお似合いだぜ」
「今日は、ティア嬢が我々に手作りの焼き菓子をくださるらしい。こんなヤツ放って、早く行こうぜ」
「なんだとっ。それを早く言え」
慌ただしく遠ざかる足音。
「あらあら、殿方は野蛮ですこと」
「あの男爵令嬢の周りは、いつも賑やかしいですわね」
ほほほ、と優雅な会話をしながら、こちらへ向かってきた令嬢たちは、マリーフェザーに気づくと、口の端を引きつらせた。
「ご、ごきげんよう」
目線も合わせずそそくさと去っていく彼女たちの背に、いつものこととため息を飲み込んだマリーフェザーは、口の端に指先をあて、血を拭っている少年に近づいた。
「冷やしたほうがよろしいですわね」
ひざまずいて、ハンカチでそっと傷口を押さえた。
殴られたのだろう。
赤黒く変色していた。これは、腫れるに違いない。
肌が白いから、さぞ、痛々しく映るだろう。
「! 貴女は……っ」
マリーフェザーを知っているらしい彼は、驚いたように声を震わせた。
「一人で、立てます?」
「は、はい……」
「身分というものは厄介ですわね。学園内くらい、平等をうたえばよろしいのに」
散乱した本を拾うと、ハンカチで口元を抑えたままの彼を見つめた。
「けれど、あなたもあなたですわ」
「ぇ?」
「学園はじまって以来の天才とささやかれるあなたでしたら、あんな幼稚な絡まれ方……いくらでもかわす術はあったでしょうに」
「……灰色の階級では、抗えません」
王立フェゼリア学園には、五つの階級がある。
一つ目は、黄金階級。王族及び、三大公爵家のみに与えられた階級だ。マリーフェザーも、黄金階級だ。
二つ目は、銀花階級。上級貴族に与えられた階級だ。
三つ目は、青月階級。中級、下級貴族に与えられた階級だ。
四つめは、赤銅階級。平民の中でも商人など、財力のある家柄に与えられた階級だ。
五つ目は、灰色階級。平民でも、秀でた才能があれば、特別枠として入学を許された者たちを示す階級だ。
王侯貴族が多く占める王立フェゼリア学園の中にあって、灰色階級の者たちは少し特殊だ。
貴族は、平民のくせに、由緒ある王立フェゼリア学園に通っていることを嫌い、赤銅階級の者たちは、秀でた才能だけで、コネを作れる彼らを厭う。
どれだけの才があろうと、身分がものをいうこの学園においては、灰色階級の者など、使用人にも劣る。そのため、これまで、何人もの才能ある若者の芽が潰されてきた。
いくら費用は学園が負担するとはいえ、嫌がらせを受け続ければ精神的にもおかしくなる。
(学園側もなぜ、正さないのかしら)
見つけた才能をなぜ、手厚く保護し、開花させないのか。
それが、マリーフェザーには不可解に感じられた。
「抗えないからと、今の状況を卒業まで甘受するの?」
「……あなたにはわかりません。恵まれた環境にいるあなたにはっ…っぅ」
口を大きく開けたせいで、傷口が開いたのか、小さく呻いた。
「そうね……身分的には恵まれているでしょうね」
どこか含んだ物言いに、少年の肩が小さく震えた。
マリーフェザーも、彼とそう立場に違いはないように思えた。
ただ、王太子の次に高い身分というだけで目に見える嫌がらせはされないが、誹謗中傷はいつものことだ。それに折れる心は持ち合わせていないし、孤独にもなれてしまったが、大切な人がほかの令嬢といる姿を見るのは、辛い。
「あ、あの…ごめんなさい」
「ふふ。いいのですわ。……それより、話し込んでいる場合ではありませんわね。医療室に行きませんと」
「一人で行けますので」
本を受け取った少年は、手に中にあるハンカチを返そうとしたが、血に汚れていることに気づいてやめた。
「ねぇ、それは差し上げますわ」
「け、けど……」
「私は身分しかありませんもの。醜聞にまみれていても、三大公爵家の一つであるヴォールト公爵家の一人娘に相違ありませんわ。逆らえる者がいて?」
にっこりと口の端を優雅に持ち上げた。
ハンカチには、家紋が金糸で刺繍がされている。
それを見せれば、ささいな嫌がらせなど、消え失せるだろう。
「私は、学園において、身分制度など馬鹿らしいと思うのです。学生は、身分関係なく交流し、知識を深めたらよろしいと思うのですわ」
上に立つ者ならばなおさら、と言い添えると、少年は驚いたように唇をわななかせた。
「ぼ、僕が、悪用するとは考えないですか? 貴女は、ご自分の立場を理解していない。これは、僕には身に余る……っ」
「いいではありませんの。学生は勉学が本分。勉強がはかどるお守りとして持っていて損はなくてよ」
「……あり、がとう…ございます」
震える声。
どこか泣きそうな声だった。
きっと彼は苦しい思いをしてきたのだろう。妬みや僻みに平静を保てる者なんていない。
マリーフェザーは、そんな彼の心中を慮り、思わず、頭に手を載せた。黒い髪は、硬質ではなく、柔らかかった。
「! あ、あの……」
白い肌を染めてワタワタとする彼に、小さく吹き出す。
学年が下のせいか、弟みたいに感じてしまうが、婚約者のいる身で、むやみに異性に触れ合うべきではない。
わかっていても、ついつい手が伸びてしまった。
「ごめんなさいね」
「い、いえ……」
恥ずかしかったのか、し、失礼しますと、廊下をかけて去っていってしまった。
「面白い子……」
最初こそ驚かれたが、怖がることなくしっかりと話しをしてくれた。
それがマリーフェザーには嬉しかった。




