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十一

「お嬢様、どうなさいました? 何かございまして?」


 マリーフェザー専属の侍女は、思い悩む主人を見かねてか、そう声をかけてきた。


「ミーファ……。いえ、なんでもないのよ……」

「いいえ、ミーファの目はごまかされませんわ。ルー・フェーン町からお帰りになってからお元気がないようですわ。お嬢様のお心を惑わしているものはなんですの? ミーファにお話くださいませ。少しは心が軽くなるかもしれませんわ」


 ミーファの優しい声が、ささくれだっていた心を癒やしてくれるようだった。

 心が落ち着くようにと就寝前に淹れてくれた薬草茶を手にとったマリーフェザーは、ふんわりと香る林檎の甘さを楽しんだ。そのまま一口含んで、ほっと息を吐く。


「ミーファ……。心が痛むのを止めることはできないのかしら……」

「お嬢様……?」

「どうしてこんなにも切ないのかしら……」


 ぽたりとこぼれ落ちた雫。

 堰を切ったように溢れ出す涙を止める術をマリーフェザーは知らなかった。

 幼子のようにただ泣き続けるマリーフェザーに、オロオロとしていたミーファは、そっと絹のハンカチでマリーフェザーの目元を抑えた。


「お嬢様……」

「私だけの……私だけのものだったのよ……。それが唯一の拠り所だったの……」


 マリーフェザーの脳裏に浮かぶのは、親しげに肩を寄せ合うオリフィスとティアの姿だった――。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 それはただの偶然だった。

 小麦粉を見繕いに意気揚々と店を出ていったフェリエットだったが、硬貨の入った巾着を落としていったのだ。

 慌てて追いかけるも、すでにフェリエットの姿はどこにもなく、みんなで手分けをして捜すことにした。

 そんなときだった。

 あの声を拾ったのは。


「オーリーさまぁ」


 砂糖菓子のような甘い声。


「お嬢様?」


 ミーファの訝しむ声に、足を止めていたマリーフェザーは、ハッと我に返った。

 心臓がどきどきしている。


(まさか、そんなはずないわ)


 ここは王立フェゼリア学園ではないのだ。


「ティア、殿下にばかりにくっついてないで、こっちにも来いよ」

「ティア、あっちに君に似合いそうな装飾があるんだ、見に行かないか?」


 ティア……。

 その名に惹きつけられるように顔を向けると、そこには、見目麗しい貴公子たちの集団がいた。洗練された物腰と、仕立ての良い服装は、ひと目で高位の貴族だとわかるだろう。

 物珍しげな周囲の目も気にした様子はなく、一人の可憐な少女を構っていた。


(オーリーさま……)


 学園と同じくティアを傍に置くオリフィスに、胸がつきんと痛んだ。

 彼女とは学園の外でも睦まじく過ごすことができるのだ。


 と、そのとき。

 アーヴァントが顔を上げ、こちらに目を向けた。


「!」


 とっさに帽子のつばを下げ、彼の視線を避けた。

 気づかれただろうか?

 いや、そんなはずはない。

 市井の服に身を包み、顔を隠せばバレることはないはずだ。


 それでもどうしていだろう。

 悪いことを見つかったときのように心臓が大きく鼓動を跳ねるのは。


「お嬢様、こちらへ……」


 固まる主人を見かねてか、ミーファがマリーフェザーを路肩へ移動させた。


「ミーファ……、どうしましょう……」


 声が震えた。

 それに気づき、唇をきつく噛んだ。

 そうでもしないと、なにか変なことを口走ってしまいそうだった。


「やはり、店へ戻りましょう。人混みは酔いやすいものですわ」


 ミーファもオリフィスたちがいることに気づいているはずなのに、何も言わなかった。

 ただただマリーフェザーの身を案じ、ここから逃がすかのように店へと誘導した。それとなく護衛たちが警戒しながらそのあとを付いてくるが、彼らの顔はどこか険しいものだった。


「あははっ、ごっめーんっ。お金落としたとか、父さんに叱られるっていうか、勘当もんだわ」


 フェリエットが能天気に言う姿を見て、マリーフェザーの心がほんの少し安らいだ。

 どうやらドゥオリクが見つけたらしい。フィー様に迷惑をかけたって、めっちゃ怒るんだけどー、と唇を尖らせながらも、その顔は明るい。


「ちゃーんと、小麦粉を卸してくれるところも見つけたしぃ。アタシってば、やればできる子! 商売上手。んふふふっ」

「ふふっ」


 自画自賛するフェリエットに、笑みが溢れた。

 きっと一人だったら、心を閉ざしていたかもしれない。

 

(胸は痛いけれど……今は、少し忘れていられますわ)


 オーリーさま、と呼んだ彼女の声が耳から消えない。

 仲よさげに寄り添う二人の姿が脳裏から消えない。


 けれど。

 今、このときは。

 心の底にしまえる気がした。





 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「……お嬢様は、王太子殿下のことを好いていらっしゃるのですね」

「ええ、大好きよ。だから、苦しいの……。仲がいいだけなら、私も目をつむることができましたわ。けれど、けれど……っ」


 特別な呼び方なのだ。

 アレは、自分だけに許された特別な……。


 どうしてそれをティアが呼んでいるのだろう。

 どうしてティアに呼ばせているのだろう。


「覚悟はできていたのに、どうしてこんなにも苦しいのかしら。オーリー様に新しい妖精姫が現れたことを祝福しなければならないのに、心が私のモノではないみたいに……っ」


 ティアが本当に大事な人なのだとわかってしまった。

 婚約破棄されるのも時間の問題だろう。

 幼い頃の約束が砂のようにもろく崩れ、消えていく心地がした……。


「私は、何があってもマリーフェザー様の味方ですわ。お嬢様のことを見捨てるような男など、いくらこの国の王太子殿下であろうと、いりませんわ」


 いくらマリーフェザーと二人きりとはいえ、不敬を堂々と口にするミーファに、マリーフェザーは目を丸くした。


「まぁ、ミーファ……」

「お嬢様はだれよも幸せになるべきなのです。いいえ、ならなければなりませんわ。私は、そのためにお傍におりますのよ。主の憂えを取るのが私の努めですわ。お嬢様が二度とあの男を目に入れたくないのであれば、ご当主にお願いをして、そのような措置を取らせていただきます」

「え……」

「……お嬢様が望めば、その通りになりますのよ。ええ、本当に」

「ミーファ……けれど……」

「私も限界ですわ。大切なお嬢様をないがしろにされ、あまつさえ他の女に目移りするなど、言語道断です。どのような事情があるにしろ、傷つけていいということになりませんわ」


 ミーファの想いは嬉しかった。

 けれど、ミーファはただの侍女だ。

 マリーフェザーの父に直談判することは叶わない。なにより、距離を置く父が現状を変えてくれるとも思わなかった。


「ミーファ、あのね……。確かにオーリー様のことはとても悲しいし、辛いのですわ。わかっていたこととはいえ、胸が痛くなるのを止めることはできませんの……。けれどね、この学園を去ってまでオーリー様と距離を置きたいとは思いませんのよ」

「お嬢様……」

「ご迷惑かもしれないけれど、オーリー様と一緒に学ぶ時間を持つことを許して欲しいのですわ。卒業までのひとときをたとえ距離はあったとしても、過ごすことはこの上ない幸せなのです」


 それにね、と言葉を紡いだ。


「友人もできましたの。可愛い後輩も……。それに、ロッティーさんのお茶会も成功させたいのですわ」

「そう…、ですか。それではそのお気持ちを私は尊重いたしますわ」


 どことなく残念そうなミーファだったが、頭を切り替えるように軽く首を振ると、にっこりと微笑んだ。


久しぶりで申し訳ありません。

感想ありがとうございます(^^)


ミーファはいろいろ事情を知っていますが、すべて主のためにと言われ目を瞑っている部分があります。

けれど、マリーフェザーが傷つけられるようならば黙っていません。

きっと爆発したらだれよりも苛烈……。


ミーファ「お嬢様は天使です! …いいえ、女神ですわ。女神を汚そうとする輩には天の怒りが落ちますわ(黒微笑)」

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