sideフェリエット ②
あーでもないこーでもないとお茶会に出すサンドイッチについて語る三人の様子に、フェリエットは胸をなでおろした。
(よぅしっ! このままここで時間を潰せば問題なしっ)
陽が落ちる前には帰らないといけない。
ならば、あと数時間をここで過ごせばいいのだ。
ロッティーはパン屋の娘らしく手先が器用で、才能もあった。マリーフェザーの思いつきを吟味し、どうやったら作り出せるか考え、次々と実現可能なアイデアをあげていった。
(ロッティー・パーンスなんて、乙ゲーの中には登場しなかった人物だしなぁ)
まぁ、それを言ったら自分もだが。
いつも肩身が狭そうに回廊を歩いているロッティーを見て、そんなに親しくなかったフェリエットでさえ身分制度のある学園は生きにくいだろうなと思ったものだ。だからこそ、憐れにも生贄に選ばれてしまった彼女の手助けができればと、導き手を探した。
大貴族どころか、サブヒロインといっても過言ではないマリーフェザーが導き手となったのは、神の采配だろう。乙ゲー中とは違って、選民意識のないマリーフェザーは、おどおどとして、緊張でどもるロッティーにも優しい。
フェリエットの知っている貴族ならば、こんな家に来ることだってしないだろう。まして、下町の食べ物なんて口にすらしないはずだ。蔑んだ目で見下ろして、ふいっと顔を背けるだろう。それが、フェリエットの知る貴族の姿だ。
(ほんとはアタシだって赤銅階級で唯一女主人に選ばれたから、いろいろやることもあるんだけど……なんか、居心地がいいんだよなぁ)
最初は、マリーフェザーに押し付けるだけでいいと思っていた。
でも、ロッティーがしっかりとマリーフェザーと意志の疎通が取れるとは思わなかったし、乙ゲーの登場人物を間近で観察したいっていう下心もあって、ついつい仲間に加わっていた。
しょうがない。楽しいのだから。
過去はどうあれ、今のフェリエットは商人の子だ。
付き合う人たちはそれなりに自分の益となるべき者たちを選別していた。無邪気に近づいて商品を売り込むことは忘れなかったし、自分の家の不利になる言動も…たぶん、していないはず。
あの学園は、小さな社交界だから、思わぬ一言が家の不利益にも繋がるのだ。
だからこそ、マリーフェザーの傍にいるということは、本来ならいいことではない。
学園の鼻つまみ者であるマリーフェザーと積極的に関わる者はいないし、家族にすら見捨てられたともっぱらの噂なのだから。
もちろん、ゲームの世界を知っているフェリエットは、噂話を鵜呑みにはしない。
けれど、多くの者にとって、噂話が真実なのだ。
(父さんも母さんも別に何も言ってこないしな)
フェリエットの行動はすべて父や母に筒抜けである。学園内に、ヴァザード家の手の者がいるのかもしれない。
もし、ヴァザード家にとってマリーフェザーが好ましくない人物ならば、『人を見分けずして、商人の資格はありません』とばっさり切り捨てるような手紙が届くだろう。
それがないということは、マリーフェザーとの付き合いは問題ないということだ。
その証拠に、今回のお忍びのお出かけのことを伝えたら、マリーフェザーの分まで誂えてくれたのだから。
(あとが怖いなぁ)
絶対に借りを作ってはいけないのは自分の両親だろう。
「どうしました? ロッティーさん」
「い、いえ……あの……その……、お茶会に出すのならば、ライ麦パンではなくて、白いパンがいいと思うんですが……、質の良い小麦粉は高くて……。そ、それに、なかなか手に入らないんです……」
残念そうに肩を落とすロッティー。
「貴族が買い占めているんだろ。そもそも、平民の食卓に白パンが並ぶことはないし。購入する者がいなければ、販売する必要性もない。流通ルートがなければ市場に出回ることすらないだろうね」
攻略対象者に相応しい綺麗な顔をちょっとだけ歪めたドゥオリクは、冷めたお茶を一口飲んだ。
貧しい生まれの彼は、基本的にマリーフェザー以外の貴族を嫌っていた。
「私が……」
「いいえ、マリーフェザー先輩。ここは、アタシの出番ですっ」
大貴族ならば、小麦粉くらい簡単に手に入るだろう。
だが、ここは、ヴァザード家の腕の見せ所だ。
「ロッティーのお茶会のパンは売れるわ! そしたら、このパン屋も更にお客さんが殺到するでしょ? 小麦粉の手配は、すべてヴァザード家が請け負うわ! そしたら、うちもウハウハよ」
にひひ、と下卑た笑みを浮かべれば、ドゥオリクが引いたように顔をしかめていた。
……なぜだ。
ロッティーの両親の了承も得て、フェリエットは、小麦粉の調達をすべく外へ出た。
ヴァザード商会は、幅広く扱っている。
この町にも、ヴァザード商会と取引をしている店は数多あるのだ。
(小麦粉なら、ハルウェルさんのところがいいかな)
あそこなら、混ぜものは一切せず、上質な小麦粉を卸してくれる。
両親だって、益のあることならば、フェリエットが独断で動いても反対しないだろう。
と、そのとき。
「オーリーさまぁ」
砂糖を煮詰めたような甘ったるい声が耳に届いた。
げっ。
フェリエットの顔が、歪んだ。
(なんでここにいんのよっ)
いるのは知ってたけど、会わなくたっていいじゃない!
しかも、王太子殿下がいることがばれないようにだと思うが、愛称で呼んでいる。
その呼び方は、たった一人に許されたものだ。
『春告ぐ妖精姫~運命を呼ぶ七人の貴公子たち~』の中でさえ、ヒロインは特別な愛称で呼ぶことができなかった。
「ティア、あちらの露店も見に行かないかい? 君に似合いそうな装飾品があるんだ」
「いいや、ティア。このあとは、僕と一緒に観劇する予定だろ?」
「悪いけど、ティアは俺と食事会の予定だから」
見目麗しい少年たちが、可憐な少女を取り合っていた。
(うっわー。現実って引くわー)
乙女ゲームにはまっていたときは、ちやほやされて有頂天になっていたが、端から見ると優柔不断な嫌な女である。
(嫌われる女ナンバーワンだな、こりゃ)
ティアは困ったように眉を寄せながらも、どこか勝ち誇ったような笑みを一瞬覗かせていた。
順調に攻略している証だろう。
アーヴァントは、にこにこと底の見えないような笑みを浮かべて眺めているだけでその輪に入ろうとしないし、オリフィスは腕にまとわりつくティアに視線を向けることもせず、どこか冷たさを感じさせる顔で周囲を眺めていた。
(ちょっと変装はしているみたいだけど、ばればれでしょ。護衛も隠れてないし……)
マリーフェザーの護衛たちのほうが溶け込むという点では優秀だ。
しかし、と思う。
ものすごい違和感があった。
オリフィスとアーヴァントの態度が、学園で見ていたときよりも素っ気なく感じるのだ。
(隠しイベントのはずなんだけどな……)
複数の攻略対象者との好感度を上げることができれば発生するイベントだ。
貴族としての生活に気疲れをしているティアを学園から少し離れた町へ誘い出すのだ。そこで、複数の攻略対象者から、『◯◯へ行こう』と誘いを受ける。
ここでポイントなのが、すぐに答えないことだ。
困ったふりをしていれば、オリフィスが悩ますなと声をかけ、順番に相手をすればいいと提案するのだ。ヒロインは、この先、攻略したい人たちの誘いを優先的に受ければいい。だれか一人だけ、ではなく、複数人を選ぶのが正解。一人に絞ると、バッドエンドに繋がるある意味恐ろしいイベントだ。
(ま、マリーフェザー先輩がこの場に居ないだけマシかな)
シナリオ通りならば、オリフィスがお忍びでこの町を訪れることを知ったマリーフェザーが、オリフィスに会うために自らも赴くのだ。
そこで目にするのは、親しげに肩を寄せ合うティアとオリフィスの姿だった。
怒りに駆られたマリーフェザーは、制止する侍女たちを振り切って、ティアの頬を叩いてしまうのだ。
ただでさえ良好な関係とは言いがたかった二人の関係が、更に悪化してしまう、という話だ。
ちなみに、隠しイベントが発生しない場合は、ほかの場面で同じようなことが起こる。
(さ、アタシは小麦粉を見繕ったら、さっさと帰ろっと)
のほほんとしたあの綺麗な空間が、なぜか無性に恋しくなった。




