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sideロッティー

「あ~、ドキドキするっ。どうしよぅぅ」


 落ち着かない様子の娘に、父であるハザックがぷっと吹き出した。


「なんでぇ、まるで恋仲の男に会うみたいじゃねぇか。しゃんとしねぇか、しゃんと」

「あら、あなた。相変わらず女心に疎いわね! いいこと!? ただの女友達が来るわけじゃないのよ。貴族のご令嬢が、こんな古びた家にやって来るのよ!? 貴族のご令嬢といえば、女の子ならだれしも憧れたものよ。綺麗なドレスを着て……気品があって……ああ、今でも胸がときめくわ。しかも、これからいらっしゃるのは、かの有名な三大公爵家のご令嬢よ!? これが興奮しないでどうするのっ」

「お、おぅっ」


 十代の乙女のように瞳を輝かせるアーレンに、ハザックは引き気味だった。


「ロロなら、わかってくれるわよね!?」

「もちろんよ、母さんっ」

 二人はがしっと握手をした。

「マリーフェザー先輩は、貴族様ってだけじゃなくて、妖精姫の生まれ変わりなんだもの!」


 月に一度、広場を中心に市が開かれる。

 そのときには、近隣の町からも商いをしに多くの者たちが集まる。

 その中に、吟遊詩人もいた。金髪の長い髪を背に流し、竪琴をゆっくりと弾きながら、集まった聴衆に『妖精姫』の物語を聞かせてくれるのだ。


 始まりの口上はいつも、


 遥か昔の御世 

 人と神々との結びつきが今よりも近かった時代 

 ある国に美しい妖精の姫君がおりました――


 である。


 銀の髪に、蜂蜜を溶かしたような瞳を持つ姫君は、その美しさ故に多くの者から狙われていた。けれど、妖精王は、姫君が好いた者に嫁がせようし、年頃になっても数多の縁談を断っていた。

 それに腹を立てたのは、霧の国に住まう竜族の長だった。姫君の美しさに一目で心を奪われた長は、どうにかして姫君を手に入れようと、試行錯誤するけれど、妖精王は頷かなかった。

 手に入れられぬ想いにしびれを切らした竜族の長は、ついには姫君が住まう国を咆哮一つで火の海へと変えてしまった。


『さぁ、姫よ、我もとへ。末永い幸福を約束しようぞ』


 姫君以外は灰となった地で、勝利の笑みを浮かべる竜に、姫君は静かに言った。


『いいえ、わたくしは、貴方様のもとへは参りませぬ。同胞(どうほう)を無残に天へと還した貴方様をどうして許せましょう』


『わたくしの存在が災いをもたらすのならば、いっそうこの身を天へと昇らせましょう』


 懺悔するように呟いた姫君の体は、そのまま空気に溶けるようにして消えていった。

 残された竜は、姫君を失った悲しみから涙を流した。その涙はいつしか大河となって大陸を貫き、今もこの国に竜の大河として残っている。


「ロロ……わかってるじゃない。ヴォールト公爵家のご令嬢といったら、それよね! お貴族様ってだけでもお会いできるのは光栄だっていうのに、まさか、生きた妖精姫を見れるなんてねぇ」

「母さんは、妖精姫のどんな話が好きなの?」

「そうねぇ。やっぱり、王子様と幸せに暮らしました、ってやつかしら」


 妖精姫の物語は、数多くある。

 竜の話のように悲しい結末のものもあれば、人間族の王子と結ばれ、命果てるまで幸せに暮らすものもある。

 あのときは、同胞のために凛々しく戦う妖精姫の姿が描かれたり、

 あるときは、初めての恋に苦しむ妖精姫の姿が描かれたり、 

 あるときは、現し世に現れて困っている人たちに手を貸してくれる妖精姫の姿が描かれていた。


 ロッティーは、妖精姫の話ならば、なんでも好きだった。

 美しい妖精姫は、ロッティーにとって手の届かないお姫様のような存在で、だからこそ憧れていた。妖精姫が自分の前に現れたらどうしようといつも胸をときめかしていたのだ。


『悪いことをしたら、妖精姫は来てくれないのよ』


 ぐずる子供に、町の母親たちは決まってそう言っておとなしくさせていた。


 だからロッティーは、銀の髪に蜂蜜色の色彩を持つ少女がいるって聞いたとき、妖精姫が現れた! と思ったのだ。

 しかも、王立フェゼリア学園で一緒に学べるとは夢にも思わなかった。

 今だって信じられないのだ。


(あぁ、どうしようっ。心臓がバクバクするっ)


 実際の妖精姫はそれはそれは美しかった。

 汚れない銀の髪は陽に当たるときらきらと輝いていつまでも見ていたかったし、公爵令嬢らしい振る舞いは思い描いていた妖精姫そのものだった。

 蜜色の瞳が無粋な仮面に隠れて見えないのは残念だったが、妖精姫の美しさを隠すにはちょうどいいのかもしれない。

 同級生たちは不気味だ、とか、ヴォールト公爵家からも見捨てられた、とか、意味不明なことを言っていたが、見る目がないのだろう。

 妖精姫は愛されるものなのだ。


「ロロ、お迎えをする準備は万端? 母さん、やっぱり着替えてこようかしら……。髪型も確認してくるわ!」

「おいおい、大げさだな」


 どこの王族が来るんだよ、とぼやくハザックは、女たちの行動についていけないようだった。


「あなたは、パンでも売ってて! あたしは忙しいんだからっ」

「へいへい……」


 ぽりぽりと頭をかいたはハザックは、おとなしく店番をすることに決めたようだった。

 いつもは接客は母親の担当で、ハザックは裏に引っ込んで出てこないのが常だが、今日という日は逆らってはいけないと感じたようだ。


 朝市で買いに来る主婦たちの出入りも落ち着き、昼まではのんびりできるだろう。


 ロッティーは、ぐるりと部屋の中を見渡した。

 店の奥には、休憩できる空間とパン工房がある。パン作りに興味を持っている妖精姫のために、隣の休憩室にしてみたが、妖精姫をお迎えするには殺風景だ。

 貴族の屋敷のように飾る絵画はなかったが、母親手製のタペストリーが飾ってあった。幾何学模様の暖かみのある色合いは、悪くない。

 長机の中央には、花が生けられた花瓶があった。


(花瓶なんていつ振りに見たかな)


 店のことだけでなく、家事に育児にと、毎日忙しなく働いている母親は、飾り付けまで手が回っていなかった。

 だからこそ、気合の入れようがわかるだろう。


(ふふっ、わたしだけじゃないんだ)


 母親も同じ気持ちだというのがどうしようもなく嬉しかった。

 妖精姫は、自分だけでなく、母親の心だって簡単に奪ってしまうのだ。

 いや、吟遊詩人の話に耳を傾けていた町民ならだれとも心が弾むだろう。


(変装してって言って正解だわ)


 妖精姫の溢れ出るような神々しさは隠せないかもしれないが、それは仕方のないことだ。

 隠そうとするほうが無理なのだから。

 本当は、町の人たち全員に自慢して、見せびらかして、敬って、崇拝して欲しいところだが、それはまた次の機会でもいいだろう。


(ここでの様子をメルザ先輩にお伝えしないと)


 ロッティーとメルザは、志を同じくする者だ。

 メルザは妖精姫の話に興味はないようだが、マリーフェザーの存在自体に輝きを見出しているらしい。

 目下、ロッティーは、メルザに妖精姫の話をして、神秘性を高めようとしていた。


(妖精姫教……なんて作ったらとっても楽しそうだわ)


 ロッティーの野望は、果てしなく広がっていた。



妖精姫の前では上がってしまうロッティーなのです。

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