九
「ねぇ、ロッティーさん、次の休みに、ご自宅にお邪魔したらご迷惑かしら?」
「め、迷惑なんて!」
頬に散ったそばかすが愛らしい少女は、首がもげるんじゃないかというくらい勢いよく横に振った。明るい赤銅の髪が濃灰色の生地の上で踊る。うねりがすごいらしく、きっちりと編み込まれた髪の毛は、二つに結わえられていた。
白襟に濃灰色の制服は、赤銅階級と灰色階級に与えられた色だ。動きやすいように、膝丈のワンピースに短い上着を重ね、焦げ茶色の編上げ長靴を履いている。一学年の灰色階級のロッティーは、胸元に、深緑色のリボンが結ばれていた。
貴族生徒が身分を腕章で現しているように、平民生徒は、胸元のリボンの色によって、学年と階級がわかるようにしているのだ。
「で、でも、マリーフェザー先輩に来てもらえるような家じゃ……」
「焼き立てのパン、美味しいですわよね」
「えっ」
「ふふ。フェリエットさんに教えていただきましたの」
ロッティーの家は、王都からほど近い町でパン屋を営んでいるらしい。
その話をフェリエットから聞いたとき、ぜひ行ってみたいと思ったのだ。
(ロッティーさんのご実家に行ったら、ロッティーさんを更に知ることができるかしら)
運悪く女主人に選ばれたロッティーは、とても素朴な少女だった。
貴族に対して気おくれている部分はあるが、裏表のない素直な性格で好感がもてた。
だからこそ、素敵なお茶会にしてあげたかったのだ。ロッティーらしさのあるお茶会に……。
『は、ははははははははじめ、ましってっ』
初めて会ったとき、マリーフェザーの顔すらまともに見れず緊張ばかりしていたロッティー。
毎日会うことによって少し慣れたらしく、今では多少どもる程度になった。
(華美な装飾では、萎縮してしまいますわね、きっと)
本来なら、お茶会に使われる調度品にも気を配るべきである。
今回のお茶会を管理する行儀作法の教師に確認したところ、椅子や卓などの家具の貸出はあると言っていた。けれど、ほとんど使われることはないという。大抵は実家から、高級家具が学園の庭へ運ばれてくるか、新しく仕立てられたものが並ぶらしい。
贅を凝らした家具は、家格を見せつけるのにうってつけなのだろう。
過去には、大理石で造られた調度品や、黄金の椅子や円卓を用意した令嬢もいたらしい。
もちろん、マリーフェザーも、ロッティーのために公爵家のものを用意してもいいと考えている。公爵家のものならば、ほかの女主人たちが用意するであろう家具に見劣りするとは思えない。
けれど、それではダメなのだ。
野花のようなロッティーの魅力が損なわれてしまう。
「フィー様、それ、俺もご一緒してもいいですか?」
家具について思い悩むマリーフェザーに、斜め向かいに座るドゥオリクが目をキラキラさせて見つめてきた。
マリーフェザーがロッティーの導き手となったことを同室者から聞いたのだろう。
フェリエットに頼まれた次の日にマリーフェザーの元へやって来たドゥオリクは、手伝いたいと申し出てくれたのだ。
『ロッティー・パーンスは、級友です。それに、今回、灰色階級の彼女が選ばれたのは、裏があるんじゃないかって勘ぐってしまうんです。灰色階級だからって、ほかの階級のヤツラの引き立て役になるの許せないし……、でも、それ以上に、フィー様が巻き込まれたことに怒りを覚えます。フィー様が傷ついたらって思うと……俺っ』
湧き上がる感情を抑えるかのように手をぎゅっと握りしめた彼は、心底マリーフェザーを案じているようだった。
『確かに前例のないことですもの。そう思うのは仕方ありませんわ。けれど、どの階級であろうとも、生徒に変わりありませんもの。そう考えると、これまでが手を加えられていたと考えるほうが自然ですわね』
『フィー様……』
捨てられた子犬のように心もとなさそうに瞳を揺らすドゥオリクに、マリーフェザーは安心させるように唇の端をゆっくりと引き上げた。
『私は、自らの意思でロッティーさんになにかして差し上げたいと思ったのですわ。その結果、何が起きようと、後悔はしませんわ。ドゥオリクも手伝ってくださるなら、これほど心強いことはありませんわね。あなたの深い知識と思慮深さは、私達の助けになりますわ』
『……ッ、かなわないなぁ。……ええ、フィー様が俺を求めてくれるなら、俺はフィー様の手足となって働きますね!』
『まぁ、首席であるあなたを使うなんて、恐れ多いですわね』
マリーフェザーはそう返したが、ドゥオリクは本気だった。
その言葉のまま、マリーフェザーの負担にならないよう動いてくれたのだ。
こうしてロッティーと不自由なく会えているのも、ドゥオリクが調整していてくれているおかげだろう。
「ロッティーさん、ドゥオリクもご一緒しても問題ないかしら?」
ドゥオリクの期待に満ちた目が、ロッティーに向けられた。
「ぅっ」
息を呑んだロッティーの顔がうっすらと色づく。
(わかりますわ。ピンと伸びた耳とパタパタと揺れる尻尾が見えるようですわよね)
少し潤みがちな蒼い双眸に見つめられ、否と答えられる人間はいないだろう。
「ど、どうぞ……」
「ほんと!? やったぁ。フィー様とお出かけだ。嬉しいな」
喜色満面で喜びをあらわにするドゥオリクに、マリーフェザーの口元も綻ぶ。
と、そこへ。
「フィー様、大変ですわ」
一般用の談話室に、メルザが駆け込んできた。
余程焦っていたのだろう。行儀悪く走ってきた彼女は、マリーフェザーたちを見つけると、くしゃりと顔を歪めた。
「まぁ、どうなさったの?」
ロッティーが気を利かせて、一つ隣の椅子へと移動した。礼を言って、空いた席へロッティーを座らせると、ドゥオリクが持ってきてくれたカップへ紅茶を注いだ。
「ありがとう、ドゥオリク。――さ、お飲みになって。少し冷めていますが、美味しいですわ」
「フィ、フィー様自ら…っ!」
息を整えたメルザは、感激したように両手でカップを掲げると、恭しい仕草で口をつけた。
「……落ち着きますわ。ハーブティーですね。アーバス産かしら」
「今日のおすすめですの」
貴族用の談話室とは違い、一般用の談話室は、給仕がいない。
自身で注文し、品を受け取るのだ。
紅茶もティーポットで出され、それを自分でカップに淹れる仕組みになっている。
初めて利用したときはあまりにも違う仕組みに驚いたが、慣れてくると楽しい。時間によって、ティーポットに残っている茶葉が薄かったり、濃かったりして、なかなか興味深い。
マリーフェザー自身、お茶一つ淹れるのがこんなに大変だなんて知らなかったのだ。いつも最適な状態で出されるから、ほんのわずかな時間で、香りも味さえ変化するとは思いもよらなかった。
「それで、なにがあったんですか? ベェルート先輩が走るってことは、フィー様に関係あることでしょ」
ドゥオリクの蒼い目が、すっと細まった。
「そ、そうなのです! 用意されていたお茶会の区画が、盗られましたわっ」
「盗られた? どういうことです? すでにロッティーさんの区画は学園側が選定し終え、周知されていたでしょうに」
ロッティーだけでない。
つい先日、女主人に選ばれた全員の区画が決められたはず。
女主人を決めたときと同じように、不平等さがないよう無作為に区画は選ばれた。中でもロッティーが割り当てられたのは、複数ある庭園の中でも花の丘と呼ばれている場所だった。今の季節は、色とりどりの花が咲き乱れ、生徒たちからの憩いの場となっている。
「あの女狐ですわ!」
いつもの穏やかな顔が消え去り、憤怒の形相でカップを握りしめた。
「女狐……?」
「ほら、アノ頭の中がお花畑な男爵令嬢ですよ」
「ティアさんのことね」
散々な言いようにマリーフェザーが苦笑すると、ドゥオリクは悪びれた様子もなくにっこりと笑った。
「まだ公にはされていませんが、聞いた情報によると、女狐が異議を唱えたらしいですわ。ロッティーさんに良い区画が用意されたのは、フィー様が裏で手を回したから、と」
「なんだ、それ! フィー様がそんなことするはずないだろっ」
「そ、そうです! マリーフェザー先輩は、そんな裏工作なんて…っ」
顔色を変えたドゥオリクに、呆然と話を聞いていたロッティーも同調した。
「女狐がわめくだけなら教師も動きませんわ」
含んだ物言いに、、マリーフェザーとドゥオリクが察した。
ティアの取り巻きは多い。
ティアが悲しめば、力を貸す生徒は多いだろう……。
中でも、王太子殿下であるオリフィスが苦言を呈すれば、教師が動かないわけにはいかない。たとえ、意図的に操作していないとしていても、オリフィスの機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
「私達の区画はどちらになるのかしら?」
抗議するだけ無駄だ。
王太子殿下をはじめとする有力貴族の子息が後ろにいる以上、なにを言っても覆らないだろう。
だったら、与えられた区画でどうにかするしかない、そう思って聞いたのだが……、
「それが……」
告げられたのは、予想以上に悪い場所だった。
「アッレー。なんか、沈んでる?」
ふふふ~んと鼻歌を歌いながら談話室に入ってきたフェリエットは、うなだれるマリーフェザーたちを見つけると小首を傾げた。
「なぁんか、暗くない? もしかして、行き詰まってる感じ? アタシなんて、めっちゃ順調! だって、適当だしねー。アハハハハ。しかも、割り当てられた区画も、手入れとかいらなさそうだし……って、ロッティー、どうして泣くのっ」
ロッティーの傍に駆け寄ったフェリエットは、慰めるように背を撫でた。
「あの女狐に図られたのですわっ」
「は?」
わなわなと震えたメルザは、吐き捨てるように言った。
「間もなく公示されるでしょうから言いますけど、あの女狐は、ロッティーさんに与えられた花の丘を横取りしただけでなく、静かな地を割り振ってきたのですわっ」
「うっわー……静かな地…そうなったか」
フェリエットは動揺することなく、すんなりと納得したようだった。
静かな地は、その名の通り生徒が静かに過ごせるようにと造られた庭園だ。
昔は、緑一色の生垣が広がり、暖かい季節には生徒の目を楽しませてくれたようだが、今は見る影もない。別名、忘れられた地とも呼ばれ、手入れされていない生垣は荒れていて、昔のような美しさは保っていなかった。
訪れる人がいなくなり、放置された結果らしい。
「だいたい、ゲームと合ってなかったから、アレ? って思ってたんだよね。補正こわっ。正されるってこういうことか」
「なにブツブツ言ってんの」
「あ、いや…なんでもない、うん。……ま、まぁ、運が悪いとしかないね」
ドゥオリクに睨まれたフェリエットは、唇の端を引きつらせた。
「そうですわね。嘆いていても何も変わりませんわ。メルザさんのおかげで、早めに対処できるですからよしとしましょう。教えてくださってありがとうございますわ、メルザさん」
「そ、そんな…! フィー様のお役に立てるんでしたら喜んで動きますわ。もし、庭園を整えるでしたら、許可をいただいて対応しますが」
「そうですわね……。ロッティーさんは、どう思います?」
「え、え? あ、あの…その……わ、わたし、そういうのよくわからなくて……」
全員から注目されたロッティーの顔が歪んだ。
「ああ、また泣かないでよ! せっかく泣き止んだのにっ」
「だ、だって……」
女主人という大役を仰せつかって、彼女も不安なのだろう。
貴族としての行儀作法もマリーフェザーから学んでいるが、まだ動作はぎこちなく、なめらかとは言い難い。
お茶会まで一ヶ月を切っていて、やることは山程あるのだ。
加えて、通常の授業も疎かにできない以上、灰色階級である彼女が逃げ出してしまいそうになっても仕方ない。
(貴族なら幼少の頃より身につける作法を短い間で習得しろだなんて、難がありますわ)
マリーフェザーとしては、必要最低限の作法だけ覚えればよいと思っている。
ロッティーは貴族ではない。
彼女に、貴族の真似事をさせるつもりはなかった。
(自然体が一番ですもの)
ロッティーの魅力を最大限に引き出し、招待客にも満足していただく。
それが、マリーフェザーに与えられた役目だ。




