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「オーリーさま、だいすきです!」

 花びらが舞う庭園で、幼い少女はありったけの想いを伝えた。

「ありがとう、フェザー」

 少女の王子様は、嬉しそうにはにかんだ。

 陽に当たると透ける黄金の髪に、湖畔のような薄い青の瞳が美しい少年。

 彼は、この国の王太子だった。

 少女と同い年なのに、すでに王族としての気品を身に着けた彼は、どこか大人びていた。

「フィーはね、はやくおおきくなって、オーリーさまのおよめさんになるのです。ととさまも、かかさまもね、だいすきなのですが、フィーは、オーリーさまがいっとうすきなのですわ」

 白雪のような頬に、うっすらと朱が乗る。

 きらきらと輝く琥珀の双眸は、愛おしい王子様を映して、いっそうきらめく。

 全身で愛を訴える幼い少女に、少年の笑みも深まる。

「ぼくもフェザーが好きだよ。君はぼくが大好きな本に出てくる妖精そのものだもの。銀粉をふりかけたようなきれいな髪も、大きなまあるい蜜色の目も、色づく小さな唇も、なにもかも理想そのもの。君が君である限り、ぼくはフェザーが大好きだよ。ぼくだけの妖精姫」

 うっとりと囁いた彼は、小さな少女をぎゅっと抱きしめると、まろやかな頬に口づけた。

「オ、オーリーさまっ」

「ふふ。かわいいな」

 かぁぁぁっと赤くなる彼女に、少年はくすりと笑みをこぼした。

 そんな可愛らしいやり取りに、控えていた侍女や護衛兵の頬も緩んだ。

 こんな光景が永遠に続くのだと、だれしも疑わなかった。

 そう、だれも……。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 食堂の扉が開かれた瞬間、それまで賑やかだった空気が凍りついた。

 カツンッとかかとを鳴らしながら、ゆっくりと進んだその人物は、すっと視線を走らせると空いている席へと腰を下ろした。

 刹那、向かいに座っていた生徒が、ヒッと息を呑んだ。

「今日の生贄はアイツか」

「おかわいそうに…」

「あら、待って。あの方、席を……」

 まだ食事の途中だというのに、慌てたように席を立った生徒は、そのまま振り返ることもなく食堂をあとにした。

「なんと無作法な」

 そう咎める声が密やかに広がるが、それもやむなしというのが大半の意見だ。

 その人物の周囲から、次々と人がいなくなる。

 ある者は顔を青ざめさせ、ある者は気まずけに移動していたが、注目されている人物は特に悲しむでもなく、配膳係に注文をしていた。

 その席から少し離れたところには、身分の高さを示す腕章をつけた令嬢の集団があった。

「あのお顔を見ながらでは、せっかくの料理も味気なくなってよ」

「いい加減、彼の方も空気を読んでくださればよろしいのに」

 柔らかな日差しが降り注ぐ良席には、五人の令嬢がテーブルを囲んでいた。

 すでに食事は終え、優雅にティータイムを楽しんでいる最中であった。

「あの顔になってもなお、王太子妃の座に執着なさるんですもの。なんという厚顔かしら」

「本当に……。わたくしでしたら、王太子様の婚約者という立場を辞退してよ」

 美しく装った令嬢たちは、双眸に険を宿しながらそっと開いた扇で口元を覆った。

 それでも表立って意見ができないのは、視線の先にある令嬢が、この学園に通う王太子の次に身分が高いからだろう。

 マリーフェザー・トゥオルク・ザ・ヴォールト。

 王太子の婚約者にして、三公のひとつであるヴォールト公爵家の令嬢。遡れば、その血筋は、王家にも連なることもあり、本来なら、節度を持って敬うべき存在である。

 だが、この学園に彼女を敬意を払う者などだれ一人としていなかった。

「でも、ご存知?」

 ふっと令嬢の一人の口元が歪んだ。

 どこか昏い悦びが潜む声音に、同じく口元を歪ませる隣の令嬢。

「あのお噂のことかしら?」

「まぁ、どのような噂ですの?」

 視線で会話をする二人にじれたのか、割って入ったのは栗色の髪の令嬢だった。

「あら、ご存知ありませんの? 今、学園を騒がしている雌狐の存在を」

「もちろん存じておりますわ。わたくしの友人の婚約者も、毒牙にかかってしまって……。それを知った友人は、一週間は寝込んでいらしたのよ。わたくしも気が気でないわ。わたくしの婚約者も同じようになってしまったら、平静ではいられないでしょうね。殿方には、とても魅力的に映るようですし……」

 いくら政略結婚とはいえ、幼い頃より結びつけば、情もわく。

 それをパッとでの娘に取られては、怒りも覚えるだろう。積み重ねた思い出が砂のようにもろく崩れ去るような錯覚を覚え、彼女は切なげにため息をついた。

「同性からするとまるで媚びているようですし、ただの礼儀を知らない子犬のように見えますけれど、殿方には新鮮らしいですわね」

「温室の薔薇よりも、たくましい野花…いえ、野草といったところかしら」

「まあ、いやだ! あの子にふさわしい呼び名ですわね」

「それで、その野草とかの君がどのように関わるんですの?」

 脱線していく二人に、別の令嬢が、口を挟んだ。

 私も理解できないわ、と冷めた紅茶を口に入れた彼女に、隣にいる令嬢が耳打ちした。

「もうすぐわかりますわよ」

 その直後、食堂の扉が再び開いた。


「きゃー、オリフィスさま、みてみて! 今日も陽の光が差し込んで、きらきら輝いているわ。毎日見ていても飽きないわ」

 静謐さのある食堂に似つかわしくない声が、響き渡った。

 令嬢は冷ややかに、令息は熱に浮かされたように、入ってきたきらびやかな集団を見つめた。

 生徒の取りまとめ役を示す純白のローブは、会長の証。

 そして、会長の周囲を固めるのは、会長を補佐する藍色のローブをまとった令息だ。

 全員、高い身分を示す腕章をつけていた。

 その中で異色なのは、一般色をまとっている少女だ。小柄な彼女は、容姿こそ秀でているものの、身分は下級貴族であった。

「ああ、そうだね。でも、はしゃぎすぎると危ないよ……おっと」

 うっとりと食堂を見渡していた少女の体が傾ぐ。それを後ろに居たオリフィスが片手で抱きとめた。

「ご、ごめんなさい……っ」

 謝りつつも潤んだ双眸には、別の熱が宿っていた。

「君が傷つかなければそれでいいよ、僕の妖精姫」

 もう片方の手で少女の白金の髪を一房取ると、そっと口づけた。

「オリフィスさま……」

 白皙の美貌を前に、ぽーーっと見惚れる少女に、いたずらっぽく片目をつむったオリフィスの視線が、なにかをとらえた。

 その視線を追った少女の目が大きく見開かれる。

 パッとオリフィスの腕から離れると、駆け出した。

「ねぇ、どうしてこんな端で食べているの? せっかくだから、テラスで食べましょうよ! オリフィスさまも一緒なのよ。婚約者ならたまには、一緒に食べたらいいのに。オリフィスさまがかわいそうだわ。わたしだったら、ずっと離れないのに」

 可愛らしく頬を膨らませる少女に、声をかけられた令嬢は口を開かず、ただ手を動かして食事をしていた。さすがに公爵家の令嬢だけあって、テーブルマナーは完璧だ。流れるような動作は、見習うべきものがあるが、あいにくとこの学園に気づく者はいない。

「ティア、それにかまっていないで行くよ。僕との貴重な時間を無駄にするつもり?」

「まぁ、オリフィスさまったら」

 恥ずかしげに頬を染めつつも、視線はチラチラと下に向いていた。

 けれど、相手にされないことを知ると、むっと唇を尖らせた。

「あなた、昔は、可愛かったみたいね。でも、今は、その気味の悪い仮面のせいで台無しよ。オリフィスさまも気味が悪いと言っていたわ。いいかげん陰気臭いのを直せばいいのに。わたし、きらきらしたものが好きなの。だから白亜の城みたいなこの学園で学べて嬉しいし、生徒もみんなきれいな人たちが多いからとっても好きなのに、あなたのせいで黒いシミができたみたい。オリフィスさまだけじゃなくて、みんなにも嫌われているのに、よく居続けられるわね。わたしだったら、絶対無理。あなたって、図太いのね。女の子は、繊細なほうが可愛いのよ」

 そう言って愛らしく微笑んだ少女は、ぴくりと指先を震わせた仮面の令嬢に気づき、笑みを深めた。じゃあね、と軽やかにスカートの裾を翻した少女は、お待たせ、とオリフィスの腕に掴まった。

 そのままテラスへと移動する二人の後ろには、宰相の息子や騎士団長の息子をはじめ、有力貴族の子息が連なっていた。会長の補佐であり、王太子の側近でもある彼らは、少女の無作法を咎めることなく、愛おしそうに見つめていた。


 彼らの姿が食堂から消えると、ふっと空気が緩んだ。

 まるで嵐のようだったとほぅっとため息を付いたのは、栗色の髪の令嬢だ。

「おわかりかしら? 女狐は、立場もわきまえずに王太子妃の座を狙っているのよ」

「たかだか男爵家の……まして、市井で育った小娘を将来の王妃なんて……」

「あら? 不可能かしら。殿下が望まれれば白も黒となってよ」

「……わたくし、かの君がおかわいそうになりましたわ」

 栗色の髪の令嬢がそっと目線を落とした。手の中にあるカップを見つめ、もどかしげにきゅっと力を込めた。

「あの事件さえなければ、王太子殿下はかの君に寄り添って……」

「それは今更ですわね」

 ぴしゃりとはねつけられた栗色の髪の少女は、小さく肩を震わせた。

 きっと、誰一人忘れることはないだろう。

 国を揺るがせた五年前の事件のことを……。

 



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