兄一コレクションと対戦ゲーム(後編その2)
10/12 20:32 あまりにも誤字が多くてこっそり修正しました。
「ねえ兄さん?」
「ん、何だ?」
最終戦開始。
アクセルボタンを小刻みに連打して全力スタートダッシュを成功させたタイミングで、おもむろに渚が話しかけてきた。
せっかく渚を視界の外に追いやったというのに、ヤツの言葉に耳を貸すのは危険だ。
だが、うっかり返事をした以上、無理に黙らせたりすれば精神的負い目が芽生える。
その負の感情が操作ミスに繋がると判断した俺は、渚の言葉を待ちつつ、スタート直後の第一カーブを曲がっていた。
「僕が女の子になれるって打ち明けたときのことを覚えてる?」
「ああ、あの時は驚いたぞ」
俺が渚の変身を目の当たりにしたとき、当然だがまず驚いた。そして直後に行ったことは“心配”だった。
性別を変えれるということは、体に何かしら異常があるに他ならない。
下手をすればその性転換能力と引き換えに、生命に関わる重大な副作用が生まれたんじゃないか? って思った俺は、それまで渚を空気扱いしていたことも忘れて奔走した。
たとえば嫌がる渚を引きずって、病院で精密検査をさせたり。
たとえば何かしらの超自然的な力のせいかと、オカルト系に的を絞って図書館で文献を漁ってみたり。
たとえば宇宙人にアブダクションされて人体改造されたのかと、チャネリングを試みたり。
……渚が執拗なまでに『大丈夫だから』と繰り返し、精密検査も目に見えた異常がなかったことから現在は大人しくしているが、そのときの取り乱しまくった俺は、ハタから見てすごく滑稽だったらしい。
「あのときは悪かったな。一応お前の希望通り、性別を変えれることだけは誰にもバラしてなかったが、それでも鬱陶しかったろ?」
「ううん。それだけ僕を心配してくれたってことだから、むしろ嬉しかったよ」
ちなみに精密検査は近所の総合病院ではなく、とあるツテで紹介されたモグリの医者に『匿名希望の普通の女の子』として診てもらった。
高校生のガキの浅知恵だが、渚がモルモット扱いされることを防ぐためだ。
「ところで僕の血液型って知ってる?」
第四・第五コーナーとたて続けに、渚が操るマシンとほぼ同時に抜ける。
この先の第六コーナーを曲がれば、すぐトンネルが見えてくるというタイミングで、前後の脈略のない話を振られた。
「すまん、正直覚えてない」
俺たちは双子と言っても二卵性だから、血液型は一致すると限らない。
そして俺はついこの間まで渚との接触を極力断っていた為、コイツの血液型を把握していない。
「もう、酷いなあ。僕の血液型はAB型だからちゃんと覚えておいてね」
「悪かったよ、けどそれがどうしたのか?」
「精密検査のときに分かったんだけど、女の子の僕も血液型はAB型なんだよね」
「そりゃそうだろ。女の子になっても、お前はお前なんだから」
「どうしてそう思うの? 男の僕と女の僕はたまたま血液型が一致しているだけで、遺伝子的には別人かもしれないんだよ」
「まさか……そんな……」
マシンが唸りを上げ、トンネルへと突入する。
「あり得ないとは言い切れないよね? 僕の女体化は、元の自分ベースにXY染色体がXX染色体に変化しているだけなのか、それとも一度分解してまったく別人の体として再構成されているのか。可能性としてはどっちもあり得るよね?」
「……お前がその体のときは、俺と血の繋がりが無いって言いたい……のか?」
「『かもしれない』だよ。DNAや染色体は調べたけど、あくまでこの体は普通の女の子という証明をもらっただけで、家族と比較して血の繋がりがあるかどうかまでは確かめなかったからね」
パッドを持つ手が震える。
レースの風景がどんどん遠ざかっていくのを感じる。
「兄さんは事あるごとに、女の子の僕のことを『男』だから『弟』だからって言ってるけど、生物学的には女だし、血の繋がりだってまだ証明できていないんだよ」
渚の声は平然とした……いや、ほんの少しだけ期待と不安が入り混じったものだった。
コイツが今どんな表情をしているのか、視界を悪くする眼鏡のせいで分からない。
いつの間にか渚の操るマシンがチェッカーフラッグの祝福を受けていたが、2人揃って喜びもしなければ悔しがりもしない。
「ううん、もっと言えば男が女になっている時点であり得ないんだから、科学的な方法で血が繋がってると言われても鵜呑みにできない」
「………………」
「いまの僕たちは兄弟でなければ兄妹でもない。ただの男と女かもしれないんだよ……“兄一さん”」
渚は身じろぎしない俺の背後に回り込み、首から腕を回してくる。
“彼女”から漂ってくる薔薇の香気が、甘い麻薬のように俺の心に深く染み込み、心を蕩けさせてくる。
俺は渚の突然の暴露に何て答えるべきか。
『よし、今からDNA検査をしてみようぜ』
バカか俺は。空気を読んでないにもほどがある。
『たとえ事実はそうであったとしても、俺にとっての真実はただひとつ。性別や血の繋がりなんて関係無しに、お前は俺の弟だ!』
これが最高の答えだろう。
男に戻れるといえ、女の子になってしまった渚が、自分が誰とも繋がってないかもしれないことに心を痛めているのなら。
けど、渚の望みがまったく別のものだとしたら、この答は最高に最悪なものになる。
いや、それ以前にこの回答が俺の本心だと胸を張って言えるか?
本当は、一切のしがらみを捨てて、渚といちゃつく日常を享受したいんじゃないか?
「俺は……」
何かを言おうとしても言葉にならない。
……当たり前だ。俺の中で結論が出てない以上、それを口にできる訳なんてない。
そのはずなのに。
「お前のことを……」
口が勝手に動く。
自分自身ですら形になっていないはずの、俺の本当の気持ちを口に出そうとして。
「……ププッ、クスクス」
「な、渚?」
「なんてね。どう、びっくりした?」
首に回されていた腕が離れ、渚の気配が遠ざかる。
「な、なんだよ。いつものドッキリだったのかよ?」
「当たり前じゃない。ホラ、画面を見てよ」
「ああ、お前に負けちまったな。俺を油断させる作戦だったのか。まんまとハマっちまったなあ、ははっ、ははは」
「クスクスクス」
六畳一間の狭い部屋に、男と女の笑い声が木霊する。
どちらもまったく楽しそうでなく、すごく乾いて道化じみた笑い声が。
「そうそう。僕、ちょっとトイレに行ってくるね。さっきからずっと我慢してたんだ」
「あいよ。んじゃ俺はゲーム機を片付けておくわ」
こうして俺たちは互いに顔を見合わせることなく、1人になった。
「土壇場で逃げちまったな……俺も、渚も」
兄弟揃って、真実を知ることから逃げた。
シュレディンガーの猫。
俺と女の渚の血の繋がりさえ確認しなければ、俺たちは兄妹にもなれるし、ただの男と女にもなれる。
都合のいいときは兄妹。都合のいいときは男と女。
ああ。実にそそられる誘惑だ。
けど、俺と渚の血が繋がっているか否かは抜きにしても、俺は逃げてしまった。
俺は渚のことを弟としてみたいのか、妹としてみたいのか、女としてみたいのか結論を出すことから逃げた。
そして、渚は俺をどう思ってるかを知ることから逃げてしまった。
さっきまでのガチトーンで『いつもの冗談でした、テヘペロ』なんて、渚がストレス解消のつもりだったと言うには無理がある。
あの告白じみた独白は、実は本当の告白で、渚が俺に好意を寄せていると考えるのが普通だ。
だけど。
本当に“そう”なのか、確認するのが怖い。
兄とか妹とか男とか女とか以前に、渚みたいなすごい奴が、誇れるものが何もない俺ごときを好きになると信じることができない。
単純に言ってしまえば自分に自信が持てない。
だから渚が場を壊したとき、俺はそれに乗ってしまった。
俺自身の結論を出すのが怖くて。
渚の真意を知るのが怖くて。
「いずれにしろ時間が必要だよな」
1つは俺の気持ちを纏めるため。
もう1つは自分に自信を持てるようになるために。
「けど、渚が場を壊した理由を意図的に考えないようにしているあたり、自信を持つのは難しいんだろうな」
「みぎゃああああああ!」
それはいきなりだった。
何の前兆もなく頭上から降ってわいた女の子の声。
それがどういうことなのか理解する前に頭部に強い衝撃を受け、俺はその場に倒れこんでしまった。
「あ痛たたた……時間座標も空間座標もミスするなんて……ってパパ!?」
舌ったらずな声から察するに、どうやら声の主は小さな女の子らしいが、視界がぼやけて姿が見えない。
「うわー。写真で見たことあるけど、やっぱりこの時代のパパって若いわね~……ってそうじゃなく! ご、ごめんなさいパパ、大丈夫!?」
誰がパパだよ。人違いにもほどがあるだろ。
俺はまだ高校生だし、そのうえ童貞だぞ。
「よかった。頭に大きなコブはできてるけど、それ以外は大丈夫みたい」
女の子らしき小さな手が俺の頭をペタペタと触ってくるが、返事を口に出すことができない。
それどころか、どんどん意識がぼやけてくる。
おい、そこのチビッ子、本当に俺は大丈夫なんだろうな?
「兄さん、女の子の声が聞こえてきたけど何があったの!?」
「ヤ、ヤバい。ママの声だ。ど、どどどどうしよう。あたしがパパをケガさせたって知られたら、折檻されちゃう!」
ママ?
あれは渚の声だぞ。
「再度の時間跳躍……はムリだし、こ、こうなったらもう素直に謝るしかないわ! ママが来る前に急いで服を脱いで土下座して待ちかまえないと!」
ふとそこで、電源が切れるように俺の意識がぷつんと落ちた。
シリアスで今回の話の締め、と見せかけて怒涛の展開に。
ちなみに今後の話の方向性は大きく逸脱せず、あくまでも今までと同じような流れで展開していきます(意訳:謎のちみっ娘はすぐ退場します)。