誤った謝り方
「兄さん、ごめんなさい!」
「何やってんのお前?」
部屋のドアを開けたら、弟が妹になって全裸土下座をかましていたでござる。
その右側には、着ていたであろう女物の服を丁寧に折り畳んで置かれた状態で。
冗談のようだが本当の話だ。
ここまで脳が現状理解を拒んだのは、渚が女の子になれることが発覚して以来か。
……もしかしたらあのときより酷いかもしれない。
「……………」
――バタン。
さすがに脳が現実を受け付けてくれず、なかったことにして部屋に戻る。
――そのまま経過すること2時間。
さっきのは一体なんだったんだろ?
全くもって訳が分からないが、さすがに関わらないのが正解だよな。
なんて思いながらトイレに行こうと再び扉を開けたら、先ほどと変わらぬ姿の渚がいた。
……いや、渚自身はそのままだし、右サイドの畳まれた衣類もそのままだ。
けど、いつの間にか置かれているムチと手錠とビデオカメラは何なんだよ!
一体これでどうしろって言うんだよ!?
「……新手の嫌がらせか?」
「ち、違うよ!」
俺のうめきに反応して、伏したまま否定する渚。
黒髪ロングという純和風な容貌に加えて、折り目正しい正座は凛として楚々な色気を感じるが、いかんせん過剰すぎる肌色成分が台無しにしている。
完全に伏しているせいで、おっぱいや下の大事なところが見えないのは、この異常なシチュエーションにおいては幸いか。
とりあえず話を聞いてみようとしたものの、カノッサの屈辱よろしく『ごめんなさい』を繰り返してばかりだ。
それでもなだめすかして口を開かせたところ、バスローブ姿で俺をからかった際にやりすぎたことを気にしていたらしい。
「……そうか」
「本当にごめんなさい」
たしかにアレにはイラッときたが、なにも全裸土下座かまされるほどのことじゃないと思うんだが。
むしろコロッと騙された自分自身の単純さの方が、よっぽどムカつくってもんだ。
だからまあ。
「気にするな、とまでは言わないけど、いいさ。許すよ」
「本当!?」
そこで渚がガバッと上げようとした頭を俺は掴み、とっさに抑え込む。
「うぅ。やっぱり怒ってるの?」
「いや、そうじゃなくてな……」
上体を起こしたら色々見えるじゃん。
見たくないって言えばウソになるが、色々間違っていると言え、こういう場面で拝むのは違うと思う。
それを説明したうえで、『もうやるなよ』と釘を刺して渚の『……分かったよ』という返事を貰って一件落着。
……そう、少なくともこのときはそう思ってたんだ。
――翌朝。
「んあー、まだねむいな」
手早く登校の支度を整えて玄関へ。
最近は渚がここで待っていて、イヤがる俺を拉致って一緒に登校してるんだが……。
「アイツの靴が無いな。先に行ったのか?」
と、このときは気に留めなかったけど、それが始まりだった。
それから渚は、以前俺がそうしていたように、あからさまにこちらを避けるようになった。
日に何度も訪れていた俺の部屋からは足を遠ざけ。
食事の時間は顔を合わせないようにずらし。
廊下ですれ違っても目も合わせず、話しかけようとしても『あ、ごめん。用事を思い出した』なんてスタコラといなくなり。
と、こんな感じだ。
どうにも渚は、『もうやるなよ』という言葉を、『二度と俺に関わるな』と曲解したらしい。
俺としては、『女体を使った逆セクハラはほどほどにな』程度の意味合いだったんだが、どうにも説明不足だったか。
「まあ、それならそれでいいか」
ここ最近が異常だっただけで、兄弟の関係性が昔に戻っただけだ。
渚にしても、どうせ関わるなら俺みたいな凡人より、もっと自分と釣り合う奴と付き合った方がアイツの為になるってもんだしな。
以前と違って一人は少しばかり寂しく感じるが、そのうち慣れるだろう。
――なんて思いながらさらに数日が経過。
『兄さん兄さん兄さん兄さん……』
いや、怖えよお前。
ロクに飯を食ってないのか、男女どちらの状態でも、同性が羨むほどの美貌は見る影も無くやつれ、目だけが爛爛と輝き、呪詛のように俺の名前を呟いてやがるし。
学校でも授業中にブツブツとうわ言を繰り返すばかりか、ノートにひたすら俺の名前を書き連ねてるんだぜ。
学校の貴公子――あるいはアイドル――がそんな調子だから、渚を崇拝する連中どもは『無能兄貴が何かしたせいだ』って俺を目の敵にして攻撃してきやがる。
冗談じゃない。俺は何かしたんじゃなく、何かされる方だってのによ。
ともあれ、この渚の様子を鑑みて推測を立ててみた。
おそらく渚は、自分の体が性別を変えれるモノになってしまったことに強いストレスを感じている。
そして、そのストレスを、俺をからかうことで発散し、何とか自分を保っていたんだろう。
しかし、ここに至って、その抑圧のはけ口が無くなったことで暴走しかけてる、と。
うん、そう考えればしっくり来る。
俺が渚の立場だったら、これ幸いと女の子になった自分の体を探索したり、女湯とか女子更衣室に堂々と入ってくんだけどなあ。
……けどそれは『もしも』の話で、実際にそういう立場になったことが無いから言える話だしな。
という訳で仕方なく。
そう、渚のストレスを発散させるために非常に仕方なくだが、アイツの勘違いを正したうえで、『いくらでも俺に絡んできていいぞ』と言ってやり、元の鞘に戻った……ことを、俺は今すごく後悔してる。
「渚、渚ァ! テメェ、ちょっと俺の部屋まで来いやアアアアアアア!」
ズボンとトランクスを下ろし、パソコンのDドライブにアクセスした俺は、渚が禁忌に触れたことに気づいた。
そして本来の意味での壁ドンを決行して、自分の部屋ににいるはずのアイツを呼び出した。
渚の謝罪についてはダイジェストで簡単に済ませるつもりが、それでも1話分の分量を使ってしまいました。