北風と太陽~押してもダメなら引いてみよう(前編)
幼児退行プレイから2日後の日曜日の夜。
正気に戻った(フリをした)渚は自室のベッドに腰をかけ、“敗因”を分析していた。
幼児を演じたことにより、普段よりごく自然に・より大胆に兄一に接することができた。
しかし、兄一は決して一線を越えようとしなかった。
その原因は何か?
「考えるまでもなく、僕と同じ理由だよね……」
自分がこのプレイの参考にした、兄一が幼児退行したときのことを思い出す。
外見は地味だが、この世で一番……いや、異世界も含めたどの世界でも一番格好いい(渚主観)兄一の肉体に、子供の性格。
女になっていることで肥大した渚の母性本能。
そこをくすぐりまくる彼の世話をしているうちに、何度逆レイ……もといプロレスごっこのゴングを鳴らそうとしたことか。
その肉欲を押しとどめたのは、なにも知らない無垢な兄一を肉欲に任せて、半ば騙し討ちのように蹂躙することに気が引けたからだ。
ならば逆もしかり。兄一も同じような結論に至った故に、多種多様な誘惑を最後まで耐えきったのだろう。
まったく、こういうときは兄妹そろって面倒くさいと思わざるを得ない。
「んー、兄さんの気を引く何かいい方法とかないかな~」
数学の公式や英文法を斜め読みしただけで理解できる優秀な頭脳も、最適解を出してはくれない。
いや、女になって兄一にからむようになってから、いろんな意味で頭が悪くなったと自覚しているが、そんなことはどうでもいいか。
何か使えるものはないかと部屋を見まわした渚は、そこで一冊の絵本を見つけた。
幼児退行した兄一と一緒に読むために買った代物だ。
「よし、今度はこれでいってみるか」
その本の表紙には、北風と太陽と旅人が描かれていた。
「おはよう、兄さん」
「おう」
月曜の朝。
俺は一緒に登校するために玄関先で待っていた渚と合流する。
「お前、今日はそっちの姿で登校するんだな」
「最近ご無沙汰だったからね」
俺の問いかけに答える渚の声は、最近になってようやく聞きなれた美しいソプラノボイスじゃなく、声変わりを経た男の低い声だった。
着ている服もブレザー・ブラウス・リボン・スカートという女子制服ではなく、ブレザーにワイシャツネクタイ、そしてズボンという男子制服だ。
当然そこに乗っかった頭も、腰まで伸ばした黒髪少女ではなく、茶色じみた短髪のイケメンフェイス。
とどのつまり、素の渚だ。
渚はその日の気分によって、男と女を使い分けて人前に出ている。
渚が男のときは俺の弟で湊音家の次男、女のときは俺の妹で長女として他人に認識されてるんだが、一人二役を演じている訳ではない。
どういう理屈かは知らないが、渚が男のときは女の渚が最初から存在しなかったことになっている。
逆に渚(♀)のときは男の渚の存在を誰も覚えておらず、最初から女だったと認識される。
書類上は常に男のままだから、世界改変云々とか、因果律がどうたらこうたらとか、セカイ系のレベルじゃないと思う。
ただ単に、明らかな矛盾を他人が気にしなくなるだけだ。
え? 分かりづらい?
そのうち改めて説明する機会があるだろ。
そうそう。上記の例は、あくまで俺以外だ。
何故かは知らないが、俺だけは女の渚を見ても、コイツは本当は男なんだと正しい認識を持てている。
どういう理屈なのか? 何で俺だけ例外なのか?
渚に何回か聞いてみたんだが、それとなくはぐらかされ続けているんだよな。
「兄さん、急に考えこんでどうしたの? 熱でもあるの?」
「ああいや、何でもないから気にするな」
イケメンが顔を近づけ覗き込んで来るが、コイツが男の状態だと変に緊張することはないから助かる。
さすがに土日に幼児退行があったから、和風少女verとは顔を合わせ辛いんだよな。
渚の方は、おかしかったときのことを覚えてないみたいだけどさ。
とまあ、そんな感じで野郎二人の登校風景。
これから過ごす、ある意味異常で通常な2週間のはじまりは、俺が気づかないうちに幕を開けた。
――翌日(火曜日)夕方。
「お前が料理当番の日に、男に戻って晩メシを食うなんて珍しいな」
「今日はこの姿のままで作ったからね」
繰り返すが、我が家の夕食作成は当番制だ。
アレなことがあったとえ、金曜は渚、土日は幼児verの渚と二人で作って、月曜日は俺。
であるなら、本日火曜日の晩メシの支度は渚がするんだが、コイツは料理を作る際は基本女の子になる。
何でも、男に比べ女の方が味覚に優れてて、より繊細な味付けをできるからだそうな。
そして支度が終わったらそのまま食べる訳だから、わざわざ男に戻るよりは、女のままでいることがほとんど。
だから、男になってるのが珍しくて聞いてみたんだが。
「どうりでいつもと味付けが微妙に違うと思ったよ……ほら、醤油だ」
「ごめん、口に合わなかった? あ、おかわりだよね?」
双子ならではの以心伝心……では決してないが、互いに臨む物を何となく察し、受け渡しをしながら夕餉を続ける。
……思えば、最初におかしいと気づいたのがこのときだった。
――その日の夜。
「兄さん、ゲームやらない?」
「あいよ。テレビゲームか? カードゲームか? ……って、ゲーム機を持ってきてるってことはそっちか」
部屋にやってきた渚と遊んで過ごす。
いつぞやのように、途中で女の子に変身して惑わしてくるかと思いきや、終始男のままだった為、精神衛生が良好なままでゲームを楽しむことができた。
――水曜夜。
「兄さん、風呂上がったから次いいよ」
「今日も男のままで入ったのか?」
部屋に入ってきたのが、バスタオルを腰に巻き付けた少年だから、そう推察するのは当たり前のことだ。
ちなみにいつもなら、女性体バージョンで胸元からバスタオルを巻いた姿でやって来ては、色々からかってきたりする。
この間なんか
『兄さん、白湯を飲む?』
なんて湯飲みを持ってきて、俺が口に含んだ瞬間、
『僕が入った後の残り湯だよ。じっくり味わってね』
なんて言われて、驚きのあまりゴックンしちまった事もある。
……アレが本当の残り湯だったのか、単なる白湯だったのかは、未だに謎のままなんだよな。
それにしても……うーん。
何と言うか、理由は分からないんだが、妙にモヤモヤするなあ。
今回は可逆(自由に男に戻れるし女になれる)TSならではのエピソードです。




