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呪われる喜び

作者: 小雪

 何故だ?なんでこうなった?

 自分は明日に備えて、早く寝たはずだ。

 なのに、気が付いてみれば自分は、不気味な女と距離を取って対峙している。

「・・・うう・・・」

 広い和室。自分はそこに立っている。

 そう、和室だ。薄暗く、広すぎる程に広い畳の敷かれた部屋に自分は立っている。

 ただ、和室のどこに立っているかまではわからない。

 壁が薄暗くて見えないのもあるが、身動きが出来ないのだ。

 指一本、視線を動かすこともできないまま、遠くから、呻きながら歩いてくる女性を見ていた。

 一目で幽霊を連想させる女だ。

 白いワンピースを着て、黒く長い髪を前にたらし、顔を隠して、呻きながら近づいてくる。

 ただ、不気味なだけの女だが、自分はこの女が幽霊だと確信していた。

 美白というには、青白すぎる肌。

 聞くだけで分かるほどの恨みと、苦しみのこもった呻き声。

 そして、何より、見ただけで怖気を与える女の雰囲気。

 それは、夢というには現実的すぎるほどで、生きている者と死んでいる者の間にはこうも隔絶した者があるという事実を目の前にたたきつけてきた。

「・う・うう・・・」

 女との距離はまだある。

 なのに、女の声は聞こえてくる。

 これは夢なのか?

 だとしても、心当たりがない。

 自分は普通に寝た。

 ホラーや怪談など、怪奇現象に関係する物は、しばらくは無縁だった。

 幽霊という存在なども、長い事、考えた事もない。

 じゃあ、これは何だというのだ?

 体は全く自分の意志で動かすことができない。

 なのに、心臓は早く高鳴っている。

 背筋も、味わった事のない悪寒を感じている。

 夢というにはあまりにリアルだ。

「うう・・・うう・・・」

 女はゆっくりとだが確実に近づいてくる。

 足音は聞こえない。

 だが、女との距離が近くなればなるほどに、怖気も心臓の高鳴りも強くなってゆく。

 呼吸も荒くなっているはずだ。

 なのに、呼吸は聞こえない。

 うめき声だけが近くなってくる。

 一歩一歩、女は歩きながら近づいてくる。

「う・・・ううう・・・う」

 近づかれるたびに感じる。

 女は恨んでいる。

 女は苦しんでいる。

 行き場のないそれらを自分にぶつけようとしている。

 何故だ。

 何故自分なのだ。

 そんな疑問も答える者はいない。

「うう・・・う・・・う・・・う」

 この場にいるのは自分と女だけ。

 女は近付いてくる。

 もう、距離も近い。

 後、女が数度歩けば、女の手は自分に届くだろう。

 そうしたら、どうなる?

「うううう・・・うううう・・・・」

 女の目が、こちらを見ている。

 この距離で分かった。

 髪の間から除く目は、こちらを見ている。

 じっと、生気も無い目が、見開かれてこちらに向けられている。

 今までの人生で。こんな目で見られた事はあったか?

「ううううう・・・・・・」

 いや、ない。

 女が近付く。

 自分はここまで、誰かに感情を向けられたか?

 それも、ない。

 女が近付く。

 お互い手を伸ばせば届きそうな距離だ。

 女が手を伸ばし、こちらの二の腕をつかむ。

 強い。

 痛みが走る程の力で掴まれた。

 女が顔を上げる。

 目は見開かれている。

 睨まれている。

 美人と言える顔は、その形相のせいで、迫力あるものになっている。

 女の口が開かれる。

 唐突に理解する。

 自分は噛まれる。

 噛み跡を付けられる。

 恨みを込めて。

 ああ、呪われるのだ。

 女の口が肩に近づく。

 そして、自分の震えは最高潮に達し。

 自分は、女を舐めた。


 べろり。

 舐めたのは、女の頬だ。

 女がこちらを見る。

 構う者か。

 舐める。

 あれほど動かなかった。体が動く。

 べろり。

 また、舐める。

 冷たい。

 アイスのような舌だけを冷やす心地よさはない。

 舌から、しびれる程の悪寒に似た冷たさが全身をめぐる。

 だが、やめない。

 べろり。

「う・・・あ・・・」

 女が顔を遠ざける。

 掴まれていた手の力が緩む。

 手を放す気か?

 待ってくれ!

 衝動に任せ、体を動かそうとする。

 動く。

 とっさに女に抱き着く。

「あ・・・あ・・・」

 女が身をよじる。

 その身は冷たい。

 心臓に痛みが走る。

 これは・・・、悪意か?

 女の持っている悪意、恨みや苦しみが伝わってくる。

 ああ、ああ!

 これ程に自分は思われている!

 呪われるほどに強く想いを向けられている!

 親にすら向けられなかったのに!

 たまらない。

 自分は舐め続ける。

 女は強く身をよじる。

 その度に、女を愛しく感じる。

 この女をもっと味わいたい。

 欲望が最高潮に達するのを感じ、その欲望に身をゆだねる。

 がぶり。

 噛む。

「ぎっ」

 女が絶叫する。

 どんな気持ちなのだ?

 わからない。

 人の心に鈍い自分にはわからない。

 ただ、嚙む力を強めてしまった。

 途端、女から流れてくる冷たい感情が強くなった気がした。

 すすってみる。

 味は無く、冷たい。

 しかし、感じる。

 自分の奥深い所で、女と自分が交ざってゆくのが。

 女の絶叫は強くなる。

 恐怖しているのか?

 わからない。

 ただ、女が男に捨てられ、ただ恨みだけでこの世にとどまっている事だけが分かる。

 うらやましい。

 自分にはそこまで人を恨んだこともない。

 そして、愛したこともない。

 なんと希薄な人生だろう。

 その人生の中で今、自分は最も濃い時間を過ごしている。

 そのなんと喜ばしき事か。

 そして、喜びに身をゆだねたまま、呪われて身を亡ぼす。

 なんと、幸せな事か!

「・・・あ」

 女の絶叫が消える。

 途端、夢が終わってゆくのを感じた。


「・・・・・・」

 心地の良い朝といえるのだろう。

 スズメだろうか?

 鳥が鳴いている。

 あまり物が無く、生活感の薄いと言える寝室は明るかった。

 だが、だるい。

 心臓は重い。

 背筋も寒い。

 そして、何より頭の中で声が聞こえるような気がする。

 それは、とても強い叫びだった。

 出してくれ。

 それだけが、頭に思い浮かんでくる。

 ふ、と息が漏れる。

 体の奥から、震えに似た感情が沸き上がってくる。

 笑う。

 人生でこれ以上に無いほどに笑う。

 生まれて初めて泣く時、赤ん坊はこんな気持ちだったのだろうかとそんな事を考える。

 体調は最悪かもしれない。

 恐らく、このままでは命に係わるだろうという予感もある。

 だが、構わない。

 自分は、これからもあの強い感情を向けられ続けるのだ。

 ふと、二の腕が痛むので、そちらを見る。

 そして、二の腕にあった物を見て、自分の中に愛しさがこみあげてくるのを感じる。

 そこには何か強い力で掴まれたかのようなあざがあったのだ。

 ああ、これは、呪われた証だ。

 自分が強く、強く誰かに思われた証だ!

 起きよう。

 ああ、つまらない日々はもう終わるのだ。

 自分はふらつきながらも、仕事に行く準備をした。


「・・・どうです?」

「んー、設定としては面白いけど、このまま出すのはねー・・・」

「そうですか、幽霊の下りは恐怖感が足りないと僕も思っていました」

「しかし、お前から久々に連絡あったと思ったら、小説を見てくれとはね」

「ええ、兄の日記を元にしたんです」

「ああ、病死だったんだろ?」

「はい。というよりも・・・」

「・・・どうしたんだよ?」

「死因は分からないんです」

「へ?そりゃどういう事だい?」

「病死というより、体力が衰弱していったという方が近いんです」

「おいおい、もしかして・・・」

「日記に書いてあった事は本当かもしれないという事です」

「おいおいおいおい!んな縁起の悪いもん見せたのかよ!?」

「すいません。でも、兄の最後の情熱が込められていたような気がして・・・」

「情熱っつーか、呪いじゃないか・・・?」

「呪いですか・・・」

「どーしたよ、考え込んで」

「兄が生前言ってたんです」

「なんだよ?」

「呪われない人生に価値なんてあるのか・・・と」

「・・・なんだそりゃと言いたいけどな、こいつを見せられた後だと・・・」

「何も言えませんよね・・・。知っての通り兄と自分は、小さい頃、育ての親の都合上で、分けられて育てられました。だから、詳しい事は分からないのですが、どうも、兄は要領良く育てられたみたいなんです・・・」

「それは良い事じゃないか?」

「いえ、本当に要領良く、そつ無く、でも、愛情を向けられたとはとても言い難かったように思えます。僕が見た兄を育てた方は、愛想は良いけど、どこかマニュアルみたいなものに従って動いていたようでした。もし、兄を育てる時もそうだとしたら・・・」

「・・・あー、問題ないけど、愛情に飢えた人格になったと?」

「というより、誰かに注目される事、誰かに感情を向けられる事に飢えてゆくようになったのではないかと・・・」

「はぁ、理解できねーな。俺だって人並みに孤独を感じる時はあったけど、呪われたいとは思わなかったぜ?」

「ええ、僕もそうです。だからでしょう。兄との間に距離を感じていたんです。これも、そんな兄を理解できるんじゃないかなと思って書いたんです・・・。でもやっぱり理解できません。誰だって呪われるよりも・・・」

「どうしたよ?」

「いえ、少し理解できるかもしれないかなと」

「はぁ?」

「誰かに注目される。羨望される。恨まれる。それって、自分が他人に持っていない何かを持ってるか、相手に上位に立っているからって事ですよね。後、思うんです。今の世の中、誰かを呪う人なんているのかなって」

「ネットを見てみろよ、誹謗中傷、恨み言の嵐だぜ?」

「それだって、個人を呪うというよりも、ただ、不満をぶちまけているだけで、その人じゃなくても良んであって、その人を呪いたいとはまた違うんじゃないかと・・・。今の世の中、呪うよりも諦めてしまう人が多いんじゃないかな」

「俺は、そっちの方が健全だと思うぜ」

「ええ、健全です。でも、誰も繋がっている様で繋がっていない。今の世の中じゃ呪われるような恵まれた人も、呪うように強く思う人も少ないんじゃないかなと・・・」

「ふぅん、そういうもんかねぇ・・・。おっと、時間だ。んじゃ、俺はそろそろ行くぜ」

「そうですね。それじゃ、また。明日にでも会いましょう。ここら辺の話を聞かせてくださいよ。長い事来てなかったんですから」

「ん、おう・・・、つっても、物騒な話しかできないぜ?」

「物騒な話・・・、ああ、例の」

「ああ、最近ここいらで会った暴行事件だ」

「お前も気を付けろよ」

「ええ、そうですね。」


 ・・・

 ・・・・・・

 後日、暴行罪である男が捕まった。

 その男はこう供述しているという。

「男が出てくる夢を見て以来、人から何でも良いから見られたくなった」

 男の住んでいた部屋は、前の住人が病死した部屋だという事だ。

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