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第4章:ハライヴァの邂逅

少し短めです。(約5,500字)


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 翌朝、表面上は何事も変わりなく、カロシュ達はニネヴェの岩場を後にした。その後の行程でも、カイルは珍しくも必要以上に寄り道を希望することもなく、交易都市ハライヴァにはほぼ予定通りの4日後に到着した。

 ハライヴァは、アルバを始めとする東方諸国がイスファ領を経由して西方に向かう北東交易路の中間にあり、多様な人々が行き交う典型的なノーサの交易都市だ。

 東方諸国からノーサに入る玄関口ともいえる2つの交易都市――北西交易路と東南交易路の起点となるアスパダナや、北東交易路と東南交易路が交差するサマルと比べると、町全体の規模も隊商宿(カイサリーヤ)(サラー)も小さいが、諸国から集まる隊商の長い旅路を支え守るに十分なものは備わっている。


 ノーサを渡る4つの交易公路が「大陸随一の交易路」である理由はいくつかあるが、もっとも大きな理由はその安全性と快適さだろう。ノーサの5氏族は、それぞれ自領の交易路を整備し、複数の交易都市を開き、獣や盗賊から隊商たちを警備する戦士群である巡検隊を組織し、隊商に同行してその旅程を支援するカロシュやアラムのような護衛士・案内人たちの制度を整える。

 ノーサを通ることなく他国を巡ることは、特段難しいわけではない。だが、強いノーサの民に守られた草原の交易路は、互いに相争うことの多い複数の国々を渡るよりは、安全性の面でも経費の面でも優れているのだ。

 ノーサは隊商から税を取ることはない。各交易都市で落とす金や、護衛士・案内人などの支払われる金だけがノーサにとっての利益だ。入出国にさえ税を課すこともある他国を渡るより、ノーサを渡る道を選ぶ商人や旅人が多くなるのは当然のことといえよう。


 ノーサは他国に干渉しない。

 自らの草原の大地だけを誇りとし、他国の領土や権益には見向きもしない。交易都市に暮らす者を除けば、草原に暮らすノーサの民の暮らしそのものは決して豊かとはいえない。だが彼らはその生き様を誇りとして、律として草原に立っている。

 『侵さず、侵されず』の理念に立つノーサではあるが、周辺国がそれを完全に受け入れているわけではない。十年から二十年に一度といった頻度で、ノーサ交易の権益を手にせんとする周辺諸国のいずれかから、大なり小なりの規模で侵攻を受けている。最近では、6年前に南のファルス国が一軍をもってノーサ南部のカシュ氏族領の交易都市シーラズに侵攻しており、何を隠そうアルバ国も30年近く前にアスパダナを一時占拠している。

 だが、いずれの侵攻もノーサ各氏族の白獣士を始めとする戦士達によって撃退され、侵攻した国は大きな損害を受けて引き下がるのが常だ。各国も自分たちこそは……と思い侵攻をかけるのだろうが、その願いが叶えられたことはノーサが興って以降、一度もない。


 都市の門を抜けハライヴァの市街地に入った一行は、とりあえず休息を兼ねて数日をこの街で過ごすことにした。先の一件の影響から完全に脱するためにも、気分転換は大切だ。


「じゃあ皆は先に隊商宿に向かってください。カロシュ、いつもの所でお願いします。混んでいたら部屋は一つでもいいですが、寝台は人数分確保してくださいね。僕は物資と連絡を受け取りに、(サラー)に寄ってからそちらに向かいます」

「ああ。部屋を確保したら、カイル達を連れて先に食事をすませておく」

「そうして下さい。もしかしたら、僕の帰りは夕刻になるかも知れません」


 駅で1刻以上を過ごすつもりなのか、アラムは自分の手荷物だけを馬に乗せ、広場で二手に分かれた。

 アラムが向かった(サラー)とは、各交易都市での物資だけの授受や通信を請け負う施設だ。物資は隊商が依頼を受けて運び、通信は訓練された伝書鳥獣や逓送士が運ぶ。またその交易都市の役所や自治組織の支所が附属し、様々な手続きやもめ事にも対応している。

 アラムが5日後までのハライヴァ入りにこだわったのは、きっと彼の主からの連絡を受け取る都合もあったのだろう。今回の旅で都市に寄るたびに、彼は駅で何かしらの書面や物資を受け取っている。


 久しぶりの市街の賑わいに、カイル達だけでなくカロシュも心が躍る。

 街路に立ち並ぶ様々な屋台に首を突っ込むカイルを適当に宥め、あしらう。食べ物の屋台に興味を持つのは当然としても、完成品より材料である食材をばかりに目が向いているのが、カイルらしいというか。エアはさすがに雑貨や小間物などにも目をとめていたが、こちらも食べ物の方が気になるようだ。

 カロシュとしても寄りたいのはやまやまだが、荷馬まで連れた状態では邪魔になるだけだ。まずは荷をおいて身軽にならなければ、交易都市といえども、いや雑多な人々が集う交易都市であるからこそ、油断ならない。明日以降の(そぞ)ろ歩きを打診して何とか落ち着かせ、カロシュ達は隊商宿を目指した。

 カロシュ達のような護衛士・案内人たちは、いわゆる定宿ともいうべき隊商宿を決めている。大概はそこに落ち着くものだが、今回それが上手く行かなかった。

 どうやら前日に少し大きな隊商が入ったらしく、またアルバあたりからの旅人の一群が数日前から長期逗留しているとのことで、いつもの隊商宿に空きがなかったのだ。

 通常の仕事では、予め旅程を見積もり先に宿を押さえておくものだが、何しろ今回の同行者は予定通りに動いてはくれない。アラムはヤスジュ以降の宿は押さえないことにしていた。

仕方なく紹介された別の隊商宿に入ることにしたが、カロシュも初めて利用する宿だ。アラムが知っているかどうかが分からない。

 馬を預け、部屋を確認し整えた後、カロシュはアラムが居る駅に向かうことにした。カイル達を同行させるのはあらゆる面で手間がかかるので、置いていく。くれぐれも勝手に外出しないように二人に言い聞かせ、一抹の不安を残しながらもカロシュは一人駅に向かった。


 ハライヴァの駅も、例に違わず建物の前に幌の張られた懇談場があり、何組もの商人や旅人たちが茶や酒を飲みながら同業者や駅役人たちと話し込んでいる。

 少し奥まった座席にアラムの姿を認めたカロシュは、声をかけようとして彼と向かい合って話し込んでいる人物に気が付いた。

 珍しくも、遠目に分かるほどにアラムが翻弄されながら話を続けているその相手は、見たことのないほっそりとした小柄な人物――女性だった。西国風に頭部をすっぽりと頭巾布で覆っているため髪の色は分からないが、額帯をしていないということはノーサの民ではないのだろう。とすれば、案内人として面識のある商人か、ハライヴァに住む他国民だろうか。


 ノーサは排他的な側面を持つが、交易都市だけは別だ。

 旅人や交易商人がそのまま都市に留まって商売を始めることもあり、その中でノーサの民と婚姻することもある。他国の血が入ろうが、ノーサの地で生まれノーサで生き、本人が望んで氏族に受け入れられれば、新たにノーサの民となる。

 いわゆる「純血のノーサの民」は、カロシュやアラムのように雪白の髪と漆黒の瞳を持つことが特徴だが、交易都市とその周囲を中心に定住地ではその色を持たないノーサの民も多い。「ノーサ」とは血や色ではなく、その気質、生き様によって確立するものなのだ。


 アラムがカロシュの見知らぬ人と交流する様を見るのはいつものことだが、勝手の違う雰囲気の彼にカロシュの好奇心が大きく刺激された。いったい相手は誰なのだろう。

 卓を挟んで向かい合う二人の真横から近づいたため、二人の横顔しか見えない。それでも、アラムが心底脱力したような態度で頭を垂れる姿は珍しい。会話の内容は全くわからないが、カロシュが初めて耳にする、どこか(わか)い、軽やかでふざけるようだが重みのある声が、途切れ途切れに聞こえてくる。


「――アラム、ここにいたか。宿が変わった。いつもの隊商宿が満室で、東の隊商宿に滞在することになった。部屋は続き部屋で2つとれた。……で、お前の用事は済んだのか?」

「え?……えっ?? カロシュ? どうしてここに……。っっ! まさかカイルさん達も一緒に??」


 瞳の色が分かる程までに近づいて声をかけ、始めてアラムはカロシュに気づいたようだ。普段のアラムからすると驚くほど無防備だ。カロシュを認めて驚愕の表情を浮かべ、次いで慌てて回りを見渡しカイル達の存在を確認する。


「あの二人は宿に置いてきた。連れてくると道中が面倒だからな。大人しくしてるかどうかは知らん」

「あぁ……よかった。……いや、よくないけど。あの二人だけなんて、絶対よくないけど」


 アラムはカイル達がいないことを確認して、心底安堵したように嘆息する。その様子をみて、相手の女性がくすっと笑った声が聞こえた。


「……失礼、話を遮ってしまったようだ。割り込んですまない」

「気遣いありがとう。私は気にしていない。

 とりあえず『初めまして』と挨拶すべきかな? ――貴方がカロシュ、アラムの相棒だね?」


 カロシュが声をかける前から、自分たちに近づく存在に気づいていたであろうその女性は、真っ向からカロシュと向き合い愉快気に視線を合わせる。その瞳はノーサの民と同じく漆黒で、強い意志と何かを見極めようとする意図が感じられた。


「こちらの話は済んでいる。じゃあ、アラム。この後のことは任せた。よしなに。

 カロシュ、ここで会えるとは思わなかったが、話通りの人物のようで安心した。いつもアラムから話は聞いていたが、やはり顔を、その瞳を見れば為人(ひととなり)は透けて見えるな。――やはり面白い」


 席を立ったその女性は最初の印象通り、カロシュの胸元ほどまでしかない小柄な女性だった。だが、躊躇うことなく視線をあげて彼を値踏みするように見据える毅然とした表情や、命ずる事に慣れたような男性的でぞんざいで断定的な口調は、その身体に似合わぬ大きな存在感を感じさせ、その声の稚さと相まって不思議な違和感を与えてくる。一言でいうと、捉えきれない印象の女性だ。


「アラムがすごい顔になっているから、そろそろ退散する。カロシュ。私の名乗りは再び会う時に。その日まで壮健で」


 見極めに対抗するように、わざと挑戦的に見つめ返したカロシュに、賢しげな笑みを放つと彼女は視線を外した。彼女が退いたわけではない、何かに納得したような態度だった。そして躊躇うことも振り返ることもなく、その場を離れスタスタと歩き出す。カロシュの側を、草原に生きる者の清冽な香りが通り過ぎた。

 カロシュよりも10は歳下に感じられた女性は、何事もなかったかのように市街の中に消えていった。残されたカロシュとアラムは、ただ見送ることしかできない。


「……それで、彼女は?」

「――物資と手紙とちょっとした伝言を届けてくれたのだけど……確かに今日受け取る予定だったけど……何であの人が直接持ってくるのさ。……本当に行動が読めない、動向が掴めない……いや、いつものことだけど……わかっているけど」


 自身を納得させるような口調で、それでも憔悴してぼそぼそと答えるアラムは頭を抱えている。


「何だか俺のことをよく知っているそぶりだったが……えらく親しそうだったし、お前の恋人か何かか?」

「っっ!? とんでもない! 僕はジョシャだよ? それに、あの人にはちゃんと伴侶がいるの!」


 ジョシャはその立場から、伴侶を得ることはない。例外は自らの主の伴侶となる場合だけだ。ジョシャであるアラムが妻や恋人を持つことはないとは知っているが、いつもは他人を翻弄させるアラムが一方的に踊らされているかのような相手に、思わずからかう気持ちが押さえられなかった。


「そうか、残念だな。いい眼をしていたから、お前と似合いだと思ったが」

「……お願いだから、冗談でもそれ以上は言わないで……いろいろな意味で、心が抉られる……」


 若い女性だと思ったが、既婚者だとは残念だ。ノーサの成人年齢は12歳と早いが、結婚は20歳を過ぎてからのことも珍しくない。ぜひアラムとの関係を問いただしたい所だったが、あまりに憔悴している彼にこれ以上の心理的負担は酷だ。よほど勝手の違う相手なのか。


 カイル達に内緒にする代わりに、今夜一晩の自由行動の許可を得た帰路。

 カロシュは明るくなる東の空を見上げながらその女性を思い出す。印象深い人だった。僅か数言の会話、僅かな邂逅。それでも彼女が纏う空気は、忘れ得ぬものだった。


 ――また逢いたい、話してみたい。


 恋情や愛情に結びつく感情ではない。だが、彼女なら自分の心の熾火を引きずり出してくれる気がした。その結果がどうなるかは予想もつかないが、それでも変化をカロシュは望んでいた。


 一人夜更けに出かけ、明け方に戻ったカロシュを見とがめたのは、何故かカイルだった。彼は『自分だけずるい』と煩かった。

 案の定、カロシュがアラムを迎えに行っていた間に、エアと二人で屋台や店を見回っていたというのだからお互い様だとは思ったが、朝食の間ずっと『今夜は自分も出かけたい』と主張する。

 カロシュは木石ではないから――アラムはともかく――気分転換も必要だったが、カイルもそうなのだろうか? ちらりを様子を伺っても、我関せずと平然としているエアが気にならないこともなかったが、根負けしたカロシュはその晩に酒場に連れて行くことを約束させられた。……さすがに二夜連続はバツが悪い。

 そしてカロシュは、予想外に際限無く酒に強く、ある意味では予想できた通りのカイルに再び翻弄され、『二度と酒場では共に飲まない』と心に誓うほどには苦労をしたのであった。

 ――翌朝のエアは“それみたことか”と澄ました顔で、アラムは面倒から逃れ得た僥倖を喜んでいた。何故か、とても負けたような気になるカロシュだった。

 ハライヴァでの休息を終え、一行が再びノーサの野に向かった頃には、アラムもエアも先と変わらぬ関係に戻っていた。



カロシュとカイルの酒場エピソードを削ったら、短くなりました。

しかし再び追加すると流れが悪いので、このままです。


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<各種の地名・用語・造語表記について>

・ノーサの地名は、中央アジアの地名・都市名の旧表記や他言語表記から採っています。

 ※例:「アスパダナ」はイスファハンの古名、「ハライヴァ」はヘラートの古名。

・ノーサ関係のカタカナ読みの造語は、ペルシャ語やアラビア語の名称・発音から採っています。(カイサリーヤなど)

・アルバ関係のカタカナ読みの造語は、ゲール語の名称・発音から採っています(ウシュケなど)

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