第9章:ノーサの裁定
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区切りが悪く、大変長くなりました。(約9,000字)
背から短槍を生やし、うつろに伸ばされたその手が大地に落ちるのを、カロシュ達はただ見送った。回廊を抜ける風が血臭を運び、そして持ち去ってゆく。もはや断末魔の呻き声すら聞こえない。遠くに逃げ去った馬たちの微かな嘶きが聞こえるくらいだ。
起こった事態の唐突さ、そして予想外の展開、そして余りに凄惨な状況に、カイルは白獣に出会った時のように呆然と岩壁にもたれている。カロシュも、意識こそ戦闘とその結果に向いていたが、当然のように現状を把握し切れてはいない。
そんな中、エアは最後の襲撃者が息絶えるのを見、ほっと一息漏らした。そして剣を収めると、カイルの無事を確認する。当然のようにカイルは無傷だ。誰一人、彼らに近づくことすら出来ていない。再度、安堵の吐息を漏らした彼女からは、ハリルードに入って以来の警戒感が影を潜めてゆく。
その時。
カイルに向き合い背を向けていたエアごと、カロシュは二人を突き飛ばすように押し伏せた。不意を突かれた二人は、そのまま大地に倒れ伏す。だが警告よりも先に身体が動いた、その乱暴な行動のおかげで間に合った。
シュッ、シュッ、という2つの鋭い音。次いでカンッという固い音。つい先ほどまで彼らのあった岩壁に、矢が飛んでいた。だがそれで終わりではない。すかさず続いた2つの矢音に、カロシュは半ば無意識で剣を動かす。払われた矢はカロシュの足下に落ちたが、それを確認する暇はない。カロシュの鋭い視線は、その矢を放った彼に向いていた。
「あれ? エアさんじゃなくて、カロシュが守るんだ?」
いつもと変わらない風の口調。だがその声と表情には、いつもの軽快さはなく、どこか挑戦的で冷淡なものが浮かんでいる。
にこっと笑みを浮かべ、アラムは再び矢を放った。相手の反応の機を乱す、矢継ぎ早の二連射はアラムの得意技だ。同じところに来るか、別を狙うのか、特に二射目が危険だ。
『同一』と読んだカロシュの勘は当たり、またしても二本の矢はカロシュの剣に払われて大地に落ちた。間髪入れず、再び二射。今度は上下に振ってきたが、共に叩き切る。アラムが遠矢で良かった。軽い分、威力が弱い。
「やっぱりカロシュの方が反応がいいね。――エアさん、抜剣もしていないそんな状態じゃ、大事なカイルさんを守れないよ?」
「二人を守るのは俺の仕事なんだろう? お前がそういったはずだが」
「そういえばそうだったね」
お互い武器を持って対峙しているとも思えないカロシュとアラムの会話は、努めて平坦を装っているようだった。いや、意識しているのはカロシュだけなのかも知れない。アラムからは何の気負いも気遣いも感じられない。
だが先ほどからの射は、狙いは正確であったが威力も間合いも決してアラムの本気とは思えないものだった。威嚇か警告であるかのように、単に試すかのように。そうでなければ、本能で動いた最初はともかく、2度目の二射を払えたとは思えない。彼の本気ならば、カロシュでも止められない。
次の矢は来ない。だが彼はまだ弓を手にしたまま、こちらを見据えている。
「何故……どうして、アラム??」
ようやく体勢を立て直したエアが、抜剣することもなくその背にカイルを庇い、うつろな声で問う。何故彼が自分たちを狙うのか、心底分からないという口調だった。
「僕は言ったはずですよ? 僕はノーサであり、ジョシャであり……そして『ノーサに争いを持ち込んだ償いを』、と――」
エアは息をのむ。襲撃の前に交わされた言葉。その言葉の意味を、重みを、彼女は理解したようだ。
ノーサは『侵さず、侵されず』――他国に干渉せず、他国からの干渉を受けない。どんな形であれ、どのような理由があれ、他国からもたらされる争いを厭悪し排除する。
ノーサの民は決して温和な気質ではない。自らの誇りとノーサの法を侵すものに対しては容赦しない。必ずその償いを求めるのだ。多くの場合は、その命によって。
「ならば、その償いは私が成すべきものだな。エアは私の守護騎士だ。そして私に付き従う者だ。その行動は、誰の命を受けていたのかとは関係なく、私の所為だろう? カロシュはもとより関係ない」
動揺したそぶりを見せず、淡々とした口調で答えを発したのはカイルの方だった。必死で留めようとするエアを片手で制して、カイルは前に進み出てカロシュと並んだ。
「彼らの狙いは私。そして彼らの馬装、武器。いずれをとってもノーサのものじゃない。我がアルバの手の者だ。――アルバが持ち込んだのならば、アルバが償わなければならない。そうですね?」
カイルの口調は淡々としているが、どこか厭世的であり、一方で多くを背負っている者だけが持ちうる重さを持っていた。
「……すみません、カロシュ。何も聞かされないまま巻き込んで。でも言い訳するなら、私も知らないことだったのです、本当に。……今となっては、その理由も背景も、多分予想がつきますが。
――私はいいので、エアをよろしくお願いできますか?」
カイルは哀しげな笑みを浮かべながら、横に立つカロシュを見遣る。その眼を見た時、カロシュはエアから聞いた“かつてのカイル”の姿を見出した。いつも何かを諦めて、何かを負わされて、抑圧されてきた子ども――。
せっかく掴んだ「自分」を、カイルは手放そうとしている。捨て去ったであろう過去の自分に戻ろうとしている。それを許して良いのか? ――良いはずがない。
「アラム。さっきも言ったが、俺が引き受けた仕事はこの二人の“護衛士”だ。俺はノーサの誇りにかけて、彼らを無事に送り届ける義務がある。それは分かるな?」
「そうだね」
「だから、今度はこちらが譲れない」
先ほどの戦いがアラム達の“仕事”だったというのなら、今この場で二人を守ることがカロシュの“仕事”だ。まだ契約は終わっていない。
常のアラムだけならば脅威とは感じなかっただろう。だが今のアラムは、単なるノーサの案内人ではない。<ジョシャ>であり【白獣士】なのだ。
それでもアラム一人だけ、一対一ならば何とかなるかも知れない。しかし、その脇に立つもう一人のジョシャ、黒銀の白獣士をも相手に二人を守り切る可能性は無いに等しい。彼に勝てるはずがない。
黒銀の白獣士は無言のまま、だが既に短槍を手に戻していた。その顔は無感動に虚空を見つめているようで、静かに事態の成り行きを見守っている。
張り詰めたその緊張を解いたのは、まずは軽やかな羽音だった。
あの黒い翼猫が空より舞い降り、まずはカイルの頭上で鳴き例によって頭に止まる。再び何か問うような声で鳴くと、今度は黒銀の白獣士の元への飛び、その肩に降り立った。猫は同じ調子の声で鳴くと、彼の首筋に擦り寄る。彼の首に巻かれた額帯と同じ細帯に、猫の黒い身体が飾りのように巻き付く。
彼は厭うことなくその背を撫で、本当にわずかではあるが、姿を見せてから初めて表情を変化させた。それに気付いたかのように、彼を乗せる白獣が顔を上げて喉を鳴らす。まるで悋気するかのように。
突如繰り広げられた猫たちの介入に、凍りついたかのような対峙の時が緩む。それを決定づけたのは、次いで響いたあの“声なき声”だった。大気を切り裂き身体に直接届く、白獣の声。ノーサの意思を告げる声。
その声は岩壁の上から届いた。まだ上に残るもう一人の白獣士、その隣に立つ“野に在る白獣”が発したものだ。あの時と同じ、あの白獣。
「彼」は声を発した後、二度の跳躍で降り立った。
カロシュとカイルの前に。彼らを背に回して。
「残念だったな、アラム。ノーサの裁定は下りた。これ以上の手出しは出来ないぞ」
続いて高みから降り立った最後の白獣士は、心底愉快そうな口調でアラム達の側に寄った。小柄な身体を覆うその長い白髪が、騎乗する白獣の体毛と混ざり合うようにその身を飾る。あの時は頭巾に覆われていた髪は、紛う事なきノーサの色。だがその頭部には、相変わらず額帯はない。
その声の主、あの日ハライヴァで邂逅した彼女は、その漆黒の瞳を愉快げに揺らし、会心の笑みを浮かべていた。逆にアラムは、僅かな不平不満と多くの了知を示した苦笑で応える。
「絶対に、絶対にもうちょっと改悛させた方がいいと思うのだけど……」
「彼に言っても無駄だと思うぞ?」
「そうでしょうとも。第一、貴女も、猫たちも、カロシュも。彼らに甘すぎる! そりゃ僕も他人のこと言えませんけど??」
「だから『面白い』と言っただろう?」
「貴女は何でも面白がり過ぎです! 遊び過ぎです!!」
先ほどまでの殺気にも似た雰囲気はなんだったのか。
アラムはカロシュ達のよく知る“いつもの”彼に戻り、“いつものような”会話を彼女と繰り広げている。彼にとっての“いつも”は、どちらなのだろう。きっとどちらもなのだろう。そして彼女達はその「両方のアラム」をよく知っている。
「ということだ。久しぶりだな、カイル殿下」
「……今は只のカイル・オーヴ・ロハルシュになったのだよ。念願叶ってね。貴女のおかげだな。うん、2年ぶりなのかな? 貴女も変わりなく」
「そうだったな。忘れていた。あの子達は息災か?」
「ええ……こんなことを企む位には元気みたいですよ?」
アラムとの戯れのようなやり取りを終えた彼女は、カイルの元にやってきた。知己だったらしい二人は、目の前でカロシュを再び驚かせる挨拶を交わす。
「とりあえず立ち話もなんだ。可愛い子たちにこれ以上血の臭いをかがせたくない。移動しよう? この先に、あまり知られていない湧泉がある。この愚か者たちが宿営していた場所だな。多分いろいろ残してきているだろうから、ありがたく使わせてもらおう。ああ、お前達の馬も逃げているから、徒歩で付いてこい。馬と荷は後から回収する」
命ずることに慣れた断定的な声でそう告げると、彼女は踵を返しアラム達をも促して歩み進めた。
ここまで完全に置いていかれた風となったエアは、ようやく姿勢を正してカイルの側に立つ。事態に置いていかれているのはカロシュも同じと言えるが、いずれにせよこのままでは誰も何も分からない。それぞれが断片的な事実と考えだけを抱いていて……そして全てを知るのは、彼女と彼らだけなのだろう。付いて行くしかない。
こんな事になったとはいえ、カロシュのアラムへの信頼は揺らがなかった。彼は本気では無かった。いや、半分以上は本気だったのだろう。だが本意とはしていない。
少なくとも、あの対峙を通してカロシュが感じ取ったものは、彼の会心だけだ。ノーサの民として、自分を“認め合う者”である存在として、改めて受け入れたことへの会心。ジョシャである彼が、それを与えてくれた。その主ただ一人に全てを捧げ、全てを預けたはずの彼が。
回廊をしばらく進んだ後、岩壁の隙間を抜けるように横道に入った先に、その湧泉はあった。意外なほど広いその空間には、彼女の言った通り宿営の跡と様々な荷が残されていた。アラムはいつものように手早く営火を熾し、湯を沸かし、その間に荷をあさって適当な食べ物や飲み物を取り出す。白獣士の二人もやはり当然のことのように、アラムの支度を黙って待ち、彼らの白獣を背に営火を囲み座った。促され、カロシュ達も戸惑いつつ腰を下ろす。
「――ジョイノーサ・ミュト殿。俺……私が一番事態を把握していません。分かるようにお話しいただけますか?」
先に口を開いたのはカロシュだった。彼女はこの中で最も若い相手だが、ノーサの民としては彼女への応対は自然と畏敬を持った改まったものになる。
「なんだ、私を知っていたのか? 面白くない」
「残念ながら、貴女自身を知ったのは今回が初めてです。しかし、ノーサの白獣士として、“黒銀の白獣士”、タイシャ・サヴィル殿を知らぬ者はおりません。ならば……その主である貴女を認識することは容易すぎることです」
カロシュが彼女――<ジョイノーサ>の号を持つミュト本人を認めたのは今回が初めてだ。
彼女はイスファ氏族出身で知己を得る機会がほとんどなく、また成人すると共に彼女が<ジョイノーサ>に叙せられた時は、ようやくカロシュが白獣士となった頃。その2年後にはカロシュは氏族を離れており、一介の護衛士となった彼がミュトと会う機会はなかったのだ。
だが“黒銀の白獣士”は違う。カロシュより若年でありながらも、ノーサ最強の白獣士として名高い彼は、その“色”でもって白獣士となる以前から有名であったし、白獣士となったのも彼の方が早い。当然見知る機会はあったのだ。
カロシュが氏族を離れた年、彼がミュトの<ジョシャ>となったことを知った。その2年後、彼が<タイシャ>――その主の完全なる代理として、主と全てを分かち合う存在――になったという噂を聞いた。
その色に反して、誰よりもノーサらしく孤高の存在であった彼が“主持ち”となったという事実は、たとえ相手が<ジョイノーサ>であったとはいえ、かつて無いほどの驚愕をもってノーサの人々に知られたのだ。
ミュトは<ジョイノーサ>――『ノーサの守護者』だ。
数世代に一人の割合でノーサに生を受ける、神秘の存在。彼女は言わば、「ノーサのジョシャ」とも言える。ノーサに全てを捧げ、ノーサのためだけに生きる存在。誰にも寄らず依らない独立不羈の民を、護り導く孤高の存在。
ノーサの民でありながら、ジョイノーサは額帯をつけない。ジョシャと同じく“自分の額帯”を持たない、持つことの出来ない存在なのだ。自分の出自も氏族も、個人としての証も何も。ただノーサに在る者としてしか生きることを許されない者。
――思い出した。『ノーサの呪縛』が何であったのか。あれは……アヴジャドがミュトを語った時の言葉だ。
「なんだ、私よりサヴィルの方が有名なのだな?」
「カロシュは白獣士だから、仕方ないですね。そもそも貴女は、そんな簡単に知られちゃ駄目なんです」
アラムが煎れた茶を配りながら、合いの手を入れる。もう一人の話題の当人は、何も聞こえていないかのように無表情で膝に乗せた翼猫の背を撫でている。どうやらあの翼猫は彼の使役獣で……実はアラムとの通信を担っていたということか。なるほど、カイルの頭を好んだのは、その「黒髪」が彼の「黒銀」に最も近しかったからなのだろう。
それにしても、彼は身じろぎ一つしない……主以外には全く興味を示さない人だというのは本当らしい。もっとも、カロシュが伝聞したことのあるジョシャとなる前の彼は『何事にも無関心・無感動・無表情・無口』なのだから、この場に居るだけでも大したものなのかも知れない。
「ともかく。ここは僕が説明します。貴女に任せたら、間違いなく正しく伝わらない」
アラムは強引に話の主導権を奪うと、おもにカロシュに説明するように、時折エア達の確認を取りながら、『今回の依頼』の全てを、その背景について話した。
* * * * *
そもそものきっかけは、カイルがノーサ行きを希望したことだった。これ自体は何の問題もない“カイルの、珍しい可愛い我が儘”で済む話だったのだが、これに便乗したアルバの勢力が二つあったのだ。
一つは現在のアルバ王太子とその側近達。王太子はカイルの末の異母弟で、もっとも親しくしていた相手だ。彼は2年前にノーサの民と婚約し、その地位を得た。婚約者はミュトの一族だ。最も年若い彼が王太子となった理由の一つが、「ノーサの後ろ盾を得た」とアルバで見なされたその事実だった。――実際はノーサがそのような柵を気にするはずも無いのだが。
異母の長兄を敬愛していた彼は、カイルの望みを叶えるために力を尽くした。結果、前例の無い“野生の白獣観察”が許可されたと言うわけだ。
その動きをみて蠢動したのがもう一つの勢力。王太子の同母兄とその周囲だ。同じ王の子、同じ母を持つ年長者でありながら、アルバ王太子の座を奪われた彼は、実弟を追い落とす可能性のある事態に貪欲だった。
ノーサは干渉を嫌う。その事実を彼らはよく知っていた。それなのに、いやだからこそ、今回の襲撃を計画したのだ。ノーサの許可を得てノーサに入ったアルバの元王子が、ノーサの地で害される――。ノーサが許すはずの無いその事態を引き起こすことによって、ノーサと王太子との間に楔を入れようとしたのだ。襲撃犯がわからなければ、お互いに許すはずが無い事態となることを目論んで。
「その思惑は王太子側には見抜かれていた。エアさんが持ち込んだのは『その計画を実行させるが、反対に証拠を押さえてあちらを完全に叩き潰す』ことへの協力、だったんだよ。
こんな企みがあることを知れば、カイルさんは我慢してノーサ入りを止めちゃうから、内緒で。あ、これはカイルさんへの配慮じゃないよ? ね、エアさん? 依頼者としてはせっかくの好機を失いたくなかっただけだから」
「誤魔化すつもりはないですよ、その通りです。私が王家派遣の守護騎士である以上、カイル様の利になることであるならば、王太子殿下の命には逆らいません」
「……そもそも王子だの王太子だの……俺にはこれが王族だということ事態がまず不可解だ」
「もう違うって。“元”だから! 今はただのカイルだから!」
「そもそもアルバの“守護騎士”というのは、王族にしか付かない役職なんだよ、カロシュ? エアさんは最初からそう名乗っていたでしょ? 書類仕事もそうだけど、他国の事情とか、関心ないことでもちょっとは勉強した方がいいよ?」
「そんな知識、もう二度と必要ない! 必要としたくない!!」
真剣な解き明かしであるはずが、いつの間にか相変わらずの調子に戻ってしまう。アラムとカイル、この二人が変わらぬままであることが嬉しい。
「で、話を持ち込まれた僕たちは、とりあえずその申し出を受けた。――本当は、僕は嫌で仕方なかったけどね。
カロシュは分かっていると思うけど……カイルさん、エアさん。僕はあの時、半分以上は本気で射たよ? 貴方たちが、守れず、守られずに命を落とすなら、それでいいと思ったから」
『カロシュのおかげで台無しだったけど』と続けるアラムの声には偽りはない。それは実際に対峙した自分が一番知っている。
――変わらぬように見えて、同じでは居られないものもある。
「当たっていたら、お前が主に叱られたんじゃないのか?」
「ん~~それは慣れてるから、気にしない。気にしていられないよ、いちいち」
「……お前……それでもジョシャか?!」
「正真正銘のジョシャだよ? いつかカロシュには“証”を見せてあげてもいいよ?」
――変わって欲しかったものもある。それが今ここにある。
「……それで、私たちが許された……いえ、許されてはいないですね。助けていただけたのは何故なのでしょう?」
「うん、少なくとも僕は許していないよ? 許したのはノーサだ。翼猫が、白獣が、そしてジョイノーサが認めたから、カイルさんの存在を許しただけ。厳しく言うけど、エアさんはそのおまけ。……ううん、違うかな。エアさんは“カロシュの”おまけ」
「私も完全に認めたわけじゃないぞ? カイル殿下……いや、ただのカイル殿? 戻ったらあの子達にちゃんと伝えろ。
『兄弟喧嘩を持ち込むのは、これが最後だ』と。
面白いのはいいが、いい加減自分の国でやれ……二度で懲りないというなら、いくらあの子達であっても許さない」
「……肝に銘じますよ。必ず伝えます。本当に面目ない。……でも貴女にかかれば、単なる『兄弟喧嘩』なんですね」
心底恐縮したようにカイルは答えるが、最後の言葉にはどこかしら憧憬があった。カイルが本当にノーサに求めたものは何だったのだろう。いつか、今度は彼自身の口から、彼自身の“本当の言葉”で聞いてみたいと思った。
「それにしても、面白くないな? 本当に。つまらない。
――カロシュとは、もっと遊べるかと思ったのに。あっという間に“ノーサらしく”戻ってしまった。もう遊べないじゃないか。アラムもそう思うだろう?」
「……僕はカロシュで遊ぶ気はありませんよ。確かに、僕が“戻した”訳じゃないのは、しゃくに障りますが。そして、何でも遊びにしないで下さい」
「そうだな。私もそこが残念だ。――全く。私が気に入った相手は、いつもアルバが持って行く」
「だから最後を意図的に無視しないで下さいってば」
正真正銘の“ノーサの主従”でありながら、その重さを感じさせない二人の関係。これが「答え」だとは言えない。自分がそうなれるとも思わない。なりたいとも思わない。それでも――やはりカロシュはアラムを“羨ましい”と思う。「妬心」ではない、純粋な憧れ。ノーサという大地に息づく、目に見えないその想い。以前とは違う、今度は声に出して言える「羨望」だ。
主従二人の会話とその関係に想いをはせていたカロシュは気付かなかったが、その会話に込められた明るい揶揄に反応したのはアルバの二人だった。
「えっ……? エアが『カロシュのおまけ』って……『持って行く』って……。
エア! 何で言ってくれなかったの! 私が鈍いだけ??」
「違います、カイル様! まだ何もありません! まだ持って行けてないです!」
「…………『まだ』、なんだ…………。
なんだろう、このもやもやとした気持ち。これが世に言う、娘を取られる父の気持ちというもの? 返り討ちにあうのは分かっているけど、どうにもカロシュを殴りたい気分なのだけど?」
「止めて下さい、カイル様!」
珍しくエアが狼狽している。その勢いに任せて発した言葉が、カイルをさらに困惑させていることにも気付いていない。
その悪戯なやり取りを耳にして、ようやくカロシュも込められた意味に気付く。二人の“関係”ともまだ呼べないような繋がりの糸は、どうもアラムは見抜かれていたようだ。
「カロシュは朴念仁だけど、でも木石って訳じゃないから。エアさん、頑張って?」
「アラムが私の味方をしてくれない!」
「ですから、僕は『貴方の味方じゃない』と言っているじゃないですか」
「それとこれとは問題の趣旨が違うから!」
「……皆、いい加減にしろ……」
どうにもこうにも居たたまれないカロシュの声を聞く者は、誰もいない。最初から関わりもしないサヴィルだけが、悠然と白獣の背にもたれ目を閉じている。猫でさえ、カイルの頭に移動して加わっていた。
カロシュを置いてきぼりにして続いたその騒ぎが落ち着く頃には、すっかり血の気配は遠ざかっていた。
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次話で終わりです。