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序 章:雇い主の観察記

 やわらかな風が草の海をゆらし、波を作って渡ってゆく。頭部の左右に垂らした額帯(がくたい)の裾が、はたはたとたなびいた。周囲を警戒しながら草原に立つがっしりとした長身の男は、短めの白髪と共に額帯を押さえ、その視線は風の行方を追っている。


 「草原の国」と称されるノーサの大地だが、実際は森林もあれば丘陵地帯もある。だが今いるあたりは、まさしく「草原」の名にふさわしい。なだらかな高低の大地は見渡す限り足首あたりまでの草に覆われ、所々にある灌木と蒼穹から降り注ぐ日の向きがなければ、方向を見失いそうなほどだ。

 この季節のノーサは過ごしやすいとはいえ、風は時として冷たさを運ぶ。男が着ている前合わせの上着(チャパン)は季節に合わせて薄地ではあったが、丈夫な布で袖も丈も長く、肌寒さを感じさせることはない。ノーサでは脚衣は革で作るため、風を通すこともあまりない。

 とはいえ、日が織りなす影は東に伸び始め、心なしか風にも夕闇の色が混じり始めた。日が落ちれば冷え込んでくることだろう。そろそろ移動すべきだ。

 風を追いながら空を仰ぎ見た男は、次いで大地に目をやり、その先にいる「雇い主」を注視する。今回の旅における雇い主である青年は、その大地に這いつくばって熱心にそこにいる小動物を眺めて――いや、凝視……じゃなかった、観察だ。眺めるなんてかわいいものじゃない。


「……体はアルバのものより小さくて毛は長いんだ……うん、ちょっと触らせてね。

 ふぅん~見た目より厚みがあって柔らかいね。やはりノーサがアルバより寒いからなのかな? そもそも種が違うかな? 見た目はよく似てるけれども……。

 うんうん、上毛は水をはじく性質だね。下毛は……あっ、ごめんごめん、ここ嫌だった? ちょっとだけだから……うん、ありがとうね」


 楽しそうに地面に這いつくばって草と土にまみれ、一方的に動物を会話するその姿はとても貴族には見えない。飾り気は少ないが上質な織り地の上着(タバード)短袴(ブレー)も、土埃と草の色で汚れ台無しだ。

 長身の男が持つ、その戦うことを知るしっかりとした体型と比べると、その青年の中肉中背の優美な姿や艶やかな黒髪に縁取られた柔らかな顔つきは、彼が日々を額に汗して働く人間ではないことを如実に伝えてくる。――とは言っても、ノーサにはいわゆる貴族が存在しないため、“貴族らしさ”なんてものは男も想像するしかないのだが。

 だが、いま自分の目の前で、純粋に無邪気とも言い難い真剣さを含みながら野生の小動物に囲まれる姿が、貴族と呼ばれる者にとっての当たり前だとは思わない。少なくとも、今までに彼が旅の護衛士を務めたことのある隣国アルバの富裕層の人々と比べても、この貴族青年の言動がおかしいことは分かる。


 青年が現在“観察”している小動物――「タルバガ」という大型のネズミのような小動物――は、比較的人慣れする方ではあるが、体に触れるほどまで近づき逃げられないというのも珍しい。その点はたいしたものだと思う。蒼穹を映し取ったような青い瞳をきらきらと光らせて、青年はタルバガと誠実に向き合っている。

 どちらかというと端正なその顔つきは人に対しても同様に優しげで、日だまりの中にいるような快適さを感じさせる。決して強面ではないのだが、きつい印象を与える長身の男の風貌とはまるで逆だ。動物にもそれが伝わるのか、いま青年の前にいるタルバガの家族はのんびりと食餌に勤しんでいる。

 何しろこの青年は呆れるほどの時間をかけて、まずは遠目から観察し、何気ないそぶりを見せながら少しずつ接近し、ようやく警戒させることなくタルバガの一群に潜り込んだのだ。急に動くこともせずゆったりとした動作を心がけ、視線の高さをタルバガに合わせ寝転がり、警戒心の少ない個体が近づくとさり気なく触れる。そうこうするうちにタルバガの身体を捉えてひっくり返し、余すところなく観察し始める。タルバガ達も害することはないと分かったのか、特に大きく抵抗はしていない。

 ここに到着し、タルバガの巣を見つけてから既に2刻(約4時間)は過ぎている。その根気と手腕は、ある意味惚れ惚れするものだが……。


 ――――それにしても――――


「……こっちのキミは、まだ幼獣かな? ふぅん……アルバにいるカビア(似た小動物)とはやっぱり違うね、思ったより尾が長い……でも体の半分はないかなぁ。ちょっと伸ばしてもいい?」

「ンミッ、ミッ」

「うぁ?? あっ、ごめん、痛かった?」

「ンミッンミッ!! ミッミッミッ!!!」

「あっ、あっ、イタッ! ごめん、ごめん。キミ、この子のお母さん? うんうん、すぐ返すから……ごめん、怒らないで~~服をかじらないで~~頭に乗らないで~~」


「……今日は、いつになったら終わるんだ」


 半ば呆れたように、だが多少のいらだちを隠しきれない。男は半刻(約1時間)ほど前から何度も心の中で繰り返したその問いを、今度こそは声に出して、男の近くで同じように周囲を警戒していた女騎士に放った。


「まだですよ。分かっているでしょう? ああなったカイル様は、満足するまで終わりませんよ。もうそろそろ慣れてくださいな、カロシュ。――あと半刻は覚悟しておいてください、お二人とも」


 問われた栗色の髪の女騎士は、しれっとした表情でカロシュと呼んだ長身の男を振り返り、肩をすくめて答えた。その態度には悪びれる様子もなければ、誰をも咎める気配もない。榛色(はしばみいろ)の強い瞳が、『何か問題でも?』と伝えてくる。

 ――相変わらず小憎たらしい、淡々とした見事な態度だ。この主人にして、この従者あり。


 この旅を始めて20日ほど。今回の仕事の雇い主である青年貴族カイルと、その従者兼護衛だという女騎士エアと接した日数もほぼ同じだ。初対面の時からすると口調こそ大分くだけたものになったとはいえ、当初から彼女の凛然とした態度はほとんど変わらない。

 主人であるカイルに対しては丁重さを保ちつつも時として容赦なく、カロシュ達に対しては礼儀を失わないまでも親しげに対応してくる。

 ここまでの旅程において、彼女が護衛の騎士として支障がない技量を有していることは理解できた。また秀麗だが人好きのする顔立ちであり、威を張ることもない気さくな性格だ。一方で、ノーサに対する知識も敬意も十分にあり、無理難題を通すこともない。護衛士として関わる立場からすると、カイル共々“やりやすい”顧客である。その点はカロシュも満足している。

 エアの主人であるカイルと言う青年貴族とは、もう8年も共にいるとのことだが、主従というよりは姉弟のようだ。エアの方が3歳ほど年下だそうだが、カイルの年不相応な言動がそうは見させない。カイルの子どものような言動をやんわりと窘めたりする姿の方が日常だ。――それ以上に、黙認して放置している姿の方をよく見るが。

 従者という立場では止められないものなのかも知れないが、いかんせん主人であるカイルを自由にさせ過ぎていることに若干の不満があるのは確かだ。


 今日こそは何か文句の一つでも言ってやろう、とカロシュが気を取り直した矢先。

 微かな指笛の音と共に、少し離れた場所で草を食んでいたはずの馬が一頭、静かに近寄ってきた。その脇にカロシュよりは背の低い、やや細身の青年が寄り添う。


「……アラム? どこに行くんだ?」


 どうやらカロシュの相棒であるアラムが、自分の馬を呼んだようだ。カロシュが振り向いた先で、柔和な表情に苦笑をかぶせながらアラムが慣れた動作で騎乗する。

 その動きにつられて、背中でゆるく一つに束ねられた長めの白髪が数筋こぼれ落ち、後頭部で結ばれ長く背に垂れた額帯の裾がはためいた。カロシュと同様のノーサの旅装に身を包んだ彼は、額帯と同じ色文様の細帯が巻かれた左腕を軽く掲げ、馬の首筋をなでる。


「どこって――雇い主の観察は、僕の仕事じゃないから……今日の移動は諦めて、今夜の野営地を整えてきますよ。ここからならニネヴェの岩場でいいですね、泉も近いから」


 優秀な案内人でもあるアラムは、ノーサ一帯の水場や安全な岩場などの地理にも詳しい。現在地からなら半刻もあれば着く岩場の名前を挙げると、二頭の荷馬の手綱を引き寄せて連れだす。


「あの人――カイルさんを見ているのも、それはそれで面白いのだけど……さすがに今日はもう飽きました。ずっと変わらないのだもの。

 じゃあ後は任せます、カロシュ。ついでに、途中で夕食も狩って支度しておきます。ということで、エアさん共々、日暮れまでにはあの人をちゃんと連れてきて下さいね?」


 カロシュに一切口を挟ませず、彼はよどみない動きで降ろされていた旅の荷物をまとめ、荷馬に積みなおす。残されているのは最低限の手荷物だけだ。

 そしてエアとカイルにも『あと1刻くらいで日が沈み始めますからね! そこまでにしておいて下さいよ!!』と声をかけ、アラムは荷馬を率いて馬首を巡らした。手や口を挟む暇も無い、滑らかな一連の動きだった。

 日が沈む方向に駆け行く三頭の姿を見送りながら、カロシュは再び憮然とした表情に戻った。


 ――アラムのやつめ――


 その表情をみて、エアが口元を和らげる。


「またしてもアラムに、体よくお守りを押しつけられましたね。それにしても、彼は逃げるのが大変上手ですね。私も見習おうかしら?」

「お前……自分の主人を置いていくつもりか。そもそも、あれ(・・)のお守りはそちらの仕事だろうが」

「私の仕事は護衛であって、立派な成人のお守りではないはずなのですが。まぁ……カイル様と関わると、貴方みたいに気の良い人ほどいつの間にか保護者のように世話をやいていますけどね。そこはカイル様の人徳ということで」


 人徳だって? 放っておくと大変なことになりそうで、目が離せないだけだろうが!


 「人徳」なんて綺麗な言葉じゃないことは重々承知、という表情で、笑いながら告げるエアも大層な性格をしている。この20日間で思い知ったことの一つだ。見た目に騙されてはいけない。

 こんな面倒な、調子の狂う相手(しかも二人とも、だ!)だと分かっていたら、絶対に今回の仕事は引き受けなかった! そもそも、今回の依頼内容からしておかしいのだ。


 アラムが請け負ってくる仕事は、多少難しいが条件がよいものがほとんどだった為、今までは多少なりの愚痴を言うことはあっても、ここまで後悔したことはない。

 アラムが――というよりはアラムにこの仕事を請け負わせた人物が、一体何を企んでいるのかは分からないが、今回の仕事は“表面上は”かつてない程の条件の良い、比較的楽な仕事だったはずなのに……。


「騙された……」

「カロシュは、諦めが悪いですね。30にもなって。顔に似合わず、意外と物わかりが良さそうなのに」

「顔と歳は関係ないだろう……第一、お前の主人も同じ歳だろうが」

「カイル様は、まだ29歳です」

「そこが問題なんじゃない! ただでさえあり得ない依頼内容、それに加えて雇い主があり得ない性格!! そんなに簡単に諦められるか!!」

「性格もそうですが、あり得ない依頼なんて失敬な。単に『ノーサの動物を生態観察したいから、道案内と護衛をお願いしたい』というだけじゃないですか。護衛士の仕事としては、よくあるノーサの観光や隊商の護衛と、それほど変わらないと聞いていますけど?」


 そう、確かにアラムから聞かされた依頼内容はその通りだった。生物学者のアルバ貴族が、ノーサ固有の動物を観察したいから――という依頼内容は、珍しいとはいえあり得ないというほどのものでもない。

 ノーサは排他的な土地柄だが、交易公路沿いの一帯は商人達だけではなく一般の旅行者も多く行き交う。単なる“物見遊山”としてノーサを訪れる者もそれなりに居るのだ。しかも今回のように、対象地域の氏族長の立ち入り許可まで得ているなら、普通なら特に問題のあるはずもない。


「有閑貴族のお遊び程度かと思えば……あんな本格的な生態観察なんぞ、聞いていない! というか、そもそも俺は『本当の』観察対象を聞いていなかったんだ!!」

「それは、貴方とアラムとの問題であって、私たちの所為じゃないですよね?」


 自分たちはきちんと伝え正式な許可も取っているのですから、とでも言いたげな至極まっとうな返事を返されて、ぐっとカロシュは言葉に詰まった。


「……その正式な許可が下りたことが、そもそもあり得ないんだ……本当に、アラムの(あるじ)は一体どうやってその許可を……いや、考えるだけ無駄か……」


 彼に問いただそうとしても無駄だ。自分の主については決して口を割らない、アラムの人を食ったような表情を思い浮かべ、とりあえずその件については思考を中断する。

 アラムと組むようになって3年。彼は<(あるじ)持ち>――ノーサにおいて<ジョシャ>と呼ばれる存在である。

 彼の行動のすべては、カロシュの知らぬその主の意向を受けたものである。そのことはノーサの民である彼らにとってそれは自明のことであり、だからといって彼の主について問いただすような真似は決してしない。


 だが、カイル達が望み、アラムが――ひいてはその主が請い受けた依頼内容は、ノーサの民として当たり前の礼節をも取り払いたくなるものだった。


「……ノーサの民ですらない相手に……ノーサの秘匿を、“野生の【白獣(はくじゅう)】に会わせる”なんて……一体誰が許可を出すなんて想像するんだ……」


 この旅を始めて20日。

 それ以来、毎日のようにカロシュを悩ませるその依頼内容が――そしてこの旅が呼び起こす大きなうねりの一端が、彼の過去と、現在と、そして未来を巻き込むことを、彼はまだ知らない。


-----[ノーサの動物観察記録]-----

【タルバガ】

体長50cmほどの大型のネズミのような小動物。10匹前後の家族群を構成し、地面に巣穴を掘って生活する。肉は食用。毛皮も活用される有益な獣。

<もふもふ度>★★☆

東国に棲む[カビア]はよく似ているが、別種の生き物。

※地球の「シベリアマーモット(学名Marmota sibirica)」にほぼ同じ。

 名前は異称の「タルバガン」に由来する。

 カビアは地球の「テンジクネズミ(モルモットのこと:学名Cavia)」にほぼ同じ。

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