ほわぁ、美味しいですぅ
時間というものは有限であり、無慈悲である。
こうして例のイベント当日になった今でも、ツンツンモードとデレデレモードを呼び戻すことはできていない。
非常によくない状況だけど、今はそのことを考えている余裕なんてない。
なぜなら――。
「ふぉおおお! ついに! ついに夕さんの執事姿がきましたですー!」
そう。俺のクラスは執事喫茶を行うことになり、ちょうどシフトに入っているからだ。
目の前にいるお客さまはまごうことなき痴女モード。
俺がチョコレートソースでだーいすきっという文字を書いたパンケーキをもぐもぐしている。
「夕さん、おかわりです!」
「はいはい、五百円な」
「了解ですっ!」
ぺしっとテーブルの上に五百円玉を置くポンコツ。それを見た他の客やスタッフ役のクラスメートがざわざわし始めた。
「なんか今日の朝日野さんおかしくないか?」
「確かに。いつもはもっと話しかけにくいのに。例のイベントでテンションおかしくなっちゃったのかな?」
「あり得る。生徒会の仕事で鬱憤がたまってんだろ」
幸い、海梨が別人格を生み出してしまったことには気づかれていないようだ。別に気づかれたからどうってことはないんだけど、これ以上面倒事や騒ぎは避けたいところ。
いや、それよりも。
「お前さ、なんで普通にイベントを満喫しちゃってんだよ」
「うふぅ? ふぬぬんぬん、ぬうぬう!」
「口の中を空にしてから言え!」
「だから、一年に一回のイベントなのに楽しまないなんて損じゃないですかと言っているのです」
「そりゃお前の言う通りだけど、ってそうじゃなくて。自分の状況わかってんのか!?」
「わかっています。わかっていますけど。焦ってもどうしようもないじゃないですか」
「もうすぐお昼だぞ、コンテスト始まるんだぞ、いい加減焦れよ!」
「とは言われましても。具体的な方法が思い浮かびあがらないのですから、こうして夕さんの晴れ舞台を見て休憩しようかと」
こいつ……。
「お客様。誠に申し訳ございませんが、列が大変混みあってまいりました。今回のお代りをキャンセルして、他のお客様に席を譲っていただいてもよろしいでしょうか」
「むふぅ! 夕さんの接客モードきましたですぅ!」
「もう帰りたい。お前の相手ヤダ」
後ろを振り返り、忙しなく働いている悪友に助けを求める。
「おう、頑張れよ! わざわざ朝日野さんが大金を支払ってまでお前を指名したんだ。その分はきっちり働けよ!」
その言葉に同意したスタッフ一同が俺に声援を送ってくる。
勘弁してくれ。こいつの相手はもうしたくないんだってば。
「どうしたんですか、さっきからため息をついて」
「さぁ、なんでだろうな。調子こいたアホの相手をしているせいじゃねえか?」
「夕さんも大変ですね。そんなアホな子なんて放っておけばいいのに」
「そうしたいのも山々なんだけどな」
みんなが許してくれない。それ以前にこいつは自分自身であることに気付いていない。
引き続き痴女モードの相手をしていると、ドア付近が騒がしくなってきた。
「会長!」
クラスの誰かが声を上げた。
会長? もしかして生徒会長か!
すぐさまそちらに視線を向けると、生徒会長、副会長、そして情報屋が遊びに来ていた。
やはり他のみんなは生徒会の裏事情などはこれっぽっちも知らないらしい。彼らの姿を見て訝しげな視線を送っているのは俺、陽花。痴女モードは、
「もぐもぐ、んっ! 美味しいですぅ。ほわぁ、最高ですぅ」
食べることに必死かよ。ほんとこいつのことを見ているとすべてがどうでもよくなってくる。
中に入ってきた会長が俺たちの前で立ち止まった。
「えっと、何か?」
「弐海君からいろいろ話は聞きましたが……なるほど。どうやらうまくいっているようですね」
ちらりと陽花を横目で見る生徒会長。
「おかげさまで。それで、俺たちに何の用ですか?」
「そう警戒しないでくださいよ。あくまでも僕は君たちの味方ですから」
「味方ァ? はっ、何の冗談ですか。散々陽花や海梨に嫌な思いをさせておいて、ふざけるのもたいがいにしろよ」
「おぉ、怖い怖い。今の状況から考えるに、僕の計画の八割は成功しているようですが」
「そりゃよかったですね。副会長が次期生徒会長になるのももうじきってことですかー」
「諦めたのですか?」
「誰が。今こちとら必死ですから」
「とてもそうは見えませんけど?」
一発触発な雰囲気を醸し出しているというのに、幸せそうにパンケーキを頬張っているポンコツを指摘する生徒会長。
くそう、ぐぅの音も出ないとはこのことか。
そこで漸くポンコツが会長たちの存在に気づいたらしく、よし、何か言ってやれ!
「ゆ、夕さんを奪おうたってそうはいかないですからね! 会長がどれだけ格好良くても、夕さんはホモですから!」
「それだと奪われちまうじゃねえか!」
「し、しまったですぅ! 会長は男だったですぅ! 夕さん、なんでホモになってしまったのですか!」
「なった覚えはねえよ! 勝手に脳内でホモ化するな!」
俺たちのやり取りを見た生徒会長が首を傾げた。
「朝日野君は一体どうしたのですか? 前の様子とは全然違いますが」
「全部てめえのせいだよ」
「僕のせい? 非常に理解しがたいのですが。僕が何かしましたか?」
「ほんとムカつくやつだな。全部知っているくせに」
あくまでもしらばっくれるってか。おおよそ、周りに俺たち以外の人がいるから細かい話は聞かれたくないってところだろうけど。
「何の話かはよくわかりませんが、僕はこれで失礼させてもらいますね」
「おい待てよ。結局あんたは何しに来たんだ」
「何をしに、ですか。ふうむ、そうですね。強いて言うなら確認、ですね」
「確認?」
「ええ。いくら僕が生徒会長といえどわからないことはあります。仲間を信じていないわけではありませんが、自分の目で確認しておきたいこともあるのですよ」
「それは今のやり取りで終わったっていうのか?」
「ええ、もちろん。弐海君」
「はい。了解しました」
名を呼んだだけで会長が伝えたいことを理解したのか、弐海はこちらに頭を下げると教室から出て行った。
「何をする気だ」
「いや別に。ただ彼を呼びに行かせただけです」
「彼?」
「ええ。誰でしょうね」
ふふっと不敵な笑みを浮かべた生徒会長は副会長と共に教室を出て行った。
彼らを見送った後、暇を見つけた陽花がこっちへ寄ってきて、
「何の話をしていたのよ。声が小さくて全然聞こえなかったんだけど」
「俺もよくわかんねえ。何かの確認をしに来たらしいけど。あー、あと彼を呼びに行かせたとか何とか」
「意味不明。相変わらず何を考えているのかさっぱりね。それよりもアンタ、もうあがりの時間だからさっさと終わらせて新聞部へ行くわよ。このあんぽんたんを置いて」
「なんで置いていくんだよ」
「今こいつがいたら邪魔になるだけでしょ」
「それはそうだろうけど」
パンケーキを幸せそうに頬張っているポンコツを眺める。
「ふみゅ? なんですか夕さん」
「いや、何でもない。お前、この後はどうするつもりだ?」
「むふぅ! それはもしかしないでもお誘いですか!? だったら三年生のあんみつようかんを売っているところへ行きたいですっ! 夕さん、是非一緒に」
「おっ、ちょうどシフト終了時間だな。それじゃあ」
「あ、ちょっと夕さん!?」
慌てるポンコツを無視して、次に執事を担当する奴とバトンタッチ。彼女を放置したまま、俺は陽花と共に新聞部へ向かった。




