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「救世主よ! ああ救世主よ! どうか我らに力をお貸しくだされえ!」
ぼうぼうと燃え盛るふたつの焚き火。パチッと薪が弾け、その手前に横たわっていたオルタの顔に火の粉が触れる。
「あっつ!」
延々おまじないの如く先の言葉を唱えていた土御門の声によって眠りが浅くなっていたのか、はたまた96号に殴られた頬にまたしてもダメージを負ったからか、オルタは飛び起きた。
頬をそっとこすりながら気づく。前方には土御門と娘ふたりを先頭とした大勢がオルタのほうを向いて、敷いたブルーシートの上に一律に正座していた。土御門のすぐ後ろには竜巳や八重、施設行きを提言した渋い顔の男や二十代の男もいる。
オルタは辺りを見回し、今いる場所が高架下であることを知った。
「救世主よ! お体の具合はいかがか!?」
もっとも身近にいるというのに馬鹿でかい声で土御門は言った。なので思わずオルタは顔をしかめる。
「具合はたぶん、いい感じ」
「それは良かった! 救世主よ! 先ほどお見せ頂いた力、どうか我らにお貸し下され!」
土御門がこうべを垂れるや、他もすべて後に続く。
だが肝心のオルタのほうは首を傾いだ。
「ん? 力?」
「そうです力です!」
「んっと……それは一体どんな?」
「一切手を触れることなくばったばったと歯向かう連中を倒したお力です!」
実をいうと、オルタ自身にそのような記憶は一切なかった。ただその力とやらが万が一所長の求めていた念力であると仮定すれば実感はまったくないけれど得心はいく。オルタはおもむろに手のひらに目を落とし、何気なく肌の感触を確かめた。(そうかオレ、覚醒したんだ……。なんで肝心の記憶がないんだよ……)
オルタはなんとなく、本当になんとなく手のひらを土御門たちに向けてみる。
うおっと全員が仰け反り今にも逃げ出しそうになった。大抵は腰を抜かしていたが。
「あ、ゴメン。ちょっとやってみたくなっただけ」
「じょ、冗談がきつい!」
とりわけ土御門はたっぷり冷や汗をかいていた。
「そうでした救世主! これまでいたところはもう安全ではなくなったので、救世主の御身の安全を第一に考え、選抜メンバーと共に救世主には地下へとおりて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
「地下?」
「ええ。ここ難民キャンプ第二区の地下にはもう一つ居住空間がありまする。恐らく……としか言いようがありませんが、そこならば連中とて簡単には手を出せないかと。無論、救世主のお力があればどこにいようとも同じことでしょうが、万が一ということもありますゆえ」
地下と言われても想像するのは研究所から逃げ出す際通った下水道ばかりだ。ちっとも良い印象はないが、彼らに任せるしかないだろうとオルタは思う。本当にあの96号をオレが倒したのなら覚醒したという情報は所長にも伝わっているはず……。であればまた再び取り戻そうと追ってくるに違いない。
でも望みどおりに事は運ばせない。オレの覚醒した力で思い知らせてやる。
「わかった付いてく。それとオレはメシアじゃなくてオルタだよ」
「滅相もない! 貴方様はまちがいなく救世主です!」
オルタは、困ったな……と鼻の頭をぽりぽり掻き、まあいいやと息をついた。
竜巳が先頭を行き、オルタ、土御門と娘ふたり、八重と続く十数名による選抜隊一行。点々と陽の光が射し込まれるものの大部分は薄暗い高架下をひたすら直進していく。
高架下内部の両端には手作り感満載の小屋が数多く軒を連ねていて、中には簡素な食堂などもあった。何より興味を惹かれたのはそこに暮らす人々である。上とは違い、どことなく塞ぎがちで、活気なんてものとは全く縁がない感じだった。そういう人々だからこそなのか、警戒の眼差しでちらちら見てくるものの、悪意はこれっぽっちも感じられない。どちらかといえば恐れているふうだ。
選抜隊は土御門の社前を出発してからものの数分で地下へと繋がる階段にぶつかった。
途中折り返しになっている階段を一階分だけ下れば、フェンスと守衛と思しきアウトローな風貌の男二名が待ち構えており、彼らはオルタ達の人数を数え終えるなり「全部で十二人だな。三万六千だ」と告げてくる。ここはいわばある種の検問所なのだろう。見ればフェンスの向こうは明るい。
あらかじめ用意していた竜巳は言われたとおりの金額をさっと支払った。
「武器は持ってないな? 分かっているだろうが、下には下のルールがある。きっちりと守れよ?」
通り抜ける際、そう注意をうながしてきた守衛の目つきには、およそ理性というものが感じられずオルタは先行きが不安になる。だってそんな輩が入り口を管理するということは……。
そして案の定、フェンスを抜けた先――機能していないショーウインドウが並ぶ通路には、奈落の底に片足を突っ込んでいるような危険極まりない連中が居座っていた。
目を合わせないようにして先を急ぐ。向かうは左。
ところがやはり彼らはよそ者を歓迎せずにはいられないらしい。歩いているとぞろぞろと集まってきて「おい止まれ」と呼び止められ、心臓が止まりかけた。
「通行料払ってもらおうか」
あっという間に周囲を固められ、あげくナイフの刃先を向けられたため、仕方なく足を止めた竜巳が自ら応対しようと進み出る。
「さっきそこで支払ったばかりだ。なにも力尽くで入ってきたわけじゃない」
「だからなんだ?」
キャップを被り、鼻を横切るようにして切り傷がある髭面の男は、竜巳に対してニコッと歯を剥く。彼の歯はおおむね銀歯に入れ替わっていた。しかも汚らしい。
「わかっちゃいないな。ええ? 其所と此所とじゃあ世界がまったく別なのさ。つまり其所は向こう側から入るための通行料をとり、此所ではこちら側に入りたての奴が此所を通り抜けるための通行料をとる。ほら違うだろ?」
語る際の癖なのか、彼は親指と人差し指だけを立てた片手をいちいちちらつかせて、喋る。なんとも鬱陶しい。
「そうか。では此所の通行料とやらは幾らなんだ? 以前はそんなルール無かったから分からなくてね」
「一人五千さ」
「全員で五千の間違いだろう? 全員で五千なら払うが、それ以上なら払うつもりはない」
髭面の男は憤りを露わにする。
「だったらここは通らせない。絶対にな」
「言っておくが――こちら側を甘く舐めないほうがいいぞ」
「んあ?」
「こちら側には貴様らを手も触れず退けられる大いなる力があるんだ。貴様らなんぞ一瞬で終わる」
わずかばかりの沈黙のあと髭面の男は急に笑い転げ、その周りも腹を抱えて笑い出した。
「おいおいそんな恥ずかしいことよく口に出して言えるな! おれだったら恥ずかしすぎて死んでるところだ」
連中は一向に笑うのをやめない。
「仕方ないな、救世主頼む」
「ひいい救世主だってよお! こりゃとんだ笑い種だなあ!」
横目に目配せされるもオルタは心の準備ができていなかった。それに気も進まない。覚醒していたとしてもそれによって得た力をどうすればまた使えるのか知らない上、仮に使えたとしても果たして竜巳の望むとおりの結果を出せるかどうか……。
だがここは試してみるしかなかった。期待されているのだから裏切るわけにもいかない。
とりあえず前に出て両手を連中に向けてみる。すると、まさか本当にそんなことが出来るのかと連中はちょっぴり面食らったようだった。
こいつらを吹き飛ばせ……こいつらを吹き飛ばせ……。オルタはひたすら胸のうちで唱え、強く念じる。
(……な……なにも起きない?)
そっと目を開け、やや迷った末振り返り、竜巳にどうしていいか分からないという旨をそれとなく伝えた。
竜巳のみならず土御門までもがぎょっとする。
そんな二人の表情から手の内を読み、髭面の男は「あひゃひゃひゃ。何だやっぱ嘘っぱちなのかよお!」と指をさしつつ大声で笑い始めた。
「おめえら何だ売れないお笑い芸人か何かか?」
オルタはいささか罪悪感を覚えるも、できないものはできないんだからしょうがないと割り切り、二人から目を背ける。(別にオレから言い出したことじゃないし……)
「さあどうする? 一人一万払うか、それとも引き返すか」
「待て! 一人五千じゃないのか!?」
「おいおい良き御客様と、人様に嘘吐くような輩を一括りにはできないだろ。後者には良き御客様の倍はもらうことにしてるのさ。あれ? さっきは言い忘れたっけ?」
わざとらしい芝居がかった態度がなんとも鼻につく。しかし竜巳にはもう打つ手はなく、大人しく言われるままの金額を支払うしかなかった。
「ほんじゃま、お達者で」
棚からぼた餅に大満足の連中はニコニコ顔で反対方向へと消えていく。
一方、痛い出費だが仕方ないと愚痴をこぼしながらも、オルタ達はようやく通路の先へと辿り着くことができた。
「ここは地下街の市場だ。はぐれるなよ」
所々人より二回りほど大きい円柱が立っていて、そこらじゅうで簡易的な店が開かれている巨大空間。壁沿いはもともとテナントだった空間を利用した店もあり、客はまばらにいた。一度迷えば方角を見失いそうな場所である。
商品には目もくれず人と人との合間を縫うように進んでいき、やがて短めの階段をのぼった。その先はゆるいカーブを描いた通路となっていて道端に横たわっている者が複数いた。
「この先に地下の居住空間がある。そこは掛かり場と自由場に分かれているんだが、今日から三日間は自由場で寝泊まりしよう。空いていれば、だが。それにたとえ空いていてもかなり窮屈だから覚悟しておけ」
「二つの違いは?」
「掛かり場は月に一度地下街の管理組合によって競売にかけられるんだ。そこで競り落とした者がかけられたスペースを一ヶ月間所有することができる。もう一方の自由場はその名の通り限られたスペースを無料で使える。ただし文字どおり自由だから早い者勝ちなのは当然のこと、管理組合が設けた三原則にも従わなければならない」
「三原則って?」
「利用者同士の揉め事は御法度。――身一つで場所取りをすること。荷物を置いてもそこは確保されたとは見なされず、荷物を放り投げられても文句は言えない。――騒ぎを起こしたものは無条件で出入り禁止とする。――以上の三つだ」
ゆるいカーブを抜けると想像とよく似た光景が現れた。
最低限人がすれ違えるだけの感覚をあけて広いマットがしっかり区画整理された状態で満遍なく敷かれている。その上には今現在も数多くの人間が雑魚寝で寝転がっている。その空間に足を踏み入れるか否かのところで、汗のにおいに種類豊富な弁当のにおいが入り混じったような得も言われぬ不快な臭いが鼻をついた。
慣れていないオルタは若干顔をしかめつつ先を急ぐ竜巳の後を必死についていく。上半身裸のぷんと臭いそうな大柄の男とすれ違う時は色んな意味で死ぬかと思った。というか彼の汗がべっとり頬についた時点でここがもう嫌になった。
間もなく一行はさして隙間はないものの、割と良さそうなスペースを見つけた。ぎゅうぎゅうに詰めればなんとか十二人いけそうな感じだ。
「とにかく今日はもう休もう」
各々持参した敷布をしいて寝転がる。オルタは竜巳と八重の間に横になった。
しかし……寝るといっても周りはうるさいわ、臭いも鼻につくわ、じめじめと暑苦しいわで一向に眠れそうにない。不幸中の幸いというか、体を向けているほうに八重がいることが唯一の救いだ。
けれどやはり寝付けず、何度か寝返りをうちながら我慢して目を瞑っていると、不意に八重が立ち上がった。
「ちょっとトイレに」
「あ、オレも」
いい気分転換になりそうだ。
「じゃあ二人分場所取りを頼まなくてはね」
オルタが首を傾けるかたわら、八重は手を挙げた。
するとどこからともなく見知らぬ人物が現れ、「一人一分十円です」と言った。八重が頷く。「わたしと彼の二人分お願い」
自由場における三原則を思い出し、そうかと気づく。他の誰かに取られないための策か。
トイレはそう遠くない同じフロアにあった。もちろん二人一緒に男子トイレないし女子トイレへ、なんてことはない。
大きいほうは全部埋まっていてブーブー屁の音がトイレ中に響くなか、臭いに我慢しつつ用を足す。その後手を洗わない者が多かったがオルタは手を洗った。そしてその時になってようやく自分の身体の異変に気づいた。鏡に映った自分を見たのだ。
(額になんでこんなものが……)
恐る恐る触れてみる。けれど額に埋まった銃弾はびくともしない。痛みも感じない。これはこのままで良いのだろうかと一瞬不安に思ったものの、これこそが覚醒に至った要因なのでは……という考えが頭をよぎった。背後から「坊主、さっさと手洗ってくれや」と声が飛んできたため急ぎ手をゆすいで立ち去る。
「遅かったじゃない」
「ごめん」
寝床へと戻り、仰向けになって目を瞑った。
第一に思い浮かんだのはノジエの普段の顔と泣き顔。どうすればここから迎えにいけるのだろう? 力さえ発揮しコントールできればうまく助け出せるだろうか?
こうして改めて考えてみれば、ノジエ抜きで安全に暮らそうなんてこれっぽっちも思っていないのに、どうしてオレはここにいるのだろう……。
オルタは現状に違和感を抱きながら眠りについた。




