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覚醒者オルタ  作者: FIXX
プロローグ
2/17

 気づくと、誰かに寄りかかっていた。見慣れた顔が真横にあった。

 実験体E―39ことノジエ。実験により常人のおよそ二倍もの早さで成長してしまう上、下半身不随で立つことも歩くこともままならない。現在の年齢は二十四。セミショートのブロンドヘアに、人形みたく端整な顔立ちはまさに作りもののようだった。彼女の目が物憂げに見えてしまうのは彼女が大人の女だからなのか、それとも事実そうだからなのか。

 一方、彼女に寄りかかっているのは、実験体E―33ことオルタだった。年齢は十六。灰色のボサボサの髪のせいか、第一印象は陰鬱な感じ。しかも三白眼の目つきは悪いときてる。いくら素が良くてもこれではなかなか友人もつくれないだろう。現に親しいのはノジエだけだ。

 彼らと、その他の七人は水色の簡素な衣類を身につけ、真っ白な箱の中に閉じ込められている。

 見上げれば奴らがいた。所長と研究員達だ。

 奴らの口はぱくぱくはすれど声はまったく聞こえてこない。だからか見られていてもあまりストレスにはならないし、気にもならない。

 オルタは隣のノジエをちらりと見て「あのさ」と話しかけた。

「何時間くらい経った?」

「さあ分からない。六時間か十時間か」

「なんだよその当てにならない答え」

「分からないものは分からない」

「まあいいけど。なんかずっと座ってたせいか身体が痛くて」

「横になる?」

 頷きもせず当然のようにオルタは横になり、頭をノジエの膝にのせた。

「すごく楽ちん」

「ねえオルタ? わたし、みんなが帰ってきてからずっと上を見てたんだけど、なんだか様子が変なの」

「変って――どんな?」

「昨日までは熱心に観察してた。でも今日はなんか違う。まるでいらないゴミを見るような目でただ虚しそうに見てるだけだった。わたし達に興味がなくなったのかな?」

「ふうん。まあ興味をなくしてもらった方がこっちとしては有り難いよ。ゴミ扱いされて外に捨てられるかもしれないし」

「わたしは……今のままがいい」

「何で?」

 不思議がってオルタが見やると、ノジエは今にもどこかへ飛んでいきそうな目で天井を見上げていた。

「だって向こうの世界に行っちゃったらもうこんなふうにオルタのそばにいられないかもしれないから……」

 オルタはわずかに目を見張る。

「そんなわけない。ここだろうと向こうだろうと関係ないって」

「そうかな」

「ていうかそんなに心配なら調べてみればいい。ちょちょいっと機械をいじくれば何かしら情報が得られるだろ」

「勝手に動かしたら形跡でばれる……どうしよう。思い切ってやっちゃってもいいけど」

「これまでずっとこっちが大人しく言うこと聞いてやったんだ。ちょっとくらい牙を剥いたっていいさ」

 オルタの後押しも手伝って、前々から挑戦してみようと思っていた事をついにノジエはやる決心をした。

 目を開けたまま彼女から魂が抜けたようにふっと意識だけが遠のく。

 それまでは寄りかかっていたオルタだったが今度は寄りかかられた。万が一にも倒れないようにとしっかり手で支えてやる。彼女の肉体には優しい温もりが残っていた。

 程なくしてふっと本体に意識が戻った。しかしノジエは何度か瞬いただけで動こうとも話そうともしない。

「どうした? 平気か?」

「平気。ただオルタが抱き寄せてくれてたから、動かないでおこうと思っただけ」

「べつにこのまま喋ればいいって」

「ふぅん」

 何故かノジエはクスッと笑い、肩に触れていたオルタの手を掴んだ。そのまま肩から手を外し、脇に持っていく。すると彼女はあえて胸を掴ませるように自らオルタの手を誘導した。

 シャツ一枚越しの手触りは嘘のように柔らかかった。それに絆されたオルタはあえなくノジエの髪に顔を寄せる。いい匂いだ。

 オルタの行動を感じ、ノジエはやや紅潮したようだった。

「で、どうだった?」

「覗いてみて分かったのはわたし達Eグループの処分が決定したってことだけだった。……処分の方法は……ガスで眠らせてから投薬による殺処分。実行は約二時間後」

 息をのんだ。ぎゅっと強くノジエを抱き寄せ、オルタは唇を噛む。

「逃げないと……ここから」

「どうやって?」

「分からない……」

「オルタ……わたしが死んだらキスして」

「あのな、お前が死ぬ時はオレも死んでる」

「……どうだろうね」

 オルタは思った――せめてノジエだけでも生かしたい。オルタは考えた――そのためには何をすべきなのかを。


 そろそろ二時間が経つ頃だろうか。と思っていた矢先、カチッとスイッチを押す音が部屋中に響いて、次いで所長の声が聞こえてきた。情のない冷えきった声だった。

「今日は特別に、君達の生まれてきた意味、存在意義というものを教えよう」

 オルタとノジエの二人はとくに驚く様子もなく、これは彼なりの冥土の土産というものなのだろうと解釈した。一方、他の七名はいきなり何なんだと困惑しており、全員が一斉に上から見下ろしている所長に注目する。

「まず、私はある仮説を立てた。今の君達のように我々もまた誰かが作った箱の中に存在しているのではないかと。大抵はそれを神だと言い、本気で考えようともしないものだが私は本気で考え、我々の世界がもし何かの実験か或いは単なる観賞用かは定かではないが一種の水槽のようなものだとしたら、この世界の外には我々が考えもしないような世界があるのではないかという仮説を立てたのだ。そして私は三十二年もの歳月をかけて発見した。こちら側と外側との繋がりを――」

 みんな黙って聞く耳を立てていたものの、自分達の外の世界のまた更にその外の世界などてんで想像もできない。

「私はひたすら、こちら側が果たしてどんな役割をもつのかを考えた。私の出した結論をいえば――我々の世界は誰かの体内にあるということ。体内のどこかという明確な答えは未だ出ていないが、私は恐らく脳だろうと考えている。となれば我々人間やその他の生物は細胞かそれに近いものだろう。そして自然現象は刺激による影響であったり、細胞を活性化させるものであったりするわけだ。――そしてこの仮説が正しいという前提のもと、より深く考えていくとある疑問が浮かんだ。我々が手に入れた能力――すなわち言葉によるコミュニケーションとは一体何なのか、それに一体どんな意味があるのか。そこで私はここがもし脳内ならばと考える内に、ある結論に至った。我々は我々が決して知ることのない情報のやりとりをしているのではないか、と」

 聞きながらオルタは(この話が終わった時が最期だ。どうする……?)なんてことを繰り返し考えていた。

「つまり……その情報こそ、こちら側と外側とを繋ぐ糸である、というのが私の立てた仮説だ。そこからまた更に年月をかけ、実際に手がかりを発見したのは最近のこと。とはいえ偶然の産物だったのは残念だったが」

 なんとなくオルタもノジエももうじき彼の話が終わると感じている。

「さて、話を戻すと、君達の生まれてきた意味そして存在意義というのは――私の発見した手がかりをもとに、さらなる情報を引き出すための装置であると、君達自身が認識すれば自ずと見えてくるだろう。そして装置は機能を果たさねば何の意味もない。よって残念ながら君達は不要だ。最終的に私が伝えたかったのはそこ――君達は本日をもって処分されることとなった。どうか恨まないくれ」

 カチッとスイッチを押す音が響く。だが一度では何も起こらず、所長は何度も続けて押した。しかしやはり何も起こらない。

 と、突然部屋の扉がシューッと開かれた。それを確認したノジエが服を引っ張る。

「オルタ、逃げて」

 そうなのだ。いくらスイッチを押してもガスが噴射されないのはノジエの仕業によるものだった。

 慌ててオルタはノジエを背負い、立ち上がる。

「みんな逃げろ! ノジエが時間稼ぎしてくれているうちに!」

 言われるまで他の七人は微動だにしていなかった。たぶん生まれてこの方、奴らの言うことを大人しくきいていた癖が身体に染みついているせいだろう。しかしそれはオルタとノジエにも言えることなのだが、事前情報を掴んでいたおかげで即断即決することが出来た。

 他の七人もようやく危険が差し迫っていることを実感し、所長にかわって何か怒鳴っている研究員の声を無視して、扉から出て行く。オルタ達は彼らの後に続いた。

 扉を出た先は一本道だった。その脇から所長と研究員らが出てきたが、オルタ達は力尽くで突っ切った。

「どこに逃げたらいいんだ!」

 先頭からそんな男声が聞こえ次いで、

「次の次を右へ!」

 とノジエが叫んだ。どうやらちゃっかり施設内データも入手していたらしい。

 しかしその直後、通路の天井に備えつけられたランプが赤い光を放ち、警報を鳴らし始めた。先頭から再び声が届く。

「急ぐぞ!」

 人ひとりを背負いながら走るのはかなり辛い。早くも息が切れそうになっているオルタの背中の上で、ノジエはとても心配していた。だけど決して降ろそうとはしないオルタの意思を汲み、ノジエはただただ身を任せるしかなかった。

「突き当たりを左へ! その先にある一つ目の階段を最下層まで下って!」

 一行が階段にさしかかるが早いか、上からダッダッダと大勢の警備員が駆け下りてくる気配がした。奴らとの差がどれくらいあるのかサイレンのせいで分からない。

「くそ追いつかれたら一巻の終わりだ!」

 ひたすら足もとだけに注意してオルタは階段を駆け下りる。現状、後方を気にしても仕方ない。どうしたって対処は難しいのだから。今はとにかくノジエを背負ったまま皆に必死についていく。

 最下層にたどり着くやいなや、ドアを開けて先へ進んだ。

 行く手に現れたのは壁のように積み上げられたゴミの山々。見るからにそこは駐車場だった。幸い腐臭はしなかった。

「おい! 行き止まりだぞ!?」

「ここの床のどこかにマンホールがあるはず……」

 だがゴミの数々を退けて探す時間などない。上からは警備員が迫ってきている。もう後戻りもできそうにない。とりあえずオルタ達はゴミ山の近くまで逃げて、階段から距離を取ることにした。

 一人目の警備員が見えたかと思えば、次々とわき出てきてあっという間に逃げ場を塞がれてしまった。きれいに整列した一列目が膝を折って銃を構える。次いで二列目が立ったまま同じく銃を構えた。

 程なくして奥から所長とその女助手も現れた。

「呆れたものだ。肝心なときに限って力を発揮するとは……。最後くらい私の手を煩わせないでくれ」

「所長、いつでも指示を」

 女助手の横に立っていた隊長らしき人物が言った。

「そうだな」

 所長は焦らすように間を置き、やがて片手を掲げた。

「まだ撃たないでくれ。さすがの私も情くらいはある。彼らにも一度チャンスを与えたい。――実験体Eグループの諸君。実験体E―39をこちらに差し出せば処分を取り下げよう。これはテストだ。さあ君らは全のために一を捨てられるかな?」

 何を馬鹿げたことを……オルタは唖然とした。そんな時ふと服を掴まれる感触を覚え、振り向けば身近に他七人が集まってきていた。一瞬にして青ざめる。

「は……? おいまさか奴の言うこと鵜呑みにしてるのか?」

「少しでも助かる見込みのあるほうに賭けたいんだ」

 七人全員が追い詰められた酷い顔をしている。仲間の命をむさぼり食ってまで生き長らえたいという意思がひしひしと伝わってくる。

「お前ら目覚ませよ! ノジエを渡そうが渡すまいがどっちにしたって殺されるに決まってんだろうが!」

「うるさい! 助かるかどうかは所長次第だ!」

 ぐいっと物凄い力で引っ張られた。そうしたのはなんと女である実験体E―35だった。微塵の手加減もない。

 するとそれが引き金となり、彼女の他六人もオルタからノジエを引き剥がそうと躍起になり始めた。ある者は髪を引っ張り、ある者はノジエにぴったりくっついてやはり引っ張る。そんな事態に陥ってもオルタはほんの一瞬は踏ん張れた。だがしかしあっという間に二人は引き裂かれ、ノジエは抵抗もできず連れて行かれた。

「お前ら正気か!? こんなことしたって結果は何も変わるはずないのに!」

 ノジエの身柄を受け取った所長は彼女を抱えたまま、手近にいた警備員から銃をひったくり、狙いやすかったであろうノジエを連れてきた男女二名にむけて容赦なく引き金を絞った。

 耳の近くで発砲音がしたためにノジエはビクッとして目を閉じる。それから間もなく目を開けると、地面には額から血を流す二つの死体が倒れていた。

 さらに間髪を入れず所長は三人目、四人目と順調に一発きりで銃殺していく。そして気づけば残すところオルタとノジエの二名だけという状態になっていた。

「こう見えても射撃には定評があってね、これくらいの距離なら私は百発百中で仕留められる。我ながら良い趣味をもった」

「所長」

 嬉しそうに銃を眺めていた所長のもとにおかしな奴がやってきた。辺りにいた警備員らが退かないと前へ進めないほど筋骨隆々とした立派な肉体をもつ男だ。仮面を被っていて表情は読めない。加えてさらけ出している上半身には複数の機械が埋め込まれており、拳や肘などとケーブルで繋がれているのがなんとも気色悪い。

 呼ばれて振り返った所長は「ああ」と頷く。

「96号。ちょうど君のテスト相手が決まったよ。彼だ」

 オルタを一瞥した96号は「へっ」と嗤う。

「冗談だろう? あんなチビなんて一握りで終わっちまうぜ?」

「いいんだよ。君がどれだけ機能するかを測れればそれで充分だ。何も対等にやり合う必要はない」

「そうかい」

 ギロリとまん丸の眼球で睨みつけながら96号は近づいてくる。

 対してオルタは思わず後ずさりした。あんな怪物相手にできるわけがない。どうしても距離を詰められたくないと無意識のうちにどんどん足は引き下がっていく。――と、二十歩も歩かぬうちに背中が行き詰まってしまった。

 すぐ後ろにはゴミの山。前方からは怪物が迫ってきている。これで震えない人間などいようものか。

 しかしそれでもオルタは諦めてはいなかった。

(ノジエだけでも逃げ出せればそれでいい……ノジエだけでも……)

 一瞬、ちらっと視線をノジエに向けるやいなや、グオオオと声をあげながら96号が襲いかかってきた。丸太のような腕がいったん引いたかと思えばぐんとオルタめがけて飛んでくる。

 紙一重のところで避けきったオルタ。すると後方でいきなり風船が割れるようにゴミが破裂した。

 ゴミが辺りに散らばり、山が崩れる。

 オルタは反射的に受け身もとらない覚悟でなるべく遠くまで飛んだ。そして地面に伏せた直後、振り返った。あの怪物はいったい何をしたのか……。

 一つのゴミ山が崩れたところから大量のゴミが噴火したように飛び出した。どうやらゴミに埋もれていたらしい96号はそこから姿を現し、出てくるなりぶるぶると身体を振って細かいゴミを払いのけ、ご自慢の両の拳同士をガンガン打ちつける。激突するたび拳からはバチバチと凄まじい電気が迸った。

「避けるなよ。どうせ死ぬんだから大人しくさっさと死んどけ」

 仮面の下、唯一表情をうかがえる96号の両目は楽しげに微笑んでいた。

 かたやオルタは、ある秘策をちょうどこのタイミングで思いつき、鼓動がドクンと跳ねた。一か八か試してみる価値はある。

 成功する保証なんてどこにも無いが、成功するという根拠のない自信はあった。が、問題が一つ。思いついた秘策というのはノジエではなく自分だけが助かるというものだった。気持ちはどうあれ結果的にはどうしてもそうなってしまう……。

 またちらっとノジエの方を見る。

 すると彼女は泣いていた。オルタが自分を見たと知るやいなや、ノジエはカッと目を見張って叫んだ。

「逃げて! わたしのために!!」

 濁流に心がのみ込まれるようだった。やっぱり自分には彼女がどうしても必要なのだと痛感させられる。今ならまだ間に合うかもしれない……と駆け寄ろうとしたその時、隙を突くように96号が飛びかかってきた。地面ごとオルタを叩き潰してやろうという気迫で殴りかかってくる。

 距離による余裕がまだあったので避けるのは造作もなかった。ただ今度は電気がバチッと襲いかかり、全身に激しい痛みが走った。ぐあっと呻いたオルタはゴミ山に頭から突っ込んだ。

 畳み掛けるように96号が続けて拳を振るう。

 自分はひすたら避けることに徹するしかない、とオルタは判断し、今度の攻撃もなんとか避けきった。

 ドカッとゴミ山を叩いた96号の拳によってゴミが破裂。

 三度も避けられたことに腹が立ったのか、96号は「オラァァ!」とがなりながら、がむしゃらに両腕を振って暴れ出し、手がつけられない暴れん坊みたくなった。

「ちょこまかと動き回るなー!」

 次から次へとゴミ山を崩していく。

 オルタはせっせとゴミ山からゴミ山へ渡っては登り、渡っては登りを繰り返し、96号が崩しながらゴミを散らかしたことによって現れたマンホールをついに発見した。が、肝心のそれは奴の足もと。

 すると思いも寄らぬ出来事が起こった。

 96号がマンホールの蓋を持ち上げたのだ。あたかもフリスビーのように軽々と持ち、奴はそれをオルタ目掛けぶん投げる。

 凄まじく回転しながら向かってくる蓋に対してオルタは、図らずも走り出した。斜面を滑るようにして下っていく。その途中、ハッとして今や遠いノジエを見た――。やがて鼻先をかすめるくらい紙一重のところで躱しきり、そのまま奴の足もとにあるマンホールの穴へと辿り着いた。

 目の前には96号。奴は拳を振り上げた。

 ハアハアと喘ぐも息が詰まりそうになる。オレにはもう選択の余地はない……。知らぬ間にオルタは涙していた。まもなく溢れんばかりの想いを込めて叫んだ。

「絶対迎えに来るから……生きててっ!!」

 96号の拳が地面を抉ってマンホールの穴がぐちゃぐちゃになった。そこにオルタの姿はない。

 辺りを見回してから慌てて96号は手を穴に突っ込んだ。お分かりのとおり奴の頭はどうも弱いようで、突っ込んだ片腕をじたばたさせ、はるか下にいるオルタを掴もうとしていた。でもオルタからしてみればそうしてくれているほうが有り難い。なぜなら奴の図体であればかなり頑丈な蓋になって穴を塞いでくれるからだ。

 ずっとそのままでいてくれと願いつつオルタは、鼻が歪みそうなくらい臭い下水道の中を振り返らず、駆け抜けていく。足もとの汚い水など気にも留めずに。

 それから数十分走った先に光が見えた。拭う気にもならなかった涙はもうすっかり乾ききっていた。

 光に近づくにつれ、空気が少しずつ変わっていく。匂いもだんだん薄れていくようだった。まあこれについては慣れたというのもあるかもしれないが。

 そうしてオルタは光のもとに辿り着いた。

 ラッキーなことに出口を塞いでいたパイプには人ひとり分の隙間がある。だがそこを抜ける前にオルタはいったん足をとめた。前方に立ちはだかる見知らぬ世界の光景に圧倒されてしまったのだ。

 目の前でキラキラと輝く光がたゆたう川。その向こうには夜の帳がおりた都会の街並みが広がっている。緑やピンクといったカラフルなライトがくるくる回って暗い空を明るく照らし、信じられない大きさの建物が一つ……二つ……三つ……全部で幾つあるかも数え切れない。とにかくたくさんだ。それらの建物自体も煌々と明かりを放っていた。まるで目がいっぱいあるかのように。

 そんな景観を茫然と眺めているオルタの瞳もそれに負けじと美しく虹色に輝いていた。

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