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オルタとサイボーグが対峙する。
「驚いたかね。実験体E―33」
声を聞くなりオルタは眉をしかめた。
「所長……?」
「タイミングの良さにさぞびっくりしたことだろう。だが偶然ではない。私はずっと空から君を追跡していたのだ。君らが公園で黄昏れていた時からね」
「その姿は……?」
「いやいや当然中身は私ではない。こんな趣味は私にないよ。私は単に彼女の眼や耳、そして口を借りているだけだ」
嫌な予感が脳裏を過ぎる。彼女……? まさか……。彼の言葉から推測されるサイボーグの正体に気づき始めてもオルタは認めまいとして、それ以上深く考えるのを自ら拒む。
「君が覚醒したと報告を受けて、最初は君のほうから出向いてくるのを待つつもりだったんだよ。だが考えてもみれば私の手元には研究材料があまりにも揃いすぎている。万が一それを君に壊されでもしたら大損だ。だからこうしてこちらから出向いた。君にとってもこの方が手っ取り早くてじつに気楽だろう?」
時間が経てば経つほど、目の前にいるサイボーグが何者なのか、その情報が伝わってきて確信といったものが増幅していく。そして……オルタの方から彼女の居所を聞くまでもなく、所長がハッキリ口にした。
「ちなみに彼女とは、君の愛しい実験体E―39のことだが、すでに気づいているかな」
オルタはただ茫然とし、ゆっくり両手で髪の毛を握るようにして頭を抱える。
「君が彼女を置き去りにしたせいで、いや、置き去りにしてくれたおかげで私は新境地を開くことができた。礼を言う、有り難う」
精神的に追い込む所長の物言いにまんまとやられ、オルタは気力を失い、立っていることさえままならずその場に跪く。
「始めは殺処分を目的とした実験中の劇薬を彼女に与えた。ただし眠らせずに。これまでどの実験体も耐えられなかった劇薬だ、彼女は酷く身をよじって苦痛に悶えていたよ。そのせいで髪はぜんぶ抜け落ちてしまったし、全身の筋力もまるで老人のように衰えてしまった――が、彼女はなんと生き延びた。その結果、実験体E―33の力は飛躍的に増大し、恐ろしいことに96号レベルの人造人間兵器をいとも容易く撃破してしまう怪物となったのだ。君のようにね。よって彼女を正式に戦闘用人造人間兵器101式、通称――改良型ノジエとした。栄えある100式だが、それは君のために空けてある。実験体E―33オルタ」
背筋が凍った。捕まれば自分もあんなふうにされてしまう……。罪滅ぼしになろうとも嫌だ……。あんなふうになりたくない!
「ヒドイ顔をしているぞオルタ。まさか彼女をこんなふうにした張本人が、自分はこんなふうになりたくないなどと怯えているのか?」
的を射られ、何か言おうとしたがオルタは口を噤んだ。
「図星なのは知っている。所詮人間なんてそんなものだ、むしろ気にすることではない。私にしてみれば自より他に重きを置く輩など愚の骨頂。だから君は間違っていない。彼女を犠牲にして助かったあげく覚醒したのだから、利口だよ」
「オレはそんなつもりじゃ……」
「つもりはなくても本能がそうしたのだ。違うか? 違うならなぜあのとき彼女を置き去りにした? 自分の命が惜しくなったからだろう?」
「違う! オレはノジエを助け出すチャンスを得ようと……」
「本当にそうか? 彼女を助けるという目的があれば後ろめたさなど無く自分を救えるからそうしたんじゃないのか? 傍からみれば誰の目にもそう映るぞ。もしかしたら彼女こそ見抜いていたかもしれない。君が置き去りにするような卑怯な男だってことを。だからあの時、彼女はすでに諦めていて、君に逃げろと言ったんだ。あんな事態に陥ってしまったなら君はどうせ逃げるから、と」
「そんな……オレは……」
跪いていたオルタはそのまま頭を垂れて床に伏した。
胸が苦しい。腹の底から苦いものがこみ上げてきて喉も苦しい。罪の意識に苛まれるとはこのことを指すのだろうか……。表情が歪む。ハアハアと呼吸も不安定になり、脂汗が止まらない。
過去の自分がまったく分からない。今も自分が何を考えているのか何をしたいのかまったく分からない。そうして疑心暗鬼になったオルタは目の前が真っ白になっていた。挙げ句の果てには取り乱し、悲鳴にも聞こえる叫び声をあげた。
叫びに乗じてみなぎる力が溢れんとする。
半円状の見えない壁が瞬く間に広がった。
窓ガラスからコップから、グラス、テーブル、壁、天井に至るまで、ありとあらゆるものが裂けて割れて砕かれる。さらには店の外にいたパワードスーツ兵までもが全員吹き飛んだ。
一方、発生源近くにいた改良型ノジエは、しかしびくともしていなかった。足もとの床すらも。恐らく瞬時にオルタの力にも耐えうるシールドを張ったのだろう。
「やはり素晴らしい力を手に入れたようだ……悲しいかな、それを世のために使おうという意志が君にはない。意志がないから心も弱い。したがって彼女に力尽くで君を連れてきてもらう。ノジエ、オルタを捕獲しろ。言うまでもなく生け捕りでだ」
改良型ノジエの腰辺りに接着していた髪のような管がすべて切り離され、メデューサの蛇みたく意思があるように蠢きはじめる。額面通り、ノジエは怪物と化していた。
そんな改良型ノジエが床を蹴りあげれば、さもそれがチョコレートか何かであったかのように砕け散る。そして、あっという間にオルタとの間合いを詰めてきた。一瞬消えたかと錯覚してしまうスピードで。
オルタは蹴りを喰らい、吹っ飛んだ。そこでやっと正気に戻った。とはいえ即座に対応しうるほどの気力はまだない。
その隙に目と鼻の先まで改良型ノジエが迫る。彼女の面はじつに不気味だ。
今度は顔面に膝蹴りを見舞われ、体が宙に浮いた。鼻血は噴き出たものの不思議と大したダメージではない。そして――ハッとする。見れば空中にて拳が繰り出されようとしているではないか!
やられてなるものかと本能が働き、主であるオルタが望もうと望むまいと体はただちに防衛体勢に移る。そうしてオルタがとっさに防御したそばから、拳がめり込んで衝撃によりオルタは床に突き落とされたかたちとなった。木っ端微塵となった床の瓦礫が八方に飛び散る。
向こうはそのまま踏み潰さんとしてきたが、オルタは咄嗟に床を転がって回避しつつ行く手にあった椅子の脚をつかんだ。次々と手当たり次第放り投げていく。しかしそんなことお構いなしに改良型ノジエは息つく暇も与えまいとして迫ってくる。
余計なことを考える余裕なんてない。この先はひたすら避けることに専念して、隙を見つけなければ。彼女を活動休止状態に追い込む隙を。そして少しでも話が出来たら――。
「避けずに正面からぶつかり合えばわかり合えるかもしれないぞ。変わり果てた彼女と」
よそでふんぞり返って観ているであろう所長の声。
雑音を聞き流しながら鞭のごとく華麗にしなる蹴りを紙一重で避ければ、その先にあった壁や床などに太い切れ目が入り、思わずオルタは怯んだ。
(あんなもの喰らったら……)
突然、左肩辺りに凄まじい衝撃!
壁にぶつかってから気づくと、床に倒れていた。
息が詰まってうまく呼吸できない……。胸が押し潰されたようだ……。やがて呼吸出来るようになり起き上がろうとしたところで、首を鷲づかみにされ、オルタの身体は宙に浮いた。
「オルタ、君もしっかり殺す気でやらないと。なに遠慮することはない。どのみちもう手遅れなのだ。罪悪感で手出しを躊躇っているならせめて君の手でとどめを刺してやるつもりでやりたまえ」
もがいても、もがいても、改良型ノジエからは逃れられない。グググ……とゆっくり締め付けがきつくなっていく。
(ノジエは望んでもないのにこんな身体になった……オレのせいで……。このままノジエの手に身を委ねれば許しを……)
事態はもう防衛本能も働かないところにまで達している。人の温もりなんてない冷たい手がオルタに〝死ね″と告げている。
オルタはかろうじて意識はあるものの朦朧としていて視界も虚ろだ。
(本当に……本当にオレは助けるつもりだったんだ……。ごめん)
ふっとオルタの表情から苦痛が抜け、柔らかな顔つきになった。死の間際、その死からは決して逃れられないと諦めた人間の表情とも少し違う、これこそが自分の運命なのだからと悟ったような面構え。
しかし突如としてぐらっと視界が揺らぎ、なぜか身体が投げ出された。ここへ来て改良型ノジエはオルタをなぶり殺すことにしたのか。
急遽、解放されて身動きが自由になったオルタはろくに動けずただ頭が混乱し、身体が勝手に慌てて空気を取り込もうとする働きに身をまかせるしかない。そこへどこからともなく声が飛んできた。
「オルタ! ボサッとしてないで戦え、どアホ!」
不鮮明ながらも知っている顔が視界に映り込む。そうか――二人はまだここに残っていたんだ。
呼吸は慌ててするくせに思考はやけにのんびりしている。まだ目の焦点さえも合わない。が、身体が揺さぶられている中、なんとか周りを見回せば身近に――たった今、起き上がろうとしている改良型ノジエの姿があった。
振り返りざま、彼女は不穏な空気を纏いつつある。
「やめろっ!」
オルタは半ば無意識に力を使った。ほぼ一点集中だったためか、黒光りしたボディは店外まで一気にぶっとんだ。
間もなく身体のあらゆる部分が正常に戻り、身近には萌音だけでなくイサイもいることを知った。
「なんつう硬い身体してやがんだあの化け物は」
どうやら無謀にも二人は体当たりか何かで改良型ノジエの隙を突いたらしい。
「こんな状況で助けに入るとか、二人は死ぬのが恐くないの!?」
「あんただって死ぬところやったやろ! そんなあんたに言われとうないわ!」
萌音はオルタの胸ぐらを掴み、捲し立てる。
「しっかりし! 大事なもんなら他の誰でもないあんたの手で終わらせたれ! もしうちがああなってもそう思うわ! 愛するもんを自分の手で壊すくらいなら壊されたほうがマシや! 罪の意識を感じ取るんならあんたの手で終わらせてこの先ずっと罪を背負っていく人生を歩みぃ! ええな!?」
凄む萌音の言葉や目から伝わってくる怒りに、がつん、とオルタは胸をド突かれた。そしてそんな不意打ちによる衝撃が弱りきった心の臓をよみがえらせる。
「分かったなら返事しいやオルタァ!!」
「……わかった」
目を見据えてそう頷くと萌音はスッと力が抜けて腰を抜かし、「ならええ」と微笑んだ。
「イサイ、萌音を連れて避難して」
言われるまでもないとばかりに既にイサイは萌音に肩を貸そうとして屈んでいる。
「まかせろ。俺としちゃあおまえも戦わずに一緒に逃げようと言いたいが、そうもいかない状況のようだしな、仕方ねえ」
装甲車にめり込んでいた改良型ノジエが緩慢な動作で地に降り立った。
「イサイ急いで」
「わかった! 裏口から出る!」
とりあえず二人がカウンター裏へと下がっただけでもオルタは安堵する。いざ改良型ノジエと再び正面から向き合おうとした時のこと、イサイが「おい!」と呼んだ。振り向けば向こうが確かにコクリと頷いた。
「死ぬな」
一瞬迷ったが、頷かざるを得なかった。なぜなら萌音が至極不安そうな目で見ていたから。
「腹は決まった。君はいまそんな顔をしているぞ、オルタ」
たった今、改良型ノジエが再び店内に足を踏み入れた。足もとのガラス片がぐしゃりと砕ける。
「ごめんノジエ。今思えばあの時、オレは死んででもノジエのもとへ行くべきだった。そうしたら二人で楽に死ねたかもしれないのに」
「ノジエまだ手を出すな。彼と話がしたい。――オルタ、なぜ君が今思っているように判断を誤ったのか、目上の私が教えてあげよう。なにも特別なことではない。簡単なことだ。ごくごく限られた狭い社会のなかで、君は君いがいの七人から気が合う者、あるいは異性として魅力のある者を選び、打ち解け、結果的に親しくなったに過ぎない。しかし君達の間には本来ならあってもおかしくはないであろうものが欠けていた。――愛だ」
こみ上げてくる憎しみや怒りを今度こそコントロールし、罵詈雑言が口をついて出そうになるも気持ちを抑えて沈黙を貫く。
「観察していた側の意見だがね、オルタ、君のみならず実験体すべてが愛を知らない。すべからく環境の関係から愛を知れるはずもないのだからそれは致し方ないことだろう。つまりは君達は擬似恋愛のような気分を味わっていたということだ、ずっとね」
「違う!」
「いいや違わない。よくあるんだ、外の世界では。とくに学生の間などではね。好きだなんだの言っておきながら向き合うことを恐れ、将来から目をそらし、それゆえ愛をまったく育もうとはせず、君達のような擬似恋愛で満足してしまっていることが――。ここから少し横道に逸れるが、仮に君達のような感覚で大した愛もなく本能の趣くまま子供をつくろうものなら、家庭はあるようでないようなものとなり、いずれ崩壊する。愛が欠けてしまっているからね。大抵は日常における些細な出来事により徐々に破綻していくものだが、君達の場合はある種の特別な存在だから、大抵のそれとは大きく違っていた。しかし元を辿れば行き着く先は同じ――。自分より大切なものではなかった、自分の気持ちや欲望を差し置いても優先したいと思える相手ではなかった、たったそれだけのことなんだ。そんなもの別れて当然だろう。無償の愛がなければいざという時に互いを支え合うなど到底不可能なのだからな」
煮えたぎる憤り。相手の言葉が紡がれれば紡がれるほど腹の底から熱い血がのぼってくる。自分でも気づかないうちに、オルタは血が出るほど強く下唇を噛んでいた。我慢の限界、冷静さを失ったまま口を開けば、たちまち感情が爆発した。
「ふざ……けるな……っ!! そもそもお前が、お前らがいなければこんなことにはならなかったんだ……!! 思うように育たなかったからって捨てるなら、はじめから生んでくれなくて良かったのに!!」
「何を言うのかと思えば……くだらない。生むか生まないかは生産者次第というのが世の理。それに文句をつけるとは愚かしいな。決して生まれるのは一つ限りではない。何百何千とこれからも生まれ続け、そのうちの幾つかが最上級クラスとして育ち、結果的にヒエラルキーが継続される。その頂点に立つ者を生み出したいと思うのは生産者としてごくごく当たり前のことじゃないか。呪うなら生産者の私ではなく無能だった己を呪うことだ」
ぐわっと全身の毛が逆立つ。オルタの目に怒りが満ちた。
「わかった、もういい……あんたには、オレを生んだこと、心の底から後悔させてやる。奈落の底に落ちろ」
所長が鼻で嗤う。
「楽しみだ」
まるで子供の戯れ言のように彼は思っているのだろうが、オルタ自身は嘘やハッタリを言ったつもりなど毛頭無い。有言実行――オルタには確信があった。それを成し遂げられる確信が。
改良型ノジエが両手を突き出してくる。力を使う気だ。
だが彼女は固まった。オルタの仕業である。
「ノジエ、ケリをつけるよ。だからもう少し耐えて」
次の瞬間、外にいたパワードスーツ兵は度肝を抜かれた。ほんの僅かな残像が研究所方面へと流れた矢先、二人の存在がきれいさっぱりその場よりロストしたからである。




