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真珠通と銘打たれた商店街に滑り込むこと五分、ビルを丸ごと独占する漫画喫茶の隣に到着し入っていく。それから『萌音・M』と札が立てられた駐車スペースに頭から突っ込んだ。
「再会を祝して何か飲む?」
言いながら萌音はタバコをもみ消し、ドアを開ける。
「何かって何があるの?」
「ジントニック、レッドアイ、モスコミュール、水、なんでもごされ」
オルタがドアを閉めると、萌音はピピッと車をロックした。赤茶色のレザージャケットに黒のレザーパンツ、足もとはブーツという格好をして鍵を指先でくるくると器用にまわす萌音は、とっとと先を行ってしまう。
慌てて後をつけて駐車場を出るやいなや、萌音は消えた。
種明かしをすればなんてことはない、ただ駐車場の隣に立つガレージ風の建物に入っていっただけのことである。
そこは『BAR・CHOUETTE』という酒場で、壁際にスロットマシンが置かれたカウンターの奥には、数段低くなったスペースに並べられたビリヤード台、そしてダーツマシンが設置されている。
ゲームのために店内は明るめだが、鍵盤やシンバルの上を妖精が軽やかに跳んでステップを踏んでいるかのような……美しいリズムが奏でるゆったりとしたジャズにより、深みのある大人の時間を楽しめそうだ。恐らく店側の演出の意図もそこにあるのだろう。それゆえスロットマシンの音量は最小限に留められていた。
「おかえり」
萌音が店内に入って早々、ハンチング帽を被った男がそう言った。彼はドア近くのスロットを打っていた。
「ただいま、マスター。紹介する。彼がさっき話したオル」
「そうかよろしく」
マスターの差し出した手を見てオルタは自然と手が出た。見ると彼は目が極めて細く、まさに糸のようだった。両耳には多様なピアスがくっついていて、どれも黒く呪文めいた文字が刻まれている。
「オルタです」
「あれ、オルじゃないの?」
「ああ、ごめん、それ勝手にうちが呼んでるだけ」
「なんだ。じゃあ僕もオルくんって呼ぼう。アゲマンの萌音にあやかった方が彼とうまくやっていけそうだし」
笑顔でそう言ったマスターの目前に手が出てくる。次の瞬間、バチンと凄まじい威力のデコピンが放たれた。「イタイっ!」と彼は声をあげる。
「余計なことは言うな、どアホ」
「ごめんつい……」
「それより上で乾杯するから、適当に飲むよ?」
「いいよ。好きなの作って」
萌音についてカウンターに入ると、内側には誰もいなかったが、外側で酒を舐めていた数人からは異様な視線を向けられた。まるで値踏みしているような感じだ。
「ジュース何が好き?」
「え、んーと、わかんない」
「なんじゃそりゃ。まあうちと一緒でええか」
「うん」
そんなことよりも、オルタはカウンター外にいる四人がどうしても気になって仕方ない。女ふたりのペア、男ひとり、男ひとり――彼らは互いに間隔をあけて座っているくせに、息がぴったりだ。
ためしに萌音の周りを動いてみると、彼らは寸分の狂いもなく同時に視線を運んでくる。そういう遊びか、はたまたそういう機械の真似事をしているようで、不気味でならない。
「さっきから何うろちょろしとるん?」
萌音はシェイカーを振って楽器みたくシャカシャカ鳴らしていた。
「何かあっちの人達が睨んでくるんだよ」
「ああ。あんたらあんま苛めてやらんと、こんばんはくらい言ったらどうなん?」
そう萌音が言うと、向かって一番右にいた、つるつる頭の男が身を乗り出してきた。見たところいい歳だ。
「だってさ、萌音ちゃんが男連れてくるなんて……おかしいよ! しかもまだ色気の一つもない子供だし! その子でいいなら僕でも良くない!? ほら僕って唇厚いからチューだって上手だよ!?」
言ったそばからつるつる頭は一個のアイスボールを顔面にくらって沈没。すると、二つあけて横のオバサンくさい男も身を乗りだし、パシャッと携帯端末で二人の写真を盗み撮りし始めた。
「モネ子ってこういう少年が好きだったのかい? 面食いなんだろうなとは前々から思っていたけど、少年に手を出すとは。何にせよ、やっと過去を吹っ切るきっかけが出来て、良かった良かった」
再びアイスボールが飛ぶ。
そしてさらに三つあけて横の女ふたりは、静かに手招きしてオルタを呼び寄せ、来るとわかるや彼女らもまた身を乗り出した。向かって右側のやたら胸が張っているツリ目の日本人女性が問うた。
「君いくつ?」
「たしか十六」
「へえ十六歳かあ。萌音を掴まえるなんて凄いじゃん」
頷いたのはその隣、向かって左側の上背のある外国人女性。ブロンドのロングヘアで、肉付きがよく感じもいい。
「この中でそっちの二人がもっとも要注意人物やから気つけてな。隙あらばかぶりつこうと襲いかかってくるで」
「確かにあたしらは中学生でも高校生でも遠慮無くいただくけど、さすがに友人の男は食わないって」
「そうそう。いくらワタシ達でも、襲わないよ」
聞いて萌音は、出来上がったドリンクを持ってオルタの後ろを通りがてら、細めた目を彼女らに向ける。
「とか言って、つい最近ふたりして十人斬りしてきたとか、したり顔で自慢してたやろ? そんな怪物コンビを目の前にしてどう安心せいと?」
「あははは! まあねっ! って言っても、せいぜい一人三発までしか弾入ってなかったし、内容はそう大したあれでもなかったよ。唯一面白かったのはあたしら二人でずーっと男共のケツを教育してた時ぐらいか。あん時は幸せだったぁ。どいつもこいつもヒイヒイ言っててさ、年齢は十代から五十代まで色とりどりだったんだけど、最終的には全員また会う約束したからまた教育してやんないと」
場をわきまえず、楽しげに下品なことをぺらぺらと喋るツリ目に、ブロンド女をのぞく全員が固まった。ふっと萌音はため息をつく。
「オル。今の話、聞き流してええから。こんなろくでもないメス共の話をまともに聞いとったら、穢れてまう。はよ行こ」
女ふたりは共に「ヒドイっ」と涙ぐんでいたものの、萌音のほうは気にも留めず、せっせとオルタを連れてカウンター内側の端から階段を上がっていく。その階段はいったん途中で左に折れてさらに上がり、天井と床のちょうど中間でまっすぐ伸びていた。
道中ちょっと気になって下に目をやれば、女ふたりが手を振ったのでオルタは応える。
通路の突き当たりには扉があり、開けるとその向こうは外だった。なおも建物の外壁に沿って階段があるが、その脇を抜けるようにして別の通路もある。萌音いわく、上はマスターの自宅で、その下が萌音の借りている住まいらしい。
下の通路をゆけば一枚の扉があって萌音は鍵を開けた。
「遠慮せず入って」
萌音の部屋は、幾つかあった壁をぜんぶ取っ払ったように広く、玄関やキッチンともそのまま繋がっていた。室内にはマゼンタに染まるカーペットやクッションの他、紫のソファや、白いオーディオ機器、白いパソコンなどがあり、それらとは少し離れたところに黒いベッド、その奥にベランダも見える。そして左手の中間辺りにはバスルームやトイレ、クローゼットへと繋がる短い廊下。ちなみに壁紙がモニター代わりとなるため一つといわず二つでも三つでもテレビ画面を表示させることが可能とのこと。
二人はひとまずソファに腰掛け、再会を祝して乾杯した。
仄かに舌やノドを刺激する初めての飲みものだったが、甘さのあとに来るシュワッと弾ける不思議な食感を、オルタは気に入る。
萌音のくちびるの先で煙草に火が灯った。吐かれる紫煙は車内でも思ったけどイイ匂いだ。
「それ何ていう煙草?」
「チェリーボトム」
「いい匂いだね」
「そういえばニオイっていったら、オル、あんた何日風呂入ってないの? ちょっと臭うよ。それに服も汚いし」
研究所で浴びたのが最後だから……。
「シャワーは一週間以上浴びてない」
「沸かしたるで、それ飲んだら風呂入り。服は洗って乾くまでうちのお古を貸すわ。下着は一晩くらい穿かんでもええやろ」
「ありがとう」
「それよか、車ん中にいた時から気になっとったんやけど、あんた額に何つけとるん? それシールの類やないやろ?」
「ああ、これ……」
予め何をどうどこまで話すのか考えていなかったオルタは、数瞬迷ったあげく「どう説明するか考えるから待って」と、時間稼ぎをすることに。
「じゃあオルが考えてる間に風呂沸かしてくる」
と、バスルームの方へむかったはずの萌音の声が、またすぐ後ろから届いた。
「オル。うちはどんな話にしろ、真剣に聞くし、今さら出てけなんて言わへんから安心し」
なんて不思議な言葉……そしてなんて不思議な響きをする声なのだろう。一瞬で迷いが消えるとかまるで魔法みたいだ。つい今し方まで二の足を踏んでいたにもかかわらず、人が変わったかのようにオルタは表情を変え、すぐ返事を返した。
「こっちに戻ってきたら話すよ……全部」
しばらくして、戻ってきた萌音がとなりに座るのを認め、オルタは約束どおり話を始めた。研究所のこと、念力のこと、地下でのことや竜巳とのこと、そしてそれらに対する思いの丈をストレスをぶつけるかのごとく洗いざらい吐きだした。勿論イサイのことも話したが、悪くは言っていない。
途中から三角座りをして脚にタオルケットをのせて聞き入っていた萌音は、オルタの話が終わってからもしばらく無言のままでいて、程なく、力を失ったふうに顔を伏せた。
オルタも黙って様子を見守っていたらどこかで音が鳴った。
「風呂……沸いたで。入ってき」
力のない萌音の声。
ちょっと前に臭うと言われたばかりなので、彼女のことが心配だけど入らないわけにもいかない。オルタはバスルームに向かい、その先で全裸になって浴槽に浸かった。小型ボートちっくな真っ白いバスタブだった。
汚れた身体を洗おうと石鹸やシャンプーのことで迷っていたところに、「オル」と唐突に名を呼ばれ、ビクッとなる。すると萌音がドア越しに「出会ったとき、ここへ連れて来られなくてごめんな。着替え、ここに置いとく」と、少しかすれた声で言ったかと思えば、スッと姿を消した。




