街灯の恩返し
ドアを開けると知らない女が立っていた。
「昔助けて戴いた街灯です。恩返しに参りました」
閉めた。
「えっ? ちょっと、開けて下さい!」
開けた。
「あ、良かっ」
閉め……しまった。足を挟まれて閉められない。
「街灯です。あの時の街灯ですよ」
「どの時の街灯だよ!?」
「恩返し、恩返しをさせて下さい! するまで帰りませんからっ……!」
強引にドアを開けようとする自称街灯。何て力だ。このままでは……あっ。
「……すまん」
手が滑ってドアノブを離してしまった。勢い良く開いて、ゆっくりと戻ってくるドア。隔てた向こう側からは呻き声が聞こえる。
「……だ、大丈夫か?」
「うう……恩返し……恩返しを……」
どんだけ執念深いんだよ。そこまでされる程の恩を売った覚えは無いのだが。
しかしながら、痛そうに頭を抱えながらも恩返しをしようとする自称街灯の姿に、何だか可哀相な気持ちになってしまわなくもない。
「……話くらいは聞こうか」
「ほ、本当ですか!?」
何て嬉しそうな顔してやがんだ。少し、顔が熱くなる。
「……例えばどんなことが出来るんだ?」
「照らせます」
……は?
「照らすんです。心の奥に隠した恥ずかしい過去や人には見せたくない一面に光を当てます」
「……いらねえ!」
「例えばほら、『もし君の瞳に僕が映ることがあるなら……』」
「や、やめろ! と言うか何で知ってんだ!」
「ロマンティストなんですねえ……ぷっ」
「笑ったな? 今笑っただろ?」
「ポエマー」
「五月蠅せえよ! 帰れよ!」
「帰りませんから。ちゃんと恩返しするまで帰りませんからね!」
いやもう本当に、帰って下さい。
その後も展開された種々の黒歴史の数々に、ぐったりとしながらもそう懇願した。いやマジで。多分いままでの人生で一番真剣だったかも知れないぐらいの懇願っぷりだったと自分でも思う。
「……そんなこと言っていいんですか?」
「……何?」
だが自称街灯はそんな懇願さえも無視して言い放つのだ。
「『地平線の向こうにきっと君は居て……』」
「や、やめてくれ!」
「だったら恩返しを!」
* * *
……で、結局自称街灯を部屋へ上げてしまったわけだ。
それからはもう何だかんだと大変で、何処からどうやって見つけてきたのかわからないが、痛い文章てんこ盛りな小・中学校の文集を持ち出して来たり、同じく誰のものに書いたのか知らないが卒業辺りになると主に女生徒がみんなに書いてもらったりしていた……メッセージノートのような……何て言うんだったか……を取り出して来たりと、完全に主導権を握られっぱなしだった。
握られっぱなしのまま今日まで過ごしてきて……何故か今、夫婦をしていたりする。
何てことはない。自称街灯は結局街灯の化身でも街灯の精でもなんでもなくて、ちゃんと日本の戸籍を持ったひとりの女性だったってわけだ。
「……何?」
自称街灯、本名明里が、じっと眺めていた俺に怪訝な顔で尋ねる。
「いや、そういや街灯だったなあと」
「ふふ。そうね、あなたったら本当に街灯が人の姿でやって来たと思っちゃうんだもの」
「仕方ないだろ。その数日前、本当に街灯を救うようなことがあったんだから」
おかしそうに笑う明里。反対に決まりの悪い顔をしてしまう俺。
決まりの悪いことと言えば……とひとつ思い出す。
「……気付かなくて悪かったよ」
「本当。でも仕方ないわよ。一度だけだったし、それにあの頃は……」
……もっと身長差があったからね。
そう笑う彼女に、そういや最初に「街灯」なんて呼んだのは俺の方だったなと思う。
明るくて、見上げるもの。
小学校時代、一番背の低かった俺が一番背の高かった明里に一度だけ「街灯みてえだなあ」と言ったこと。
それを覚えていて、「夜にさ、街灯って、あるとほっとするよな」と続けたことを何故かずっと大切にしてきたらしい。
……残念ながら、俺はそのことを全く覚えてないし、その言葉がそこまで響くものだとは思えないんだけれど。
「……まあ、見上げるのは嫌いじゃないな」
「何?」
何でもないよと答えて、彼女の隣りに並ぶ。
180cm+αの彼女と、170cmの俺。
……+α?
「……ヒールは履くなって言ったろ」
「いいじゃない。見上げるの好きなんでしょ?」
そう意地悪そうに笑う彼女に、さっきの聞こえてたのかよ、とまた決まりの悪い顔で返しつつ、俺も笑った。




