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「やー別に年下にサバ読んでたわけじゃないんだから大目に見てくれてもいいと思うんですけど」

「いや、お店が未成年働かせてたらヤバイっしょ」

「ていうかそもそも最初に誘ったの、キョーコさんの方じゃないですか」

「……暇してるだけのニートだと思ったの。社会復帰させてやろうという慈悲の心を弄んでからに」


 親切なハローワークを自称する彼女はそう言うと煙草に火をつけた。吸い込んでから紫煙を吐くまでの動作が堂に入っていてカッコイイなーと思いながらも、昨夜から続いている副流煙の被害に流石にうんざりしていたので少し距離をとった。

 週末明け方の歌舞伎町は朝靄に煙っているのに、寂しい空気なんて微塵も感じない。遠くで深夜の高速トラックの行き交う音が聞こえ、二十四時間営業の店は薄暗い中に疲労感を湛える店員がぼんやりと佇んでいる。

 朝を迎えるのが気怠い街だ。そんな印象を持つのはまだ始発が走り始めたばかりだというのにどこからともなく駅へ向かう人々がいるから。夜の街の住人は、これから眠りへ就くという顔をしながら幽鬼のような足取りで横断歩道を渡っていく。

 化粧崩れで見るも無残なギャル風の女性に私は顔をしかめる。いくら夜が楽しかったからって、あんなになっては頂けない。男女隔て無くガッカリする。少なくとも私なら絶対デートに誘わない。

 爽やかなブレイクファーストを共にしたい女の子はやっぱり一緒にいて清々しい気分になる可愛らしい、お花のように笑う女の子が良い。それも、薔薇というよりアマリリスみたいな感じだ。そう、音楽の教科書に載っていたような清廉で可憐な。

 キョーコさんのようにイケメン系女子はご飯を奢ってもらいたくなる感じでそれはそれでいいけれど、こと恋愛になるなら断然スカートの似合う女の子だ。私より身長の低い。

 そう思いながらシャッターの閉まった果物屋の前を通りがかると、まさしく理想ピッタリな感じの女の子が道端にしゃがみこんでいた。

 それとなく様子を伺う。飲み屋街の朝方に似つかわしくない女の子は苦しそうに胸元に手を当てて、そりゃあ立派なお胸だったので締め付けるタイプのその服は苦しくなるだろうなぁと親切心から近寄った。

「あれ? 泉美?」

 歩きながら一服楽しんでいたキョーコさんが離れていく私に気付いて声をかける。ちょっと、と言って手を振ってそのまま少女の元へ。

「大丈夫? 気分悪そうだけど」

 怖がらせないように、優しく問い掛けながら少女の背にそっと腕を回す。まるで邪心など欠片もないように心配そうな声色で彼女に身を寄せた。

 少女は私を見上げると、ああやっぱり好みの顔つきだなぁと惚けている間に折った私の膝に向けて

「……う、おえええええええぇぇぇ」


 思いっきり吐瀉した。






「あのゲロ女……」

 キョーコさんが貸してくれたスウェットパンツを履いて憮然としていると彼女は思い出しでもしたのか堪えきれずに吹き出した。私はその屈辱に耐えながらキョーコさんが作ってくれたカフェオレを飲む。

 仕事をクビになった挙句、ゲロまみれとは“泣きっ面に蜂”のことわざを見事に体現し過ぎて国語の教科書に用例として載ってもいいくらいだ。

「まー運悪く鳩に糞引っ掛けられたと思いなよ。あれはどうしようもない事故だったね」

「キョーコさんは鳩に糞掛けられたことあるんですか」

「……小学校の遠足の時にね。ちょうど皆でお弁当を囲んでる時でさ……」

 想像以上に暗い顔をしたので、私は気まずくなりそうな空気を追い払うべく話題を変えた。

「にしても助かりました。キョーコさんの部屋、こんな近くにあったんですね」

「職場は徒歩一五分以内って決めてるからね。んで、泉美さ、どうすんのこれから」

 キョーコさんはちゃぶ台の隅にあった灰皿を引き寄せて煙草に火をつける。箱の中身は昨日の夜買ったばかりだというのにもう半分ほど無くなっていて、この人はそのうち肺ガンで死ぬと思う。

「やーどうしますかね。とりあえず、似たようなバー探して雇ってもらうしか」

「もう無理でしょ。あんたが『ブレイクショット』で働いてたのは二丁目界隈じゃ知れてるし、店長も他の店にそれとなく伝えてるんじゃないかな。仙庭泉美って高校生が来たら追い払えって」

「テンチョー酷い……あ、いや偽名なら……」

「ガッコ行け、ガキンチョ」

 丸めた雑誌でポコッと私の頭を叩く。

「行きたくないから働いてんじゃないですかー。この年で社会奉仕活動とか逆に褒められてもいいくらいですよ」

「どの社会に奉仕してるのさ」

「んー同性愛社会、期待のルーキーっていったら何を隠そう私のことで。なにせ、私目当てでお店来る子多かったし、あのしょぼくれたバーの売上貢献に一役買ってましたよ」

 適当にお客さんとお喋りしてお酒を作ってあげるだけなのに、出会いの場が設けられるなんて素敵なことだ。

「それがマズイっつーの」

「なんでですかー。キョーコさんだってこないだ中学生と」

「……なんで知ってるの?」

「うわ、噂マジだったんだ」

 私が若干引いているとキョーコさんは心底恨めしそうな目つきで私を睨んだ。目鼻立ちがしっかりしているせいか、ちょっと外人っぽく見えるその風貌は確かに女子ウケしそうだった。私の好みじゃないけど。

「レズでロリコンってちょっと業深すぎじゃないですか、私のこと言えないじゃないですか、うわーうわー変態だ、通報していいですか」

「いーずーみー」

 キョーコさんは指で摘んでいた煙草を咥えると、ちゃぶ台を回りこんで座っている私の肩を掴む。そのままぐいっと私は床へ仰向けに押し倒されてキョーコさんの顔が間近に迫った。

「優しく強姦されるのと根性焼きされるのどっちがいい?」

「マジでこれ通報しますね。ハイ、防犯ブザー」

 私はポケットに忍ばせておいた携帯についている防犯ブザーの紐を見せる。

「ちなみにこれ引っ張ると携帯のGPSで私の居場所が確認される上に本当に110番されるんですよ、すごくないですか? うちの超過保護な親が勝手にそんな契約にして持たせたんですけど。高校生がキッズケータイって」

 ちなみに普段使いの携帯は別に持っている。あとこのキッズケータイは常に電源オフにしているのでブザーは鳴ってもGPSは機能しないがキョーコさんはそれだけで気勢を削がれたらしく、身を引いた。

「私は最初から信用されてない犯罪者予備軍扱いなわけ」

「いや、予備軍も何も中学生相手は既に犯ざ」

 続けようとして再び蛇のような視線を飛ばしてきたので黙った。年上をからかい過ぎるのもあまり良くないかと少し反省する。なにせ着替えを貸してくれて面倒を見てもらったんだから。


「……黙っててよ。これは私とあの子の問題なんだし」

「別に、言いふらしたりしないですよ。でも捕まるようなヘマはしないでくださいねー」

 なんだかんだでキョーコさんは頼りにしている。

 何をするにも無気力で、フラフラしていた時声をかけてくれなければ、私は今こんなにヘラヘラ笑っていないだろう。

「ああ、あとゲロまみれのショーパン、うちの洗濯機使うのやだから帰って洗いなよ。そのパンツはいつでも返しに来てくれればいいから」

 言うとキョーコさんはマルイの紙袋を差し出す。心なしか顔を顰めているように見える。

「え、そこはお世話してくれないんですか、中学生相手じゃないと優しいお姉さんになれないの?」

「あーもーうっさい! 私はもう寝るからさっさと家帰れ。あとこれからはちゃんと学校行け」

 半ば強制的に追い出される。これはアレだ、多分件の中学生とこのあとデートでもしけこむんだろう。リア充ならリア充らしく他人の不幸にも哀れみの心を持てる気概を見せてほしい。幸せな人ほど人に優しくできると言うではないか。

 頭の中で文句を言いながら、さてどうしようかと考える。このまま電車に乗って帰るにしても確かに私も他人のゲロで汚れた衣類を自宅の洗濯機で洗いたくない。そのまま捨ててしまおうかとも思ったが、結構高かった割にあんまり回数履いていないのでもったいない。

 携帯のマップで調べると駅から離れるが少し歩いたところにコインランドリーがある。私は溜め息を付いてその方向へ足を向けた。






 私は廻るドラム式洗濯槽のせいで段々と意識が薄れてきた頭をぶんぶん振って、乾燥まで完了したショートパンツを袋の中に収めた。あくびを噛み殺す。

 なんだかんだで昨日はほぼフル出勤、さて帰ろうかというところで店長に素性がバレてしまったので寝ていない。

 そういえば近くに小さい公園があったなと思い出し天気もいいことだしベンチで一眠りでもしようか。

 もうあまり満足に思考できなくなった脳で最後の気力とばかりに両脚へ向けて歩けと命令した。

 しかし、期待に反してベンチには先客がいた。汚い浮浪者とかだったら嫌だなと考えて踵を返そうとすると遠目にどうやら同年代の女の子。

 こんなところで昼間から一人ベンチで寝ている少女なんて、珍しいを通り越して事件性すら感じると私は更に近づいて思わず声を上げた。


「うわ、ゲロ女」


 どういうことか、今朝の惨事の犯人がこんなところで眠りこけていた。

「……ふあぁ」

 甘く透き通るような声音で息を吐き、少女は身動いだ。ゆっくりと目を開けて、そして急にガバっと身を起こす。キョロキョロと辺りを見回すのを見る限り、どうやら自分がベンチで寝ていたことを忘れていたようだ。

 一通りの動揺を終えたらしく、泣きそうな顔でがっくりと肩を落とした。面白い子だ。

「おはよう。私のこと覚えてる?」

 ようやく側に立つ私に気づいたのか、彼女は首を傾げてじっと私を見上げると今度は反対方向に首を傾けた。

「…………さあ?」

 ああ、やっぱり。今朝はただの酔っ払いだったようだ。他人様のお膝に嘔吐しておきながらケロッと忘れたらしい。私はあんなに怒鳴り散らして去っていったのに。

「私の格好見てちょっと変だと思うところを挙げてみて」

 急に話しかけられて不可解そうな彼女はそれでも私の言うとおり全身を見渡す。

 ちゃんと陽の光の下で見てもやっぱり少女は鉢植えで一輪咲きしている花のように可愛らしかった。ベンチで眠っていたせいか変な寝癖は付いているが、少なくとも朝駅へ向かう疲れきった人々のように生気のない顔つきではない。合格ラインである。

「えーっと、なんで下がスウェットなんですか?」

「正解。じゃあ三百円、私に払って下さい。今すぐ、ナウ」

「はあ……?」頭の上に無邪気な疑問符が見える。

 私はすぐそこのコインランドリーの看板を指さして、あんたのゲロのクリーニング代と付け加えた。

「えーっと……………………あ、あ、あぁー……」

 段々と記憶が蘇ってきたのか、少女の蜂蜜のようにとろんとした目が見開かれていく。しばらく、あーとかうーとか唸ってからすっかり青ざめた顔でこちらを窺った。

「…………ごめんなさい」

「いや、いいよ。記憶がなくなるまで飲んじゃうと誰に迷惑かけたかなんてわかんなくなるし」

 そんなことより、とばかりに手のひらを差し出す。クリーニング代さえ頂ければ今後の遺恨は一切なし、それに出来ればこの機会にお知り合いになるのもやぶさかではない。

 しかし、少女は私の手を見つめて顔を上げようとしない。まさか手相を見て欲しいなどと勘違いでもされているのかと思ったがそうでもないらしい。

「あの、……ほんとにごめんなさい。私、お金持ってないんです」

「……は?」今度は私が不可解な顔。

 手元に三百円も現金がない。見たところ、少女は私と同年代くらい。いくらなんでも財布が無一文なお子様ではないはず。新宿で明け方まで吐くまで飲んでいたくせに。

「もしかして、財布落とした?」

「……たぶん」

 どうやら不幸な人間は引き合うように出来ているらしい。私と厄日同時開催中の少女は帰る手段を無くしたまま公園のベンチで不貞寝していたのだ。

「そういうときはね、交番だから」寝てる場合じゃないから。

「……あっ、そうか、そうですよね!」

 あと、ちょっとこのアマリリスちゃんはアホの子の臭いがする。






「そういった届けはないですね」

 財布を落とした時間帯を告げたら急に剣呑な目つきになった警官は、少しの間奥の警官と話してからそう言った。言われるがまま差し出された紙へ素直に年齢まで書いてしまった少女に少し同情する。

 歌舞伎町交番。昨日飲んでいたのはこの辺りということで一番近い交番にやってきたが予想通りのこの答え。

 まあ、財布なんて拾って素直に交番に届ける人間のほうが現代社会日本じゃ珍しい。悲しい事実だ。

「お金の他に大事なものとか、入ってた? カードとか」

「カードとかはないです……、でも……妹への誕生日プレゼント、買おうと思ってたお金……」

 段々と尻すぼみになっていく言葉と比例して丸まっていく背中。なかなかに悲惨な結末である。

「ま、まあ悪いことの後にはきっと良いこともあるって」

 なんの根拠もない慰めをしつつ、私は彼女を促して交番を出た。

 しょぼくれた後ろ姿は途方に暮れたように見える。私は息を吐いて、少女の肩を抱いた。今朝肩に触れた時とはまた別の感情が湧く。

「やーこれもなんかの縁だし。お金貸したげるよ。家までの交通費あればなんとかなるでしょ?」

「そ、そんな、申し訳ないです、ほんと……」

「じゃあ親呼んで助けてもらう? 昨日の晩は何処に行ってたか内緒にして?」

「……うぅ」

 私も人に言えない後ろ暗いことを抱えている身、ちょっとした助け合い精神くらい発揮できる。キョーコさんと違って潤ってないのに他人に優しく出来るのだ、これは惚れられてしまってもしょうがないかもしれない。

 と思いながらチラリと少女を見ると私に感謝の眼差しどころか手元の携帯にご執心だった。あれ、想定外。

 まさかこれを好機としてもう一度会う機会を作ろうとしているのを悟られたのだろうか。

「親にヘルプ?」

「え、あ、いえ……その、すいません、……お世話になってもいいですか?」

「もちろん」

 私が作れる中で一番良い笑顔で了承したが、これまた予想外に彼女は申し訳無さそうな微笑みだけ返して俯いてしまった。どうも沈んだ気分はなかなか浮上してくれないらしい。

 このキラースマイルで大抵の女の子は私にときめいてくれるんだけど、あ、そうか彼女ノンケだったか。思い直してゴホンと咳払い。どうも二丁目界隈に出入りしていると一般的な恋愛感覚とズレが出てきてしまう。

 それでも、私の居場所はここより他に無いと思っている。

 共通認識のズレた人間と集団で生活するなんて、もうまっぴら御免だ。


「そういえば……」

「うん?」

「名前、聞いてなかったです」

 私としても是非とも可愛いお花の名前はちゃんと聞いておきたかったところだ。

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