魂の移植
某年某月某日。
世界的な権威、ワルシャーノフ博士が『魂の移植』に成功した。
情報の流出をひどく恐れたワルシャーノフ博士は全ての公式と研究過程とをその非凡な頭脳の中だけで処理すると共に、世紀の大発明である『魂の移植』実験にただ一人の協力者、はてはただ一人の助手の協力さえ拒みつづけてきた。
運命の日はやってきた。最終実験の当日、博士は人体実験に自らの老いた肉体を提供した。
「やっぱり人体実験でもせんと研究の成功が確認できんからな。かといって他の人間を人体実験に使うこともできまい。それがわしの研究を狙っている輩だったら大変なことになるからな。これはわしだけの発明。長年の研究の成果じゃ。何人にも譲ることはできん。譲る気もない。」
ワルシャーノフ博士はその節くれだった人差し指で『変換スイッチ』をONにした。研究室という四角い空間に、目を覆うばかりの眩い光が充満する。光が収まるのを待って、ワルシャーノフ博士はゆっくりと辺りを見まわした。
見慣れた実験室。怪しげなビーカー。様々な実験器具。そして、呆然と立ちすくむ自分自身の姿!!
成功だ。と、ワルシャーノフ博士は確信した。
まさにその瞬間。博士の長年の苦労が実を結んだのである。
天にも上る気持ちというものを、ワルシャーノフ博士は身をもって味わった。
ガシャン!!
奇妙な破壊音が博士の聴覚を刺激した。
博士はハッとして振りかえった。
その視線の先には、滅多やたらに暴れまわる自分自身の姿があった。
「や、やめんかっ!!」
慌てた博士が制止に入った。ところが博士の肉体はますます狂暴化し、ついには手にしたビーカーを投げつけるちう愚挙にまで及んだのである。
「博士、何事ですか?」
ただならぬ物音を聞きつけ、研究所の守衛が2人、駆け込んで来た。
「おお、いいところに来てくれた!! 今すぐわしの体を止めてくれ!!」
とワルシャーノフ博士は大声で叫んだ。
「博士!!」
と叫び、2人の守衛が暴れまわるワルシャーノフ博士の体を取り押さえた。
「でかしたっ!!」
博士は喜んだ。その時である。
博士の体は最後の力を振り絞り、持っていたシャーレを『変換スイッチ』に叩きつけるという『やってはならないこと』をしでかしたのである。
「……博士は一体どうしちまったっていうんだ?」
尚も暴れようとする博士の体を押さえつけ、守衛の一人が言った。
研究室のことごとくを破壊し、愚挙としかいいようのない挙行を見せるワルシャーノフ博士。日ごろの彼からは想像もつかない豹変振りである。
「なに。」
と、もう一人の守衛がしたり顔で答えた。
「博士は疲れているんだ。ご自分の研究に秘密主義を貫き通すあまり、ストレスがたまっちまったんだろうよ。」
研究は失敗だった。それにショックを受けたワルシャーノフ博士は狂人になってしまったのだ……。
物々しい装置。そこに一匹のモルモットを発見して、守衛達がそのような結論に達したからといって誰に責めることが出来ようか。
こうして、世紀の大発明は誰に知られるともなく成功した。
しかし、その日を限りにワルシャーノフ博士は重度の精神病と診断され、以後二度と研究に携わることのできない人間になってしまったという。
「ああ、何でモルモットなんかの魂を移植してしまったのだろう……。このワルシャーノフ、一生の不覚だった。」
時折、主のいない研究室から……正式にはモルモットの飼育箱から、そのような独り言が聞こえることがあるらしい。……もちろんこれは余談に過ぎない。