たまには、お膳立てしてあげる
『シゴト中の彼氏』って、難しい。
そりゃ、男だから。
夢とか野望に 一直線へまっすぐに進みたいっていう気持ちは 分かる。
自分の誇りとか、自尊心とか賭けて挑んでいるんだと思う。
でもね、その意気込みは分かるけど、たまに 素直に 一時休止が出来ないでやんの。
本当に自分がブレイクしたら、元も子もないのに。
バッカみたい。
それが出来ないうちは、ただ「鼻っ柱が強いだけ」って思うんだけど。
そこを諭してあげるのは…女のシゴトなのかなぁ
朝からニュースは、その話題ばかりだった。
「ホントにイイんすか?」
「いいから、早く帰れ!」「後で、電車ありません・バス乗れません・タクシー着ません って泣かれても助けてあげないわよ」
今日は、その問答を何人とやっただろう
「だって、蕃昌さんだって チャリ帰宅じゃないっすか?」
今日は、その質問を何人から聞いただろう。
「これから、超大雨と大風が来るって ラジオでもネットでも来てますよ」
そう、パートさんたちが言うとおり 今日は、落雷豪雨の嵐がこれからやってくる。
本社からも緊急の通達が来た。
「調整できる範囲で通常業務を切り上げて、早く帰宅するように」
だから、本社の物流部もまた、システムメンテナンスの社員も含めて 15:00で帰ってしまった。
あのさぁ? そんなこと言ったって。
営業部隊が 最終オーダーを確定させてくれなきゃ、帰るに帰れないのが、物流センターの現状。
そして、パートさんたちとの会話に戻る。
「アタシは大丈夫よ、本社の物流部から 社有車持ってこさせて 車で帰るから」
実は、そんな見込みないんだけど。
「夜になりゃ、嵐なんざ 過ぎらぁ。ったく、大げさなこった」
上司…武藤のオヤジさんが、空を見ながら ポロっとそんなことを言っていたのを拾ったので、その時間になったら のんびり帰るつもりでいた
パートの総リーダー:リン兄は しばらくアタシを見ていた。
おもむろに、ヤードにパートを集めると 緊急ミーティングと称して話し始めた。
「これからオーダー来ても、1500ユニットくらいなら、自力帰宅可能者だけでこなせる物量だ。」
リン兄が何の感情も交えず、淡々と伝達を伝えていく。
「先着1200ユニット〜1800ユニット分くらいまで受けることになると思う。 あとは、クロウズ対応の準備をしろ」
残ります・残ってください とお願いしたパートたちの顔色が 一層、険しくなった。
リン兄の1500ユニットという数字は、精鋭一軍でこなせる量であって、そこから上積みの300ユニットは、管理責任を持つリン兄自身が辛くなる数字だ。
リン兄、分かってる。
アタシがこれから何の仕事をするのか。
物流センターの実務責任者にとって、ブレイク《出荷不能》は最大の御法度。
でも、人を預かっている以上、ブレイク《出荷不能》の判断を下さなきゃいけない時がある。
アタシが、ブレイク《出荷不能》の宣言を、少しでも進めやすくするために 現場の統率を引き受けてくれたんだ。
「リン兄!」
ありがとう、って言いたかった。ゴメンね、とも言いたかった。
「現場で恨まれるのは俺だけでいい。」
いいから、行け。
「リン兄、サンキュー」素直に思う。
「キッチリ残業代、払えよ」
こんな時に ちゃっかり、そんな余裕見せないでよ。でも、今は リン兄が居てくれるだけでも 救われてる。
「分かった」
別れ際に笑ってくれたリン兄に 泣きそうになったけど、アタシは 事務所へ走り出した。
最大の御法度を犯しに行くために。
ブレイクの宣言は、そりゃもう怒られた。
特に地方。苦戦地域と言われているエリア一帯からは「困ります」の一点張りだった。
ニュースに現実味を感じないのか、どんなに「ワーカー《一般作業員》が帰宅困難に陥ります。 このまま、交通機関復旧を信じて、今夜無理させると、明日の出荷にも響きます。」説明しても、了承しない営業も多かった。
着日・着時間の変更、代用品での了承を取り付ける交渉の電話を重ねながら、リン兄がこっそり提示してきた「限界は2000ユニット」の範囲ギリギリで数字を押さえた
常駐業者もまた 最終集荷の短縮を依頼してきたから、そこにも手をうつ。
業者の集約ターミナルへの集荷リミットを聞き出して、荷物を直に運び込んで頼むことにした。
仕事の目処が見えてきたのは、21:00。そこから、リン兄から 現場の終了コールを貰ったのは 22:30
「鍵締めまで付き合う」と申し出てくれたリン兄だったけど、「むしろ、明日の早朝便を頼みたい」って言って 無理やりに帰した。
空はまだ降っている
小雨ぐらいなら いいんだけどな、暴風だと自転車で帰るのはエグいのよね。
「あんまり使いたくないけど、この方法だな」
私用ケータイから、発着信履歴の最初の番号を押す
「はい、柏木です」
数コールで出た電話に、オネダリをする。
「ごめん… 迎えにきて…」
呼び出したのは、困った時の彼氏サマ。幸か不幸か、彼氏は、本社秘書課の鬼チーフ様
最初の電話の声が既に不機嫌だった。
「出荷不能、宣言したんだってな」
本社の事情に機密含めて精通している立場に言わせれば、今回、相当話題になっていたらしい。
営業本部長・重役たちが、「現場の裁量ギリギリまで受けさせろ。」反発し、「受注調整は、極力するな」「後日、事情聴取」
物流センターがどこで本当に泣きを入れてくるか、静観する方針だったとかで。
そんなこと言ったって。
アタシが預かっているパートだって、人だもん。
正社員だけさっさと身の安泰図って帰りやがったのに、アタシたち物流センターは人間扱いしてくれないの?
反論したいことは たくさんある。
でも、敢えて社内恋愛の彼氏様は言う。
「今日の判断が、『よくやった』なのか『早まった』なのか、下すのは俺じゃない」
あくまで中立なトコが、この男っぽい。
彼氏様が言うことには、
「シゴトに『出来ない』は、存在しない。
やりこなすのが、仕事人の腕の見せどころ」
ま、実際、本当に やってしまうのが この男の恐ろしい所なんだけど。
人には、各自それぞれ 限界がある。そして事情がある。
昼も夜食もナシに働き続けた彼女(しかも、社内で事情は知ってる)のに、そういう事、言っちゃいますか。はあ。
彼女だから、言っちゃうのかな。
彼女だから、手加減しないんかな。あ、そういうヒトでしたね、貴方って。
あーあ、って思いながら なんだかんだで迎えに来てくれた彼氏様:リュウイチ と会う。
「疲れた顔は、してる、な」
平然と言うリュウイチ。
「しょうがないでしょ。
こんな陸の孤島で、100人配下抱えている中、『帰さなきゃマズイ』お天気に 追い込まれたのよ?」
本社の社員は、スタコラ帰ったんでしょ? という一言は まだ残していたけど。
「…」
リュウイチは何も言わなかった。
やっぱり、気に入らないんだな、その沈黙で伝わる。
ブレイクを判断した事が、既に根本から気に入らないんだと思う。 でも、アタシの顔色をみて、ようやく思うこともあったんだろう。
もっといえば、センターの事情を全て知っているわけでもないから、張本人を相手に、はっきりした口出しも出来ない。
「言っとくけど、怒られようが、謝らないわよ。」
事務所の電気を消して、鍵をかけながら言った。
アタシは、今日一日、いろんな皆の好意を見てきた。
現場でリン兄が 一斉に反発を買ってまで、現場を守ってくれた。
1500ユニットが限界だと思っていた中、1982ユニットまで引き受けてくれて、その上、明日に回した早朝便の分も引き受けてくれた。
謝りながら帰っていったパートさんたちもまた「その分、明日の早朝便手伝うから」自主的に早出を申し出てくれた。
「アタシは、自分の判断を 信じてるわ」
アタシの物流センターは、限界まで頑張った。
お呼び出しなんぞ、どんとこい。 むしろ、本社お前らが来い。
リュウイチとアタシの会話は、それっきり無言のまま、車は、物流団地街を抜けて、一般の道に入った。
リュウイチは何も言わなかったから、そのまま話を進めた。
「本当の勝負は、明日なの。アタシたち」
約束を伸ばしてもらったら、その期日は絶対に守らなければ。
それが、信頼の恩恵であり代償。
2000ユニット以下で押さえるために、翌日へ持ち越しさせてもらった分がある。
その分とは、各営業所の営業たちが 納品先に謝って謝って伸ばしてもらった分。
彼らが交わしてきた約束を守るためにも、アタシ達現場は、明日こそ本気にならなきゃいけない。
だから。
「有難いお話系なら、明後日にして」
帰りの道は、ずいぶん混んでいて。
ノロノロと進む景色は、眠りをさそうには十分だった。
「着いたぞ」気がついたら ウトウトと眠っていたらしく、もうろうと夢と現実をさまよっていた中、揺り起こされた。
「あぁ、ごめん。迎えにきてもらったのに、寝ちゃって」
後部座席の荷物を取り上げようとする手が、落ち着きをなくして要領を得ずにいる。あ、トートバック 倒れた。嫌な予感満載の音が聞こえてきて、ちょっと 自分にうんざりした。
「ごめん。多分、今 シートの下に 小物をバラ蒔いたかも」
「なにやってるんだよ」
ハザード焚いたまま、ライトを切ったリュウイチに、もう一度ゴメン と言う。
車を降りて、後部座席に回ろうとした時だった。
降りようとしたのに、腕をつかまれた。動けない。なに? 振り返って見た、リュウイチの顔は。
このまま引き寄せられるのかと思ったほど、先ほどとは違う雰囲気だった。
「リュウ…?」
呼ぶ声に、つかむ手が緩んだ。
「落ち着け、ばぁか。」
叱るか諭す声なのに、乾いた声に聞こえた気がした。
離れていくはずと思った手が、重なる手に変わる。触れるだけの指が、肌を滑る指に変わる。
リュウイチ…貴方…?
思いつく想定を思い切って口にした。
「上がってオチャでもどう?」
男のスイッチは、どこで入るのか 未だにワカランないけど、どうやら 入ったらしい。
入ったんじゃないか、と思う。多分だけど。
「この時間で引き止めるかよ」
プライドは、ベラボウに高いアンタだから、「御シゴト」への自負もまたベラボウに高い。
だから、自分の彼女が、シゴトでトラブったのも、当然 見逃せない。
もちろん、叱りたい気でいたけど、本当は…案外、途中から 甘やかしてもいいかなとも思ったりもしたでしょ?
そっけない言い方なのに、手は離れない。むしろ…
あぁ、引くに引けないんだな。
貴方が、本社の秘書課で鬼チーフとして恐れられてる姿は知ってるし、それを 敢えて演じて守り続けている姿も知ってる。
そして、無意識に、プライベートでも引きずってる。
バッカみたい。
アンタが、アタシを迎えに来た時点で、もう ただの恋人同士だと思ってるのに。
そんな熱っぽい腕で掴むくらい、欲しくなってるんだったら。
アタシが出来る事は一つ。
悩むなら、背中を押してあげよう。
「この時間だからよ。泊まっていけば? 明日、朝食 食べていけば?」
お礼ついでに、と務めて明るく丁寧に。これは、あくまで 送ってくれたお礼。
意地っ張りな貴方を、立ててあげる。逃げ道、用意してあげる。
「…朝が忙しいのは、好きじゃない。」
リュウイチがため息を吐く。あれ、読み、外れた? おかしいな。
しばしの沈黙の後、アタシの腕にいた手は、本当に離れていき、車のハザードランプを消す指に変わる。エンジンをかけなおして、ライトも着けて…
あ。やっぱり。予想はやっぱり外れていないのを確信した。
「お前、明日、絶対起こせよ?」
車が、なめらかに家の前を通過して、コインパーキングに向かっていく。
バックで駐車スペースへ入れる横顔は、素直じゃない憎まれ口を言い続けていた。
「しょうがねぇ、泊ってやるよ」
その苦笑に、私もつられる。
「(…嘘コケ。自分が帰りたくなかったくせに。)」
それは今更言わなかったけど、でも。いいや、と思った。もう、わかってるから
「(後 五分…とか言いながら、いつも ギリギリまで起きなくて ヤキモキさせるのは誰よ?)」
コイツが素直にモノを言えないのは、もうお約束。
だったら、こうして、アタシがお膳立てしてあげるのもいいんかも。
「俺って優しいな」
そうね
「俺、こんな気の強い女の家に、『頼まれて』一晩過ごしてやるんだから」
そうか?
「泊めるなら、もーちょっと素直な男にしとけば良かったかしら?」
「…やっぱ、俺って優しいな…」
はいはい。
貴方は、ホントは 優しい男ですよ。存じ上げてますよ。
無理して厳しい男を課してる。
だったら、アタシのシゴトは一つ。たまーに、言ってあげるべきなのかも。
「もっと、優しくてもいいわよ」