必死にやってきたから、今があるんです
私は幼い頃から必死だった。
なにしろ子爵家の三女。お父様とお母様が一つ目と二つ目の花には丁寧に水をやるのに対し、三つ目はどうしても量は少なくなる。
別にそのことに不満はない。お姉様たちは人柄的に悪い人ではないし、子供心にそういうものだと理解していたから。
だから必死になるしかなかった。
与えられる水が少ないのなら、自分から伸びなければ。
勉強はもちろん、本をよく読み、貴族女性の嗜みともいえる裁縫、音楽、ダンス……。
どれも寝る間も惜しむ、どころか、寝ないつもりで頑張った。
おかげで、教養はしっかり身についたし、裁縫は自分でドレスを仕立てられるほどになり、楽器も三つほどマスターできた。ダンスも同世代で私ほど踊れる人はほとんどいないはずだ。
だけど、こんな生活をしていたら、当然疲れは溜まる。
二人の姉も、私を心配してくれて「無理はよくないわ」なんてアドバイスしてくれる。
そんな時、私は決まってこう返す。
「如雨露に入る水の量は決まってるからね」
二人ともきょとんとしてた。
多分、意味は分かっていないだろう。
だけど、分からなくていい。
二人ともいいお姉様で、とても「上にあなたたちがいるから私は頑張らなきゃいけないのよ」なんて言えないから。
私の必死さは社交デビューしても変わらない。
自分で仕立てた派手なドレスで、なるべく派手に振る舞い、男性に自分をアピールする。
鳥のクジャクは求愛する時、自身の羽根を見せびらかすというけど、あれと一緒ね。
え? クジャクで求愛行動をするのはオスだって? 細かいことはいいじゃないの。
だけど、社交の世界は華麗で優雅な世界。
必死にやることが常に正しいとは限らない。
こういう“必死さ”は鋭く感じ取られてしまう。
ある同い年の令嬢からこんなことを言われたことがある。
「ユリアさんっていつも必死よねえ。社交は楽しむものよ」
嫌味半分、親身半分といったところ。
だけど、私はこう返したかった。
――社交が楽しいわけないでしょ!
私だってできればもっと遊びたい、許されるなら夜遅く寝て昼間まで寝ていたい、体型なんか気にせずおやつをたくさん食べたい。
だけど全部我慢して「貴族女性としていい人生を送る」、それだけのために人生を捧げてきた。
子爵家の三女という立場の私が幸せになるには、それしかなかった。
だから私は必死になってやってきた。
今さらこのスタンスを変えられるものですか。私は間違ってなんかいない。
しかし、私の必死さは噂として広まっていき――
「あの令嬢、いつも必死だよな」
「優雅さの欠片もない」
「ようするにさ、下品なんだよ」
どうして、こんなことに。
私は必死にやってきたのに……。
***
ある日の夜会。
私は相変わらず派手に振る舞っていた。
自分がどこかで道を誤ったのは分かっている。だけど止められなかった。
私は必死でいることにすがるしかない――そう思っていたから。
不意に声をかけられた。
「こんばんは」
煌びやかな金髪で、琥珀色の瞳を持つ男性だった。精悍な顔立ちに、青いスーツがよく似合っている。
「……あなたは?」
「シュルツ・レーベンベルトだ。よろしく」
シュルツ様は侯爵家のご長男だった。
すでに次期当主として、お家のために務めを果たしているようで、他の令息よりも大人びた印象を受ける。
「ユリア・テンス、君は必死令嬢なんて呼ばれてるそうだね」
「ええ、まあ……」
派手に振る舞っていたから、私の名は知れ渡っていたようだ。ただし、私の望むような形ではない。改めて自分のことが恥ずかしくなってしまう。
私がうつむいていると――
「いいじゃないか」
「え?」
「社交の世界は戦場だ。みんながあの手この手で自分をアピールしようとしている。優雅に見えるが、彼らはみんな剣や槍を手にしているようなものだ。歓談を楽しみながら、お互いに刃を振り回し、牽制し合い、刺し合っているんだ」
妙に物騒なことを言うので、私は反応に困ってしまう。
「私も貴族のはしくれとして剣を握り戦場に出たことがあるが、楽しんでいる人間などいない。みんな国を守りたくて、手柄を立てたくて、死にたくなくて、家族の元に帰りたくて、必死だ」
「……」
「だからこそ私は、君のような女性の方が好感を持ててしまうんだよね」
「あ、ありがとうございます」
シュルツ様が手を差し伸べてきた。
「ちょうどいい曲が流れている。よろしければ、ダンスの相手を」
「はい……!」
私はシュルツ様と存分に踊った。
この人とは初めて踊るのに、驚くほど息ピッタリだった。
周囲が私たちを見て、目を丸くしているのが分かる。
やがて踊り終え――
「さすがだ。今までに私とここまで足並みが合う相手はいなかった」
「必死に訓練したので……」
シュルツ様は穏やかな眼差しを向けてきた。
「――君の必死さの結果は出たね」
「え?」
「なぜなら、私は君に惚れてしまった。どうか、男女のお付き合いを願いたい」
「は、はい……!」
こうして私はシュルツ様と交際を始めた。
聞けば、シュルツ様のお父上はとても厳格な方で、シュルツ様は常々「長男だからとて無条件で家督を継げると思うな」と言われ続けてきたとのこと。
だからこそ、必死に自分磨きを続けてきたそうだ。そう、まるで私のように……。
境遇こそ違えど似ている。私たちが惹かれ合うのは当然だったのかもしれない。
やがて、シュルツ様はこうおっしゃってくれた。
「我々は私も必死、君も必死に生きてきた。おそらくこれからも必死に生きるだろう。だが、二人であれば、きっとその大変さを分けられる」
「はい!」
シュルツ様のお父上ともお会いしたけど、家柄が高いとはいえない私を「息子が決めた相手ならば問題なかろう」と認めてくださった。すでにシュルツ様はお父上を越えられていたのだろう。
こうして私たちは結婚した――
***
結婚後も私は必死だった。
侯爵家に嫁いだ夫人として、ご家族に気に入ってもらえるよう必死になり、社交に必死になり、自分磨きに必死になり……。
毎日を全力で、気張って、ひと時も油断のないように過ごした。
シュルツ様とは愛し合っていたけど、それでも大変だった。
だけど、互いに励まし合って、一年、二年、三年……と時は過ぎていった。
やがて、私は立派な夫人になれた。
ユリア・レーベンベルトといえば社交界にその人ありと言われるほどに。
子も何人か生まれ、いずれも優秀で、家の存続についても問題はないだろう。
あとは貴婦人として、精一杯生きるだけ……。
ずっと全力疾走してきたけど、ようやく私も穏やかな時を手に入れつつあった。
そんなある日、私は昼間からリビングのソファに座り、まどろんでしまった。
以前の私なら考えられない。それだけリラックスしているということかしら。
ああ、今私はうとうとして、現実と夢の狭間にいる。
目を覚まそうと思えば覚めるだろうけど、不思議とその気にはならなかった。
しばらくこの状態でいたい。と思った。
私の前に、ドレスを着た一人の少女が現れる。
娘かしら? いいえ、違う。
――私だ。
私の前に、かつての私が現れたのだ。
黄褐色の髪を長く伸ばし、ココア色の瞳で私をじっと見つめてくる。
「ねえ、あなた」
かつての“私”が話しかけてきた。
「なんですか?」
私は夫人らしく丁寧に返す。
「私はずっと必死にやってきた。色んなことを我慢して……。時には裏目に出て……。もし、もっと楽しく生きようとしていたら、違う人生もあったかもしれない。ねえ、あなた……今幸せ?」
“私”自身の問いに、私は一瞬も迷うことなく、答えた。
「幸せですよ。必死にやってきたから、今があるんです」
すると、“私”は満足そうにうなずいて――消えた。
ここで私は目を覚ます。
侍女が私に毛布をかけようとするところだった。
「奥様、お目覚めですか」
私はゆっくりうなずく。
「ありがとう。もう少し休ませてもらうわ」
「かしこまりました。食事の支度ができたら、お呼びしますので」
私はしばし、毛布の温かみを感じながら、“私”と会った余韻を噛み締めた。
***
それからしばらくして、私はある夜会に出席する。
デビューしたての若い貴族と、経験豊富な貴族が交流するという趣旨の会だ。
私も名の知れた貴族夫人として、若い令息令嬢に声をかけつつ、会場を歩き回る。
そこには、かつての私のような令嬢がいた。
自分で仕立てたであろう派手な衣装で、人より目立つよう振る舞っているけど、どこか空回りしている。
昔の自分は周囲からこう見えたんだ、というのが分かってしまう。
私はそんな彼女に近づいた。
彼女は侯爵夫人にアピールしようと、大仰なカーテシーをする。うん、かつての私だったらそうするでしょうね。
社交界は戦場だ。この子の努力や必死さが今後報われるとは限らない。私のようになれるかもしれないし、なれないかもしれない。彼女の未来や幸せを保証することはできない。
だけど、私はどうしても一声だけ贈ってあげたかった。
「頑張ってね」
私のような令嬢は「はい」と力強く返事をしてくれて、私はにっこりと笑った。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




