2話 人魚姫(前編)
「お待ちしていましたわ、鵜久森様!」
「や、やあ、琥珀ちゃん……。約束の時間通りに来たよ……」
白いワンピースに日除けの白い帽子を被った西園寺琥珀が、鵜久森御一行を出迎える。
「休日のお召し物も素敵です!」
「い、いやそんなことないよ。ただのラフな服装だし」
まさかお嬢様に服装を褒められるとは。鵜久森は当たり障りのない受け答えをするのに必死だ。
「スイーツ、スイーツ、スイーツはどこかなぁ?」
「まあ。もうお召し上がりになりますか?それでしたらリドガーデンの一角にあるジェラートコーナーがおススメです」
「ジェラートかぁ」
「ゴディバ特製のドリンク、ショコリキサーもあります」
「ふふふ、スイーツがボクを待っている!」
「あ、ましろくん!」
鵜久森が止める間もなく、ましろはラプスの入ったゲージを手にし、客船の中へと入って姿が見えなくなってしまった。やれやれと肩を竦ませ、来夢が後に続く。林檎も2人を追いかけるように中へ入って行った。
「鵜久森様、よ、よろしければ私とご一緒に……」
(うー。なんか調子狂うなぁ……)
自然と鵜久森の手を取る琥珀に、綺羅々はもやもやした感情を抱いている。止めはしない、が、止めたい気持ちはある。
「綺羅々さん?先に行きますわよー」
橋の上で来夢が呼ぶ声が聞こえ、綺羅々は後ろを振り向きながらも船に向かって進んだ。琥珀が鵜久森に話しかけている内容はなんなんだろうとか──
「……あたしには関係ないし!」
ぷいっとそっぽを向き、綺羅々は来夢の後を追った。
◇◇◇
(あ、あれ?ここは──)
客室のバルコニーからみんなで合流して外の景色を満喫していた時、急に天候が怪しくなってからの記憶がない。
ましろが気付いたのは海の中だった。
(待って。海の中?なんで息ができるの??)
不思議と息の概念がないことにましろは慌てる。
(って言うか、ボクの身体……!?)
目の前には海の中で靡く、見覚えのある艶のある黒髪。この位置から推測するに。自分は。
(か、髪飾りになってる!?)
アリスの物語で猫になったことはあったが、まさか今回はモノになるとは。
自分を髪に付けて泳いでいるのは、魚のしっぽを持つ少女ーー人魚になっている西園寺琥珀だった。
(童話に詳しくない、ボクでもわかる。これは、人魚姫の物語だ)
琥珀はざぱんと海の表面から顔を出す。
水流の勢いからわかってはいたが、海の外の世界は嵐が訪れていた。近くには難破した船の残骸が流れている。
(──鵜久森さん!!)
今回も王子役か、正装を見に纏った意識のない鵜久森がすぐ側まで流れてきた。人魚の琥珀は、王子の身体を抱き抱え、海面の上に出す。
「王子さま!琥珀が今助けて差し上げます!」
(琥珀さん──!)
やがて嵐は収まり、朝日が海の表面から顔を出す。琥珀は王子を浜辺に運び、岸辺に横たえた。琥珀は人魚の姿なので海の中から王子の様子をそっと伺う。
暫くして、近くの修道院らしき建物からひとりの少女が王子に歩み寄ってきた。
(綺羅々さん!?)
声を出したいのは山々だが、モノなので喋れない。ましろは琥珀と一緒に綺羅々が王子を修道院まで運ぶ様子を遠目から眺めるしかなかった。
琥珀は海の底へ戻ると、祖母らしき人魚に声をかける。
「おばあさま、私、人間に一目惚れしましたの。人間になるにはどうしたらいいのかしら?」
「人間に?人間は300年生きられる私たちと違って短命だよ?死ねば泡となって消えてしまう自分たちと違い、人間の魂は天国という場所に行く……。そのくらい、私たちと人間という種族は違うのさ」
「おばあさま、それでも私、どうしても人間になりたいの」
「……北の海の底に住まう魔女が、人間になる方法を知っていると聞いたことがあるが……」
「北の海の底ね。ありがとう、おばあさま!」
琥珀は祖母の元を離れ、北の海の底を目指した。
(海水がだんだん冷たくなっていく……。無茶しないでね、琥珀さん)
今の自分はしがないただの髪飾り。琥珀を止めることも出来ず、ただその身を任せることしか出来ない。
「──ふふ。いらっしゃいまし。人魚姫」
(ら、来夢……!?)
人魚姫の琥珀を待ち受けていた魔女とは、来夢のことだった。来夢は怪しげな壺を抱えて琥珀に問う。
「この薬は貴女の美しい声と引き換えに、人魚の足を人間の足へと変化させます。ただし、王子に愛して貰わなければ、貴女は泡となって死んでしまうでしょう。それでも、貴女はこの薬を飲みますの?」
「ええ。一目惚れですもの。例え王子さまに愛して貰えなくても悔いはないわ」
(一目惚れか……。女心はボクにはわからないし、今の姿じゃ止めようもない……)
薬を一気に飲んだ琥珀は、魔女の元を離れ、陸へ陸へと泳いでいく。魚のしっぽが人間の足に変化する前に陸に上がらなければならない。
(な、なんとか間に合った……!)
(え、だ、誰ですの?私の側に誰かいらっしゃる?)
(え!?琥珀さん、喋れなくなってテレパシーで話せるようになった!?)
浜辺に打ち上げられた琥珀はきょろきょろと辺りを見回す。
(ボクはキミの髪飾りだよ。本当は人間だけど、何故かこんな姿になっちゃって……)
(まあ。こんなところに……)
(待って。付けたままにして。外した拍子に無くされたりしたら困るどころじゃすまないし)
(わかりました。あなたは……なんと呼べばよろしいのかしら?)
(ましろでいいよ)
(わかりました。ましろさん。……ここは、人魚姫の世界ですのね)
(うん。どうやらそうみたい……)
(でしたら、私の恋が実ることはないと?)
(……それは、)
ましろが続けようとした矢先、浜辺に現れた王子がこちらに駆け寄ってくる様子が見えた。
「こんなところに倒れて……。一体どうしたんだい?」
王子が琥珀を抱き上げ、顔に付いた砂を払う。琥珀は真っ赤になり口をパクパクさせた。お礼を言いたいのに声が出ない。
(大丈夫?琥珀さん、しっかり!)
(あああああダメです!顔が近すぎます!キュン死してしまいそう!!)
(死なれたらボクが困るよ!頑張って王子の顔面に慣れて!!)
全身から湯気が出て茹で上がりそうになった琥珀の身体を王子は腕で抱き上げた。
(あああああ幸せです!!ありがとうございました!!)
(終わらないで!!まだ続くから!!)




