雪迎え
いつかくる。そう思っていた連絡が、とうとうありました。
長いあいだ病気していた父さんが、亡くなったのです。
その人は仕事をやすんで、故郷の町にかえりました。
お葬式の手配は、兄さんたちが、すませていました。
親戚の人たちが集まって、通夜があって、告別式があって……
最後は、黒い車に分乗して、火葬場まで行くのでした。
ご遺体を焼くのには、時間がかかります。
順番だって、待たなければなりません。
火葬場には、ご遺族の団体さんが、つぎつぎにやってきます。
だから、おおぜいの人がゆったり座れる、おおきな待合室が、用意してありました。
親戚の人たちに、飲み物やら、軽食やらを配って、ひとしきりガヤガヤ……。
そうして、ひとまず落ちつくと、あとはそれぞれ、思い出話や、近況報告、雑談なんかに、なりました。
やれやれ、と、その人が、やっと、ひと息つけるようになったのは、だいたい、それくらいの頃合いでした。
「ちょっと、一服」
兄さんにそう告げて、外の空気を吸いにでたのでした。
*
火葬場は、町からすこし離れた山の中です。
建物の外に出て、ちょっとあたりを見まわせば、広い駐車場のすぐ向こうは、目にやさしいみどりの林でした。
秋の終わりの、おだやかな日ざしが、ふりそそいでいます。
疲れた目頭を指でもんで……
ほっと息を吐いて、遠くをながめました。
すると、ふと、ちいさな人影が目に入ったのでした。
小学生くらいの男の子でした。
駐車場のすみの植えこみのあたりで、うろうろしています。
なにか探しているようにも見えます。
落とし物でもしたのでしょうか。
それとも、探険中でしょうか。
いずれどこかよそのご遺族のお子さんでしょうけれど……火葬の待ち時間なんて、やっぱり、子どもには退屈だったのかもしれません。
(なにをさがしてるんだろう……?)
無関係の赤の他人なのに、なぜか、みょうに気になりました。
(そういえば、ぼくも、むかし、ああして、なにかさがしていたことが、あったような……)
その子を見ていると、なんだか、ヘンな既視感を感じるのでした。
ずっと忘れていた、むかしのことを、思いだせそうな気がするのでした。
(あれは、いつだったか、どこだったか……)
(なにか、きれいなものを、見た気がする)
(なにを、見たんだったろう)
(父さんが、いっしょに探してくれたんじゃなかったか……?)
(たぶん、父さんだったと思うんだけど……)
(それとも、だれかべつの人だったのか……)
そんなふうにアヤフヤな記憶をさぐりながら、じっと見つめていたりしたせいでしょうか。
ふいに、その子が、たたっと、かけよってきました。
そして、きいてきたのです。
「ねえ、白いの、見なかった?」
「白いの?」
その人は、すこし面くらいながら、ききかえしました。
「うん。さーって。飛んでったの」
「飛んでった? 鳥かなにかかい」
「ちがう。もっとちっちゃいやつ」
「なら、虫かな?」
「んー。そうかも」
でも、わかんない。その子は首をかしげました。
「白いの、ねえ……」
その人も、首をひねりました。
たぶん、虫かなにかだろう。そうは思うものの、すこし時期はずれな気もするのでした。
もう秋も終わり。初冬といってもいい季節。まもなく、本格的な寒さだってやってくるでしょう。そんな時期に、子どもの目をひくような虫――白くて空飛ぶ昆虫――なんて、どれくらいいるのでしょう。
「ふむ。何だろうねえ」
「いたんだよ。ほんとだよ!」
うたがわれていると思ったのでしょうか、その子はくちびるをとがらせて、そう叫びました。
「うたがってはないよ」
「ほんとに?」
「ほんとうに」
「信じる?」
「ああ、信じるよ」
「じゃあ、さがす?」
「え?」
その人はすこし困りました。
それほど興味があったわけでもないのです。
見ず知らずのよその子に、そこまでつきあってやる義理もありません。
でも、さっき思いだした記憶のせいでもあったでしょうか。なんだか、つきあってやりたいような気もするのでした。
その人は、時計を見ました。
まだすこし時間はありそうです。
「お骨上げがはじまるまで……で、いいかい?」
それでいい。その子は、うなずきました。
*
駐車場の植えこみを、しばらく、さがしました。
黒い喪服で、しゃがみこんで、のぞきこんで……
こんなところで、いったい、なにをやってるんだろう――そう思わないでもありませんでした。
でも、マジメにさがしました。
こういうとき、いいかげんな「ふり」だけだと、子どもはすぐに気づくものです。
それに、さがしているうちに、その人自身も、ちょっと、楽しくなってくるみたいでした。
虫をさがすなんて、それこそ、子どものころ以来です。
最後に、そんなことをしたのは、いつだったでしょう?
(そうだ、あの日……あのときも、さがしていたのは、虫だったのかもしれない)
例の思い出みたいなものも、まだ、気になっていました。
(いつだった……? だれだった……?)
考えながら、植え込みの端まで、ひととおり、さがしました。
でも、それらしいものは、見つかりませんでした。
せいぜい、蜘蛛の巣がいくつかあっただけです。ときどき、顔や手に、ネバネバ、くっついてきました。
「まあ、飛んでったって、いうんだからなあ」
喪服の袖から白い糸をはがしながら、その人はそうつぶやきました。
行ってしまったあとをさがしたところで、後の祭りというものでしょう。
苦笑して、うーん――腰をのばしました。
すると、そのとき、男の子が、
「ねえ」
植えこみの外――駐車場をかこむ柵――を、指さしたのでした。
見れば、柵の一部がそこでとぎれて、出入り口になっています。
その向こうには、未舗装の小道が、林のなかへ、つづいているのでした。
*
おかしなことになったものだ。
小道をたどりながら、その人は苦笑しました。
でも、山のみどりのせいでしょうか。小春日のさわやかさのせいでしょうか。そのちょっとした山歩きは、その人の気持ちを、意外なほど、軽くしてくれるみたいでした。
軽くなった……ということは、裏を返せば、それだけ、それまでは気が重かったということでもあったでしょうか。
お葬式。
父さんの死。
だいぶまえからわかっていたことです。いい歳をして取り乱すようなことでもありません。
それに、亡くなる前はもうほとんど眠りっぱなしで、夜中に、いつのまにか、息をしなくなっていたとか。
看取った兄さんたちにきいたところでは、苦しんだ様子もなかったそうです。
大往生、と、いってもいいだろう――親戚みんな、そういってくれました。
それでも、昨日まで生きていた人が、いなくなったことには、かわりありません。
やっぱり、それなりに、こたえてはいたのでしょうか。
(あんな父親だったのにな……)
仕事いっぺんとうで、あまりかまってもくれなかった、父さんでした。
母さんがいなくなってからは、なおさらでした。
たまに家にいるときでも、いつも暗い顔でふさぎこんでいる父さんでした。
そんな陰気な家がいやで、その人は、高校を卒業すると、すぐに家を出たのでした。
そのときにも、父さんは「そうか」といったきり、反対ひとつしてくれませんでした。
はりあいのない、父さんでした。
それでも、いなくなってみれば、やっぱり、すこしはさみしい気持ちも、あったのかもしれません。
その気持ちが、すこしでも軽くなったのであれば……
(あの子のおかげ、かな?)
つれだしてくれたことに、感謝すべきなのかもしれない。そう思いながら、少し先を行く男の子の動きを、目で追うのでした。
その子は軽い足取りで道をたどりながら、ときどき、気になる場所があると、立ちどまってのぞきこんでいました。
林のなかはやわらかい落葉がふりつもり、照葉樹の葉が午後の日をあびてかがやいています。
迷惑施設なんていわれることもある、火葬場のすぐそばとは思えないくらい、心地よい小道でした。
これなら、虫だって、なるほど、いろいろ生息しているかもしれません。
なかには、白くて空を飛ぶやつだって、いないとはかぎりません。
すこしやる気がでてきました。
「日向ぼっこでも、していないかな?」
落葉のなか。
木の幹。
下ばえの葉っぱの上や、その裏側。
小さな生き物がいそうな場所を、その子といっしょになって、さがしました。
でも、なにも見つかりません。
落葉や小石の裏のじめじめしたところには、這いまわっている虫もいないではありませんでしたが、白くもなければ、飛びそうにもないやつばっかりでした。
あとはやっぱり、蜘蛛の巣でしょうか。
知らないあいだに服にくっついていたり、歩いていると急に顔にはりついてきたり……
どうも、あまり人が通ることもない道なのでしょうか。思いのほか、蜘蛛の巣は多いようでした。
*
そうこうするうちにも、時間はすぎていきました。
そろそろ、待ち時間も終わるころです。
火葬場に、戻らないと――
「でも……」
男の子は、くやしそうに、くちびるをかみました。
その人は、なぐさめるように、その子の肩に手をおきました。
それから、あらためて顔をあげた……そのときでした。
「おや?」
いったんかげっていた日ざしが、何の拍子でしょうか、急にまた明るくなりました。
すると、その光が、少し前方の木々の向こうがわを、ぱあーっと、まぶしく、かがやかせたのです。
どうやら、あとすこし行けば、木々がとだえて、広いところに、たどりつくみたいなのでした。
その人は、その光と、時計と、見比べて……
「じゃあ、さいご、あそこまで、行ってみようか」
男の子は、うん、と、顔をかがやかせて、かけだしていきました。
ころぶなよ、なんて、いいながら、その人も、あとから、歩いていくのでした。
*
たどりついたのは、木々の切れ間の、広場みたいなところでした。
ちょっとした公園、いえ、学校のグラウンドくらいの広さは、あったでしょうか。
いちめんに、大人の腰くらいの高さの草が、おいしげっています。
林のなかとはちがって、さえぎる木々がないせいでしょう。風が強く感じられました。
そのたびに、草が波うつようにゆれて……その波がしらが、午後の日に、きらきら、かがやくのでした。
わあ、と、歓声をあげて、男の子が草のなかを走っていきました。
その人だって、年がいもなく、はしゃいだ気分になりそうでした。
「へえ、こんなところが」
たちどまって、手でまびさしをつくって、ながめました。
草のにおいを、ふかく、吸ってみました。
ふしぎと、なつかしいにおいでした。
ふしぎな、既視感のある景色でした。
遠いむかし、だれかに、ここに、つれてきてもらったことが、あったような……
それこそ、さっきから気になっている、子どものころのあの日だったような……
そんな気がしてくるのでした。
もちろん、そんなことがあるはずはありません。
ここは、町はずれの山のなかの火葬場。その近くの林のなか。
お葬式のときでもなければ、わざわざ子どもをつれてくるような場所ではありません。
(なのに……)
(そのはずなのに……)
なんだか、だんだん、既視感は、強くなってくるのでした。
(たしか、こんな場所だった……)
(だれかと、いっしょだった……)
(あれは父さんだったのか……?)
気になりだすと、きりがありません。
(どうかしてるぞ)
ばかげた考えを追い払おうとするみたいに、その人は、頭をふりました。
かけまわる男の子のほうを、あらためて、見やりました。
そして、愕然としました。
(あの子は……!?)
背筋に冷たいものを感じながら、その人は、その子を見つめました。
明るい午後の光のなかで、その子の顔立ちが、すみずみまで、はっきりと見えました。
よく知っている顔でした。
子どものころ、鏡の中で、いつも見ていた顔でした。
古い写真をさがせば、いまでも、見つかるはずの顔でした。
(ばかげてる!)
その人は、こころのなかで、叫びました。
(そんなこと、あるわけがない。あってたまるものか! あの子が……ぼくだなんて!)
でも、そうやって自分に言い聞かせた、そのときでした。
ざざっ、と、草がおおきく波立ちました。
かけまわっていたその子が、なにかに気づいたように、立ちどまりました。
そして、いったのでした。
「父さん、見て……!」
めまいがしました。
いまがいつで、ここがどこで、そして自分がだれなのか――
頭の中がグチャグチャになりそうでした。
*
混乱しながらも、その人は、顔をあげました。
その子の見ているものに、目を向けました。
そして、息をのみました。
あたりの草の上に、何か白いものが、ゆらゆら、ゆれています。
その子のまわりでも、その人の近くでも――あっちでも、こっちでも――あたり一面、みわたすかぎりの草のうえに、白い何かは無数にゆれて、午後の光に、きらきら、光っているのでした。
ゆれているのは……
(糸――?)
そこらじゅうの草の先端から、のびて、ゆれて、光っているのは、白くて細い、糸みたいな何かでした。
(これは……)
記憶がざわめきました。
知っている――そう思いました。
するとそのとき、ごうっと、ひときわ強い風がふいて……
その白いものたちが、いっせいに、さーっと、宙にまいあがったのでした。
「雪迎えだ……!」
その人は、叫びました。
そして、思いだしました。
(そうだ、知っている。ぼくは、この場所を知っている)
(子どものころ、一度だけ、来たことがある。見たことがある)
(あの日、つれてきてもらったんだ……)
それは、もう、二十何年もまえのこと。
その人が、まだ、小学生の男の子だったころ。
二学期の途中の、秋の終わり。
何か月ぶりかで母さんに会わせてもらえるというので、田舎のお祖父ちゃんの家まで、行ったのでした。
学校を休んで、電車にゆられて、行ったのでした。
そしたら、母さんは、もう、白い布でつつまれた四角い箱になっていたのでした。
白い布をかけられた台のうえで、写真だけが、にっこりわらっていたのでした。
*
お祖父ちゃんの家にいたのは、ほんの一日か二日。
ごく短いあいだでした。
父さんは、ずっと、縁側でぼーっとしていました。
兄さんはどこかに姿をくらませていました。
だれにもかまってもらえなくて、時間をもてあまして、その人は、そのあたりをただウロチョロしていました。
そしたら、庭の垣根の葉っぱの先から、何か白い小さなものが、さーっと、空へ飛んでいったのが、見えたのでした。
その人は、垣根にもぐりこんで、その白いなにかを、さがしました。
あちこち歩いて、見てまわりました。
するといつのまにか、庭の外に出ていたのでした。
どこか、広い駐車場みたいな場所に、いたのでした。
そこで、その人に、会ったのでした。
年恰好も、顔立ちも、父さんにそっくりな人でした。
そのときは、てっきり、父さんだと思いこみました。
父さん、元気になったのかな?
追いかけてきてくれたのかな?
そう思って、うれしくなって……
だから、かけよって、きいたのです。
『ねえ、白いの、見なかった?』
そしたら、その"父さん"は、その白いなにかを、いっしょに、さがしてくれたのでした。
*
(そうだ、ここだ。ここだった)
(あの日、つれてきてもらった)
(母さんの田舎の、古い農家の、裏山の……)
(林のなかの、ちょうど、こんな、原っぱだったんだ……)
そんなことはありえない。それはわかっています。
ここは町はずれの火葬場の林のなか。
遠い北国の裏山と、同じ場所であるはずがありません。
それでも、ここは、あそこなのだ。
時間も、空間も、こえて、ねじれて、つながって――
いま、自分は、あの日、あの場所にきているのだ。
そして、あの日の自分に、会っているのだ。
そうとしか、思えないのでした。
(そうか。あの日、ぼくをここへつれてきてくれたのは……)
(父さんじゃなくて、このぼくだったんだ……)
そんな、深い納得感さえ、あるのでした。
記憶はつぎつぎによみがえってきました。
あの日――
しばらく駐車場でさがしました。
そのあと、林のなかの道をたどりました。
すると行く手に、さーっと光がさして……
この場所に、たどりついて……
(そして、見たんだ。これを見たんだ!)
(同じだ。雪迎えだ。バルーニングだ!)
きらきら光る白い糸が、無数に空に舞いあがる。その景色を、あの日のその人も――いま目のまえのその子と同じように――息をのんで見つめたのでした。しばらくは、ただ見とれていたのでした。
すると、そのとき、いつのまにかそばまできていた、その人が、ぽん、と、頭に手をのせてきたのでした。
(そうだ、あのとき、あの人は……ぼくは……)
その人は、その記憶にひきずられるように、歩きだしました。
行くての草のなかでは、あの日のあの子が、空を見あげています。
その人は、その子のそばにたどりつくと……
ぽん、と、あの日のあの人みたいに、その頭にかるく手をのせました。
そして、いうのでした。
「あれは、蜘蛛だ。蜘蛛の赤ちゃんだよ」
それは、あの日、あの人にきかされたのと、同じことばでした。
*
男の子が、問いかけるみたいに、見あげてきました。
それは、あの日のその人自身と、おなじしぐさでした。
その人は、遠いむかしの自分自身の目を見かえしました。
そして、その問いかけにこたえるように、つづけました。
「こんなふうによく晴れた、秋の終わりの、風の強い日に、蜘蛛の子は、ああして草や木の葉によじのぼって、風に糸をたらすんだ。そして、ひときわ強い風が吹いたとき……風が糸を舞いあげる。その糸にひかれて、風に乗るんだ。冬を越す場所を探して、飛んでいくのさ。――ずいぶん、遠くまで、行くそうだよ」
あの日、あの人は、そういいました。
それをきいて、子どものころのその人は、なにを思ったのだったでしょう?
たんなる雑学、ただの説明?
それとも、なにかのたとえ。教訓話?
(いや、そうじゃない)
(そうじゃなくって……)
べつに、たいした感想もなくて、それどころか、話の内容さえ、ほとんど、きいていなくって――
ただ"父さん"がそんなふうに相手をしてくれている。わざわざこんなところまでつれてきて、こんなものを見せて、何かを伝えようとしてくれている。
あの日のその人には、ただそのこと自体が、うれしかったのでした。
だから、その人は、ことばをつづけました。
あの日の、あの"父さん"のことばを、最後まで、その子にきかせてあげようと思いました。
だって、たとえ、ほんものの父さんではなかったとしても――
かんちがいだったとしても――
この子には――あの日の自分には――それが、うれしかったんだ。必要だったんだ。だれかに"父さん"をやってもらいたかったんだ。
そう思うのでした。
「バルーニングっていうそうだ。でも、このあたりでは、これが見られると、もうじき雪がふる――なんて、いってね。雪迎えって、呼んだりもするそうだよ」
へえ、と、その子は、感心したように、いいました。
ちょっとしたソンケーのまなざしみたいなものを、向けてきます。
すこし面はゆい気がしました。
でも、わるくない気分でした。
(ほんとうに、子どもがいたら、こんな気がするのかな……)
(父さんも、こんな気持ちになったこと、あったのかな……)
縁側でぼーっとしていた父さん。
家でもろくに口をきかなくなった父さん。
子どもたちが独立してからは、なおさら、疎遠になった父さん。
父さんの記憶は、あまり多くもありません。
父親というのがどういうものなのか、その人には、よくわかりません。
それでも、できるだけ父親ぶったしぐさで、その子の頭をなでてみようとしました。
わざとすこしあらっぽく、わしゃわしゃと髪の毛をかきまわしてやると……
ちょっと、やめてよ――身をよじって逃げながら、その子は、でも、まぶしいくらいの笑顔になったのでした。
*
おぼえていられたのは、そこまででした。
そのあと、どうなったのか、わかりません。
気がつくと、その子は、いなくなっていました。
あたりは、もう、草原でもありません。
元どおり、火葬場の駐車場の片すみでした。
秋の終わりの、午後の日が、ふりそそいでいます。
時計を見ると、さっき待合室をでてきてから、三十分ほどすぎているようです。
もうそんな時間、といったらいいのか、まだそんな時間、といったらいいのか……わかりませんでした。
(夢……白日夢?)
それにしては、ずいぶん、リアルな夢でした。
なんだか、長い旅を終えてきたような気がします。
ほっと、ため息をつきました。
まもなくお骨上げの時間です。
そろそろ、戻らなければなりません。
その人は、きびすを返しかけて……
最後に、もう一度だけ、空を見あげました。
すると、その青い空を、すっ、すっ、と、小さな白いものが、いくつも、糸をひいて横切っていくのが、見えた気がしたのでした。
でも、一瞬でした。
もう一度、よく確かめようと、目をしばたたいたときには、それはもう、消えてしまっているのでした。




