事件発生‼
先輩が興奮したように大きな声を上げたのは、「ノミコミ」が発動したからだ。
二十九番系と戦っていたプルゴンが忽然と消え去った現象――それこそが「ノミコミ」である。
小さなブラックホールのようなそれに、確かに二十九番系の腕は吸い込まれ、対峙していたプルゴンは姿を消した。
そして、いなくなったはずのプルゴンについて、二十九番系はまるで存在そのものを忘れてしまったかのような仕草を見せている。
「なにしてるのー? ここ、どこー?」
先ほどまで戦っていた事実すら覚えていない反応だった。
それも無理はない。なにせ二十九番系は、彼の存在そのものを記憶していないのだから。
これは、プルゴンの不可思議な現象の一つ――リスポーンと同じ性質の現象である。
リスポーンするプルゴンは十三年周期で現れては消失し、その十三年の周期で消滅したプルゴンの記憶は、すべてのプルゴンの記憶から跡形もなく消え去る。
これが「十三年ルール」だ。
「先輩、これって十三年ルールと同じ現象ですよね?」
俺が咄嗟に答え合わせをするように問いかける。
「ああ、そうだ。同じ現象と考えていい。これがノミコミによって起こる現象だ。飲み込まれたプルゴンは消失し、記憶からも抹消される」
先輩はさらに続ける。
「プルゴンを倒せるのは、プルゴンだけだ。そしてプルゴンは『死』という概念を知らない」
なんて残酷な話だろう。
人間の娯楽のために戦わされ、その挙句、自らの制約によって消失する。
それでも同胞の死を知ることなく、何もなかったかのように残りの寿命を生きていく――それがプルゴンなのだ。
先輩はさらに問いを投げてきた。
「なあ、プルゴンの体の中は、なぜ空洞なんだ。あの中の世界は、どうなっていると思う?」
考えたこともなかった問いだった。
どうなっていると言われても、答えようがない。
だがその難題に、ほんのわずか、俺の中に興味の芽が芽生えるのを感じた。
「……わかんないっす。中に入ってみないと、分からないっすよ」
俺がそう答えると、先輩は小さく頷いた。
「その通りだ。俺がここに来て、プルゴンファイトを見続けている理由もそこにある。
彼らの中の世界には、何か理由があるんじゃないか。これこそが十三年ルールの本質なんじゃないかと思っているんだ」
先輩は続ける。
「実際に入ってみないと分からない。それは確かだ。だが中に入るには、プルゴンを人の力で倒さなければならない。
しかしそれは不可能だ。到底、あのノミコミの影響を人間が受けることはない」
「そして俺の考えだと――」
その時、闘技場の電子掲示板から緊急速報が流れ、不気味な警報音が鳴り響いた。
掲示板に映し出された文字は、こう告げている。
〈10時25分 東京都〇〇区にてプルゴンが暴走
通行人4名が襲撃され、重軽傷
対象プルゴンは現在逃走中〉
掲示板を見た俺と先輩は、思わず互いの顔を見合わせた。
嫌な予感と同時に、「美味しい記事」が頭をよぎる。
「面白くなってきたぞ、渡。これはいい記事になる」
「暴行するプルゴンなんて、聞いたことないですね!
すぐ近くにいる仲間を向かわせましょう!」
先輩は頷くと、闘技場の入場口横にあるインタビューエリアへ早足で向かいながら、同じサイエンスの仲間に電話をかけた。
時計を見ると、時刻は10時40分を少し過ぎた頃だった。
「もしもし、一ノ瀬か? 今どこにいる。……そうか。
今のニュース、聞いたか? すぐ向かってくれ。誰よりも早くだ。頼む。
……何? それがどうした?
はぁ!? 二神が!?
今すぐ迎えに行け! 俺たちもすぐ向かう!」
慌ただしい会話が続く。
「どうしたんすか? 一ノ瀬、何かあったんすか?」
「一ノ瀬じゃない。二神が、この事件に何か巻き込まれているらしい。
インタビューは中止だ。今すぐ東京に戻るぞ!」
俺たちは、闘技場の喧騒を背に、出口へと駆け出した。
さっきまで“娯楽”として眺めていたプルゴンの世界が、別の顔をこちらに向け始めている――そんな気配を、肌で感じながら。
――――――――――――
10:35分頃
3駅先の〇〇駅。
ニュース速報に出ていた「狂乱したプルゴン出現現場」は、このすぐ近くだ。
改札を抜ける直前、私は首にかけた記憶型モニターゴーグルの電源を入れ、自動録画モードを起動する。
電子音が、耳の奥で小さく鳴った。
「さてさて、目的のプルゴンはどこかな〜♪」
……なんて、口では呑気に歌ってはみたものの。
改札を出た瞬間、肌の上を何か冷たいものが這った。
空気が、おかしい。
人だかり。
うずくまる人、その身体を支える人。
震える手でスマホを耳に押し当て、何かを必死で訴えているスーツ姿の男性。
顔面蒼白の女子高生が、「大丈夫? 大丈夫?」と連呼して、倒れた誰かの手を握っている。
ゴーグルは、私が見たものを淡々と記録していく。
でも、胸の奥のざわつきだけは、映像には映らない。
「何があったんですか?」
近くで立ち尽くしていたおばあさんに声をかけると、皺だらけの手が勢いよくこちらを払うように動いた。
「危ないよ、あんた! 早く逃げなさい!」
その一言だけで、私は状況を察する。
――情報通り。
ここで“良くないこと”が起きたのだ。
「あなた、大丈夫? 怪我してるじゃない! 何があったの?」
地面に横たわる若い男性に駆け寄る。シャツは焼け焦げて破れ、その隙間から覗く肌は紫色と赤色のまだら模様――打撲と火傷のオンパレードだ。
「あぁ……いたい……たすけて……」
「今、救急車呼んでます! プルゴン協会にも連絡しましたから、安心してください!」
隣で彼の肩を支えていた女性が、震える声で私に言う。
たぶん彼の恋人か、家族だ。
「ここで何が起きたんですか?」
私は女の人の目をまっすぐ見て問いかける。
「プ、プルゴンが……私たちを襲ったのよ……。炎を使って、怒り狂ったみたいに、火の玉を何発も……!
それが、翔くんに当たって……!」
恐怖と混乱で、声がひっくり返っている。
それでも、断片的に状況を教えてくれた。
「とりあえず、お姉さんとお兄さんは駅の中に移動しましょう! 建物の中のほうが狙われにくいし、救急隊も入りやすいです!」
私は彼のもう片方の肩を抱え、女性と二人で駅前の多目的トイレ横まで運ぶ。
近くで見ると、火傷の皮膚は爛れていて、見ているだけで胃のあたりがざわついた。
「あのプルゴン……なんだか、人間に“怒ってる”みたいだったの。
普通のプルゴンと違う……感情があるみたいで……お姉さんも、気をつけて……」
人間に怒りを向けるプルゴン。
そんなの、聞いたことがない。
いつも見ているプルゴンは、ぽやんとした顔で「なにしてるのー?」と話しかけてくるだけ。
感情があるようで、ない。
知性を持つプルゴンなんて、せいぜい噂に出てくるティーファくらいだ。
だけど――
「ありがとうございます。気をつけます! そのプルゴン、どっちのほうに行きましたか?」
「えっと……この駅の出口を出て、左。ゆっくり歩いて行ったはず。
でも、危ないから、絶対近づいちゃダメ!」
「ありがとうございます! でも行きます! ごめんなさーーい!」
忠告を裏切って、私は駆け出した。
同情も恐怖もある。
けれど、それ以上に――知りたい、見たい、撮りたいという、記者としての欲が、体を動かしていた。
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少し歩くと、サラリーマン御用達の飲み屋街へ続く路地の手前に出た。
焼き鳥のタレと、昨日の酒と、朝の湿った空気が混ざった匂いがする。
その入り口に、そいつはいた。
「どういうことだ……。話が違うじゃないか……。
私たちは、このためにここへ来たのか? これが、“役割”というやつなのか? ――許さない……」
そのプルゴンは、小さな拳を震わせながら、ぶつぶつと呟いていた。
ネズミ色の体に黒い瞳――見た目は、どこにでもいる普通のプルゴンだ。
だけど、その顔に浮かぶのは「怒り」という、今までプルゴンの表情に見たことない感情だった。
私は近くの塀の陰に身を潜め、ゴーグルの録画状態を確認する。
録画ランプは赤く点灯中。よし。
(仮に……名前を付けるなら――)
≪狂乱のプルゴン≫。
私は心の中で、そのプルゴンにそうラベルを貼った。
さっきの被害者の証言からして、炎の個性を持ったプルゴン。
個性持ち、しかも“知性あり”の可能性が高い。相当なレアだ。
そのとき、耳元で着信音が鳴った。一ノ瀬蓮からだ。
「もしもーし? リンリン? 今どこー? さっきのニュース速報見たっしょー?」
この軽いノリ。プルゴンサイエンス編集記者・一ノ瀬蓮。
私より一年先輩だけど、敬語の概念がどこかに落としてきている男。
「もしもし、一ノ瀬? ちょっと今、声張れないの。状況だけ簡潔に言っていい?」
「え、なに、仕事中? めんごめんご。
じゃあ俺、先に探しに行くから、あとで合流――」
「違う! 今その現場“いる”の!」
「ええええええええええ!? マジかよーー!!」
鼓膜が破れそうな声量が鼓膜を直撃する。
かくれんぼ中に、わざわざ大声で居場所をばらすタイプの人間だ。タイミングが最悪すぎる。
「マジやばい感じ? どんな状況なん?」
「私も今来たばかり。そっちは今どこ?」
「今、事務所出るとこ。……出た。ここから近いよな? 〇〇駅っしょ?」
「今モニターゴーグル経由で通話してるから、位置情報見れば分かるでしょ? さっさと来なさいこのポンコツ」
「ねぇリンリンさぁ……たまには先輩に敬語使ってくんね?」
「今、知性持ちっぽいプルゴン追ってんの。多分だけど“知性プルゴン”」
「マジかよビッグニュースじゃん! ミスんなよリンリン!」
……どうやら昨日の私の大失敗、もう一ノ瀬にも伝わっているらしい。
ケンケン(渡)から話が回ったのだろう。情報共有の速さだけは天下一品のフッ軽ボーイだ。
「とりあえず、急いで来て。大通りに出られたらマジで洒落にならないから」
「了解〜。今から全速力で行く。死ぬなよ〜?」
通話を切り、再び塀の隙間から覗き込む。
≪狂乱のプルゴン≫は、路地を右に曲がり、飲み屋街とは反対側――大通りへ続く道へゆっくり歩き出していた。
あの先には、人がごった返す大通りがある。
今ここで止められなければ、被害は桁違いに増える。
(記録も大事。だけど今は――被害を増やさないことのほうが大事)
心臓はドクドクとうるさいくらいだが、足は勝手に前へ出た。
「今そのプルゴンを、隠れながら追尾してる。人間に対して、明らかに“怒り”を持ってる感じ。
このまま大通りに出たら、マジでヤバい」
『じゃあさ、大声出して注意引くとかは? 大通り入る前に』
「バカなの? 攻撃されたら一発で終わりだっての。さっきの被害者、見るに耐えない火傷だったのよ。
この私みたいな美貌の持ち主が火傷なんて負ったら、それこそ人類の損失でしょ」
『そんな可愛かったっけ、お前』
「可愛いわよ! 残念ながら! この童貞!」
『童貞じゃねーし、ブス神凛!』
口喧嘩のスイッチが入ると、止まらないのが私たちだ。
が、今はそれどころじゃない。私は通話をミュートし、路地の角からそっと顔を出す。
曲がった先――そこには、≪狂乱のプルゴン≫と、もう一体のプルゴンが向かい合っていた。
「どうして、君も同じなのだ……」
「わからなーい。なにしてるのー?」
「どうしてだ、同胞よ。
同じ役割を果たすために“門”をくぐったではないか……」
「わからなぁ〜い」
「これが人間との“調和”というやつか……」
「パスタ好きぃ?」
「パスタとはなんだ?」
「わからなぁ〜い」
「パスタとはなんだ!!」
ひどく噛み合っていない会話。
狂乱のプルゴンの言葉は、どこか“こちら側”に寄っていて、普通の野良プルの返答はいつも通り意味不明だ。
(……初期情報が違う? プルゴンの中でも、“階層”がある?)
そんなことを考えていると――
「ママー! どこー!!」
後ろから小さな足音。
振り向くと、今にも泣き出しそうな顔をした幼い女の子が、こちらへ駆けてきていた。
「ダメ! そこに出ちゃダメ!!」
私の声は届いていない。
親とはぐれたパニックで、周りの状況が目に入っていないのだろう。
私が必死で手招きしても、女の子は狂乱のプルゴンのいる通りへ曲がって来てしまう。
「まずは、その子供から“制裁”ということにしようか」
狂乱のプルゴンの瞳が、冷たく光った。
小さな手のひらに、ぎゅっと凝縮された炎の球が生まれる。
「――っ!」
私は考えるより先に、地面を蹴っていた。
火球が放たれ、空気が焼ける。
その軌道へ、私は女の子を抱きしめながら身体を投げ出した。
肩口を掠めた熱が、皮膚を刺すように焼く。
女の子を抱えたまま地面を転がり、壁にぶつかる寸前でなんとか止まった。
「大丈夫!? どこか痛いとこない?」
「……うん」
女の子はきょとんとした顔で私を見上げている。
まだ何が起こったか、ちゃんと理解していない顔だ。
(よかった――女の子は無傷)
安堵が胸に広がった瞬間、背筋に氷柱を突き立てられたような気配が走る。
顔を上げると、狂乱のプルゴンの黒い瞳が、真っ直ぐこちらを射抜いていた。
「邪魔をしないでくれ。私は私なりの“役割”を果たしているだけだ」
その言葉には、妙な重さがあった。
まるで、人間側にも説明責任があると言わんばかりだ。
「あなた、どうしてそんなに怒ってるの? 何が“そうさせた”の?」
「その問いを、同胞たちにも聞かせてやりたいよ、人間。
私は今、この世界の状態に心底がっかりしている。
同胞の声は、もう聞こえない。――そうなったのも、貴様ら人間の仕業だろう?」
「同胞って……他のプルゴンのこと?」
狂乱のプルゴンは、私に手のひらを向ける。
再び、炎の球が形を取ろうとした、そのとき――
「喧嘩よくなぁ〜い!!」
間に割り込む影。
さっき話しかけられていた、キラキラした瞳の野良プルだ。
火球がその体に直撃し、爆音と煙が辺りを覆う。
煙が晴れると、プルゴンは無傷のまま、私たちの前に立っていた。
プルゴン同士の攻撃だけが、プルゴンにダメージを与える。
人間への攻撃は、そのままプルゴンが受け止めてくれる。
「なぜ人間を守る。皆、人間に屈してどうするというのだ。
君たちをこうしたのは、人間どもなのだぞ?」
狂乱のプルゴンが、苛立った声で問いかける。
しかし野良プルは、いつも通りの調子で「わからな〜い」と首を傾げるだけだ。
(今だ――)
「行くよ、走れる?」
「……うん!」
私は女の子の手を引き、駅の改札方向へ全力で走り出した。
遠くを見れば、こちらを探している女性の姿が見える。
「すみませーん! この子のお母さんですかー!?」
私の叫びに反応し、女性がこちらを振り向く。
「そうです! それ、うちの娘です!」
「おかあさーん!」
女の子が女性の胸に飛び込み、二人はしっかり抱き合う。
「急に走っていなくなるから! どれだけ心配したと思ってるの!」
「ごめんなさい……」
涙と安心の匂いのする再会。
その光景を一瞬だけ目に焼き付けてから、私は踵を返す。
「ありがとうございます、お姉さん!」
「いえ今は、とにかく駅の中へ! プルゴンがまだ暴れてる。ここは危険です!」
「あなたは……?」
「私は、まだやることがあるので!」
そう言い残し、私は再び路地へと走り出した。
さっき転がったときに、モニターゴーグルの録画と一ノ瀬との通話が切れてしまっていたらしい。
慌てて再起動し、自動録画をオンにする。
(この記録は、絶対に後世に残さなきゃいけない)
私がどうなろうと、この映像はプルゴン研究にとって、とてつもない手がかりになる。
――そう思うと、怖さよりも「撮らなきゃ」という使命感が勝っていた。




