罪深き花毒師と氷の王子は、危険な香りに惹かれ合う
ご覧くださり誠にありがとうございます。
――王子を暗殺せよ。
命令はそれだけだった。
私は“花毒師”の一族。
花から抽出した毒で、見た者にも悟らせず人を死に至らせる。
「危険だ」と王家に滅ぼされかけた一族の、生き残り。
復讐など望んだことはない。
ただ生きるために、命じられた標的を静かに葬ってきただけ。
だが今回の依頼主は、一族の仇を討つチャンスをやると、私に囁いた。
「次の標的は――ジーク王子」
王家の至宝。氷のように冷酷な青年。
政治を掌握するために邪魔らしい。
私は“侍女見習い”として宮殿に潜入した。
あとは、近づくだけ――のはずだった。
◇
「うーん、やりづらいなぁ……」
今の私の目の前には、その標的である青い瞳の王子がいる。
王城の一角にある私室。静かな夕暮れの光の中、机に広げられた書類に目を落とす横顔は、噂どおり冷たく整っていた。
アストリア王国第二王子、ジーク・アストリア。
「氷の蒼獅子」「誰にも笑わない王子」など、物騒な二つ名には事欠かない。
(で、その王子を、私が毒で殺せと。……ほんと、もっと他に人材いなかった?)
一週間前、地下組織の“依頼人”は淡々と告げた。
『ジーク王子は、我らの改革の邪魔だ。お前の花毒なら、病死に見せかけられる』
報酬は、罪人として捕らえられている仲間の解放。断れば、皆まとめて処刑。
選択肢なんて、最初から存在しなかった。
(ほんと、断れたら良かったのになぁ……)
「――おい、そこのお前」
低い声に、はっと顔を上げる。いつの間にか、王子の青い瞳がこちらを見ていた。
「は、はいっ。ジーク殿下」
「そんなに固くならなくていい。新しい侍女だと聞いている。名前は?」
「リリア、と申します。本日より、殿下のお傍仕えを」
頭を下げると、彼はじっと私の手元を見た。盆に乗せた茶器。指。袖口。
(え、なに。いきなりバレた? 心読まれてる?)
鼓動がいやな音を立てる。
「……お前から妙な匂いがするな」
「っ」
喉が詰まりかけたところで、王子は続けた。
「薬草か。戦場の薬師と同じ匂いだ」
「あ、えっと……実家が山奥でして。薬草採集が主な仕事でしたので、その名残かと……」
とっさに用意していた“半分だけ本当の嘘”を口にすると、王子は「そうか」とだけ呟き、再び書類に視線を落とした。
(……今の反応、半分は信じてないやつだ)
鍛えられた兵士の目。人を疑うことに慣れた、戦場帰りの王子。
でも、まだいい。今は“薬草慣れした侍女”どまり。暗殺者だとバレてはいない。
(正体に気付かれたら、その場で斬られて終わりだしね)
私はそっと息を吐き、盆を持ち直した。
今日の目的は、毒を盛ることではない。
まずは彼の日々の習慣、食事や飲み物の好み、護衛の配置――暗殺を“確実に成功させるための情報”を集めること。
そう、頭では分かっているのに。
「リリア。茶を」
「は、はい」
差し出した茶杯を受け取る王子の指が、ふと震えたように見えた。
(……疲れてる?)
目の下の影。積み上がる書類。背後に控えるのは、政敵ばかりと噂される重臣たちの名が記された帳面。
その姿が、ひどく危うく見えてしまったのだ。
(悪い人には、見えないんだけどなぁ)
心のどこかで、そんな感想が生まれた瞬間――私は、自分の失敗の始まりを自覚すべきだった。
◇
王子付き侍女としての生活は、想像以上に忙しい。
「殿下、そろそろ休憩を」
「まだだ。ここまで片付ける」
「昨日も同じことを仰って、結局明け方まで起きていらしたでしょう。お体を壊されたら、王宮中の医師が泣きますよ」
「泣くのはお前だろう」
「それもそうですね。倒れた殿下を抱えて走るの、絶対私の仕事ですし」
ぽろりと言葉の毒がこぼれたところで、彼の手が止まった。青い瞳が、わずかに見開かれる。
「……お前は、俺が倒れたら抱えて走るつもりなのか」
「えっ? いえ、その、冗談で……」
「無茶だな」
わずかに口元を緩めると、ジークは小さく息を吐いた。
「倒れないようにする。お前に余計な負担はかけたくない」
「……はい」
ああ、もう。本当に。
(こんな会話、暗殺者と標的の間でするものじゃない)
冷たいと噂される王子は、たしかに無愛想で、必要以上の言葉は口にしない。
けれどそれは、慎重さと、優しさの裏返しだと、側にいると分かってしまう。
兵士が失敗したとき、彼は叱る前に「怪我はないか」と尋ねる。
侍女が壺を割って青ざめているときは、自ら片付けを手伝い、「次は気をつけろ」とだけ言う。
誰に対しても公平で、怒りより前に心配が出てくる人。
(……そんな人を、私は殺そうとしてる)
夜、与えられた小部屋で一人になるたびに、胸が痛んだ。
手には、花冠の形をした小さな魔導具。これを王子の枕元に忍ばせれば、ゆっくりと心臓を蝕む香りを放ち、数日後には静かな死を迎える。
痕跡は残らない。病死だと誰もが思う。
私が何人もの標的に使ってきた、“完璧な道具”。
(……できない)
指先が震え、何度もそう思っては、ため息と一緒に魔導具を箱にしまい込んだ。
◇
そんなある晩。
ジークの「今日はもう下がれ」という言葉に押し出されるようにして執務室を出たあと、私は廊下の影で異様な気配を感じた。
(……今の、足音)
王子の私室へ続く廊下を、複数の影が駆ける。
護衛の巡回とは違う靴音。息を潜めるような気配。
胸がざわりと波打った。
「――殿下」
気づけば私は、逆方向に走り出していた。
地下組織からは「余計なことはするな」と言われている。ここで騒げば、私が裏切り者だと気づかれる。頭では分かっているのに、足は止まらない。
王子の部屋の扉は、半ば開いていた。中からは、鋭い金属音と短い息遣い。
覗き込めば、黒装束の男が二人。ひとりは既に倒れ、もうひとりが背後からジークに短剣を振りかざしている。
刃先には、紫がかった液体がぬらりと光っていた。
(神経毒……!)
即座に判断が下りる。切り傷ひとつで、全身の筋肉が止まる強力な毒。
あの位置から刺されれば、王子は助からない。
「殿下、伏せて!」
自分の声に、私自身が驚いた。
同時に懐からガラス製の小瓶を引き抜き、それを男に向かって投げつける。
ガシャン、と瓶が割れ、透明な液が男にぶつかる。
時間が一瞬、止まったかのように感じた。
「ぐっ……なんだ、これは……!」
男の手から短剣が滑り落ち、痙攣しながらその場に崩れ落ちる。
私が投げた液体は、神経を“麻痺”させる毒薬。
致死性はないけど、即効性のある優秀な武器だ。
(あ、やば)
ようやく冷静さが戻り、私は自分の立場に思い至った。
――今のって、どう考えても“ただの侍女”のものじゃない。
「リリア」
低い声が、背筋をなぞる。
振り向けば、青い瞳がまっすぐに私を見ていた。
「やはり、お前は毒を扱えるんだな」
ああ、そうだ。
最初の日から、彼は“何か”を感じ取っていたのだろう。薬草の匂い。指先の僅かな荒れ。無意識に取っている安全な動線。
でも、今の投擲で、それは確信に変わった。
「……すみません」
謝罪の言葉が出てきた自分に、少しだけ驚く。
「助けてしまって」
「それは、謝ることなのか?」
「本当は、逆をしなきゃいけなかったので」
言ってから、自分でもひどいなと思った。
笑ってごまかすこともできるのに、もう嘘を重ねる気力がなかった。
ジークはしばらく黙っていたが、やがて短く息を吐いた。
「……誰に命じられた」
逃げ道のない問い。
地下組織の名を出せば、一族や仲間が危険に晒される。黙り込めば、私自身の命はここで終わるかもしれない。
(それでも)
少なくとも、この青い瞳からだけは、目をそらしたくなかった。
「王宮の外の……“改革”を掲げる人たちです。殿下の政治が邪魔だと」
「なるほどな」
ジークは倒れた刺客を一瞥し、侍従を呼ぶよう廊下へ声を飛ばした。
兵士たちが駆け込んでくるまでのわずかな間、彼は誰にも聞こえないような小さな声で言う。
「……お前は、最初から俺を殺すために来たのか」
「はい」
「それでも、今は助けた」
「……はい」
震える声を、どうにか押し出す。
「殿下を殺せなかったら、私の仲間が処刑されます。それでも、手が動きませんでした。私、暗殺者失格です」
笑うつもりだったのに、うまく笑えなかった。
ジークは、何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ視線を伏せ、それからまっすぐに私を見た。
「……失格で、よかった」
「え?」
「お前が完璧な暗殺者なら、俺は今ここにいない」
淡々とした口調のくせに、その青い瞳には、はっきりとした熱が宿っていた。
「リリア。お前の仲間とやらを救う方法は、たぶん他にもある」
「……でも」
「王族は、時々、都合よく権力を使うものだ」
皮肉めいた言い方なのに、不思議と優しさが滲んでいる。
「お前一人を殺しても、誰も救われない。なら――俺は、別のやり方を選びたい」
胸の奥が、じんと熱くなった。
「どうして、そこまで……殿下は、私に殺されかけたんですよ」
「殺されかけるのは、王族の仕事みたいなものだ」
「そんな仕事、嫌すぎません?」
「だからこそ、隣に立つ者くらいは、自分で選びたい」
ジークは一歩近づき、手を伸ばした。
戦場で鍛えられた硬い指先が、恐る恐る触れるように、私の手を包む。
「お前は毒を扱える。俺は政治も剣も扱える。……相性は悪くないと思うが?」
「暗殺者と、王子の相性って、新しいですね」
思わず漏れた皮肉に、彼はほんの少しだけ笑った。
「新しいほうが、退屈しなくていい」
「……殿下、本当にずるい方ですね」
涙がにじみ、視界がぼやける。
殺すはずだった相手に、こんな形で救いの手を差し伸べられるなんて、聞いてない。
「リリア。俺は、お前を罪人として突き出すこともできるし、王命で保護することもできる」
「……後者を選ぶ理由は」
「俺が、お前を手放したくないからだ」
息が止まった。
「俺はずっと一人で戦ってきた。誰も信じず、誰にも心を許さず、そうするしかないと思っていた。でも、お前は俺に毒を仕込める位置にいて――何もせず、ただ茶を淹れてくれた」
彼はほんの少しだけ視線をそらし、照れ隠しのように続ける。
「そんな奴を、簡単に手放せるほど、俺は器用じゃない」
「……殿下」
「だから、一緒に来い。毒使いとしてではなく、俺の“パートナー”として」
パートナー、という言葉の中に、別の意味が隠れているのは、さすがに鈍い私でも分かった。
罪人であるはずの私に向けられた、唯一の逃げ道。
――いいえ。逃げ道なんかじゃない。
(これは、救いだ)
「……はい」
震える声で、それでもはっきりと答える。
「私でよければ、殿下の毒も、敵の毒も、全部受け止めて、中和してみせます」
「それは頼もしいな」
ジークは、ようやく肩の力を抜いたように微笑んだ。
氷だと言われるその青い瞳は、今は、澄んだ湖みたいに穏やかだった。
◇
後日。王子に救出された地下組織の仲間たちは、「ジーク王子直属の“毒薬管理官”として働くこと」を条件に罪を減じられた。
表向きには、「王子が危険な毒を取り締まるために、元犯罪者を使っている」ことになっているらしい。
(いやまぁ、半分くらいは事実なんだけど)
新設された小さな調薬室で、私は今日も王子のために茶を淹れる。
毒の匂いと薬草の香りに満ちた部屋。その扉の向こうから、規則正しい足音が近づいてきた。
「リリア。今日の茶は?」
「毒抜きの、普通の紅茶です」
「毒入りのほうが、お前らしい気もするが」
「そんなお茶を飲ませようとする側近、嫌でしょう」
「嫌ではない」
即答されて、思わず笑ってしまう。
「……本当にずるい方ですね、殿下」
「そうか?」
青い瞳が、静かに細められる。
「お前が側にいるなら、ずるくても構わない」
――王子暗殺を命じられた毒使いの少女は、今日も標的に茶を淹れる。
毒ではなく、ささやかな甘さだけを溶かした茶を。
あの日、殺すはずだった青の瞳は、今、私の居場所を映している。
それがどれほどの罪で、どれほどの救いかを噛みしめながら――私は、彼の隣に立ち続けるのだろう。
拙作をお読みいただき、本当にありがとうございます。
皆さまからの応援が、日々筆を取る力になっています。
もしお気に召しましたら、★評価などいただけましたら嬉しく、今後の創作の励みになります。
これからも少しでも楽しんでいただける物語を紡いでいければと思っております。
心より感謝をこめて──今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




