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day2

注意! 本文にはペットロスに関する内容があります。苦手な方はお帰り下さい

「起きて。たぶん……死んだんだと思う」

 夜中、妻のか細い声で目が覚めた。ハンモックから降りて電気をつけて彼女の様子を見る。

 身体は暖かく、心臓はまだ僅かに鼓動している。しかし少し抱き起こしても首に力がない。やはり妻の言った通り事切れたのだ。

「うん、そうみたいやね。どんな感じだった?」

 僕がそう訊ねると妻は意外と冷静に説明してくれた。動きがあったので妻が目を覚ますと彼女がペットシートに小便をしていたと。それが終わったので乾いた所へ寝かせ直そうとすると

「すーっ、すーっ」

と深呼吸をし、眠るように息を引き取ったと。

「苦しまなかったんやね?」

「うん、全然。眠るような理想の死に方やと思う」

 そんな会話をしながら段ボールを用意し、タオルケットに彼女を包んだ。

「お疲れ。おやすみ」

 その時はそんな事しか言えなかった。翌朝、というか数時間後には妻もパートで僕は夜勤だ。とりあえず布団の、彼女がいなくなったスペースに横たわり、僕らは抱き合って寝た。


「これが彼女のいない世界か……」

 起きた時、僕は思わずそんな言葉を吐いた。まだ強い悲しみは訪れず、ただ目の前にある見慣れない世界に戸惑っているような気分だった。

「午前、休むから一緒に斎場行ってお昼も食べよう。仕事はそれから行く」

と妻が言った。妻の職場はそういう部分で割と優しいらしい。

 とりあえず起きて着替えて弟猫に朝ご飯をあげる。ストーブをつけてお湯を沸かしながら僕はパソコンでペットの火葬について調べた。

 少し前に妻と話していて、特に業者などには依頼しない事にしていた。妻の友人たちは高いお金を払って火葬の立ち会いやお骨の拾い上げなどしていたらしいが、お互いあまりそういう気分じゃないね、と合意していたのだ。だから僕は公的な手段を調べた。

 ウチの市の場合、『火葬場死獣受付』という所だった。死獣という言葉に怒りや不快感を感じるよりも、伝奇アクション小説の魔物みたいな言い方だなあ、という感想だった。

「じゃあ斎場に電話してみる」

「できるの?」

「うん、もう受付はしているみたい」

 妻の『できるの?』はたぶん別の意味だったが、僕は流して電話をかけた。電話口に出たのは年輩の女性の様で、注意事項や経費、受付方法について親切に教えてくれた。

 それによると特に予約などはなく、直接受付へ行けば良いらしい。小さい可燃物であれば一緒に焼けるとのこと。

 僕は礼を言って電話を切り、妻に内容を告げた。そして最後の一ヶ月、彼女が食べていたウエットフードの小パウチとアイスクリームの空箱を同じ段ボールに詰めた。

 首輪は一緒に入れられない。また焼いてしまったら二度と彼女に触れられない。そこで僕は彼女の首輪を外し、髭も何本か切って小瓶に入れた。

「行こうか」

「途中で花を買っていきたい」

「そうか。じゃあ前のマンションの前も通ろう」

 僕はそう言って車を取りに行った。


 後部座席に彼女と妻。運転席には僕。助手席は空席で出発した。近所のスーパーで妻だけ降りてお供えの花を買い、まずは前の住所へ向かった。 

 彼女は18年の命の内、12年を前の住所で過ごした。思い入れというのが猫にあるか分からないが、あるなら前の住所の方が強いかもしれない。なんなら捨てられていた駐車場も前の住所だし。

 僕はまずその駐車場と、彼女と初めて出会った昔のバイト先の前を通った。

 そのバイト先の店は潰れていて、今は駅前の狭いスペースならどこにでも出来るようなジムに変わっている。それでも前を通る時に僕は

「ここのT君がいなかったら、おまえももっと早く死んでたかもしれんのやで?」

と彼女に話しかけた。

 今更だが彼女は6匹兄弟姉妹で一つの袋に入れて捨てられていた。聞くところによると兄弟姉妹は他の人に貰われたが、殆ど幼少期に死んでしまったらしい。彼女はその兄弟姉妹の分も生きた……と思いたかった。

 次に回ったのが前の住処だ。駅近だが五階建て五階のエレベーターなし。そして線路に非常に近く、目の前は幼稚園。騒音には事欠かない部屋だった。

 その路線は深夜早朝でも貨物列車が容赦なく通る場所であり、彼女も目耳が効くようになってからは何度か驚いて飛び起きたものだった。それでも慣れとは恐ろしいもので、聴覚の優れた猫であっても次第に電車の音を無視するようになっていた。

 また部屋には大きな出窓もあり、電車に電線の鳥に幼稚園児に……彼女が眺めるには申し分のない見物だらけだった。

「出窓が似合ってたよね。『深窓の令嬢』ぽくて」

 僕らはそう言いながら彼女が12年過ごしたマンションを後にした。


 市の斎場は思ってたよりも近くにあった。何度も食事をしたうどん屋さんの裏で、何度も泳いだプールと今でも利用している図書館は道路の向こうだ。なのにここの存在に気付かなかったなんて驚きだ。灯台もと暗しとはよく言ったものだ。

 ただ今後、ここは忘れられない場所になるのだけれど。

「綺麗な所だね」

 駐車場に車を停めて後部座席から彼女を抱え出し、そう言った。そこで僕は初めて妻が買ってくれた花を見た。

 青と白の可憐な花だった。ハチワレ柄の彼女の黒と白に良く似合う。他には紫のウエットフードのパウチと、青いアイスの箱。

 そして青空。この日も、昨日と同じくらい寒くて晴れた日だった。それらの美しさに僕は打ちのめされた。

「写真、撮る人もいるらしいけど」

「ええわ。心に残す」

 そう言って受付へ向かう。

「あの、猫の火葬をお願いしいんですけど」

「「あ、電話の……」」

 小さな事務所にいたのは年輩の女性で、互いに一瞬で相手が朝の電話相手だと気付いた。

「ではこちらの書類に記入して費用を……あら? 綺麗ね。良くして貰って」

 女性は用紙を出しつつ、箱に入った彼女を見てそう呟いた。それから電話口で聞いた注意事項などを再度、説明してくれた。

 その口調は思ったより明るくフレンドリーだったが、その明るさと優しさに救われる気がした。

「ではこちらへ……」

 女性の案内でお別れの場へ向かう。小さいけれど祭壇があるという。途中、霊柩車とお坊さんを避ける――そもそもここは人間用でもあった――為に大回りして、小さな建物についた。

「お線香をどうぞ」

 中へ入ると説明通り小さな祭壇があり、驚くべきことにお線香と線香立てもあった。女性にお礼を言いながら、僕たちは彼女に手を合わせた。

「それではお預かりします」

「ありがとうございました。宜しくお願いします」

 泣き出して何も言えない妻の代わりにそう言って、僕らは駐車場へ向かった。

 彼女がいつ焼かれるか、実は分からなかった。たぶん合同だろう。何頭かまとめて行われる筈だ。そう言えば、祭壇のあった建物の奥に冷凍庫っぽいモノも見えた。

 しかし出してしまった以上、もう彼女は荼毘に付されたも同じだった。

「ほなお昼ご飯、行く?」

「何を見ても思い出してしまうから、少し遠くの行った事がない所へ行きたい」

 車内で僕らはそんな会話を交わし、カーナビで珍しいファミレスを見つけてそこへ車を走らせた。

 そのファミレスは京都や兵庫の田舎の方に多いチェーンで、珍しいとは言ったものの実は妻の地元近くにもある店だった。

「こういう時は肉やで」

と妻が言うので僕はステーキを頼んだ。仏さんを出してすぐに肉とは生臭いかな? とは特に思わなかった。

「美しかったね。彼女も斎場も空も」

「うん……」

 そんな会話をしながら食事を済ませた。この後、家へ帰ったら妻は支度をしてパートに出る。僕は夜勤なので出発はだいぶ後だが、やはり15時過ぎには家を出る。

 最愛の彼女を送ってすぐ日常に戻るなんて、我ながら実感がなかった。

「嘘! あれ!」

 そんな事を考えながらファミレスの駐車場へ出た所で、妻がある方向を指さした。そちらには幼稚園があり、壁には可愛い文字で

『(彼女の名前)幼稚園』

と書いてあったのだ!

「適当に入ったファミレスの隣の幼稚園が彼女の名前なんて……こんな偶然ある!?」

「運命やね! やっぱ彼女は持ってるわ!」

 僕たちはそう言って泣きながら笑った。そして日常へ戻っていった。



 小説は最初の一文字から最後に至るまで読者のものだと思っている。これはアマチュアでも一応、物書きである僕の矜持だ。

 だがこの文章はエッセイなので、これから書く最後の部分は読んでくれる皆さんではなく彼女に捧げたい。


 至らない飼い主でごめん。それと、最高に幸せな18年間をありがとう。君は僕が注いだ愛を何十倍にもして返してくれた。そのお返しができないのが残念でならない。

 もしどこかで再会できるなら、ひたすら謝りたい。あとその時の為に色んなアイスクリームを食べておくよ。会ったら一番、美味しかったアイスクリームをお勧めするね。


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